第27話

 プリウスはブライト・サイズ・オーシャンを描いた絵を足下に置いた。美術室は窓の外から涼しい風が吹き込んで、太陽の光に照らされて半分は光り輝き、もう半分は穏やかで静かな影に包まれていた。プリウスは椅子に腰かけて、外の景色を眺めていた。港と海が遠くで輝いていて、汽笛の鳴る音と海猫の鳴く声が聞こえたが、まだ耳の奥で少しだけさっきまでの騒音が反響し続けていて、それは実際よりも遠くから聞こえた。

 プリウスははぐれメタルを待っていた。少し片付けてから行くから、先に行って待ってて、とはぐれメタルはプリウスに言い、プリウスが高校の美術室を待ち合わせ場所に選んだ。プリウスは自転車で走ってバスを乗り継いで港町まで戻ってきて、一旦自宅にこっそりと立ち寄り、絵と画材一式を持って高校にやってきた。

 校内には誰もいなかった。サミット期間中は部活も禁止になっていて、運動部員の姿さえどこにも見えなかった。美術室の鍵は閉まっていたが、プリウスは窓を割って侵入した。

 美術室は壁際に机と椅子が押しやられ、部屋の真ん中に幼稚園児たちがハンカチ落としをできそうなくらいの空間が広がっていた。幾つものイーゼルと石膏像と壁に掛けられた生徒たちの作品に囲まれ、柔らかい風を浴びて、プリウスが椅子に座ってうとうとと眠りかけていると、彼の足下に影が落ちた。

 顔を上げると、はぐれメタルがそこに立っていた。

「お待たせ」とはぐれメタルは言った。

 プリウスは瞬きして、顔を上げた。

 体中埃やら何やらで汚れたプリウスと違って、はぐれメタルは汗一滴掻いていなかった。髪が微かに風に揺れて、陽に焼けた肌には一つのすり傷も無く、いつか見たブラウスを着て背筋を真っ直ぐに伸ばして立っていた。いつも通り、他の誰とも違う空気を身に纏っていたので、どこにでもいるただの休日の女子高生にしか見えないとは言い切れなかったが、少なくともさっきまで爆弾を投げたりキャデラックで暴走運転を繰り返していたようには全く見えなかった。

 だが、完全に日常そのものとも見えなかった。頬が微かにこわばり、彼女は少しだけ緊張しているように見えた。

「ここでいいの?」

 プリウスは頷いて、立ち上がった。そして部屋の隅から真ん中まで椅子を引っ張って来て、指差した。はぐれメタルはそこに座り、膝の上に手を置いた。

 プリウスははぐれメタルにブライト・サイズ・オーシャンの絵を差し出した。はぐれメタルはそれを両手で受け取り、絵を見つめ、やがて微笑んだ。

「きれい」

 はぐれメタルはそう言った。

「私にくれるの?」

 プリウスは頷いた。

「ありがとう」

 プリウスは微笑んだ。そして踵を返し、美術室の隅からイーゼルを引っ張って持ってきて、数日前からボードに水張りしておいた水彩紙を立て掛けた。

「本当に私の絵を描くの?」

 プリウスは頷いた。

「分かった」とはぐれメタルは言った。

 プリウスは画材入れから筆洗いを取り出し、美術室から出て行きながら、はぐれメタルを指差した。

「分かった」とはぐれメタルはもう一度言った。「ここで待ってる」

 プリウスは筆洗いを持って廊下に出た。辺りは静まり返っていて、何の物音もしなかった。風が廊下の端から端までを吹き抜け、影も匂いも、最後の春の昼下がりの空気で満ちていた。プリウスは深く息を吸い込んで、はぐれメタルの姿をイメージした。透き通って、動きが激しくて、力強く、同時に繊細で、目に見えない何かが体全体から溢れていて、良く分からない方向に流れている。やはり水彩がいい、とプリウスは思った。

