第21話
4人がバスから降りると、遮るものが無い風が辺りを吹き抜けた。去って行くバスのエンジン音と排気音が遠ざかると、周囲はほとんど静寂に包まれた。空は雲に覆われていて、太陽は節度を持った距離感で遠慮がちに光を投げかけている。離れた山から吹き下ろす風は柔らかく、電車を乗り継ぎ、空調も座り心地も快適とは言い難かったバスの中で1時間近くじっとしていた後だと、まるで避暑地にやって来たような開放感があった。だがそれはほんの僅かな時間しか続かなかった。プリウスがひとしきり体をほぐして周囲を見回すと、開放感は一瞬のうちに寂寥感に変わった。空は淀み、太陽は雲の向こうから陰気な光で4人を見下ろし、じめじめとした風が吹いた。
異様に広い空間が、ただ静寂に包まれていた。
情報量が異常に少ない風景で、4人が見渡す限り、基本的にはたった一つの物しか目に映らなかった。
ショッピングモールだ。
あるのは、バス停と、広大な駐車場と、巨大なショッピングモールと、濁った色の空。
それだけしかない。
駐車場にはほぼまったく車が停まっていなかった。ただひたすらだたっぴろい黒い地面に、規則正しく白い線が敷かれて奥深くまで続いている。その向こう側に、東欧あたりの国境線のごとく表情に乏しい白い壁が延々と横たわるショッピングモールがあった。縦に長いガラス張りの窓と流線型の輪郭が、それがただの壁でなく何らかの娯楽性を持った施設であることを主張していたが、何故かタカハシはそこに全く生気を感じられなかった。ショッピングモールの壁には大体ファッションブランドや飲食店の店名のロゴが貼りつけられているものだが、そう言ったものは遠くからでは全く見当たらなかった。ただ一つ、白い壁の真ん中に、巨大な三文字のアルファベットが掲げられていた。
《YES》
それは一種芸術的な響きを伴わないこともなかった。例えば世界の果てまで旅した時に、最後の終着点にある壁にこの3文字が刻まれていたとしたら。だが実際にはここはただの何の変哲も無いど田舎のショッピングモールだったので、タカハシの脳裏からその幻影は一瞬でかき消えた。
「イ、イ、イエス稲沢」とポカリがスマートフォンの画面に現れたウィキペディアのテキストを読み上げた、「2007年開業。イメージキャラクターはアキアカネのアカネちゃん。開業当初はに、に、200店を超える専門店を擁し、一日平均2万人の来客があった。しかしその後、周辺に競合する大型ショッピングセンターが相次いで開業。り、り、立地条件が不利なイエス稲沢から急速に客足が遠のくようになる。またリーマンショックなどの折からの不況の影響で、親会社の経営が悪化。テナント数は減少の一途をたどり、げ、げ、現在、イエス稲沢内のテナント数は2となっている」
「2?」とタカハシは言った。「このどでかい箱の中に店がたったの2つ?」
「て、て、手で触れることができる不良債権だ。あ、あ、明日にでも閉店するだろう」
「明日どころか、まだ閉店してねえのが奇跡だ」とタカハシは言った、「て言うか、こんな、俺らの街を遥かに超えるど田舎までわざわざ来るやつがもともと2万人もいたことの方が凄えとしか言いようがねえ。開業後半年で潰れてたって不思議じゃない。今、たった2店舗でどうやって営業してるんだ? 中はどうなってるんだ?」
「わ、わ、分からない」
「とにかくその2店舗の内の一つが『和菓子 咲耶(さくや)』ということだな」とマウンテンは言った。「なるほど、プリウスの父親が『重要な場所』と言ったのはこういうことか。探検家ならばこの場所は避けて通れんだろうな」
「あともう1店舗は何だ? 痛車の製造工場か?」とタカハシは言った。
「行ってみれば分かる」とマウンテンは言った。
プリウスは頷いて、歩き出した。彼は「草薙剣」が入った金属バットのケースを背負っていた。他の三人が自分の部屋に壊れたギターや44マグナムやプロテクターを預けて行ったのと同じく、使い道が分からないので置いて行こうとしたのだが、父が泣きそうな顔になったので、止むを得ず持ってきたのだった。
風の音しか聞こえない駐車場を4人は無言で歩いた。どれだけ見回しても、全く人間の姿が見当たらない。《YES》のロゴを掲げた白い壁が少しずつ近づいて来ると、プリウスは国境の検問所を突破しようとする不法入国者のような緊張を覚えた。建物の傍までやって来ると、駐車場に2台だけ車が停まっているのが見えた。ごく普通の日産・マーチとトヨタ・カローラだった。しかしそれも客ではなく従業員のものかもしれない。
