第17話
橋が「爆発的事象」によって崩れ落ち、警察の捜査が直ちに始まった。橋の両側、すなわちプリウスの高校側とタタラ場側から橋に至る道はどちらも封鎖された。教師たちが警察の捜査に協力するため、そして学校の周囲の安全が確認されたことから、授業は午後から休止となった。
意気揚々と教室から引き上げていくクラスメートたちに紛れ、プリウス達3人は下足ロッカーの出口辺りで合流した。
校門を出てすぐ、警察官たちとテープと柵で物理的に封鎖された囲いの前に生徒たちが集って騒いでいる。その様子を横目に見ながら3人はこそこそと歩き過ぎ、坂を下って行った。
「お、お、俺たちの処分はどうなるんだろう」とポカリは小声で言った。
「忘れられてんな、こりゃ完全に」とタカハシは言った、「しかしそれに関しちゃ、こうなればもう勝ったも同然だ。最悪のケースは盗撮がばれることだった。お前のカバンを調べられて鋏とカメラを見つけられることがな。この機を逃した以上教師たちはもうその線を追求できねえ。明日になって俺たちへの取り調べが再開しても手遅れだ。最悪で停学、実際はおそらく反省文の提出と、植え込みの修繕費の弁償くらいで済むだろう。結果的に、マウンテンがど派手に植え込みをぶち壊したおかげで他の犯罪がかき消えた」
ポカリは頷いた。しかしまだ顔色は悪いままだった。
それより、とタカハシは更に声を潜めて言った、「プリウス、お前タタラ場で何やったんだ?」
プリウスはタカハシの目を見返した後で、俯いた。
「あの橋、やったのはあの女だろ」
「そ、そ、そうなのか、やっぱり」
「そうとしか考えられねえだろ。そうでなきゃあの女以外にもこの街には爆弾魔が潜んでるってことになる。そいつは何のためにわざわざこんなど田舎の学生しか使わねえ橋を爆破する必要がある?」
プリウスは俯いたままで、首を縦に振ることも横に振ることも無かった。ただ足元を見つめて歩いていた。
タカハシは小さくため息をついた。
「ど、ど、どうする」
「とりあえず腹が減った。飯でも食いながら話そう」
3人は坂を下りて駅前のファミレスに向かった。だがそこは既に、プリウス達と同じ男子高校生たち、そして同じく臨時休校となったタタラ場の女子生徒たちで溢れていた。諦めて入口で列を成す高校生たちに背を向け、3人はタカハシの先導で駅の裏側にある喫茶店に向かった。彼らの年齢の数倍の年月、風雨に耐え続けてきたぼろぼろの漆喰が特徴の店で、いつ行っても客がほとんどいないことで有名だった。
扉を開けるとからん、と古臭いドアチャイムが音を立てた。店内を見渡すと、数卓あるテーブル席の大半が埋まっていた。珍しい光景だった。入口近くの席にタタラ場の女子高生の3人組が座っていて、あとは近所の暇そうな中年主婦たちだった。女子生徒たちの視線が一瞬プリウス達に向けられた。自分たちと同じようにファミレスに入りきれずにあぶれたのだろう、とタカハシは思った。店の一番奥、古臭い麻雀ゲーム台が二つ並んだテーブル席に3人は向かい合って座った。
3人は全員カレーライスとアイスコーヒーを注文した。
プリウスはカバンからスケッチブックを取り出し、二人に向かって差し出した。
そこには、丸い目をして、口を大きくにやりと曲げ、銀色の水たまりのような体からぷかぷかと泡を吹き出しているキャラクターの絵が描かれていた。
「はぐれメタル? これが何だ」
プリウスはスケッチブックを見開きにした。向かい側のページに、あの大きな目の少女が描かれていて、プリウスは鉛筆で二つの顔をイコールで結んだ。
「はぐれメタル、それが、あの女の名前ってことか」
プリウスは頷いた。
「お前、あの女に会えたんだな」
プリウスは再び頷いた。そして下唇を軽く噛んで俯いた。
「なるほど。お前の顔から察するに、会ったはいいが、交渉は完全に決裂した、と」とタカハシは言って、首の後ろを掌で撫でた、「しかもなんだかよく分からんが相手の逆鱗に触れる結果になった。それがあの橋の爆破ってわけだ」
「な、な、なんであの子が橋を落とす必要がある?」
「女の考えることなんてただでさえ元から分かんねえのに、イカれた女の考えることなんか尚更分かるわけねえよ。とにかくプリウスに対する怒りが半端じゃねえってことだろ、たぶん」
「お、お、俺たちはどうなるんだろう」
「さあな。まるっきり展開が読めん。常人が発想も実践もできねえ選択肢でガンガン技を振ってきやがる。ゲームをやらせたら相当強えタイプの女だ」
「じ、じゃあ、俺たちはどうすればいいんだろう」
