第36章 気宇壮大になる

 イガレムス君主国は、ファラム侯国に対して火廣金ヒヒイロカネを供与することを決めた。


 それを記念して祝宴パーティーが開催される。


 シュレイ家の人間は、昔から宴会が好きだ。なにかにつけ人を集めては飲み食いパーティーしていた。それは今後も変わらないのではないだろうか。


 その夜、会場となった政庁の大広間には、アキをはじめとしてイガレムス君主国の要人たちが集まった。サクヤたち遠征隊は全員が招待される。


 宴もたけなわといったところで、サクヤはこっそり中庭に出た。とにかく写真家アーティストたちの注文が多すぎて疲れたのだ。


 中庭は広く、回遊式の地泉庭園になっていた。丘があり、林があり、川があり、池がある。庭園をめぐる小道には足もとにあかりがついているので、夜でも難なく歩くことができた。


 庭園の一隅には大きな台座があり、スメラギ軍人の銅像がたっている。猛将チガヤ・ニシノカミ・シュレイの銅像だ。


 満天の星空のもと、サクヤは銅像を見上げながらしみじみ思う。


(あの革命から60年もの時が流れたのだな。――まさか、おまえの曽孫ひまごと“デート”することになろうとは、夢にも思わなかったぞ)


 スメラギ皇国で革命が起きたとき、1人の例外をのぞいて皇族は革命分子の手によって皆殺しにされた。


 1人の例外とは第4皇女であり、第4皇女を命がけで救ったのがチガヤだった。もしチガヤがいなければ、スメラギの皇統も断絶していたことだろう。


 もっとも第4皇女は、その後、行方不明となった。生死も不明なので、皇統が今でも続いているかどうかわからない。


 ワンパ共和国の議長は、イガレムス君主国の存在を知ったとき、そこに第4皇女がいると思った。だから、イガレムス君主国を攻めたのだ。


議長あいつはどれだけ血を流せば気がすむのか)


 サクヤが嘆息すると、


「宇宙はでかいよな」


 うしろから声がした。ふりむくときらびやかな軍服を身にまとった青年イケメンが立っていた。アキだ。満天の星空を見上げている。


「宇宙には無限の広がりがあり、悠久の歴史があるそうだ。それに比べたら、俺たち人間はちっぽけだよな」


 しみじみと語りながら視線を下げ、サクヤを見た。


「だが、ちっぽけでも、でっかい夢をもつことができる。――もちろん俺にもでっかい夢がある」


 アキはいつになく真剣な表情をしていた。


 ロマンティックな星空のもと、2人きりのシチュエーションで、この真剣な表情。――まさか世に聞く「告白」とやらをするつもりか?


 サクヤは思わずひるんだ。


「……なんだ?」


「俺のパートナーになってほしい」


「はい?」


 ――夫婦パートナーになってほしい!?


 サクヤは一気に顔が熱くなった。心臓もバクバクと高鳴ってくる。


 これまで多くの修羅場しゅらばをかいくぐってきたサクヤだが、恋愛経験となると経験値がゼロに等しい。本で読んだレベルの知識しかない。あとはリーシャから聞かされた恋話こいばなくらい?


 どうしていいか、正直わからない。


 サクヤはアキの曾祖父ひいじいさん――チガヤに恩がある。その恩に報いたい。だけど、もうチガヤはこの世にはいない。恩を返したくても返せない。


 それなら、チガヤの曽孫ひまご――アキの願いを聞いてやれば、アキをつうじてチガヤに恩返しをすることになるかもしれない。


 そんなふうに思ったりもする。


 だけど、サクヤには大事な仲間たちがいる。ここでシュレイ家に輿入こしいれし、リーシャや隊員たちを見捨てるわけにはいかない。


 困った。こんな場合、どうこたえたらいい?


 あれこれ思い悩むサクヤをよそに、アキは熱い口ぶりで語った。


「俺は共和国をぶっつぶしたい。その夢を実現するためにも、俺とパートナーシップを組んでもらいたい。ぜひ協力してくれ」


「へ?」


 サクヤは拍子抜ひょうしぬけした。


 パートナーって、夫婦パートナーじゃなくて、協力者パートナーってことか?