入口の大きな自動ドアの前に立つと、特に何の抵抗もなく、音もなく扉は開いた。中に足を踏み入れると、吹き抜けの開けた空間に、音楽が流れていた。ウェザー・リポートの「バード・ランド」をチープにアレンジしたBGMだった。
目の前にシマトネリコの木が立ち、その周辺に休憩用のベンチソファが点々と並び、その裏にはエスカレーターが吹き抜けの上階に向かって伸びていた。その向こうは、広いショッピングストリートがずっと奥まで延々と続いて行く。
店内は光に満ちていた。間接照明とダウンライトが壁や天井にびっしり配置され、一部がガラス張りになった屋根から光が射し、磨かれた床に反射して輝き、白い壁と白い天井がその光を受け取って増幅していた。
だが、あるのは光だけではなかった。
4人は立ちつくして、前方に広がる回廊の向こうを見つめた。
入口からほんの少し先の両サイドは、全面、影と空洞が支配する空間だった。本来、ファッションセレクトショップや、雑貨屋や、インテリアショップが収まって立ち並び、各々の品々を煌びやかに飾り立てているべき空間が、何も無いただの空白になっていた。シャッターが下りているわけでもなく、ただ空白であるだけのその空間は、今すぐにでも死体安置所に使えそうな清潔で静かな影に包まれていた。その影が道の奥まで延々と続いて行く。キャンバスの真ん中三分の一だけを趣向を凝らして仕上げたところで力尽き、残りの三分の二は線だけ引いて色を塗る前に作者が死んでしまった絵のような光景だった。
プリウスは何度も瞬きをした。あちこちに埋め込められた眩い照明と、立ち込める光を吸い込み掻き消すような影がぶつかり合って、凄まじいコントラストだった。そこにウェザー・リポートのメロディが重なって、光景全体が不協和音そのものだった。
ウィキペディアに書かれていたとおりだった。営業中の店舗は、一店も見当たらない。
人間も一人も歩いていなかった。
おかしい、とマウンテンが言った。
「何がだよ。おかしいって言や全てがおかしいんだから、何についてか言え」
「建物の外から中まで、清潔過ぎる。テナントが全く営業しておらず、客も全くいないというのに、この掃除の徹底ぶりは普通じゃない」とマウンテンは言った、「見ろ、床はちり一つ落ちていないほど磨かれている。恐ろしく清浄だ。廃業寸前のショッピングモールとは思えん」
「近所の老人が大量に押し寄せて定期的に掃除でもやってんじゃねえか。じじいばばあは暇だからな」とタカハシはどうでも良さそうに言った。
ポカリが小走りにエスカレーターの前まで駆けて行った。そこには、細い楕円形の円柱に埋め込まれた、店内のフロアマップがあった。
眉間にしわを寄せてマップを見つめるポカリの背後から、他の三人もそれを覗き込んだ。
アリの巣のように細かく区切られた升目の一つ一つに店の名前が記されていたが、そのほぼ全ての名前たちの上に、同じ白いシールが乱雑に貼られていて読めなかった。
準備中、準備中、準備中、準備中、準備中、準備中……
「何を準備してんだ」とタカハシは言った。
ポカリは人差し指でマップを辿り、準備中のシールが貼られていない升目を探した。そして、マップの端近くで指が止まった。
「和菓子 咲耶」とそこにはあった。
4人は無言で歩き出し、マップに示された場所まで、暗闇に挟まれた光の回廊を進んで行った。
辺りからは何の物音もしない。ただ音楽だけが流れていて、カーペットが敷き詰められているお陰で足音も響かない。BGMが安っぽいウェザー・リポートから安っぽいビージーズの「ナイト・フィーバー」に変わった。そして誰ともすれ違わない。生命の気配がしない。フロアの要所要所に木が植えられていたが、それは植物と言うよりも「静寂」というタイトルが付けられたニヒリスティックな画家の絵のようだった。マウンテンを除く三人は、歩き始めてしばらくはきょろきょろとあたりを見回して、広大で光り輝く廃墟の様子を眺めていたが、やがて延々同じ光景が続いて行くだけなのに気がつくと、ただ正面を見据えて歩くようになった。幾ら不自然な光景でも、見渡す限りそれしかないのであれば受け入れるしかなかったし、深く見つめれば見つめるほど荒涼とした気分が助長されるだけだったからだ。