 プリウスは水道で水を汲み、ドアをがらがらと開けて美術室に戻ってきた。

 プリウスはそこで立ち尽くした。

 美術室の真ん中に、見たことも無い生き物がいた。

 それはプリウスに背を向けて、体を真っ直ぐに伸ばして立っていた。窓から差し込む光に照らされ、白でも小麦色でもない限りなく透き通った色が輝いていた。黒い髪に包まれた横顔は少しだけ俯いていて、耳が小さく飛び出している。滑らかなうなじから、贅肉のかけらもない細くてしなやかな背中に掛けて水が流れるような曲線が描かれ、丸くて小さくて上向きの完璧な丸みを描く尻から、恐ろしく強靭そうなのに細く、途轍もなく柔らかそうで長い、見たことも無い足が伸びていた。彼女の小さな白い足下には、乱雑に、水色のブラウスやパンツが脱ぎ捨てられている。

 裸、という一文字がプリウスの脳内を埋め尽くした。

 はぐれメタルが裸で立っている。

 彼女は微笑んでいて、プリウスの方に無造作に振り返った。

 はぐれメタルはその体を全く隠そうとしなかった。彼女の裸を正面から見つめた瞬間、プリウスの頭の中は完全に真っ白になった。流れ星が頭に垂直落下してきたみたいに、言葉が全て弾け飛んだ。プリウスは彼女の穏やかに微笑んだ顔を見て頭を貫かれ、白く小さく可憐極まりなく咲く胸を見つめて心臓を撃ち抜かれ、そしてその下に向かって視線を降ろしていくと、目に入る光量と平衡感覚と焦点の制御を完全に失った。一体どこに目を向けたらいいのか分からず、視線がめちゃくちゃになった。だが目を閉じることはできなかった。そんなことは絶対にできない。プリウスの全身の全器官が、彼に向かって目を開けと命じていた。

「これでいい?」とはぐれメタルは言った。

 プリウスは反射的に頷いた。

 何がいいのか全く分からなかったが、良いに決まっていた。

 プリウスは後ろ手にドアをやっと閉めた。手が震えていて、その場に膝を突いてしまいそうだった。

 必死で目の前に起こっていることを理解するための材料を頭の中に探した。完全にぐしゃぐしゃになっていて何一つまともなものが見つからない。深く深呼吸した。何度も息を吸って吐いた。だがほとんど無駄だった。心臓と、体中の血管という血管がカマロのエンジンよりも激しく燃焼して内側から爆発しそうだった。

 焦点が合わない目ではぐれメタルを見つめていると、混乱した頭の中に自分が言った言葉がふわりと舞い降りた。僕は「君を描きたい」と言っただけだ。ただそう言った。ヌードになってくれとは一言も言ってない。あの凄まじい騒ぎだったし、自分の日本語は全く不慣れなものだから、うまく伝わらなかったのかもしれない。プリウスは自分がどう思い、なんと言ったらいいのか全く分からなかった。しかし絶対に言ってはいけないことだけは分かっていた。

 脱いで欲しいとは言ってない、とだけはとにかく絶対に言うな、とプリウスは自分に命じた。そんなことを口にしてもし彼女が服を着てしまったら取り返しがつかない悲劇だ。それだけはなんとしても避けなければならない。

 ごく自然な顔をしろ、動揺を見せるな、そうプリウスは自分に何度も言い聞かせた。しかしそれはとてつもなく難しかった。

 プリウスはこんな美しい女を見たことが無かった。

「どうしてそんなとこで立ってるの? 絵を描くんでしょ?」

 プリウスはまた反射的に頷いた。

 プリウスの煩悶はその一言で、ある程度氷解した。自分に言い聞かせるように、何度も頷いた。やっぱりそうだ、彼女もそういう認識なのだ。自分はこれから彼女の絵を描くのだ。ついさっきもそう確認されたばかりじゃないか。どういう思考を辿ってそうなったのかは分からないが、彼女は、自分が絵を描くということはヌードモデルになるということだと思い込んだのだ。とにかくそれはこの世で最もありがたい解釈だ。その理由なんか今どうだっていい。

 だが、やはり変だった。彼女の声はごく普通だった。普通なのは変だ。これまで見たことも無い、人間とは思えないほど美しい生き物が目の前にいて、それが普通に自分に話しかけてくるのが、プリウスには異常としか思えなかった。

 プリウスは恐る恐るはぐれメタルの目の前までやってきた。近づくほど心臓の鼓動がとんでもないスピードになって行ったが、彼女の言う通り、近付かなければ絵が描けないのだから仕方がない。そしてもちろん、もっと近くで彼女の体を良く見たかった。

「どんなポーズがいいの?」

 プリウスは首を傾げた。

 ポーズというのが一体何のことだったか、一瞬思い出せなかった。裸の彼女と紙と絵の具と筆以外に、何か必要なものなどあっただろうか。

「こうしてまっすぐ立ってるのがいいの?」

 はぐれメタルがそう言うと、そうか、そのポーズか、とプリウスは思った。

 ポーズ?

