第14話
夜が更け、ポカリの自宅にプリウスとタカハシとマウンテンがやってきた。ポカリの写真についてプリウスにはポカリから話し、停学中で別室で指導を受けているマウンテンには下足ロッカーにタカハシがメモを入れて連絡した。
タカハシとマウンテンにはバイトがあり、プリウスは昨日夕食の時間に家に帰らなかったことで妹に激怒されたため、放課後すぐでなく夜に再集合することになったのだった。
最当事者のプリウスはともかくマウンテンまで呼ぶことに関し、ポカリとタカハシは悩んだ。ポカリはマウンテンに怯えており、タカハシはただ単に面倒だった。大体、写真の数が多いって言ってもどんな量なんだ、とタカハシが訊くと、ポカリは、恐らく想像を絶する途轍もない量だ、と答えた。人手は多いほど良く、そして少女の顔を知っている人間は限られている。最終的に二人は、マウンテンのゴリラ的嗅覚には利用価値がある、と判断した。
玄関まで3人を出迎えたポカリは、こ、こ、こんばんは、と言った。
よう、とタカハシは言った。「画家とゴリラを連れて来たぞ」
ポカリに促されて3人は家に上がり、階段を登って行った。
「か、か、家族がいるからあまり騒がしくしないでください」
プリウスは頷いた。
「大丈夫だ。俺とお前以外の二人は基本的に無言だ」とタカハシは言った。
ポカリは、りょ、りょ、了解、と言った。
階段を登りきってすぐの部屋のドアの向こう、ポカリの自室に案内された3人は、入り口で立ち尽くした。
足を踏み出すのを躊躇わせる部屋だった。
四方全ての壁が、一面の本棚に覆われていて、その全てにぎっしりと青と赤と黒のファイルが詰まっていた。窓まで本棚で埋められていた。部屋の奥の机の上にはパソコンとカメラ道具が折り重なっていて、一段目が無い二段ベットの下には、山積みになった段ボール。武骨なフレーム組みのベッドには寝具としての柔らかさは感じられず、遺体安置のための台のような風情で、生活感はほとんどなく、まるで捜査一課だかMI6だかの犯罪調査資料室か鑑識課のような雰囲気だった。そして同時に血と汗の気配が立ち込めていて、ファイルが壁から迫って押し寄せてくるような圧迫感があった。
三人は茫然とその部屋の中を見回した。ポカリがタカハシに予告した通りの光景だった。タカハシはファイルの数を数える気にもならなかった。
やがて四人は部屋の中央に僅かに残されたスペースで膝を突き合わせるように座り込んだ。
「で、結局これ何万枚くらいあるんだよ」とタカハシは言った。
ポカリは首を横に振った、「か、か、数えたことが無い」
「このファイルの海の中の、どの辺にあの女の写真があるんだ?」
ポカリは首を横に振った、「お、思い出せない。ファイルは撮った写真をとにかく適当にしまってあるだけで、じ、じ、時期も、場所も、置いてある順序に何のルールもない」
「この中に本当に目当てのお宝はあるのか?」
「た、たぶん」
「分かった」と言って、タカハシはプリウスとマウンテンの方に顔を向けた、「とにかく、今日はこの中からあの女の写真を探し出すのが目的だ。他に何か質問は?」
「プリウス、お前に教えてほしい」とマウンテンは言った。「俺とポカリにも、これまで起こったことを説明してくれ。分かる範囲でいい」
プリウスは頷いた。
そしてカバンからスケッチブックを取り出して開いた。ファミレスでタカハシに見せた漫画だった。その漫画には続きが描き足されていた。プリウスの絵をダイヤと交換して持って行った少女が、変電所に忍び込んで細工をして街を停電させ、プリウスにいちご大福を与え、灯台から消え去り、灯台を爆破するまでの物語だった。街の細部の描き込み、夜の光と暗闇の対比、躍動感にあふれた少女の挙動、唐突でスペクタクルな爆破シーンの描写に、プリウスの苦心の跡が窺えた。