何も無い角を曲がり、意味のない幾何学模様が描かれた道を歩いて行くと、前方にそれまでと質の違う光が見えた。
影の空間がひたすら並んでいた場所と異なり、その一角は柔らかい光を放っていた。ガラスのカウンターが輝き、その中に並べられた落ち着いた雰囲気の静物が、穏やかな空気を周囲に醸し出しているのが、離れた場所からでも分かった。
「和菓子 咲耶」だった。
プリウスは、小走りにそこに向かって駆け寄って行きたい気持ちをぐっとこらえた。
建物に入ってからたったの数分だったが、気がつかないうちに、寄る辺のない異次元空間で遭難したような気持ちになっていたのだ。「咲耶」の光は闇の中の灯台の輝きのように見えた。
4人は店の前に立った。カウンターの中には色とりどりの和菓子が宝石のように輝いて並んでいた。栗きんとん、さくら色や若草色や純白の団子、きんつば、最中、饅頭や柏餅、どれもこれもつやつやと光り輝き、造形に細工が凝らされていた。そこに標準を上回る技術と手間が注入されているのは一目見れば分かった。どら焼きの表面には咲耶の2文字が焼印で刻まれていた。
ポカリは手に持ったPCタブレットに保存しておいたはぐれメタルのツイッターの写真と、目の前の和菓子が並んだカウンターを見比べた。二つは寸分たがわず全く同じ光景だった。
そしてカウンターの向こうには一人の老婆がいた。椅子に腰かけているが、背が小さすぎて頭しか見えない。その顔は隅から隅まで皺だらけだった。微笑んでいるように見えたが、それが本当に笑っているのか、ただ加齢によって顔にしわがこびりついて動かなくなっただけなのかタカハシには分からなかった。
BGMがビージーズからダフト・パンクの「ギブ・ライフ・バック・トゥ・ミュージック」に変わった。
「すんません、ちょっと聞きたいんだけど」とタカハシが言った。
老婆がしわくちゃの顔を僅かに上に向けた。
ポカリが持っていたタブレットPCの画面を操作して、はぐれメタルが写った写真を示した。老婆はタブレットの方向に顔を向けた。だが目が細すぎて、見えているのかどうかよく分からなかった。
「ばあちゃんこの女を知ってる?」とタカハシが尋ねた。「この店に何度か来ているはずなんだ。客として。そうでなくても、ええと、『何らかの手段』でここの和菓子を食いに」
4人は老婆の顔をじっと見つめた。老婆は立ったまま、表情を全く変えず、微動だにしなかった。
果てしなく長い時間がたって、老婆は首を横に振った。
「この店の店主は誰だ? ばあちゃんか?」
老婆は首を横に振った。
「じゃあ誰だ?」
老婆は首を横に振った。
「この店はいつからこのショッピングモールで営業してるんだ? いつまで営業するつもりなんだ?」
老婆は首を横に振った。
タカハシは次々に老婆に質問を投げかけた。このショッピングモールは誰が経営しているのか、こんな状況になってまだ営業が続いているのはどうしてか、店には客が来るのか、店員は他にいないのか。その全てに対して老婆は首を横に振った。
「このいちご大福」と言ってタカハシはカウンターの中を指差した、「最近、髭面のおっさん以外に買った奴がいるだろ。それとも盗んだ奴が」
老婆は首を横に振った。
「ばあちゃん美人だな、若いころ男にもてたろ?」
老婆は頷いた。
「この女を知ってるよな?」とタカハシは言って、写真を指し示した。
老婆は首を横に振った。
タカハシはため息をついて首を横に振った。そして3人の方に振りかえった。
「駄目だ。こいつは喋る気ゼロだ」とタカハシが言った。
「ど、ど、どうする?」
「軽く絞め落としてやれば自白するだろう」とマウンテンが言った。
「やってもいいが、多分、自白する前にそのまま昇天するぞ」とタカハシは言った。
プリウスが一歩進みでて、老婆と向かい合った。
老婆は微かに顎を動かしてプリウスを見上げた。プリウスは肩に掛けたカバンからスケッチブックを取り出した。そして、はぐれメタルの顔が描かれたページを開いて老婆に示した。
プリウスはスケッチブックを差し出しながら、老婆の顔をじっと見つめた。
二人は互いの顔を覗き込み、向かい合ったまま動かなかった。
しばらくして、顔を合わせる二人の間から妙な音が立ち上った。壊れた原付スクーターのエンジン音のような音だった。
老婆のいびきだった。
さっきまでと全く変わらない表情のまま、老婆は眠りに落ちていた。
「なめやがって」とタカハシは言った。
