第16話

 プリウスとタカハシとポカリは、生徒指導室のホワイトボードの前に並んで立たされていた。プリウスは無表情で、タカハシはいつもどおり目を細め、ポカリはこの世の終わりが来たかのような青白い顔で俯いていた。

 向かい合ったソファの片側に座りこんで、グレイがボールペンの尻をこめかみに当てながら、3人を上目づかいに見上げていた。その隣に教頭のダイジョーブ博士が座り、分厚いレンズの眼鏡越しに静かな眼差しを向けていた。

 全員無言だった。

 2時間ほど前、タカハシとポカリは、プリウスがタタラ場に侵入すると同時に、直ちに女子生徒たちに捕捉された。女子高生に囲まれたタカハシは、気を失って動かないポカリの体を抱え、血相を変えて、救急車を呼んでくれ、と叫んだ。どう問い詰められてもそれしか答えなかった。

「一刻を争う、お願いだ」

 女子高生たちはその気迫に押され、たじろいだ。もういい、とタカハシが叫び、自分の携帯電話で救急車を呼んだ。先生を呼んだり、保健室に連れて行かなくて良いか、と気遣う女子高生たちに、タカハシは、俺が見ているから大丈夫だ、みんなもうすぐ授業が始まるだろうから教室に戻ってくれ、と答えた。女子高生たちが少しずつ散っていき、やがて予鈴が鳴って全員いなくなった。ほどなくして救急車がタタラ場の校門前の通学路にやってきたが、救急隊員が車から降りてくると同時にポカリは目を覚ました。タカハシは、すみませんでしたもう大丈夫です、と救急隊員に言った、「こいつ貧血気味で」。

 タカハシとポカリは救急隊員に頭を下げて丁寧に礼を言うと、足早にその場を立ち去り、何食わぬ顔で登校した。時間ぎりぎり授業に間に合った。

 女子高生たちは追い払い、難を逃れたかに見えた。しかし、生け垣に開いた巨大な穴は放置されたままだったのだ。それがタタラ場に務める用務員に発見された。

 ゴッサムシティの職員室に、タタラ場の職員室から通報があった。間もなく容疑者として、4人の名前が浮上した。タカハシとポカリは授業中に担任から呼び出され、生徒指導室にやってきた。それに次いでプリウスが連れて来られた。3人は全く目を合わせず、誰も口を開かなかった。プリウスは指導室の中を軽く見渡したが、マウンテンの巨体がどこにも見当たらない。彼はまだ猫アレルギーから立ち直れずに町を彷徨っているのだろうか。

 グレイが呆れたように溜息をついた。

「いい加減何か話せ。お前ら、川向うで何やってたんだ?」

 3人は全員、無反応だった。

「できれば、一人一人を吊るし上げるようなことはしたくない。お前ら互いをかばってるのか知らんが、正直に話してみろ」

「正直に、ですか」とタカハシが呟くように言った。

「理由を聞かせてください」とダイジョーブ博士が静かな声で言った。「理由によっては、ただ悪いようにはしません」

 遠くで、雷が落ちるような巨大な音がした。壁がびりびりと震え、ダイジョーブ博士の腰が軽く浮いた。

 ダイジョーブ博士とグレイは、窓の外に目をやった。空は青々と晴れていて、埃と染みのこびりついた窓の向こうから昼の光が射している。

 続いて、低い音で唸る、激しい勢いの風が一陣、窓に吹きつけて揺れた。振動はしばらくして収まり、再び静寂が部屋の中を包んだ。

 何の音ですか? とダイジョーブ博士が言って首を傾げた。

 さあ、とグレイが首を傾げた。「雷、じゃなさそうですが」

 プリウスとタカハシとポカリの3人は直立不動のまま、思い思いの方向に顔を向けて微動だにしなかった。

「それより、お前ら、もう一人いるだろ?」とグレイは言った。「四人目がな。通報があったから分かってんだ。校門の前でゴリラみたいな巨漢が暴れていたって。あいつは今どこにいる?」

「知りません。誰のことですか」

 そうタカハシが言うと、グレイは首を傾げた。

「マウンテンだよ。お前らがそう呼んでる、あいつはどうした」

「知りません」とタカハシはもう一度言った、「あのゴリラと俺たちに何の関係があるんですか?」

「それを俺が訊いてるんだよ」とグレイは言った。「くだらん嘘は止めろ。あいつが今朝、生け垣を破壊したことと、その場にお前らがいたことは分かってる。あいつがどこへ行ったのか、そして何があったのか言え」

