第13話

 翌朝、未だ停学のままのマウンテンを除く3人が登校すると、教室内は昨晩の街外れの灯台で起こった爆発事件の話題で持ちきりだった。爆破のしばらく前には街全体が停電するという事件も発生していたのだが、そちらの方は完全に忘れ去られていた。ブライト・サイズ・オーシャンが昨日の朝に今度こそ本当に出港して行ったことなど全く誰の口の端にも上らなかった。男子高校生というカテゴリーに属する者たちにとっては、何かが停止したり無くなったりことよりも何かが爆発することの方が遥かにインパクトが大きかったのだ。

 彼らの声色は興奮していて、基本的に全てのコメントは無責任だった。

 来週始まるサミットを狙ったテロではないかという意見が大勢を占めていたが、冷静な少数派からは、やるなら要人を狙って本番にやるに違いなく、経済的にも政治的にも何の意味もない場所をただ爆破して、わざわざ事前に当局の警戒を強めさせる理由が無い、というアンチテーゼが提出された。爆破は事件ではなく、灯台に保管してあった化学薬品による事故ではないか、という噂もあった。いずれにしろ、サミットに向けて警察によるこの街の保安体制は強化されることが決まったらしい。

 TVニュースによれば事件当時、灯台周辺には人気が無く、犯人の目撃情報は全く無いというが、例によって教室内では犯人推理が始まった。ストレスを抱えた中年サラリーマン、薬学に詳しい高校教師、暇を持て余した主婦等などの数々の根拠のない仮説が提出され、その中でも、灯台に恨みを持つサイコな漁師、という説に妙な説得力があり、教室内で主流となっていった。

 ダイヤを盗んだ泥棒少女、という仮説が登場する気配は全く無かった。

 プリウスとタカハシとポカリの3人は、それらの噂や言説に聴き耳を立てながら、それぞれ本を読んだり携帯電話をいじったりして、わざとらしく無関心を装っていた。そのような動きを取らずとも3人のことは普段からクラスの誰も相手にしていなかったので不審に思う者などいるはずがなかったが、彼らとしてはそうせざるを得なかった。

 特にタカハシはそうせずにいられなかった。彼は、俺はミスを犯した、と考えた。それに気が付いたのは、昨日、自宅に帰り、自転車をマンションの駐輪場に停めた瞬間だった。その時からタカハシの鼓動は普段よりテンポが早まって収まらなくなった。

 タカハシは、爆破現場から少女の自転車を拝借して逃げだしたのだが、それが間違いだった。この自転車は、おそらく、盗品だ。もし持ち主が警察に届け出てこの自転車を見つけ出したら、今は互いに果てしなく遠い、自転車と、少女と、タカハシと、灯台が結び付き、自分は参考人として警察に事情聴取を受けることになるのではないだろうか、とタカハシは思った。警察が本気で盗難自転車を探すことなど普段ならあり得ないだろう。だが今は事情が異なる。この自転車は、爆発があったすぐ傍のあぜ道に転がっていた。爆発の埃やら何やらを浴びているし、たぶん、道にこの自転車のタイヤの跡が残っている。もし警察が本気で爆発現場を捜査するなら、現場に残った痕跡を化学的に分析するだろう。そんな細かいものまで残っていないかもしれないし、そこまでの大がかりな部隊など動員されないのかもしれないが、自転車のタイヤの跡がある、ということさえ分かれば、警察はシンプルに盗難自転車の情報を優先的に集めるだろう。

 もちろん、爆風でめちゃくちゃになった現場から、そうした痕跡など見つけ出せるものなのかタカハシには分からない。そもそも自分たち4人の足跡が残っていることさえ捜査の材料になるかもしれないし、そうだとしたら今更どうしようもない。

 タカハシは早朝に、誰にも見つからないよう、自転車のフレームやハンドルやサドルやブレーキやタイヤをアルコールで拭いたが、その対応が正しいのかどうかも分からなかった。

 結局タカハシの最終的な判断は、木を隠すなら森の中で、住民の大量の自転車が集まったマンションの駐輪場にそのまま放置してもう近付かない、ということだった。今更別のどこかに自転車を捨てても、誰かに目撃されるリスクが高まることにしかならない。もし今後、駐輪場に置いてある自転車が見つかっても、それとタカハシを繋ぐものは何も無い。無いはずだ。おそらくこれは相当細い糸で、しかも繋がったところで牢屋にぶち込まれるわけでもない。最悪、灯台が爆発した時たまたま現場にいて、咄嗟に近くにあった自転車に乗って慌てて帰りましたすいませんでした、という最低限の事実を供述することになるだけだ。灯台を爆破したのはあの女としか思えないとは言え、実際タカハシは事情も方法も理由も全く関知していないのだ。

 タカハシは自分にそう言い聞かせていたが、体から緊張が消えなかった。

 自分だけならいい。しかし、自分が捕まれば、他の3人もおそらく捕捉されることになる。そうなれば、収拾のつかない面倒なことになる。警察に対し、その場をやり過ごす為のまともかつ適当な供述をできるのは俺だけだ、とタカハシは思った。プリウスは最後まで無言で何も語らずに吊るし上げられ、びびったポカリは直ちに女の写真を見せて生贄として捧げ、ぶち切れたマウンテンは警官を殴って公務執行妨害で逮捕され、自分のついた嘘は全て無意味になって供述詐称で更なる捜査に巻き込まれる。その様がタカハシにはありありと想像できた。