「ブルーダイヤモンドだと?」とマウンテンは言った。
プリウスは頷いた。そしてポケットからスカイ・フル・オブ・スターズを取り出した。部屋の昼光色の蛍光灯に照らされて、凶暴な印象を受けるほど眩く輝いていた。
プリウス以外の三人は、彼の掌の上のダイヤをまじまじと覗き込んだ。プリウスはそれれが間違いなく本物だと確信を持って差し出していたが、確かに三人の目にも、異常な量の光を反射するそれは、偽物とは考え難い魔術的な輝きに映った。
「分かった。相手はかなり傑出した人物のようだな」とマウンテンは言った。
「『人物』だったらまだましだ。人の形をしたバケモノの可能性がゼロパーセントじゃねえ」とタカハシが言った。
プリウスは眉間にしわを寄せて首を傾げた。
ポカリは青い宝石が載ったプリウスの掌にそっと手を重ねた。
「バ、バ、バルス」とポカリは言った。
静寂が部屋を包んだ。何も起こらなかった。
四人はそれぞれの場所で写真を探し始めた。タカハシは北側の壁のファイルを漁り、マウンテンは南側の壁を探した。プリウスはベッドの下のダンボール箱の中のファイルを取り出して開き、ポカリはデスクに座ってポカリスエットを飲みながら、パソコンのハードディスクの中に入った写真データをインデックス化して目で追った。
タカハシは作業を始めて間もなく目がくらみ始めた。
どこを見ても女だらけだった。
小学生から老女まで、とにかく徹底的に女だけが写っていた。ほとんど全て街角のスナップショットだというのに、男の姿は背景にすらなかった。友人と話す笑顔の女、不機嫌そうな顔で携帯電話をいじる女、傘をさして走って行く女、街を並んで歩いて行く女たちの後ろ姿、ペットボトルのジュースをごくごく飲む女、足下をじっと見つめる女、マフラーを巻いて雪の中を歩いて行く女…… 全てが議論の余地もない美女ばかりという訳ではないが、どの女にも動きがあり、生気に満ち溢れており、ポカリの美意識に貫かれた写真ばかりだった。
そして数が異常だった。実際にファイルを開いて見て、やっとその凄まじさが分かった。一つのファイルには五〇〇枚以上の写真が収められていて、それが本棚の一段あたり二〇冊くらい並んでいる。ということは、一架の本棚だけでその数は数万枚に及ぶということになる。
こいつはまさしく数え切れない量だ、とタカハシは思った。
「おいポカリ」とタカハシは言った。「ここには日本の全ての女の写真が集まってんのか?」
「そ、そ、それを目指してる」とポカリは言った。
「どうやってこんなに撮り集めた? 同じ女の写真が何枚もあるわけじゃないだろ」
「昔から、土日のたびに旅行に出かけて写真を撮ってる。その度に一〇〇〇枚以上撮るから、や、やり続けたらこれくらいになった」
「どこにそんな金がある」
「ブ、ブ、ブログのアフィリエイトと広告で稼いでる。割と金になる」
タカハシは納得した。どんなブログを運営しているのかは敢えて聞かないことにした。
タカハシは黙々とファイルをめくって女の顔を判別する作業に戻った。
細い目でファイルをぱらぱらとめくり、とにかく10代以下の女の顔に意識を集中するようにした。しかし、一気に大量の女を眺めると、どれがどれだか良く分からなくなってくる。タカハシは眉間を指で押さえながら、丸い目で太い眉の女の顔を思い浮かべて脳内で写真との照合を続けた。
部屋の中は静寂に包まれ、ファイルがめくられる音と、ポカリが操作するマウスのクリック音だけが掛け時計の秒針のように微かに響いた。
数十分経って、タカハシは一つのファイルを最後まで見通して、肩を手で押さえて回しながら、ふと横を見ると、ダンボール箱の横に座り込んだプリウスがファイルを開いて微動だにしていなかった。