 細めた眼のままグレイを見返して、状況は不利だ、とタカハシは思った。マウンテンがこの場にいれば、まだ何とか出まかせを駆使して取り繕える可能性はあった。映画を撮っていたとか植物の研究をしていたとかどんな出鱈目な言い訳でも、四人で突き通せば真実にできた可能性はある。女子高に忍び込んでダイヤを盗んだ女に付きまとい、ついでに通学中の女子生徒たちをカメラで盗撮したという事実以外の、情状酌量の余地のある筋が通った話なら何でもいい。しかし今現在もマウンテンの姿が見えないというのはまずい。それ自体異常な出来事が起こったということの証明だし、半端な嘘では後で整合性が取れなくなる。事態は自分たちとマウンテンの関係性だけでなく、その背後で起こっていた事件の追求にまっしぐらに向かってしまう。その時問題なのは真実の後ろめたさ以上に、真実の方がどんな嘘よりもはるかに複雑に入り組んでいて嘘くさいということだ。

 止むを得ない、という結論にタカハシは達した。時間を稼ぐためにも嘘をつくしかない。結局はマウンテンが正気を取り戻して学校に戻って来た時の賭けにはなるが、黙秘を続けるほど後で付く嘘の意味が重くなる。

「どうしても話さないといけませんか。俺の口からは言いづらいんです」とタカハシは言った。

「お前、状況は分かってるだろ。黙ってて済むと思うのか」とグレイが言った。

 タカハシは眉間にしわを寄せて頷いた。

「マウンテンが恋をしたんです」

 なに? とグレイが訊き返した。

「マウンテンがタタラ場の女子生徒に恋をしたんです」

 タカハシは、恋、という単語を強調して繰り返した。

 グレイとダイジョーブ博士はタカハシ達3人の表情を覗き込んだ。タカハシはグレイの顔を真っ直ぐ見返し、ポカリは俯いたままタカハシの横顔を見やり、プリウスは表情をぴくりとも変えずに明後日の方を向いていた。

 なんですか、とタカハシは言った。「マウンテンが恋をするのはそんなに変ですか」

「そうは言ってない」とグレイは言った、「説明しろ」

「かなりシンプルな話です。マウンテンがタタラ場のとある生徒に恋をした。俺たちはあいつからその相談を受けていました。黒髪の可憐な美少女に恋をしたのだがどうしたらいいかと。相談の結果、可能性はともかく告白をするべきだということになり、マウンテンの想いをしたためた手紙を持って、今朝その女子生徒に会いに行くことになりました。俺たち三人はそれに付き合った。分かるでしょう、俺たちはマウンテンのことも相手の女子生徒のことも両方心配でしたからね。校舎裏でマウンテンが女子生徒に手紙を渡して付き合って欲しいと告白すると、3秒も経たないうちに彼女は首を横に振った。マウンテンはショックで正気を失って、生け垣を突き破ってどこかに行っちまいました。俺たちはいなくなったマウンテンを手分けして探したんですけど、遅刻しそうになって慌てて登校した。

 そういうことです」

 グレイとダイジョーブ博士は頷いた。二人とも、鼻から深い息を吐いた。

 なるほど、とダイジョーブ博士は言った。

「相手の女子生徒の名前は控えさせてください。マウンテンのプライドをこれ以上傷つけたくない」

「なるほど、分かった」とグレイは濁った声で言った、「ところで、先方からの通報では、4人のうちの一人が校舎内に侵入したと聞いたが」

「プリウスはトイレに行っていただけです。唐突に尿意を催して。よくあることです。トイレを拝借したまでは良かったんですけど、出ようとする頃には外は女子高生で一杯になっていた。だから恥ずかしくて少し籠っていたんです。先生たちも知っているでしょう、こいつは物凄くシャイなんです。そうだなプリウス?」

 プリウスは真っ直ぐに頷いた。

「勝手に校舎に入ったのは申し訳なかったですけど、仕方がなかったんです。女子高の校舎の壁に立ちションするわけにもいかないでしょう」

 グレイは、長い時間をかけて、ゆっくりと頷いた。

「停学中のマウンテンを連れだしたことは弁解の余地がありません。すみませんでした。反省してます。あの生け垣を壊したのは俺たち4人全員の責任です。恋愛が、そういう、理屈でコントロールできるものじゃないとしても、俺たちが黙ってやったことで、色んな方に迷惑をかけてしまって、申し訳ありませんでした」