 次第にタカハシの胸の内に、一つの感情がこみあげてきた。

 怒りだ。

 訳の分からないことに巻き込まれつつあるというだけならまだいいが、まだ起こってもいないことにびびらされているのが何より気に入らない。

 ふざけんな、とタカハシは思った。

 やるべきことははっきりしている。プリウスとともにあの女を探し出すことだ。そして自転車を引き取らせ、諸々の報いとして1年分くらいのアポロで弁償させることだ。

 授業は既に始まっていた。数学教師のロナウジーニョが微積分の講義を進めていたが、タカハシは全く聞いていなかった。代わりに、あの女を見つけるにはどうすればいいかということだけを考えていた。ヒントはやはりプリウス自身にあるとタカハシは思った。プリウスは女のことを知らないらしいが、そんな前提をあっさり受け入れることはできない。あの二人の関係は普通じゃない。少なくともあの女のプリウスに対する感情は完全に異常で、他人の訳はない。奴ら二人はどこかで会っている。プリウスがそれを忘れているだけだ。思い出させる必要がある。

 タカハシの学生服のポケットの中で、携帯電話が振動した。友人が全くいないタカハシにとっては珍しいことだった。時々バイトをするようになってから持ち始めたもので、基本的に迷惑メールがやってきたり、一年に一度くらい両親からメールが来る以外には直接連絡を受信することは無い。

 見覚えの無い携帯番号からのメッセージだった。

 ポカリです、とメッセージには書かれていた。

 タカハシは顔を上げて、右前方、前から2列目の席に座っているポカリの方をそっと眺めた。ポカリは小さい背中を丸めて俯いていた。

 タカハシは、なぜ奴が俺の携帯番号を知っているのだろう、と考えた途端に、そう言えば昨日会った時に伝えたのだ、と思い出した。

《ポカリです。昨日はお疲れ様でした。昨日の爆発はいったい何なのでしょうか? あの女の子はテロリストなのでしょうか? よろしければ教えて頂けないでしょうか。何卒よろしくお願い申し上げます》

 タカハシはフリック入力で返信を打った。

 ゲームでのキー操作と同じく、凄まじい入力速度だった。

《爆発は爆発だ。それ以外は俺にもほとんど何も分からん。テロリストかもしれん。爆弾魔かもしれん。人間かどうかも怪しい。分かってるのはあの女がプリウスの知り合いだってことだけだ。プリウスは思い出せないらしいが》

 タカハシはメッセージを送ると、ポカリの背中をじっと見つめた。その体がびくりと震え、しばらくして、丸まった背の向こうで、ぽつぽつと文字を打つ様子が窺えた。

《僕たちはこれからどうなるのでしょうか》

 タカハシは少し考えた。

《別にどうもならんだろ。と言いたいところだが、プリウスはたぶんあの女と関わり続けるつもりだ。詳しくは後で話してやるけど、あの二人の問題は何も解決してない。奴らが引き続き何か騒ぎを起こすようなことになれば、そのついでに爆破現場に俺たちがいたことがばれる可能性はある。何かしら問題にはなるかもな》

 タカハシはそう返信した。自分も少女に対して落とし前をつけさせるつもりでいる、ということについては省略した。

《困ります。僕、大学推薦狙ってるんで、停学はまずいんです。内申書に響く》

《まあ確かにあの女はやばい。控え目に言っても完全に頭がおかしい。俺たちの平穏な生活のためには、せめて奴に自由に行動をさせない方がいいな。お前が昨日撮ったあの女の顔写真をネットにばらまく、とかするか》

《無理です》

《何でだよ》

《昨晩、カメラを誰かに盗まれました。データごと》

 タカハシは、眉間にしわを寄せた。

《いつ? どこで?》

《分かりません。家に帰るまでは確かにカバンの中にありました。でも朝起きて家を出ようとした時に、失くなってたんです。いつどうやって盗まれたのか見当もつきません》

 まじかよ、とタカハシは思った。

 タカハシは左後方にそっと振りかえって、肩越しにプリウスの席を覗き見た。

 プリウスは机の上に顔を横向きにして突っ伏して、口を開いてぐうぐうと眠りに落ちていた。

《ポカリ、言いたくねえけど俺はその犯人に心当たりがある》

 タカハシがそう返信すると、直ちにポカリからの返信が来た。

《誰ですか。教えてください。あのカメラは僕の命なので、犯人を殺してでも取り戻さないといけません》

《昨日お前がカメラに撮ったあの女だ》

《あの子が? どうしてですか》

《お前が撮ったのが奴にばれてたんだ》

《考えられない。そんなの分かりっこないしできっこない》

《同感だ。しかしそれをやるのがあの女の仕事らしい》

《あの子は爆弾魔じゃなくて泥棒だったんですか》

《らしいな。とにかく、信じられんかどうか知らんが、あの女は最早何でもありだ》

 タカハシはポカリの方を見た。

 丸まっていた背筋が伸び、肩がいかっていた。

《僕は、以前もあの女の子を撮ったことがあるかもしれません。その写真がどこかに残っています。探すのを手伝ってください》

《流石としか言いようがないな。放課後お前の家に行けばいいか?》

《はい。泊まりこみの準備をしてきてください》

 タカハシは分かった、と返事しようとして、目を細めて留まった。

《何でだよ》

《事は一刻を争うと思うので、急いで探した方がいいと思うのですが、写真の数が多すぎるので、二人だと朝までかかると思います》

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