 つまり結婚とかではなく、戦争協力を求められたにすぎない。


「なんだ、そんなことか」


 サクヤは一気に脱力した。ホッとしたが、気恥ずかしくもある。


 なにしろ協力者パートナー夫婦パートナーと勘違いしたのだ。なんという痛い脳内変換をしてしまったのか。


 サクヤは恥ずかしさのあまり、思わず体がブルッと震えた。


 ――武者震むしゃぶるいか?


 アキは勘違いしていた。


 戦争協力を求められてもサクヤは「そんなこと」と軽く受け取るし、あまつさえ武者震いまで……。どんだけ豪胆なんだよ。


 これもやはり高貴な血統ちすじのなせるわざか。


「おまえってさ、第4皇女の血統ちすじだろ?」


 アキは唐突に言った。


 サクヤは驚いた。気もちが一気にひきしまる。心のスイッチが警戒モードに切り替わった。自然と身構える。


 アキは「ふふっ」と軽く笑い、


「図星か」


(わかりやすいお嬢ちゃんだな)


「どうりで第4皇女とそっくりなわけだ。合点がてんがいったぜ」


 アキはうれしそうだが、サクヤは警戒していた。


「わたしがスメラギ家の人間だとして、どうするつもりだ?」


「もちろん歓迎する」


「え!?」


 サクヤは思わず目を丸くした。


 スメラギ家の失政のせいで革命が起き、スメラギ皇国の遺臣たちは塗炭とたんの苦しみを味わった。


 だから遺臣たちは、きっと皇族――スメラギ家をうらんでいるはずだ。


 イガレムス君主国も遺臣たちの国だから、当然スメラギ家のことをうらんでいるに違いない。


 シュレイ家などは、チガヤが第4皇女を守るため、本来なら失わないでよかった命を失っている。だから、スメラギ家を強く恨んでいるのではないか。


 サクヤは、そう思っていた。


 それなのに、このイガレムス君主国の元首――シュレイ家の当主ときたら、意外にもスメラギ家の人間を「歓迎する」と言う。


 本当か? 本気か?


 サクヤが真意をはかりかねて言葉を失っていると、アキはいつものへらへらとした笑顔で、


老臣じいさんたちも喜ぶだろうな。皇族を一人も救えなかったって悔やんでいたからな。生き残りが一人でもいたとなれば大喜びだろう」


「……にわかには信じられない」


 サクヤがつぶやくと、アキは自信たっぷりに、


「それが忠臣ってもんだぜ。ここには不忠な人間はいない」


「そう、なのか……」


 サクヤは少し気が楽になったように感じた。


「それにおまえがいれば、俺たちの長年の夢も実現しやすくなる。これで歓迎しないほうがおかしいだろ」


 サクヤがいればアキたちの夢が実現する?


 そもそもアキたちの夢とは何か?


「共和国をぶっつぶし、皇国を再興する。これが俺たちの長年の夢だ」


 ――皇国を再興!?


 サクヤは呆気あっけにとられた。


 どう考えたって無茶にしか思えない。革命からおよそ60年、ワンパ共和国はスメラギ皇国の旧領を完全に掌握してしまっている。捲土重来けんどちょうらいなど望むべくもない。


 だが、アキは実現できると思っている。だから言葉に迷いがない。


皇族おまえがいれば、俺たちの北伐も成功する。だから協力してもらえないか?」


 アキによると、皇族――第4皇女の血をひくサクヤがいれば、よい大義名分になるという。


 サクヤは皇族なので、正当な皇位継承権がある。だから、まず皇位についてもらう。


 そして、宣言する。


 ――スメラギ皇国皇帝は、臣民を救うため、臣民をしいたげる逆賊を討伐する!


 そのうえで北伐――ワンパ共和国を攻め滅ぼすために北上をスタートするなら、北伐も正当化される。共和国内の反体制派も「皇国時代はよかった」と思いこんでいるので、呼応してくれるはずだ。


