第29章 衣食足りて礼節を知る
情報によると、
馬車は営門の前で停車した。扉が開き、のそりと巨漢が姿をあらわす。悠然と降り立ち、
「オレ様は統領のハンジル! サクヤ殿をお連れした!」
ドスのきいた声でハンジルが前口上を述べていると、馬車からショートヘアの女の子がおりてきた。隊員たちは思わず息をのむ。
かわいい!
背は高いほうではないが、体つきはスラリとしていた。さりげない花柄のワンピースに、春色のハーフコートをはおっているが、端正な顔つきに
女の子は隊員たちにマジマジと見つめられ、ちょっと照れくさそうにはにかんだ。その可憐さに、隊員たちは思わず「おお」と嘆声をもらす。
まさに地上に舞い降りた天使。老兵たちはまるで神様をおがむような顔つきで、ありがたそうに女の子のことを観ていた。
新兵たちはというと、「はぁ」とため息をついたり、「ひゅう」と口笛を吹いたり。美少女に目を奪われ、心を奪われていた。デレッとして、鼻の下をのばす者もいる。
そのとき、
「サクヤ様っ!」
リーシャが隊員たちをかきわけながら走ってきた。勢いよく女の子に跳びつく。
「ケガをしたって聞いたから、すごく心配したんですよ!」
リーシャは涙目だが、満面の笑みだ。
いつもは汗くさいけど、今日は花のようにかぐわしい。
「それにしても――」
リーシャは言いながら、サクヤから一歩だけ離れる。目を輝かせながら、サクヤのことを頭の上から足の先まで観察し、
「イメチェンですか? すてきですね」
リーシャはニコリとして、すなおにほめた。
サクヤは顔を赤らめ、恥ずかしそうに「いや、違うのだ」という。
「
言い訳がましいサクヤだったが、最後に一言、照れくさそうにポツリと「おかしくないか?」とつぶやいた。
「全然おかしくないですよ! やっぱりサクヤ様は素材がいいですからね、何を着ても似あいます。あたし
リーシャは嬉々としていた。
サクヤは照れながらも「そうか。ありがとう」と応え、改めて隊員たちのほう見て、申し訳なさそうに「おまえたちにも心配をかけたな」と語りかけたのだが、
「隊長が女になって帰ってきたっ!」
隊員たちは老いも、若きも目をパチクリさせながら唖然としていた。あんぐりと口をあけたままだったり、びっくり仰天していたり。
なんと言えばよいのか?
しばらく戸惑っていたが、いきなり
「その
「どうして女装なんかしてるんですか!?」
「趣味っすか!?」
隊員たちは、だれ一人としてサクヤのケガのことにはふれない。
サクヤが女の子みたいな服装で帰ってきたことが、よほど奇異に見えるらしい。だれもが格好のことばかりを口にする。
そんな隊員たちに対して、サクヤは笑顔を引きつらせ、
「もしかしてだが、おまえたち――」
サクヤの額には青筋がたち、口もとがひくひくしている。ちょっとコワイ。
「わたしのことを男子だと思っていたのか?」
「はい?」
隊員たちは、キョトンとしている。
「念のために言っておくが、わたしは女子だぞ!」
「はい!?」
隊員たちは一瞬、意味がわからなかった。
隊長が女!?
たしかに隊長は見た目が女の子みたいだったけど……。
つまりは「女の子みたい」じゃなくて、本物の「女の子」だったってこと?
「ええーっ!」
隊員たちは、びっくり仰天。思わず後ずさった。
隊員たちは、戸惑う。いったい、どうリアクションしたらいい?