「ほ、ほ、本当にはぐれメタルの事を何も知らないのかな」
「知っていようといまいと、こりゃ絶対何もしゃべらんだろうな。俺の死んだ婆さんと同じ顔をしてやがる。へそくりを隠した場所を死ぬまで喋らなかった」
プリウスはスケッチブックをめくり、白紙のページを開いた。カバンから鉛筆を取り出し、カウンターを覗き込み、老婆の顔を描き始めた。
「止むを得ん」とマウンテンは言った。「このショッピングモールにもう一つあるという店を探そう」
プリウス以外の3人は、和菓子屋に背を向けてショッピングモール内をばらばらに捜索し始めた。
タカハシは両脇を影に挟まれた光の道を歩いてショッピングモールの端まで行き、またフロアマップを見つけ、準備中のシールの群れの中に店の名前を探した。だがやはり1Fには咲耶以外に店の名前は見つからなかった。
タカハシは周囲を見回した。3人から離れて一人佇んでいると、違う次元に繋がるトンネルをくぐりぬけて別の宇宙にやって来てしまったような感覚がした。
み、見つけた、という大声が遠くから聞こえた。
ポカリの声だった。
タカハシは早足で声がする方へ向かった。声は二階から聞こえてきた。
エスカレーターを登ると、誰もいないインフォメーションカウンターの横に設置されたフロアマップの前にポカリがいた。並んでマップを覗き込むと、背後からマウンテンと、少し遅れてプリウスもやってきた。1Fのマップと全く同じように、ひたすら準備中のシールが張り付けられていた。
「どれだよ」とタカハシは言った。
ポカリの細い指が、マップの一点を示した。
フードコートエリアの一角、「餃子の王将」とそこにはあった。
プリウスとタカハシは、目を細めてその5文字を見つめた。フードコートはそれ以外全て準備中のシールが貼られていた。
いや、とタカハシは言った。
「いやいやいや」、とタカハシは言った、「流石に無いだろ。全滅寸前で生き残った2店舗のうちの一つが『餃子の王将』? ただの準備中シールの貼り忘れじゃねえのか? て言うか、餃子の王将で餃子以外に何探すんだよ?」
マウンテンは首を横に振った、「これ以外は全てシールが貼られているか、元から空白になっている。ここしかない」
タカハシは止むを得ず頷き、4人はフードコートに向かって歩いた。吹き抜けの天井から光が差し込む温かく静まり返った回廊を影に沿って歩いて行くと、やがて大量のテーブルとイスが並び、点々と観葉植物の鉢が配置された広く開放的な空間が目の前に現れた。
500席以上あるテーブルを取り囲むように飲食ブースが連綿と並んでいる。ただしそのほとんどが、先ほどまで飽きるほど見てきた空間と全く同じように空白だった。光の無い無表情で真っ白の内照式コルトン看板だけがずらっと掲げられていて、まるで碑銘の無い共同墓地のような光景だった。砂漠以上に砂漠のような眺めだった。見つめていると自分の胃の空白を徹底的に意識させられ、タカハシの腹が、ぐう、と音を立てた。
そこに、「餃子の王将」はあった。確かにあった。フードコートの真ん中あたり、その一角だけ看板が赤と白に輝き、生命力に満ちた「餃子の王将」の5文字が何かのおめでたいお告げのように掲げられていた。店は辺りに油と醤油と肉の匂いを撒き散らしていて、4人は夏の夜の街灯に引かれる蛾のように、ふらふらと店の前まで歩いて行った。
その途中で、遂に客の姿が見えた。家族連れだった。タカハシの目には一瞬幻に見えたが、間違いなく生きている人間だった。それも二組もいた。彼らは餃子の王将の近くのテーブルに就いて、遅めのランチを摂っていた。
家族は二組とも、30代ぐらいの夫婦と幼稚園児くらいの子供二人、という取り合わせだった。チャーハンや餃子を小皿に取り分けて食べ合い、子供たちは逆手に持ったレンゲでチャーハンを掬ってこぼし、母親に怒られていた。父親がラーメンをすする箸を一旦置いて、子供の汚れた口をナプキンで拭ってやった。
極めてありふれた、ごく普通の食事風景なのだが、タカハシはそれが何か途轍もなく貴重で感動的な光景であるかのように感じた。
4人は特に示し合わせたわけでもなく、自然と餃子の王将のカウンターの前に並んだ。そしていらっしゃいませ、と愛想よく笑う店員に対して、それぞれ料理を注文した。全員が共通して餃子を頼み、それに加えてプリウスは味噌ラーメンを、タカハシは天津チャーハンを、ポカリはチンジャオロースを、マウンテンはチャーシューメンと酢豚とニラレバ炒めとライスを大盛りで頼んだ。