タカハシがしばらくその様子を見ていても、プリウスは全く動く気配がなかった。一つの写真に意識を集中しているようだった。
まさかもう見つけたのか、とタカハシは思い、プリウスの手元に開かれたファイルを覗き込んだ。
そこに写っていた女は、長い黒髪でやたら肌が白い、純和風の美人で、泥棒少女とは全くの別人だった。淡い色のカーディガンを羽織ったその女は、どこかの都市の喫茶店のテラス席で微かに唇を曲げてほほ笑んでいた。
プリウスは顎に指を当てて眉間にしわを寄せ、その写真をじっと睨みつけていた。
タカハシはプリウスの背後に立ち、その写真を見つめた。
「プリウス」とタカハシは声を掛けた。
プリウスは頷いた。
「その女、泥棒女となんか関係あるのか」
プリウスは首を横に振った。
「この女も凄えぞ」
タカハシは手に持っていたファイルをプリウスに差し出した。
タカハシが開いて示したページには、金髪で目鼻立ちがはっきりした、露出度の高い服を着た女が写っていた。もともと巨大であろう目が、濃い化粧のお陰でより大きくなって輝き、ショートパンツから伸びた真っ白く長い足が南国の砂浜のように輝いていた。
プリウスは写真をじっと見つめた。眉間にしわを寄せて腕を組み、悩みながら、やがて首をかしげた。
「いや悩む余地ねえだろ。これ物凄えいい女だぞ。お前芸術家のくせに趣味が地味すぎんだよ」
「こ、こ、この女の子が凄い」
ポカリがそう言って、パソコンのディスプレイを指差した。
タカハシとプリウスはポカリの背後からそれを覗き込んだ。
中学校の制服を着た少女だった。自転車に乗り、バイオリンケースを背負い、並木道の下を走っている。短い髪が風に揺れ、口が微かに開き、何かのメロディを口ずさんでいる瞬間のように見えた。少女の、無垢で一切の汚れを知らない様子が写真全体から伝わってくるようだった。
プリウスとタカハシは眉間にしわを寄せた。
「す、す、凄いでしょう」
「いや、確かにいい顔してると思うんだが、これ何歳だよ。中学生なりたてくらいだろ。完全にただのガキとしか思えん」
タカハシはそう言った。プリウスは口に掌をあてて、深く考え込んでいる様子だった。
「わ、わ、分かってない。少女と女の中間が一番美しい」
プリウスは踵を返し、ダンボールの中からファイルを取り出して、再びポカリとタカハシのところに戻ってきた。プリウスはファイルを開いて一つの写真を示した。
それは、電車の座席に腰掛け、夕暮れの日差しが射し込む人気の少ない車内で、窓の外を眺める女子高生の写真だった。長くしっとりとした黒髪が顔を覆い、そこはかとない憂いが少女の全体を覆っていた。
「いや、お前それはシチュエーションに騙されてるだけだろ。夕暮れの学校帰りの女子高生、誰でも5割増しで美人になる。大体、こういう女は見るからに危ない。外見と裏腹に天性の詐欺師だってのに騙される男が昔から後を絶たないんだ。お前気をつけた方がいいぞ。それよりも」
タカハシは電車のつり革を掴んで立つ眉の細いスーツ姿の女の写真を提示した。
それに対してポカリは小学校の卒業式で花束を抱えた少女の写真を示した。
三人はそれぞれ、気に入った女の写真を何枚も見せ合った。タカハシとポカリは饒舌にプレゼンテーションをし、プリウスは無言で写真を差し出した。そしてどの女の写真も、他方の嗜好には全く合致しなかった。
「ポカリ」
怒気を孕んだマウンテンの声だった。三人がその声に向かって振り向くと、マウンテンは背を向けたままで、手に持ったファイルを覗き込んでいた。
「は、はい、すみませんでした、真面目にやります」
マウンテンは振り向き、ファイルの写真を指差した。
「この女はどこにいる」
ポカリとプリウスとタカハシは、マウンテンが示す写真を眉間にしわを寄せて見つめた。