 プリウスは首を傾げ、しばらくして首を横に振った。

 そんなもの、全く思いつかなかった。

「じゃあ、こんな感じ?」

 はぐれメタルはプリウスに半身を向けて、片足を少し曲げて立った。

 プリウスは直ちに首を横に振った。その格好では一番重要なところが見えない。

「じゃあ、こう?」

 はぐれメタルは椅子に座り、背もたれに手を掛けた。

 プリウスは首を横に振った。その姿勢だと彼女のエネルギーが閉じ込められてしまうように見える。

「これは?」

 はぐれメタルは立ち上がり、手を後ろに回して、歩く瞬間のようなポーズを取った。

 プリウスは首を横に振った。そんな可愛いだけの格好は全く彼女らしくない。

 はぐれメタルは腰に手を当てて、髪をかき上げた。

 プリウスは首を横に振った。

 はぐれメタルは様々なポーズを取ってみせた。顎に手を当てて立ち、足を抱えて座り込み、床に寝そべって背泳ぎしたり、ボクサーのように左腕を畳んで右ストレートを打ち、ピースサインをした。その全てに対してプリウスは首を横に振った。

 はぐれメタルは右足を高く掲げ、バレリーナのように右手でふくらはぎを抱えて脚一本で立った。

 プリウスは目を逸らして猛烈な勢いで首を横に振った。

「もう、どうすりゃいいの」とはぐれメタルは苛立った声で言った。

 彼女は教室の隅に置かれた机に両手を突いて腰掛けて、足を投げ出して片足をぶらぶらとさせた。

 その瞬間、プリウスは頷いた。

 え、とはぐれメタルは言った。「これ?」

 プリウスはもう一度頷いた。

 頷いた理由を自分で認識できなかった。彼女の動きの自然さと全く同じように、ほとんど自動的に自然に頷いていた。

「よかった。楽ちんなポーズで」

 プリウスは微笑んだ。椅子とイーゼルを引っ張って移動させ、椅子に腰かけ、はぐれメタルと斜めに向かい合った。鉛筆を手に取り、はぐれメタルの全身を見つめ、画板に彼女の体をイメージした。彼女は美しく、紙は真っ白だった。

 それはもうほとんどそこにあった。ほんの少し先の未来に、彼女が紙の中にいるのが見えた。しかしまだぼやけている。イメージは果てしなく大きくて小さく、繊細で力強くて、美しい。ただ目の前にあるその通りに描けばいいことは分かっているが、ただ普通に描くだけでは駄目だ。問題は、簡単か、難しいか、ではない。必要なのは現実に紙を走る線と色と、現実を超えた魔法だ。イメージに到達してそれを超えるには、何らかの奇跡が必要だ。

 はぐれメタルはじっとプリウスの顔を見つめていた。リラックスして、何も疑っていない目だ。両親が運転する車の後部座席に座っている子供みたいに穏やかで、目的地に確実に辿り着くことを信じて疑わない目だった。

 その目を見ていると、プリウスの全身から余計な力がほとんど抜けていった。いつの間にか、呼吸は落ち着き、筋肉はほぐれていた。意識ははっきりと覚醒し、どこに何があって、光がどのように差し、風がどのように吹いていて、自分と彼女がどれくらい離れているか、プリウスは全身の肌で感じ取った。心臓は少しだけ早いリズムを刻んでいるが、それは心地よいビートだった。プリウスの意識は巨大な振り子のようになり、自分を離れ、そして自分に戻って来るのを繰り返していた。目の前にはぐれメタルだけがいる。彼女のことだけ考える。