しばらく待つと暴力的な香りとともに各々の料理が現れた。そして2組の家族連れから少し離れたテーブルに就き、麺を啜り、レンゲでチャーハンを掬い、箸で肉と野菜をつまみ、麺と酢豚とニラレバを同時に腹に流し込んだ。
4人とも無言でひたすら食事を続けた。全員が猛烈に腹を空かしていた。食器がかちゃかちゃと触れ合うやかましい音が辺りに響いた。4人はほとんど同時に完食し、各々腹を撫でたり天井を見上げたり水を飲んだり深呼吸したりして、ひとしきり脱力した。
フードコートは窓に面していて、そこからは外の景色が良く見えた。森とやたら車線の広い道路と、幾らかの家屋が見え、あとはひたすら水田が広がっていた。プリウスは分厚い雲の下のどんよりしたその光景をしばらく茫然と眺めていた。
「で」とタカハシが言った、「俺たちはここに何しに来たんだっけ?」
「さ、さ、探し物を探しに」
「ワンピース」とタカハシが言った、「餃子はどうだった?」
「旨かった」とマウンテンは言った。
タカハシは頷いた、「たぶんここは、客席数と専有面積は文句なしに世界最大の餃子の王将だろう。もし営業時間中フル回転できればこの店だけで餃子一日二百万個中一万個くらいは行けるに違いない。しかしそれ以外は何もかもが普通だ。考えられる答は二つしかない。一つ、俺たちは完全にババを引いた。二つ、このショッピングモールにはもう一つどこかに店がある」
「しかしどこにもそんなものは見当たらなかった。各階のフロアマップにも、これまで通ってきた道のどこにも」
だな、とタカハシは言って、大きく欠伸した、「じゃあ腹もいっぱいになって眠くなってきたことだし、帰るか」
「ま、ま、まだ何も見つかってない」
「そうだな。じゃあ気が進まねえけど後でもう一度あの和菓子屋に行ってみるか。婆さんの頭を抱えて振ってみたら、女の居場所の一つや二つ出てくる可能性はゼロじゃないかもしれねえしな」
離れた席の家族連れがいる場所から、突然子供の歓声が上がって、4人は振り向いた。
巨大な頭部を持った、幅広で分厚い体躯の着ぐるみがそこにいて、フードコートをのしのしと歩いていた。それが家族連れの近くを通りがかったのだった。全身が赤く、背中には水色の羽が4枚生えている。丸く大きな黒い目とにっこりと半円を描く口があるだけのシンプルな表情で、巨大な頭の上には大きな緑色の球体を二つくっつけていて、それがリボンのように見えた。
アカネちゃん、と子供が笑いながら言って、着ぐるみに抱きついた。着ぐるみは立ち止まり、子供を抱きとめた。父親はその様子をスマートフォンで写真に撮っていた。
「あ、あ、アキアカネのアカネちゃんだ」とポカリが言った、「イ、イ、イエス稲沢の公式キャラクターで、不定期にショッピングモールの中を巡回しているらしい」
「凄まじい仕事だな」とタカハシは言った、「たった8人の家族のために、あんな重装備をしてこの廃墟を歩き回るなんて」
プリウスは頷いた。そしてアカネちゃんをぼんやりと眺めていた。
合計4人の子供たちがわらわらとアカネちゃんの足下にまとわりつき、腹に抱きついたり、ジャンプして頭を叩いたりした。しばらくされるがままにしていた後、アカネちゃんはその場を離れて歩き出そうとしたが、子供が足を掴んで放さなかった。それでもアカネちゃんは歩こうとしたが、子供は完全に足に抱きついてぶら下がっていた。子供も、両親たちも、皆笑っていた。
アカネちゃんの左右の腕が、何も無い空中に向けて、左右に素早く振り払われた。
プリウスにはただそう見えた。
だがその動作の後、子供たちはアカネちゃんから体を離し、いつの間にか4人とも床にあお向けになって転がっていた。
子供たちの表情が歪み、そして、ほとんど同時に全員が泣き出した。初めはゆっくりと小さな声で、やがて大声で泣き出した。アカネちゃんはそれを無視して子供たちに背を向けて歩いて行った。両親たちが席から立ち上がり、子供たちに駆け寄った。
おい、と父親の一人がアカネちゃんの背中に声を掛けたが、アカネちゃんは振り向かなかった。背筋をまっすぐに伸ばし、確かな足取りで歩いて行った。父親は首を傾げ、泣きじゃくる子供をあやした。
「見たか」とマウンテンが言った。顔はアカネちゃんの方を向いたままだった。