陸上競技場のサーキットの傍らの芝生で胡坐をかき、水筒を傾けて中身を飲んでいる、レーシングシャツとパンツを纏った女だった。鋼鉄の工業製品のような鍛え抜かれた体で、鷹のような恐ろしく鋭い目で何かを睨みつけていた。
「こ、こ、この人は確か」とポカリは言った。「槍投げの選手です。福岡か、そのあたりで撮りました。この後写真を撮っているのが見つかって、や、や、槍を投げられそうになったので覚えています。今から1年くらい前です」
マウンテンは頷いた、「なかなかいい女だ」
「お前完全に筋肉の量で選んでるだろ」とタカハシは言った。
マウンテンは首を横に振った。「いや、質もいい。長期に渡って全身に負荷を掛けなければこの体は作れん」
プリウスがマウンテンの傍らをふと見ると、何枚かの写真がファイルから抜き取られて棚の上に置かれていた。そのいずれも、異様に背が高かったり、たくましい肩幅をしていたり、肉体的な強度が並はずれた女の写真ばかりだった。
果たし合いでも挑むつもりなのだろうか、とプリウスは思った。
やがて四人は作業に戻った。
しかし、明らかに集中力はどんどん切れて行った。数十分が経つと、タカハシは足を投げ出して持ってきたアポロをぽりぽり齧りながら写真週刊誌を読むようにファイルを漫然とめくり、ポカリは気に入った写真に画像加工をしてブログにアップし、マウンテンはスクワットを始めた。もともと四人とも、各々の特定分野を除いては、何かの目的のために長時間我慢したり集中したりすることが極端に苦手な性質だった。やらなければならないことは頭では分かっているが、不慣れなのでどうしても短い時間しかもたないのだった。
プリウスだけが、懸命に集中力を振り絞って取り戻し、なんとか捜索を続けていた。自分が探しているのは一人の女なのに、彼女と何の関係もない別の女に目を奪われていてはそれが永久に見つからないのではないかとようやく思い当たった。彼とて普段であれば最も集中力が散漫な男の一人だったが、己に対する使命感に背中を押され、眠ってしまいそうなぎりぎりを何とか堪えていた。頭の中と目の前で、女の顔が老いも若きも入り乱れ、既に彼が一生に見てきた女の顔の数をとうに超えてオーバーヒートしかけていたが、胸の中に丸い眼の少女の顔を思い浮かべ、その姿を必死で追い求めた。
プリウスは、少女の写真を見つけてどうするつもりなのか自分でよく分かっていなかった。タカハシとポカリは写真をネットに上げて少女の活動を妨害するつもりだったが、プリウスはそれを知らなかった。プリウスが求め、考えているのはもっと別のことで、それは言葉になっていなかった。とにかく宝石を突き返して絵を取り戻すことが引き続き目的なのは間違いないが、少女の写真を見つけたところでそれに繋がるのかどうかも分からなかった。彼を突き動かしていたのは結局のところいつもの通り、言語化しがたい直感だけだった。
そして結局、苦闘の末にプリウスは眠りに落ちた。何万人の女の顔を見たか最早全く分からなくなった頃、彼自身気がつかないうちに唐突に、肩が落ち、頭を垂らしてうとうとと揺れていた。その頃とっくにタカハシも眠り込んでいた。彼は床に横たわり、ファイルを顔に被せて完全に深い眠りに入って行く態勢だった。ポカリはいつの間にか部屋からいなくなり、マウンテンがただ一人腕立て伏せを続けていた。
プリウスは頭を振って目を覚ました。
部屋全体に、食欲をそそる芳しい匂いが漂っていた。
プリウスが顔を上げて瞬きをして、見ると、ポカリがパソコンデスクでカップうどんの麺をずるずるずる、と音を立てて啜っていた。ポカリスエットを一口飲んで油揚げを一口食べ、またポカリスエットを飲んで麺を啜り、ポカリスエットを飲んでスープを飲む、というポカリの摂食スタイルは、視覚的には魅力的と言い難かったが、とにかく漂ってくる香りは暴力的だった。