この件に関して隊長に何か言われても応えようがない。なんか隊長も怒ってるぽいし、こんなときは逃げるが勝ち。とにかく
とにかくバツが悪そうに目をそらしたり、顔をそむけたり。だれ一人としてサクヤを直視しようとしない。まるで先生が難しい質問をしたとき、指名されたくない生徒たちがうつむく感じに似ている。
サクヤはと言うと、思わず絶句していた。笑顔もすっかり消えている。
とにかく気を取りなおし、
「たしかにだな、わたしは物心ついたときから、おてんばだとか、男勝りだとか言われていた。今でも男子とまちがえられることがある。それにしても――」
サクヤはイラッとした目つきで、隊員たちを睨みまわした。
「全員が全員して、わたしを男子だと思うなんて、どういうことだっ!?」
キッとした顔つきで腕を組み、仁王立ちとなる。
サクヤがあまりにもプンスカと憤慨するので、さすがの隊員たちもシュンとしてしまっていた。まるで葬式のように場の雰囲気が重苦しくなる。
「仕方ありませんよ」
不意にリーシャが、とりなすように言った。
「あたしは同性ですし、サクヤ様と一緒に暮らしていたからわかりますけど、ふだんのサクヤ様の生活ぶりだったら、普通はだれもサクヤ様が女子だって思いません」
ずかずか歩くし、大股を開いて座る。いつも男物ばかり着ているし、ケンカは強い。そして、なにより
「これでサクヤ様のことを女子だと思う人がいたら、そのほうがおかしいですよ」
「な……」
サクヤは唖然として言葉を失った。
――なんということだ。
◇ ◇ ◇
サクヤは軍服に着替えると、班長たちを集め、臨時に会議を開いた。馬賊を代表してハンジルも同席する。
ハンジルは
「オレ様の手下が貴様らの隊長に迷惑をかけ、あろうことかその命を危険にさらした。統領として管理がゆきとどいていなかった。どうか許してほしい」
ハンジルによると、手下の中に共和国のシンパがいることは知っていた。とりあえず監視はしていたのだが、サクヤが
ハンジルは「まさか?」と思い、すぐさま手下たちに捜索を命じた。
手下たちは急いで騎馬にまたがり、捜索のために四方八方を駆けまわる。それこそ東奔西走して共和国シンパたちを探してまわった。
その一部が偶然にも傷だらけ、血まみれで意識を失っているサクヤを見つけ、
それにしてもハンジルたち馬賊は、どうしてサクヤを助けたのか?
サクヤが弱っているうちに殺してしまえば、ハンジルたち馬賊の勝ちではないか。降伏する必要なんてなくなる。これまでどおりに生活できる。
それなのに、なぜ?
班長たちは、だれもが不思議でたまらない。
「
ハンジルは力強く答えた。
「オレ様は投降する。サクヤは子供たちの面倒をみる。そう約束したのだから、サクヤに死なれては困るし、オレ様は投降するだけだ」
班長たちは、だれもが
「オレ様は子供たちがかわいい。だから、子供たちには
この思いは、子をもつ馬賊たちに共通しているとも言う。
「サクヤが面倒を見てくれるのなら、少なくとも子供たちは馬賊生活から足を洗える。こんなチャンスは二度とないのではないか?」
「ならば貴様は、子らのために自分が犠牲になると……」
子供の幸せを願う。そのためなら苦労もいとわない。その気持ちは痛いほどよくわかる。
それは他の
この馬賊の統領は、もちろん悪党だ。
だが、それ以上に親バカだ。子供なら「目に入れても痛くない」のだろう。
まったく、
――いいやつじゃないか!
だれもが
――かと思いきや、
「でも、どうやって子供たちの、つうか馬賊たちの面倒を見るんですか?」
「馬賊たちは帰順するとはいえ、全部で1万人近くもいるんでしょう?」
サクヤが穏やかな顔つきで「実際は5千人くらいだ」と言うと、
「5千人でも同じです」
「そもそも警備隊には5千人もの人間を養う力がありません。政府を頼ろうにも、政府は馬賊を討伐しろとしか言わないでしょう。馬賊を養う予算なんて出してくれると思いますか?」
だれも思わない。
話は暗礁に乗りあげてしまった。沈黙がその場を支配する。
万策尽きた? 万事休す?
