第8章 鋭気をもって生きる

 宮殿の近くにある練兵場には、ケイオス将軍の選抜した決死隊1000名の将兵が整列していた。どの表情もキリッとしており、全身に緊張感がみなぎっている。


 正面の指揮台の上には、ハル侯爵が立ち、その傍らにはケイオス将軍が控えていた。背後には数名の衛兵たちが整列している。


 ハル侯爵は台上から決死隊1000名の顔を見渡した。


 老人もいれば、若者もいる。少し負傷している者もいれば、無傷な者もいる。それこそ千差万別だ。


 ただ「祖国のために死ぬのだ」という覚悟は共通しているのだろう。緊張感の中に悲壮感がただよっているのが、ハル侯爵にもひしひしと伝わってくる。


 ハル侯爵は思わず心が震えた。


 ボクの命令で、この者たちの生死が決まる。


 ボクはこの者たちに「死ね」と命じなければいけない。


 遺された者たちの嘆き、悲しみは、どれくらい大きいことだろうか。


 それを思うと切なくなる。


 しかし、ハル侯爵は15歳の少年とはいえ、一国の元首だ。私情にとらわれるわけにはいかない。国のために最善となることを考え、実行しなければならない。


 共和国に追いつめられ、打つ手なしの今、国の存続のためには決死の覚悟で事にのぞむ必要がある。どうしても決死隊は必要だ。


 だから、もう迷わない。


 ハル侯爵はひきしまった表情でマイクに向かい、決然として言った。


「侯国のために命をかけてくれる皆の忠義には感謝する」


 声はスピーカーを通じて練兵場のすみずみまで響きわたる。


 決死隊1000名は真顔で黙って聞いていた。


 ハル侯爵はその真摯さに感じ入り、知らず目頭めがしらが熱くなってくる。言葉も続かない。


 しかし、今ここでトップが涙を見せれば、決死隊1000名の覚悟もゆらぎかねない。ハル侯爵には自信をもって決死隊を死地に送り出してもらわなければ、決死隊1000名の決意も鈍ってしまう。


 ケイオス将軍はさりげなくハル侯爵の前に進み出た。決死隊1000名の視線がケイオス将軍に集中する。


 ケイオス将軍は全体を見渡しながら、大声を張りあげた。


「われらは、これより敵の本陣を急襲し、大将の首をとる!」


 決死隊1000名が思わずざわめく。


 ――命がけの任務に従事するという話は聞いていたが、まさか敵の本陣を急襲するとは!


 ――憎い敵に一矢を報いることができる。死に場所としては申し分ないではないか!