「そっちを考える方が建設的だな」とタカハシは言った、「今日分かったことで俺たちにとって重要なのは、そもそもの話だが、あいつがあの高校に確かに通っているのがはっきりしたってことだ。タタラ場に継続的に通っているってことは居場所があるってことで、あそこから追いやられるのはあの女にとっても少なからず不都合なはずだってこともな。今日、俺たちは奴を追いこめなかったが、逆に言えばあの女も俺たちを仕留めきれなかった。状況はイーブンだ。もう一度追い詰める手も、打つ手もあるはずだ」
「ど、ど、どんな?」
店員がやって来て、3人の前に順々にカレーの皿を差し出した。プリウスはスケッチブックをカバンにしまい、両手を目の前で合わせてスプーンを手に取った。
とりあえず考える前にカレー食おうぜ、とタカハシは言った。
3人は黙々とカレーを掬って口に運んだ。ニンジンと玉ねぎとジャガイモとひき肉が入った極めてシンプルなビーフカレーで、甘くもなく辛くもない。まるでかつて小学校の時にキャンプで作ったカレーそのもののようで、旨いと言えば旨いが意外性は全く無い。多分中身のルーはバーモントカレーだろうとプリウスは思った。ポカリはカバンからポカリスエットを取り出してぐびぐびと飲んだ。
無言でカレーを頬張っていると、隣の席の中年女性たちの会話と笑い声が店内に響き渡った。彼女たちはブライト・サイズ・オーシャンから巨大なブルーダイヤモンドが盗まれた事件について語り合っていて、ダイヤの行方に考えを巡らせたり、どんなものか一度見てみたい、婚約指輪があれの百分の一でもいいからあればよかったのに、と言い合ったりした。プリウスはせっかくなのでポケットからダイヤを取り出して彼女たちに見せてやりたくなったが、たぶん、見せても本物だと信じてもらえないだろうと思い、我慢してカレーを食べ続けた。
「ところでプリウス、お前気付いてるか?」とタカハシが言った。
プリウスは首を傾げた。
「さっきから窓際の席の女子高生がお前の方をずっと見てる」
タカハシは視線をカレーの皿に落としたまま、小声でそう言った。
プリウスは顔を上げ、窓に背を向けていたポカリはそっと背後に振り向いた。中年女性たちの席を間に挟んだ向こう側、窓際のテーブル席で、4人の女子高生がフルーツジュースを飲んでいる。そのうち3人は何か話し合いながら声を上げて笑いあっていたが、1人だけ、会話に参加せずに薄い微笑みを湛えているだけの長い髪の少女がいた。彼女は周りの少女たちの方に顔を向けながら、目だけをちらちらとこちらに向けていた。
プリウスと少女の目が合った。
少女はすぐに目を逸らしたが、プリウスは少女の顔を見つめ続けた。
やたら肌が白い。俯きがちの濃い睫毛に覆われた瞳が、透き通った夜の湖のように輝いていた。逆卵型の小さな顔を覆う髪が風も無いのにさらさらと揺れているように見えた。紺の制服が彼女の白く輝く肌に良く映えていた。目が逸らされても、彼女の視界の片隅に自分が捉えられているのを感じた。
美しい少女だ、とプリウスは思った。
す、す、す、とポカリは言った、「凄い」
ああ、とタカハシは言った、「なかなかのもんだ」
ポカリは頷いた。何度も頷いた。
「あれは俺たちじゃなくて、明らかにお前だけを見てた」とタカハシがカレーを掬って下を向いたまま言った、「知り合いか?」
プリウスは首を傾げた。そしてしばらくして首を横に振った。
「だとしたら今朝だろ。多分あの女、タタラ場にいたお前に気が付いたんだ」
「プリウス、そ、そ、そうなのか? あの子に会ったのか?」
プリウスは首を傾げた。
分からない。着ぐるみを着ていた時にすれ違ったのだとしても、彼女にそれが自分だったと分かったはずはない。
「まあどっちでもいいか」とタカハシは言った、「あの女が何かお前に文句があるんだとしても、男日照りが過ぎた結果、間違ってお前に一目惚れしたんだとしても。もう俺たちは今朝の件では一度通報されてカタはついてる。それよりも今は『はぐれメタル』だ。考えてみれば別にプランは変わっちゃいない。あいつの居場所を突きとめて、マウンテンをぶつけるっていう計画はな。プリウス、はぐれメタルが何年何組だったかは分かったか?」
プリウスはスケッチブックに描かれたはぐれメタルの顔の下に、「3‐D」とペンで書いた。
タカハシは頷いた。
「上出来だ。じゃあ後はタタラ場の、適当な3年D組の女を捕まえて」
タカハシはそこまで言って唐突に口をつぐみ、さりげなく、そして素早くプリウスのスケッチブックを閉じ、顔を上げた。その目は向かい合ったポカリの背後を睨み、細く冷たくなっていた。
プリウスも顔を上げ、ポカリは後ろに振り向いた。