 自分は描けるだろう、とプリウスは思った。十数年前に彼女を描いた時と同じように。そしてあの時とは違うように。

 プリウスが握る鉛筆が紙に触れた。

 ゆっくりと線を引いた。丁寧にゆっくりと、そして滑らかに素早く。プリウスは彼女の髪を辿り、肩を辿り、腕を辿り、足を辿った。捉えるべきは全体であり、細部だった。それは彼女の全身から溢れ出してくる優しくて激しい何かと、彼女の瞳や鼻や唇や、細い指先や引き締まったお腹や白い膝に宿る、かちかちしてひりひりしてきらきらと輝く何かだ。全部、何かだ。言葉では表現できない。右手に握られた鉛筆は、指と直結して力が入っているのかどうかも分からない。全身全霊で考えると同時に何も考えない。彼女の肌と、彼女の傍を通り抜ける光と風の音に耳をすませる。

 プリウスは普通に、当たり前に線を引いた。自分にできないことや、目の前に見えないものから始めることはできないし、その必要もない。自分は天才じゃない。才能なんて目に見えたことは一度も無い。当たり前のことを当たり前に積み重ねるだけだ。思いっきり考えて、神経を集中させてそれを見つめて、一つ一つ線を引いて行く。どんな人間でも描けるように描くことしかできない。特別なものは何も無い。それはありふれていて、閉じ込められていて、そのまますぎて、せいぜい描き慣れているがために多少精密であるという程度のものだ。

 プリウスは線を引き続けた。はぐれメタルの体を見つめて、それを指先を通して紙に伝えながら、楽しい、と思った。美しいものを描くのはなんて楽しいんだろう。どこを見ても、どこを描いても美しい女を、全力で好きなように描いていいなんて。イメージも感覚も技術も、線を引けば引くほど次々に溢れ出て来る。プリウスは、苦しい、と思った。それを描くのは恐ろしく難しくて苦しい。彼女がすぐ近くにいて、立ち上がって軽く手を伸ばせばすぐ触れられる距離にいる。途轍もなく美しいものが目の前にある。それなのに自分はどう足掻いてもそれに到達できないかもしれない。それがどうしようもなく恐ろしい。自分は今、たとえ全力を尽くして描いても、決定的な瞬間に何も表現できないかもしれないという瀬戸際にいる。美しいのはあくまで彼女であり、自分の絵がどうなるのかはまだ誰にも分からない。プリウスは小さく首を横に振った。びびっている暇は全くない。線はもう止まらないし、彼女が信じて待っている。やるしかない。全力で見て、考えて、どう描くか、どう塗るかしかない。

 自分は自分にできることしかできない、とプリウスは思った。それでも僕は、たった一つだけ魔法を知っている。それは、普通と当たり前をやり続けることだ。それを根気強くやり続ける。待ち続ける。信じ続ける。疑い続ける。限界まで、限界を超えてやり続ける。そうしていると、時々、普通じゃないものが最後にやって来る。来る時もあるし、来ない時もある。せっかくやって来ても、それに自分自身が太刀打ちできないこともある。それによって結局何もかも失敗に終わってしまうこともある。しかし、プリウスはいつも決めている。その、普通じゃないものがやって来た時、その線を引くか引かないかという選択があった時、必ずその線を引くと。

 プリウスはデッサンを終え、絵筆を取った。絵の具を吟味しながらパレットの上に出して、はぐれメタルの顔と下絵と絵の具を順繰りに眺めた。明るい色がいい。優しい色がいい。消えてしまいそうで、間違いなくそこにある色がいい。でももちろん、目はとにかく強くて激しくて、誰にも負けない色がいい。プリウスは絵の具を混ぜて筆に馴染ませた。そしてゆっくりと紙に触れさせて撫でた。光の向きと量に合わせて濃淡を制御しながら、とにかく可能な限り丁寧に塗った。

 風の音がほとんど止んでいた。はぐれメタルはプリウスの顔を見つめて全く動かず、プリウスの体の動きも極めて僅かで静かだったため、辺りには何の音もしなかった。窓から差し込む光が部屋の中に舞う音が聞こえそうなほどの静寂だった。

 時間がどんどん過ぎて行った。プリウスが最初にはぐれメタルに頼んだ一時間という制限はとっくに通り過ぎていた。プリウスは時計を全く見ていなかったが、それはもちろん分かっていた。はぐれメタルはプリウスの目を見つめて、じっと動かず、何も言わなかった。

