第3章 自然体でやっていく
「なんだ、これは!?」
久しぶりに街――リンデルに戻ってきたサクヤは驚いた。
たまたま宿屋のこじんまりとしたロビーで目にした新聞に、サクヤのことが「鬼神」として紹介されていたのだ。
記事を読む限りでは、サクヤは獰猛な怪物だ。
ワンパ共和国が森を荒らしたので、森の神が怒り、鬼神を遣わして神罰を下した、みたいなことも書いてある。どこぞの評論家の見解らしい。
サクヤは愕然とし、そして憤慨した。
「わたしのことをよりによって
<でもよ、それって
サクヤの刀――フソウはさらりと言った。
<剣士としてはうれしいことじゃねえか。むしろ喜べ>
「それはそうかもしれないが……」
サクヤは困ったような顔つきで
「それにしても、書き方というものがあるのではないか?」
<書き方? たとえば?>
「そうだな――」
サクヤは真剣な顔つきで思案する。
そして、ひらめいた。パッと笑顔になり、ドヤ顔で言う。
「たとえば“麗しの剣士サクヤ、ファラムに助太刀し、敵を退かす”とかだ」
フソウは思わず吹きだした。
<なんだよ、その“麗し”って? ふつー自分で言うか? てか、あいかわらず文才がねぇな>
散々な言いようだ。
サクヤは
<それによ、だれもおまえのことを知らないんだぜ。それなのに“剣士サクヤ”とか書かれるわけねぇだろ?>
フソウのダメ出しは続く。
が、フソウの言うとおりだ。だれもサクヤのことを知らないのだから、誤解されても仕方がない。
サクヤは気をとりなおし、決然と言った。
「ならば誤解を解く必要があるな」
<は? 解かなくても、いいんじゃねぇか?>
「よくはない。小さな誤解は放置すれば大きな誤解につながる。これからだというときに妙な噂をたてられても困る」
<だれもサクヤだって知らねぇから、問題ないと思うがな。そこまで言うなら、まあ好きにしろ。――で、どうすんだ?>
「侯爵が“鬼神”に会いたがっていると記事にある。ならば会いに行く」
<面倒だけは起こすなよ>
「もちろんだ」
かくしてサクヤは、宮殿の門を叩いた。
◇ ◇ ◇
宮殿の謁見室。
左右には数名の衛兵たちが整列している。
ハル侯爵は、ケイオス将軍とスピオン宰相の立ち合いのもと、はじめてサクヤに会ったとき、目を丸くした。
「鬼神にしては体つきが弱々しいし、顔つきがかわいらしくないか?」
ハル侯爵は驚きのあまり、思わず本音を口にした。
「まあ“かわいらしい”というのはよいとして、その言いようは初対面の相手に対して失礼ではないか?」
サクヤはあからさまに不愉快な顔をして見せた。
「それに第一、わたしは鬼神ではない。誤解もいいところだ」
「あ、すまない。許してくれ」
ハル侯爵はすなおに謝罪した。
まちがいがあれば、ためらうことなく改める。その潔さにはサクヤも好感をいだいた。だから、この話題はこれで終わりにしておこう。
と思っていたら、スピオン宰相が上から目線で不快感をあらわにして言った。
「貴殿は侯爵閣下に対して失礼だというが、侯爵閣下に敬語すら使わない貴殿のほうこそ無礼ではないか?」
「は? 聞くところでは侯爵は15歳なのであろう? わたしは17歳だ。年上が年下に敬語を使う道理などなかろう」
「なにを言うか! 侯爵閣下と貴殿とでは身分が違うであろう?」
「わたしは別に侯爵の臣下でもなければ、家臣でもない。身分など関係ないと思うがな」
「減らず口ばかりを叩きおって――」
スピオン宰相はヒートアップしていく。それを見てサクヤはニヤニヤしていた。貴人をおちょくって楽しんでいるのだろうか?