ポカリはスマートフォンをいじっていて、タカハシは鼻の穴をほじって窓の外を見ていた。プリウスだけが頷いて、そしてその後すぐに首を傾げた。
何だ? と言ってタカハシがマウンテンに振り向いた。
「あの着ぐるみ、一瞬で4人の子供全員の頭を殴った」とマウンテンが言った。「凄まじいスピードだった」
はあ? とタカハシは言った。
プリウスはアカネちゃんの真っ直ぐに伸びた背中をじっと見つめていた。
フードコートの角を曲がるところでアカネちゃんの顔がプリウスの方を向いた。
思考が言葉になるより前に、プリウスは立ち上がった。
プリウスとアカネちゃんは、幾つかのテーブルと観葉植物を挟んで無言で見つめ合った。マウンテンとタカハシとポカリが、アカネちゃんとプリウスの顔に視線を往復させた直後、プリウスが何かに弾かれるように駆け出した。プリウスは椅子を足に引っ掛けて倒しながら構わずアカネちゃんに走り寄ったが、アカネちゃんも既に背を向けて走り出していた。巨大な頭と、頭のてっぺんに付いたリボンのような二つの緑色の球体がぐらぐらと揺れ、背中に生えた水色の羽がばたばたと上下にはためいた。猛烈なスピードだった。着ぐるみとは思えないほどの速度で、それは全速力に到達したプリウスを遥かに上回っていた。
フードコートを駆け抜け、何も無いショッピングストリートに戻ってきた。カーペットの回廊を走ってあっという間に遠ざかって行く着ぐるみの背中を追いかけていると、プリウスの横にマウンテンが追いついた。背後を振り返ると、数十メートル後ろにタカハシとポカリも走ってついて来ている。
「はぐれメタルだな?」とマウンテンが言った。
プリウスは頷いた。
マウンテンはそれを確認すると、足の回転速度を上げプリウスを引き離してアカネちゃんを追いかけた。マウンテンの脚力は相当なものだった。マウンテンゴリラは人間を遥かに超える速さで走ると聞いたことがあるが、実際プリウスの目に彼はとてつもない速さに見えた。だが、アカネちゃんはそれよりもさらに速かった。若干短い手足が猛烈なスピードで回転し、遥か昔の、1秒16コマのサイレント映画時代のコメディスターを観るようだった。恐ろしく巨大なアキアカネが空を飛ぶような、足の裏にモーター付きのタイヤをつけているとしか思えないほどの速さだった。
マウンテンはアカネちゃんにどんどん引き離された。追いつける気配は全く無かった。アカネちゃんが角を曲がり、数秒後にマウンテンが同じ角に入った。更に数秒遅れてプリウスもコーナーを曲がった。その短い廊下は明かりが途絶えていて、影に沈んでいた。
廊下を走り抜けると、その先には開放的な吹き抜けと広い道が左右に伸びていた。左手にマウンテンが走って行くのが見えたが、行く先にアカネちゃんの姿は見えない。プリウスは一瞬迷った後で、右に向かって走り出した。だが意味のあるものは何も見えない。一様な光と、箱におさまった影がひたすら並んでいるだけで、動くものの気配はどこにもない。次第に、腹いっぱいにラーメンと餃子を食べた直後に全力疾走したお陰で、横腹が猛烈に痛み始めた。
プリウスは眉間にしわを寄せながら、それでもショッピングモールの端まで全力で走り抜けた。周囲に目を凝らし、赤い色を探した。端まで辿りついてしまうと、来た道を戻って、影の中を覗き込み、曲がり角の向こうの様子を伺った。天井を見上げ、床を見つめ、吹き抜けの手すりから下を見下ろした。
何もない。ただ昔のロールプレイングゲームのダンジョンのような、必要最低限の情報が刻まれた壁が、どこまでも並んでいるだけだ。いくら調べても、しかし何も見つからなかった、のメッセージが表示されるだけだった。
プリウスは荒い息を何度も吐き、吸い込んだ。
手すりにもたれかかって天井を見上げていると、ポカリがやってきた。ふらふらとした足取りで、プリウスの隣に立つと、ぜいぜいと息を乱して膝に手を突いた。
「あ、あ、アカネちゃんは」とポカリは尋ねた。
プリウスは目を伏せて、首を横に振った。
「あ、あ、あれは人間なのか」とポカリは重ねて尋ねた。
プリウスは眉間にしわを寄せて首を傾げた。
「て、て、手分けして探そう」
プリウスは頷いた。
プリウスとポカリは左右に分かれて辺りの様子を伺った。何も無い影に着ぐるみが隠れていないかどうか、空きテナントを一つ一つ特殊部隊がクリアリングするように潰していった。男子トイレはもちろん、女子トイレにも入った。どうせ誰もいないのだから誰かの目を気にする必要など無かった。