 決死隊のだれもが身震いした。武者震いだ。


 ケイオス将軍は軽く右手をあげる。すると決死隊1000名のざわめきも急速に静まっていった。急ごしらえの部隊とはいえ、統制はとれているようだ。


「どんな大軍も、首脳部をやられたら、終わりだ。首を斬られた鶏のように右往左往して、最後はバタンキューで終わる」


 まさに中国の兵法――擒賊擒王きんぞくきんおうの策略そのものだ。


 ただし、今回の作戦の発案者はサクヤだが、サクヤはケイオス将軍との打ち合わせの際、こう言っている。


「わたしは策を弄しない。ただ正面きって正々堂々と戦うのみ」


 そのサクヤが今、決死隊の前に姿を現わした。腰には刀――フソウを差している。


 この少年は体つきこそ小さいが、その勝ち気な表情は自信にあふれており、物怖ものおじたところが少しもない。


 ケイオス将軍が紹介する。


「われらには噂の鬼神がついている」


 練兵場は一瞬どよめいた。が、ケイオス将軍が発言するとすぐに静まる。


「敵を恐怖せしめ退けた、あの鬼神である。このサクヤこそ、その鬼神である」


 サクヤにとっては不本意な紹介のされ方だ。だが、士気を鼓舞し、戦意を高揚するためにが必要なことでもある。やむをえない。


 ただしサクヤは華奢きゃしゃだし、背も高いほうではない。かわいらしい女の子みたいな顔つきで、少しも強そうには見えない。


 いくらケイオス将軍が「噂の鬼神」だと言っても、説得力に欠けるだろう。


 だから、1つの演出が用意されていた。


 練兵場の一角に大きな戦車が置いてある。先の戦いで西部方面軍から鹵獲ろかくした戦車だ。鈍重だが、侯国軍の野砲では貫通できないほど強固な装甲を持っている。


「頼むぞ」


 サクヤは決死隊1000名のほうを見つめたままポツリと言う。


 すると刀――フソウが不満そうに応えた。


<マジでやんのかよ。……しゃーねぇな>


 サクヤは決死隊に対して一礼すると、戦車に向かってスタスタと歩き出した。


 戦車の正面まで来ると、おもむろに腰の刀――フソウを抜き、構える。戦車との間合いをつめつつ、刀を振りあげる。そして、


「でやっー!」


 気合い一発、戦車に向かって勢いよく刀を振りおろした。


 すさまじい衝撃波が走る。


 次の瞬間、戦車はスパッと真っ二つになる。


 侯国軍の野砲ですら歯が立たなかった強固な装甲を、サクヤは刀でいともたやすく一刀両断にしてしまった。


 まるで剣豪のヤギュウ・ムネトシのようだ。


 かつてムネトシは、大岩を一刀両断にしたという。その岩は「一刀岩いっとうせき」と言われ、どこかに現存しているらしい。


 サクヤはこれと同じようなことをしたわけだが、その驚きは聞くと見るでは大違いだ。決死隊1000名は神業かみわざを見せつけられて仰天し、一瞬でサクヤのことを「噂の鬼神」と認めた。


「石に立つ矢のためしあり!」 


 サクヤは刀を頭上に高く掲げて見せながら、大声で言い放つ。


「鋭気さえあれば、強敵も強敵ではない!」


 奇跡を目の当たりにした決死隊1000名は、一人の例外もなく士気も戦意も最高潮に達した。いつのまにやら悲壮感も雲散霧消していた。


 こんな鬼神が味方してくれるんだ。きっと勝てる。


 決死隊1000名の心に自信がわいてくる。その気持ちも「祖国のために死ぬぞ」から、「祖国のために勝つぞ」に切り替わっていた。


 ケイオス将軍は、ここぞとばかりに片方のこぶしを元気よく振りあげた。そして大声を張りあげる。


えいっ! えいっ!」


 決死隊1000名は威勢よく応じた。


おうっ!」


 意気衝天とは、このことを言うのだろう。


 ハル侯爵はすっかり圧倒され、言葉を失っていた。これだけ闘志にあふれていれば、サクヤの言うこともあながちウソではないのではないかと思えてくる。


「兵力5万を数える敵を相手にして、わずか1000名でたちうちできるのか」


 ハル侯爵が出陣式に先立ってサクヤに問うたとき、サクヤは「先例があるから大丈夫だ。安心しろ」と言った。


 かつてシマズ・ヨシヒロという猛将がいたそうだ。


 ヨシヒロは10万を超える敵兵の中にありながら、わずか1500名だけの兵力で敵陣を中央突破して見せたという。


「これに比べたら楽勝ではないか。われらは1000名だが、敵は5万しかいないのだからな。ははは」


 サクヤは自信たっぷりに笑って見せた。その笑顔は今でも変わっていない。余裕の笑みを浮かべて騎馬にまたがり、颯爽さっそうと駆け出していく。


 決死隊1000名もめいめい騎馬にまたがり、サクヤに続いた。


 ケイオス将軍はと言えば、サクヤとくつわを並べて走っている。


「部下だけを危険にさらすわけにはいかない」


 そういうことらしい。


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第8章


〇原文・書き下し文


 |漢(かん)の|文(ふみ)は|詭(き)|譎(けつ)あり。|倭(やまと)の|教(おし)えは|真(しん)|鋭(えい)を|説(と)く。|詭(き)なる|哉(かな)、|詭(き)なる|哉(かな)。|鋭(えい)なる|哉(かな)、|鋭(えい)なる|哉(かな)。|狐(きつね)を|以(も)って|狗(いぬ)を|捕(とら)えんか。|狗(いぬ)を|以(も)って|狐(きつね)を|捕(とら)えんか。


〇現代語訳


 中国の文献には、偽るテクニックがある。日本の教育では、本当の鋭さを説く。偽るのは偽りである。鋭さは鋭い。

 キツネを使ってイヌを捕るのが正しいのか、それともイヌを使ってキツネを捕るのが正しいのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る