ここで
「自分のことは、自分で面倒を見てもらうしかありますまい」
全員が
「それが最善ですよね」と納得する
「見捨てるんすか!?」と驚く
「もちろん見捨てるわけではないぞ」
「辺境は沃野千里、耕地に適した広大な土地が荒れたままになっておる。そこを
「オレ様たちに馬賊をやめて、農奴になれと言うのか?」
「そうではない。屯田兵になるのだ。平時には農業に精を出し、有事には武器を手にして戦う。武器をもっておるので、政府や貴族たちもおいそれとは横暴なことができんだろう。どうだろうか?」
「そういうことなら、喜んで提案を受け入れたい」
ハンジルが笑顔で同意すると、
「いかがですか?」
サクヤは笑顔で「名案だと思うぞ」と応えてから、他の班長たちを見渡しながら「皆はどう思うか?」と問いかけた。
反対する者はいない。
「馬賊たちが
「いわゆる“衣食が足りて礼節を知るようになる”ってやつですね」と
「それに広大な荒れ地が農地に変われば、ワグファイ大公国の収入も増えるじゃろう」と
「治安もよくなり、収入も増えるって、まさに一石二鳥じゃないっすか!」と
「話は決まったな。この方向でまずは地方長官を説得しよう」
サクヤはにこやかに言いながら、ふとフソウから聞いた話を思いだしていた。
かつてヒゴという地域には頑固者が多く、すぐに反乱を起こすなどしてヒゴの領主を困らせていたそうだ。
武将のカトウ・キヨマサは、ヒゴの領主を任されたとき、治水工事、新田開発、商業振興などを積極的に行った。領地を豊かにして、領民が安心して満足して暮らせるようにしようとしたのだ。
その結果、ヒゴの領民も生活が豊かになり、キヨマサに心服するようになった。「衣食足りて礼節を知る」というが、だれだって安心して暮らせるのであれば、争いたくはないものなのだろう。
◇ ◇ ◇
その夜、サクヤは架設風呂で湯あみをした。
シャワーを浴びようとすると、背後に人の気配がする。ふりむくとリーシャがいた。にこにこして言う。
「背中をお流ししますね」
「久しぶりだな。よろしく頼む」
サクヤは笑顔で応えると、小さなイスに腰をおろし、リーシャに背中を向けた。大きな傷跡がある。刀傷のようだが、背後からバッサリと斬りつけられたのだろうか?
リーシャは以前「どうしたんですか?」と尋ねたことがある。
するとサクヤは苦笑いするばかりで、「いろいろあってな」しか言わない。笑顔だけど、すごく悲しそうな目をしていた。
それ以来リーシャは、背中の傷についてはふれないようにしている。
「いきますよ」
リーシャは明るく一声かけてから、サクヤの背中にお湯をかけ、タオルでごしごし洗った。泡で背中の傷も見えなくなる。
こんなふうに背中の傷が消えちゃえばいいのに。汚れと一緒に流れちゃえばいいのに。
もちろん無理な話だ。
それにしてもサクヤ様は傷だらけになって帰ってきた。ぷにぷにと柔らかで、雪のように白いサクヤ様の肌。すごくキレイだったのに、どこもかしこもケガだらけだ。
切り傷もあれば、あざもある。とても痛々しくて、リーシャは見ているだけでつらくなる。
フソウさんの「ちのけいやく」のおかげで治り方も早いみたい。ほとんど治りかけている。そのうち今回の傷跡も消えてなくなるだろうとサクヤ様は言う。
それでも、こんなにたくさんケガして、どんなに痛かっただろう。
リーシャは思わず泣けてきた。でも泣き顔を見せると、きっとサクヤ様が心配する。サクヤ様が背を向けてくれていてよかった。
今回は「武運があって」助かったけど、今度は死んじゃうかもしれない。
そんなのはイヤだ。
「絶対に死なないでくださいね」
思わず言ってしまった。ハッとして口をふさぐが、手遅れだ。
「リーシャには心配をかけたな。申し訳なく思っている。だが生還したのだから許してくれ」
サクヤは前を向いたまま、やさしい声で言った。
「そんな。許すもなにもありませんよ。あたしはサクヤ様のことを信じていますからね、心配なんてしていません」
リーシャは努めて明るく言うが、その声はうわずっていた。目からは涙がボロボロと出て止まらない。
それを知ってか知らずか、サクヤは前を向いたまま「そうか」とだけ応えた。
「これからも負けないでくださいね。なにがなんでも勝ってください」
「もちろんだ。負けてしまっては、元も子もないからな」
それこそ「勝てば天国、負ければ地獄」だ。正義なき力は暴力だが、力なき正義は無力だとも言う。
勝ってこそ正義を実現できるようになる。
強きをくじき、弱きを助けるためには、どうしても力がいる。悪をこらしめ、善をすすめるためには、勝たないといけない。
「だから、わたしは勝ち続ける」
サクヤはかわいらしく笑っているが、その言葉は力強かった。
◇ ◇ ◇
『闘戦経』第29章
○原文・書き下し文
|食(しょく)して|万(ばん)|事(じ)の|足(た)る。|勝(か)って|仁(じん)|義(ぎ)の|行(おこな)わる。
〇現代語訳
食べられるからこそ、あらゆることが満足できる。勝つからこそ、良心と正義が実行されるようになる。
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