プリウスが男子トイレの中を探すついでに小便をして手を洗って水を払っていると、遠くから甲高い音が聞こえた。
断続的で、微かな音だった。それはすぐに店内のBGMに交じって消えていったので、プリウスは最初は空耳かと思った。だが、消えてもまたすぐに、遠くでドアがきしむようなその微かな音が聞こえてきた。
プリウスは男子トイレから出て、心もち目を伏せて、その音に耳を澄ました。
生き物の鳴き声のような気がした。
ポカリがすっきりした顔で女子トイレから出てきた。プリウスはポカリの顔を見つめて、音が聞こえる方を指差した。
「な、なんだ?」とポカリが訊いた。
プリウスは左耳に手を当てた。ポカリもそれに倣って両耳に手を当てた。プリウスの耳に、今度は間違いなくはっきり聞こえた。
「い、犬の鳴き声がする」とポカリが言った。
プリウスは頷いた。そして二人は声がする方に向かって歩き出した。角を曲がり、明かりの少ない廊下を歩き、さらにその突き当たりを左に曲がった。足を踏み出すごとにその鳴き声が一匹の犬のものであることが明白になっていき、プリウスの歩く速度もその声に引っ張られるようにどんどん上がって行った。
トニーの声だ。
プリウスはそう思った。プリウスは横幅3メートルくらいの白いシャッターが下ろされた一角の前に立った。その薄い壁の向こうから、甲高い犬の声が聞こえてくる。他の全ての空きテナントはシャッターなど無くただ空洞を晒していたために、そこはかえってイエス稲沢の他のどの場所よりも目立っていた。
ポカリはスマートフォンを操作して、タカハシを呼び出した。み、み、見つけた、とポカリは言った、「もう一つの店」
ポカリがタカハシに電話で現在地を案内する間、プリウスは屈みこみ、シャッターを持ち上げようとした。だがどれだけ力を入れても5ミリほどしか上がらなかった。鍵穴を指で撫で、シャッターを軽く足で蹴ると、それに応えるようにシャッターの向こうから犬の鳴き声が聞こえた。プリウスは辺りを見回して、何かここをこじ開けられる道具がないかと探した。だがそんな都合のよいものは見当たらなかった。映画か何かでこういうシャッターは消火器を投げつけて破壊しているのを見たことがあるような気がしたが、それさえどこにも無い。
プリウスはふと思い出して、背負っていた野球バットのケースを肩から下ろした。そしてファスナーを開き、草薙剣と名付けられたぼろぼろの錆びた棒を取り出した。プリウスは全力を込めてシャッターを持ち上げ、ほんの僅かに開いた隙間に草薙剣を差し込んだ。そして剣の柄と思われるあたりを両手で握り、足を広げて踏ん張りながら、てこの要領で思い切り引き上げた。
ぎしぎしとシャッターが音を立てたが、ほとんど動かない。
プリウスが顔を歪め、額を汗で濡らして踏ん張り続けていると、タカハシとマウンテンが走ってやってきた。マウンテンは無言でプリウスの隣に立ち、シャッターの手掛けに指を差し込み、全力を込めた。マウンテンの上半身の筋肉が瞬間的に膨張した。ぎぎぎぎぎ、とシャッターが音を立てた。タカハシとポカリも、少し開いたシャッターの下の隙間に指を差し込み、上に向かって引き上げた。
唐突に、ばきっ、と金具が折れるか外れるかする盛大な音を立てて、シャッターががらがらと上に登って行った。
4人は深く息を吐いて、目の前に広がる空間を見つめた。
そして全員が眉間にしわを寄せた。
その空間の中央には、脚付きのベッドが置いてあった。まずそれが目に付いた。リネンのチェック柄のシーツと掛け布団と枕。布団は雑に畳まれていて、今朝まで誰かがそこで寝ていた気配が、まだ残っていた。左側の壁に向かって装飾の少ないマホガニーの机と椅子があり、その上には物を描いたり作業したりするスペースが全く無いほど様々なものが積み上げられている。レゴブロックで作られた少年と少女、虫かご、机に突き立ったナイフ、地図、写真立て、無数の良く分からないガラクタたち。そのガラクタたちの向こう側にコルクボードが掛かっていて大量の写真が貼りつけられている。床に散らばっているのは若い女性向けのファッション誌や、ノートPCや、タオルや、幾つかのダンボール箱。右側の壁には多数のスリットが入ったキャビネットと、大きな三段ラックがあり、スピーカーやコーヒーポットや電子レンジなどの電化製品が並んでいた。奥の壁に立つ巨大な棚にはコードやディスプレイや様々なものがぎゅうぎゅうに押し込まれていたが、あまりに雑多すぎて何が入っているのかほとんど判別できなかった。