窓際の席でプリウスをちらちら見ていた女子高生が立ち上がり、彼らのテーブルに向かって歩いて来るところだった。静かでしなやかな足取りで、プリーツスカートから伸びた白い足が輝いている。
少女はプリウスの隣に立って彼を見下ろした。
タカハシは細い目のままで、プリウスは丸い目で、ポカリは口をあんぐりと開けて、それぞれ少女を見上げた。
「プリウス君」と少女は言った。
プリウスは自分の顔を指差した。少女の小さな顔の真ん中できらきら輝く一対の宝石のような目が、プリウスの顔を覗き込んだ。
「プリウス君でしょ?」
プリウスは頷いた。
「私のこと、覚えてる? 同じ中学だった」
プリウスは直ちに首を横に振った。全く覚えていなかった。正確に言って、中学生の頃のクラスメートについては、ほとんど誰のことも覚えていなかった。
「そっか、話したこと無かったものね。私はプリウス君の事良く覚えてる。絵が凄く上手かった。私は、タマゴって言われてたの。顔が卵みたいだから」
プリウスは眉間にしわを寄せ、首を傾げた。
そう言われると確かに、彼女のような顔の少女がいて、タマゴと呼ばれていた子がいたような気はした。しかし中学校の頃を思い出してみても、ほとんどずっとスケッチブックかキャンバスに絵を描いている自分の姿しか浮かんでこなかった。
「そこ、座っていい?」
タマゴはプリウスの正面、ポカリの隣の空席を指差した。タカハシは首をすくめ、ポカリはかくかくと頷いた。
タマゴが白く細い指で椅子を引いて腰掛けると、麻雀ゲームテーブルに立ち込める空気が一瞬にして変わった。プリウスはそれを具体的な言葉で表現することができなかったが、それが違和感と総称されるものの何らかの凝縮体であるのは間違いなかった。何しろ今朝まではそのポジションにいたのはマウンテンだったのだ。
タマゴはプリウスに向かって微笑んだ。
「今朝、うちの高校に来たでしょう?」とタマゴは言った。そして、プリウスに顔を近づけて、囁いた、「ムーミンの着ぐるみを着て」
プリウスは目を見開いて、タマゴの顔を見返した。タマゴは静かな表情で微笑み続けていた。
「プリウス君と話がしたいの。はぐれメタルのことで」
タマゴは、タカハシとポカリにもはっきり聞こえる声でそう言った。
プリウスが彼ら二人の表情を順に探ると、タカハシは眠そうな細い目で、ポカリは目をぎらぎらと光らせて少女の方を見ていた。
ポカリと少女の背後を見ると、窓際の席に残っている三人の女子高生がこちらを見てくすくすと笑っている。彼女たちは笑いながら席を立ち、会計を済ませて店を出て行った。
タカハシが欠伸をしながら頷いた。
「分かった。俺帰るわ。疲れちまった。昨日もほとんど寝てねえし、とりあえず十時間くらい何の暴力も無い夢を見て眠りてえ」
タカハシは少女に見えないようにスマートフォンをテーブルの下に隠しながら、素早くショートメッセージをポカリに送った。
《この女はぐれメタルと同級生だ。やつの足取りを掴むのに使える。俺たちがいると喋らん》
メッセージを読んだポカリはタカハシに向かって微かに頷き、お、お、俺も帰る、と棒読みで言った。セリフに反して、渋々、という感情が顔全体に塗りたくられた表情だった。
タカハシとポカリが立ち上がると、プリウスは二人を見上げ、眉間に皺を寄せた。
「話なんか二人でできるだろ」とタカハシは言った、「内容は、明日漫画でもなんでも教えてくれ。少年誌に載せられねえような描写を期待してる」
タカハシはそう言うと、プリウスの反応を待たずに踵を返して歩き出した。
「じゃ、じゃあ、また明日」
ポカリもそう言って、プリウスとタマゴの二人に背を向けた。レジでカレー代を支払って出て行くと、ポカリは去る直前に店の窓の外からカメラを構え、ぱしゃぱしゃとタマゴの後ろ姿を撮った。
「私たちも行こう」とタマゴは小声で言った。「誰もいないところで話す方がいいと思わない?」
プリウスはなんとなく頷いた。だが、穏やかな微笑みを湛えて自分を見つめてくるタマゴを前にしばらく途方に暮れた。確かに彼女の言う通りかもしれない。既に、隣の席の中年女性たちの声量が不自然に低下し、完全な野次馬となって自分たちの方に意識を全力で傾けているのを感じる。かと言ってどこで話すのが良いのだろう? 学校に戻るわけにはいかない。もし見つかったら自分が今朝タタラ場で正体がばれた場合を逆転したような騒ぎになるだろうし、下手をすればグレイに書かされる反省文の量が倍になるだろう。
考えがまとまらないうちに、プリウスは再びタマゴに向かって頷き、席から立ち上がった。
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