腹筋運動を中断したマウンテンが殺意を宿した眼でポカリを睨みつけていたが、ポカリは気が付かなかった。
プリウスが腹を撫でながらその様子を眺めていると、部屋の隅から、おい、と声がした。
目を覚ましたタカハシだった。
「お前何食ってんだよ」
「あ、あ、あ、赤いきつね」
「なるほど」とタカハシは言った、「一人で食う赤いきつねは旨いか」
「う、旨い」
「俺の分の緑のたぬきはどこだ」
ポカリはカップを持ったまま、何か思案するように天井を見上げた。そしてしばらくして、タカハシに向かって右掌を差し出した。
「なんだよ」
「さ、さ、300円」
「金取るのかよ? しかも高すぎだろ」
「い、い、家を出て東に1キロほど行くとコンビニがある」
タカハシは苦々しく頷いて、財布から300円を取り出してポカリに払った。
ポカリは恭しくそれを受け取ると、プリウスとマウンテンに向かって同じように掌を差し出した。
止むを得ずプリウスとマウンテンも金を払った。
ポカリは部屋を出て、赤いきつねと緑のたぬきとお湯が入った電気ポットを持ってきた。
ポカリを除く3人は、部屋の真ん中で、それを膝を突き合わせて食べた。三人はずるずると音を立てて麺をすすり、プリウスがだしの効いたスープを良く含んだ油揚げを齧ると、真夜中の腹の奥深くに沁み渡った。
「ポカリ」とタカハシは緑のたぬきをスープまで飲み干した後で言った、「この写真」
タカハシは傍らのファイルの中の一枚の写真を示した。
険しい顔つきをした中年女性が写っていた。駅前の和菓子屋「辰屋」の前で、カウンターを指差しながら、誰かに向かって何かを問い詰めているような場面だった。
「こ、この人は凄かった。和菓子屋で饅頭を値切る人を初めて見た」とポカリは言った。
「俺の母親だ。よく撮れてる。買い物をするときは絶対に値切ると決めてる女だ。この街の大概の店でブラックリストに入れられてるから、昔から良く俺が代わりに買い物に行かされた。それに、子供の方がおまけがもらえる可能性が高いからってな」
プリウスは、そのファイルをタカハシの手から引き寄せ、目を見開いてまじまじと覗き込んだ。
「お前、凄え趣味してるな。やめといた方がいいぞ。朝、顔を洗う時にお湯を使うとガス代をこづかいから天引きされるし、10キロまでの移動は絶対に自転車を使わされる。なによりもれなく俺が義理の息子になってついてくるからな」
プリウスは首を横に振った。
そして、両手で開いたファイルに顔をじっと近付け、やがて三人に向かって写真のある一点を指で示した。
タカハシとポカリとマウンテンはプリウスの指先を見つめた。
鋭い剣幕のタカハシの母親の背後、画面の隅に、ごく小さく、制服姿の一人の女子高生が写っていた。少女はカウンターに背を向け、店を出て行く直前だった。よく見ると、ミディアムショートの黒髪に覆われた横顔に、太い眉と丸い目がはっきりと判別できた。
あ、とポカリとタカハシは同時に言った。
プリウスは頷いた。
「この女だ」とタカハシは言った。
「お、お、思い出した」とポカリは言った。「この子、何も買わずに店を出ていったんで、撮ろうと思って、追いかけた。でも、一瞬で姿が見えなくなった。消えてしまったみたいだった」
「ポカリ、この写真のデータ見つけられるか」
ポカリは頷いた。そしてデスクに戻り、パソコンのフォルダを開いて検索した。
ポカリはすぐに目的の写真を見つけ出した。そして拡大処理をすると、高解像度の写真は、丸い眼の少女の姿をはっきりと映し出した。
「決まりだ」とタカハシは言った。「よし、こいつを今すぐWebにアップしろ。目線だけ黒く塗って隠してな。この女が巷を賑わす爆弾魔兼大泥棒の正体だ、と。そして、こう脅迫する。『顔をバラされたくなかったら、絵を返し、アポロ1年分を指定の場所に届けろ』ってな」