「きっと北伐は成功し、皇国も再興できる。是が非でも協力してもらいたい」


 サクヤは困った。


 他ならぬチガヤの曽孫ひまご――アキの願いなのだから、聞き入れてあげたいとは思う。


 だが、かつてスメラギ家の当主――皇帝は、奸臣かんしんをのさばらせて革命をまねき、臣民を余計な混乱に巻きこんで苦しめた。


 それなのに今さらどのツラ下げて君臨できるというのか。


 ――できるわけがない。


 それにこれ以上「スメラギ」のために血を流してほしくない。だから、


「貴国はせっかく政治も安定し、領民も平穏に暮らせているのだから、むやみと戦争などしないほうがよいのではないか?」


「ふっ」


 アキは鼻で笑った。


「俺たちは惰眠だみんをむさぼるつもりはない。――どうだ? 協力してくれるか?」


「残念だが協力できない。過去は忘れ、未来を考えるべきではないか」


「そう言うな。今がチャンスだぞ」


「この件は終わりにされたい。――失礼する」


 サクヤは一方的に会話を打ち切ると、一礼して立ち去っていった。あまりアキと長話をしていると、まんまと丸めこまれてしまうと思ったからだ。


 その場に残されたアキは残念そうに見送る。


「しくじりましたか」


 物陰から筆頭家老ナンゴクが姿をあらわした。


「どうだった? 見込みはありそうに見えたか?」


「今のところ難しいでしょう。押しの強さが若君わかぎみの強みではありますが、今回ばかりはうまくいきませんでしたな」


「だな。女を口説くどくようにはいかなかった」


 アキがイタズラっぽく笑うと、


「また下世話なことを」


筆頭家老ナンゴクは顔をしかめた。


「冗談だよ。本気にすんなって。――ともあれ、どうする?」


「押してダメなら引いてみると申します。サクヤ殿の件はひとまず脇におき、とりあえずプロパガンダを進めてまいりましょう」


「わかった。ならば、そうしよう」


 アキはさっと決断した。


「それにしても、おまえが言うようにプロパガンダ用の写真を先に撮っておいて正解だったな。あの調子だと、俺たちの大志ゆめを知ってからでは決して協力デートなどしてくれなかったぞ」


「はい。亀の甲より年の功と申しますからな」


「おいおい、自分で言うなよ」


 アキは「ははは」と爽快に笑った。


 ◇ ◇ ◇


 まだサクヤが剣士として世に出る前の話だ。


 サクヤは、ひょろいし、背も高いほうではないので、これから剣士としてやっていけるかどうか不安だった。


「わたしは体つきも小さいし、大丈夫だろうか?」


 すると、フソウが言った。


<体の大小なんて問題じゃねぇよ。気宇壮大きうそうだいになれ。そうすりゃ万事うまくいく>


 ちっぽけでも、でっかい夢をもて。


 でっかい夢をもってガンバっていれば、でっかいことができる。


<それこそ“少年よ、大志を抱け”ってやつだ。――まあ、おまえは少女だが、少年も少女も同じようなんもんだな>


 サクヤは大広間に戻る道すがら、そんなことを思い出していた。


「あのシュレイ家の当主は大志を抱いているが、うまくいくだろうか?」


 サクヤがふとつぶやいた。


<どうだろうなぁ。まあイガレムス君主国の規模からして、少なくともノブミツくらいの働きはできるかもな>


 フソウによると、ある異世界が乱世だったとき、マツダイラ・ノブミツという領主がいたそうだ。


 ちっぽけな国の領主だったが、でっかい夢をもっていたという。それは、


「戦乱の世を治め、天下泰平を実現したい」


 ただ残念ながら、ノブミツの代では夢を実現できなかったそうだ。


 しかし、その子孫――トクガワ・イエヤスは天下人となり、数百年にわたる平和な世の中を実現したらしい。


 ちっぽけなノブミツの大志は、世代を経て達成されたわけだ。


<こうして考えると、あいつらがこれからも大志を失わず、ガンバり続けるなら、いつかはうまくいくんじゃねぇか>


 フソウは他人事ひとごととして語っていた。


「それはつまり今すぐにはうまくいかないということか?」


<さあな。とにかく、おまえには関係のないことだから、気にすんな。おまえがあいつの要望をけったのは正解だったと思うぜ>


 すぐに余計なことに首をつっこむのが、サクヤの悪い癖だ。


 今回はそれがなかった。


 らしくないと言えば、らしくないが、それはそれでいい。


  ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第36章


○原文・書き下し文


 ひょうかずらしょうず。どくまむしにあり。しゅれる。てんせいすくなしとわんや。


○現代語訳


 ひょうたんが弱いツルにできる。毒が小さいマムシにある。「ちっぽけな自分のなかにも、でっかい世界が広がっている」とも言われている。天地の本質がどうして少ないと言えるだろうか。

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