 プリウスは自分が何を考えているのか、彼女に伝えたかった。感情と、考えと、感覚を、彼女に伝えたかった。どれくらい君が美しいか、彼女に伝えたかった。しかし言葉で言う必要はなかった。それは全部、今、絵に描けばいいのだ。

 筆で彼女の体の色を塗りながら、彼女に直接触れているような気がした。直接触れる以上に触れている気がした。彼女も自分に触れられているのを感じているのが伝わってきた。見れば分かる。描いていれば分かる。プリウスは、自分と彼女が、音もなく目にも見えない何かを、どれほど近付くよりも近付いて、速度の無い世界で交換しているような気がした。

 プリウスは、何故彼女が裸になったのか分かった。

「あなたの名前を教えて」とはぐれメタルが言った。

「光(ひかり)」とプリウスは言った。「僕の名前は光だ」

「私の名前は愛(あい)」とはぐれメタルは言った。「光、私と出逢ってくれてありがとう」


 ☆


 水道でパレットや筆洗いの水を洗い流して掃除してタオルでふき取り、プリウスが美術室に戻って来ると、そこにはぐれメタルの姿は既になかった。彼女が脱ぎ捨てた服も、ブライト・サイズ・オーシャンの絵も、今描き上げたばかりの彼女自身の絵も無く、美術室はがらんどうの影に包まれていた。日は傾き、沈む直前で、部屋の中はほとんど色を失っていた。

 プリウスはさっきまで彼女が腰掛けていた机をじっと見つめた。夕暮れの光が微かに机に反射して輝き、やがて消えて行こうとしていた。

 風が戻っていた。海から吹く風が窓から入り込んでカーテンを揺らしていた。プリウスは窓の外に顔を出し、沈んでいく太陽を眺めた。光を顔に浴び、息を深く吸い込んで、しばらくしてその窓を閉じ、踵を返して画材を肩に担ぎ、美術室を出た。

 グラウンドを横切り、学校から出て行こうとすると、校門の前に見慣れた三人の姿が見えた。

 タカハシとポカリとマウンテンだった。マウンテンは立ち尽くしていて、他の二人は夕暮れの中で、汚れた疲れ切った顔で座り込んでいた。タカハシはニンテンドー3DSをいじくり、ポカリはぐびぐびとポカリスエットを飲んでいた。プリウスが近づいてくるのに気がつくと、二人は立ち上がった。

 彼らの前に立って、プリウスは微笑んだ。

「もう済んだのか?」とマウンテンが言った。

 プリウスは頷いた。

「は、は、はぐれメタルは?」とポカリが訊いた。

 プリウスは手を伸ばして三人の背後を指差した。

 三人が振りかえると、そこには何も無かった。夕暮れに照らされた町並みの向こうに、空と海が広がっているだけで、プリウスの指はその中間を指し示していた。

「まあ要は最終ボスを見事ぶっ倒したってことだ」とタカハシは3DSを閉じてポケットに突っ込みながら言った。「爽やかな顔しやがって」

 プリウスは微笑んだ。

 そして口を開いた。

「タカハシ、ポカリ、マウンテン、ありがとう」

 プリウスは三人の顔を順番に見ながらそう言った。

 マウンテンがにやりと笑い、ポカリは目を大きく見開いた。

 タカハシは首を横に振った。

「そんなことよりお前、俺にオレンジジュースの貸しがあるの覚えてるか?」

 タカハシがそう言うのに対し、プリウスは首を傾げた。

 だろうと思った、とタカハシは言った。「何日か前に、お前がファミレスで、金払わず出て行っちまったんだ。今から4人で行くから、お前が全員のドリンク代奢れよな」

 プリウスが微笑んで頷くと、4人は坂道を下って歩き出した。マウンテンは胸を張って歩き、ポカリはどこかで腰を痛めたようで猫背ぎみに歩き、タカハシはポケットに手を突っ込んで歩き、プリウスは背筋を伸ばして歩いた。

 坂を下りきって、プリウスが振り返ると、長細い4つのでこぼこした影が彼らに付き従い、街全体を覆う影の中に溶けていく直前だった。プリウスは影をじっと見つめ、その形を目に焼き付けた。

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