プリウスは、タカハシの言葉を聞いている途中で眉間にしわを寄せた。
彼は何事か思案する風で、やがて、首を横に振ろうとした。
その直前で、待て、とマウンテンが言った。
「止めろ。そんなことはするな」
3人はマウンテンに振り向き、なんでだよ、とタカハシが言った。
「いい手だろ。相手はやばい女だ。直接やり合うことなく攻撃と行動制限ができる」
「その通りだ。相手は卓越した存在だ」とマウンテンは言った。「だからこそ止めろ。お前ら考えて分からんのか。この女は、ブルーダイヤモンドを盗み、プリウスの絵を盗み、灯台を爆破し、ポカリのカメラをデータごと盗んだ。まさに今俺たちがいるこの部屋からカメラを盗んだんだ。その意味を考えろ。並大抵の女じゃない。ネットに写真をバラまいたことが明らかになれば、俺たちが犯人だということは一瞬で突き止められる。あっという間に復讐されて、ことによるとお前たちは太平洋に沈められる」
部屋の中が、しん、と静まり返った。
「なるほど」とタカハシは言った、「マウンテン、お前の言うとおりだ。流石、森の賢者と言われるだけはあるな」
「ど、ど、どうすればいい」
「この制服、良く見ろ」とマウンテンは言った。
プリウスとタカハシとポカリは写真をじっと見つめた。
そして4人は顔を見合わせた。あまりにも見慣れすぎていて、気がつかなかった。
4人が通う男子高校から、川を挟んで300メートルの距離にある女子高の制服だった。
タカハシはため息をついた。
「よりによって『タタラ場』の女かよ。俺あいつら苦手なんだよ」
プリウスとポカリも頷いた。彼らの高校に、彼女たちを得意とする者などいなかった。二つの高校の生徒たちは、コミュニケーションを取りあうことは滅多になく、学力の致命的な差、文化的風土の違いなどから、伝統的に互いを忌み嫌う傾向にあった。タカハシにとって彼女たちの存在は、信濃川の向こうに陣を張ってこちらを威嚇し続ける武田軍のようなものだった。
「彼女はタタラ場にいる。手掛かりはここにある」とマウンテンは言った。
「どうするつもりだ?」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず。タタラ場に赴き、彼女に直接対峙する。あるいはそれが叶わなければ、タタラ場の生徒たちに聞き込み調査を行う」
「いや、そういうことじゃない。最終的にどうするつもりなんだよ。確かに、タタラ場に行けばあの女が現れるかもしれん。同級生に聞きゃ名前と住所くらい分かるかもしれん。それで、あの女に会って、どうするつもりなんだ? 説得とか交渉とかに応じるとは思えん。お前が言ったんだぞ、あの女は並みじゃないって」
「誰が話し合うと言った」とマウンテンは言った、「彼女は俺が倒す」
「倒すって何だよ。無差別級格闘試合でも開催するつもりか?」
「一対一で俺に敵う女などいない」とマウンテンは言って頷いた。
「完全にイカレてるように聞こえるが、俺の気のせいか?」
「相手が明らかに異常だというのにこちらだけが正常のままで勝てるわけがない」
タカハシは止むを得ず頷いた。
そして、誰もいない風が吹きすさぶ荒野で、丸い目の少女とマウンテンだけが立ち尽くして向かい合い、決戦の火ぶたが切られる瞬間の光景を想像した。
沈黙が部屋を包んだ。
タカハシとプリウスとポカリは、三人とも、同じことを考えた。それにより何が起こりどういう結果になるのかは全く分からないが、とにかくその場合、失敗してもやられるのはマウンテン一人だけで済む、と。
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