 タカハシが頭を下げると、プリウスもそれに倣った。もともと俯いていたポカリを含め、3人は揃って深々と頭を垂れた。

 声にならない息を吐きだして、グレイは唸った。

 ダイジョーブ博士は、ゆっくりと、深い息をついた。

 生徒指導室のドアがノックされた。

 グレイがドアの方に振り向いた。ダイジョーブ博士は、プリウス達3人に向かって、頭を上げなさい、と言った後で、どうぞ、と言った。

 ドアが開き、物理教師のブランカが毛深い顔を出した。

「すみません、お二人にお話が」

 ダイジョーブ博士とグレイは頷いた。グレイは3人に向かって、ここで少し待つように言い、部屋を出て行った。

 生徒指導室の中を沈黙が覆った。外の廊下で3人の教師が話し合っているが、会話の内容は全く聞き取れなかった。

 タカハシは短くため息をついた。

「だ、だ、大丈夫だろうか」とポカリは小さな声で言った。「か、か、カバンの中を調べられたら終わる。まだカメラも剪定鋏も入ってる」

「分からん。しかしどっちかっつうと停学とかどうとかより、この嘘がマウンテンに伝わった時のあいつの反応の方が気になる」

 ポカリは青白い顔で頷いた。

 プリウスは表情を変えずに窓の外を眺めていた。生徒指導室は2階にあり、部屋の奥の窓の向こうにはタタラ場の白い校舎が遠くに見えるが、何か薄い煙のようなものが掛かっていて色がぼんやりとしていた。

 プリウスは眉間に皺を寄せた。

 そして、窓際に歩み寄った。校庭を見下ろすと、何人かの教師たちが校門に向かって走って行くのが見える。プリウスは窓を開き、周囲の音に耳を澄ました。ざわめきがこの校舎全体を包んでいる。窓から顔を出すと、男子生徒たちの声が上からも下からも聞こえてくる。ここからでは見えないが、無数の生徒たちが教室の窓から顔を出して、声を上げているようだ。校門に向かって走って行く教師たちも何か叫んでいる。だが意味を成す言葉は何も聞こえない。煙は既にほとんど散り、タタラ場の白い校舎がくっきりと光に照らされている。どうも何かのっぴきならないことが起きているようだが、ここからでは何も分からない。

 タカハシとポカリもプリウスの背後に立った。

「何があった?」

 プリウスは首を傾げた。

「さ、さ、さっきのでかい音か?」

 プリウスは再び首を傾げた。

 3人の背後で生徒指導室のドアが開き、グレイが再び現れた。

「お前ら、教室に戻れ」

 はあ、とタカハシは言った。「俺たちの処分はどうなるんですか」

 いいから戻れ、とグレイは唇を少し歪めて言った、「今からホームルームだ」

 タカハシは顎を突き出して適当に頷き、3人はグレイに付き従って廊下を歩いた。タカハシはポケットから携帯電話を取り出して時間を確認した。まだ3時間目の世界史の授業中のはずだった。

 だが、教室に戻ると教卓に世界史担当のゼニガメの姿はなく、生徒たちのざわめきに包まれていた。生徒の大半が窓際に押し寄せて、窓の外に向かって指差している。誰が何を言っているのかほとんどは分からなかったが、何人かが、爆発、という単語を口にするのが聞き取れた。

 着席しろ、とグレイは言った。

 生徒たちは窓の方を振り返りながら席に着いた。プリウス達が戻ってきたことは誰も気に留めなかった。全員が着席しかけたころに、先生、何があったんですか、と茶色がかった天然パーマのアムロが訊いた。着席が終わり、口を開くものが誰もいなくなったのをグレイは確認して、言った。

「学校の目の前の橋が崩落した」

 一瞬でざわめきが復活した。まじかよ、という声がそこら中から起こり、あとのほとんどは意味不明な興奮の雄叫びだった。

 あの、うちとタタラ場の間の橋っすよね、とハヤオが訊いた。

 プリウスとタカハシとポカリは3人とも無言でグレイの顔を見つめていた。

 静かにしろ、とグレイは言った。グレイが静かにしろ、と言うたびに少しずつ声は収まって行ったが、6回言ってもまだ完全に私語が消えず、止むを得ずグレイは完全な静寂が訪れる前に再び話し始めた。

「学校の目の前の、川に掛かる橋が崩落した」とグレイは繰り返した、「原因はまだ分かっていない。手の空いている先生方で今現場を確認されていて、警察にも連絡したところだ」

「爆発したんじゃないですか」とハヤオが言った、「すげえでかい音でしたよ。トラック同士が正面衝突するよりもずっと」

「まだ俺にも状況は分からん。確認が取れてから説明する」

 タカハシはそっと背後に振り返ってプリウスの顔を見た。

 プリウスは無表情だった。だがその顔は、感情がないのではなく凍りついているだけのように見えた。彼の口は僅かに開き、今後の対応方針について語るグレイの表情を呆けた目で見つめていた。

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