「このくらいにしておけ。話が進まない」
ハル侯爵はスピオン宰相を軽く制するように言った。
「ともあれ、ボクの要請に応じ、宮殿まできてくれて感謝する」
「いや、わたしのほうこそ誤解を解くことができる」
「侯爵閣下、発言してもよろしいか」
ケイオス将軍が恭しく申し出た。
「うむ。申してみよ」
ケイオス将軍は「感謝いたします」とハル侯爵に頭を下げてから、険しい顔をサクヤに向けた。その体格のよさとあいまって、なかなかの威圧感がある。
もっともサクヤは平然として、ケイオス将軍を見かえしていた。
「貴殿に問う。貴殿の主張は“噂の鬼神”ではあるが、“実は鬼神ではない”ということでよいか?」
「そうだ」
「鬼のように強いという話はどうか?」
「自慢をするわけではないが、わたしは強い」
「そうか。では、勝負しようではないか。わしに勝てたなら、貴殿を“噂の鬼神”と認めよう」
サクヤの顔がパッと明るくなった。
「では真剣勝負といこうではないか」
「よかろう」
宮殿の道場に場所を移した。
ハル宰相は、道場の上座に立ち、道場の中央で向きあうサクヤとケイオス将軍を真剣なまなざしで見つめた。
その傍らにはスピオン宰相が控えている。左右には衛兵が居並んでいた。
ケイオス将軍は、その体格にふさわしい大剣を構えていた。サクヤの刀――フソウは小さいほうではないが、それでもフソウがかわいらしく見える。それほど大きな剣だった。
あとで聞くところでは、ファラム辺境伯の家に伝わる宝剣らしい。
サクヤは刀を構えた状態で、じわじわと間合いをつめていく。
ケイオス将軍の気迫はすさまじい。
(なかなかの武人だな)
だがサクヤの敵ではない。
サクヤは目にも止まらぬ速さで動き、ケイオス将軍の横を駆け抜けていった。
刹那、ケイオス将軍は大剣を握る両腕に強烈な痛みを感じた。これまでに感じたことのないような痛みだ。思わず大剣を落としてしまう。
「峰打ちだ。安心しろ」
サクヤは振り向きざまに言った。
そして、刀を鞘に戻すと、大剣を大事そうに拾い上げ、ケイオス将軍に丁寧に差し出した。
ケイオス将軍は腕に痛みは残るが、平気なふりをして受け取る。
「将軍の気迫には思わずひるみそうになってしまった。将軍のような武人と手合わせができ、幸運に思う」
サクヤは満面の笑みで言った。実にかわいらしく見える。まるでケイオス将軍のひ孫娘のようだ。
(りっぱな人間は真剣に勝負するが、勝負が終われば互いに健闘を讃えあうと聞いたことがある。こやつ……ふふっ)
ケイオス将軍は、まっすぐな性格だった。だから、まっすぐな人間が好きだ。サクヤも例外ではない。
「わしも老いたか。若い者にはかなわぬな。ははは」
ケイオス将軍は、すなおに負けを認め、大笑いした。
これはケイオス将軍の持論だが、サクヤも似たようなものだったらしい。今回の手合わせをキッカケに、2人は打ち解けあうようになった。
◇ ◇ ◇
試合後、謁見室に戻ってから、ハル侯爵はサクヤにいろいろと質疑した。
その中には次のようなやりとりもあった。
「刀を扱うにあたり、なにかコツみたいなものでもあるのか?」
「コツ……?」
サクヤは不思議そうな顔をしていた。
「たとえば、こうすればうまく勝てるとか、なにか
「
サクヤは考えこむ。
しばしの沈黙のあと、おもむろに口を開いて言うには、
「たぶん、ない。わたしはこれまで無我夢中でやってきたから、そういったことはあまり意識したことがない」
と言いつつ、サクヤはハッとした。
「――それがコツかもしれない」
キョトンとするハル侯爵に対して、サクヤは「こんな話を聞いたことがある」と語り出した。
どこぞに「剣鬼」とよばれた剣豪がいたらしい。
名をイトウ・イットウサイという。イットウサイは啓示を得たいと思い、ジンジャとかいう神殿にこもったそうだ。
しかし、なんの啓示も得られない。無為に日数ばかりが経過していく。
結局、なんの成果もなく神殿を出たところで、暗殺者がイットウサイを襲った。
このときイットウサイは、自然と体が動き、暗殺者をばっさりと斬り捨てたという。
「つまり、考えて動くのではなく、考えるまでもなく体が自然と動くようにすることが大切だという話だ」
「なるほど――」
ハル侯爵は納得したようだ。
「ならばサクヤ殿は戦うとき、なにも考えていないのか?」
「なにも考えていない――と言うより、無意識だと言ったほうが正確だな」
こうしたサクヤとの会話のなかで、ハル侯爵の印象に強く残っているのは、
「まあ、なにをするにしても無理をしてはうまくいかない。自然体が大切だ。どんなピンチでも力むことなく、リラックスしてやっていれば、たいがいうまくいく」
そんなサクヤの言葉だった。
ハル侯爵は「不慮の事故」で両親を亡くし、辺境伯の地位を継ぐことになった。当時まだ10歳だったハル侯爵にとって、これほどの
それでも、
「辺境伯の地位に就いた以上は、甘えは許されない。とにかくがんばるしかない」
ハル侯爵は元首としての義務を十分に自覚していた。
だから、重臣たちにサポートされながら努力を続けてきた。
でも、いくらがんばったところで、経験不足で未熟な「10代の若造」であることには変わりがない。無理をしていたことはまちがいない。
そんなハル侯爵にとって、サクヤの言葉は慈雨のように感じられた。すっと心にしみてくる。よく理解できる。
ハル侯爵は、励まされた気がする。心が元気になった気がする。これから西部方面軍の司令官と面談し、休戦に向けて協議するが、少しもこわくない。そう思える。
深呼吸してから、
「力むな。リラックスしろ。自然体でやっていれば大丈夫だ」
ハル侯爵の前にある扉の向こうには、西部方面軍の司令官がいる。
◇ ◇ ◇
『闘戦経』第3章
○原文・書き下し文
|心(こころ)に|因(よ)り、|気(き)に|因(よ)る|者(もの)は、|未(いま)だしなり。|心(こころ)に|因(よ)らず、|気(き)に|因(よ)らざる|者(もの)は、|未(いま)だしなり。|知(ち)は|知(ち)あらず。|慮(りょ)は|慮(りょ)あらず。|窃(ひそ)かに|識(し)り、|而(しか)して|骨(ほね)と|化(か)す。|骨(ほね)と|化(か)すは、|識(し)るなり。
〇現代語訳
心配りや気配りをしても十分ではない。心配りや気配りをしなくても十分ではない。
知恵があるのは知恵をめぐらしたからではない。配慮があるのが配慮をめぐらしたからではない。
いつの間にか分かっていて、みずからの骨になっているというようにする。そうやって骨になってこそ分かったと言える。
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