家具の組み合わせにルール性や統一感は全く感じられなかった。何もかもその場限りの思いつきで配置されたようで、系の乱雑さが増大するに任せられ、汚いというよりは単純に凄まじく散らかっていた。
人間が住む気配に満ちた部屋だった。だがショッピングモールという場所を考慮すると、純粋な住居には見えなかった。徹底的にリアルであることにこだわった映画のセットのようだった。しかしそのリアルさが何を目的にしているのかはよく分からなかった。
わん、と犬が鳴いた。
一匹の黄金色の毛並みの小さな犬が、プリウスを見上げて物凄い勢いで尻尾を振っていた。首輪から伸びたリードはベッドの脚に結わえられていた。
トニーだった。
プリウスは駆け寄ってトニーを抱き上げ、首輪に掛かったリードを外した。トニーはプリウスの顔面が砂糖の塊であるかのようにぐしゃぐしゃ猛烈に舐めまわした。
プリウスは顔をしかめながら微笑んで、両手でトニーを掲げて全身を点検した。表情も、毛並みも、昨日の朝散歩に連れていった時のまま、昨晩自分が絵に描いたトニーのままだった。
プリウスはトニーを抱きかかえて立ち上がり、ベッドの背後の壁に掛かった絵を見つめた。
プリウスの絵だった。港にやって来る直前のブライト・サイズ・オーシャンを描いた絵、はぐれメタルがスカイ・フル・オブ・スターズと交換して持ち去った絵だった。それはプリウスが筆を置いた時のまま、朝でも昼でも夕方でもない光の中で、動き出す直前のように、停止してしまう寸前のように、途轍もない巨体を海の上に横たわらせていた。
「ここは」とタカハシが言った、「あの女の家か」
プリウスは、本や鋏やダンボールの切れ端を踏みつけながら、部屋の中を見回した。
視線が、壁に掛かったコルクボードの上で止まった。彼はマホガニーの机の方まで歩いて行き、おもちゃやがらくたが積み重なった上にあるコルクボードを見つめた。そこには写真が何枚も何枚も貼られていた。
プリウスは眉間に皺を寄せた。
目が閉じそうなほど皺を寄せた。
それはプリウスだった。全て彼の写真だった。ごく子供の頃のプリウスの写真、小学生の頃のプリウス、コンビニで漫画を立ち読みしているプリウス、道を歩きながらどこでもないどこかを見ているプリウス、中学校の卒業式のプリウス、バスに乗って口を半開きで眠っているプリウス、そして、同じ姿勢で場所と年恰好だけが違う、絵を描いている幾つものプリウスの写真。プリウスは左目を手で覆い隠してその写真を見つめながら、何度も大きく息を吸って、吐いた。自分でもそれがいつ、どの場所のものだか分からない写真だらけだった。幾つかは学校の行事や家族によって撮られたものだったかもしれなかったが、プリウスには、これほどの数の写真を撮られた記憶は全く無かった。誰かが隠れて撮っていたとしか思えなかった。
プリウスは自分でも気がつかないうちによろめいて、足下を見つめた。そして再び顔を歪めた。そこに敷かれているストライプのラグマットは、プリウスの自室のマットと全く同じデザインのものだった。
タカハシとポカリとマウンテンも、プリウスの隣に立って写真を眺めた。マウンテンは顎を指で撫でた。ポカリは、い、い、と言った、「いい写真だ」
タカハシは頷いた、「質、量ともに申し分ないな。撮影者の被写体に対する、曰く言い難い感情が画面いっぱいに見事に表現されている」
プリウスは頷くことも首を横に振ることも傾げることもできなかった。ただ茫然と写真を見つめていた。トニーがプリウスの顎をべろべろと舐めても、彼は無反応で壁一面の写真に顔を向けていた。
プリウスが茫然と立ち尽くすうちに、タカハシは足下に転がったダンボールのふたを開いた。そして目を限界まで細めた。その中にあったのは、総天然色の貴金属の海だった。ルビーやサファイヤのネックレス、プラチナのブレスレット、ダイヤモンドのティアラ、カッティングされたまま剥き出しのアクアマリンやアメジスト、ペリドットやエメラルドの原石、レインボー・ガーネットが嵌まった錫杖、そして様々な形をした黄金。光が音もなく四方八方に弾ける、アニメでしか見たことがない光景だったが、ダンボール箱の中にただ雑然と押し込まれているせいか、迫力はあっても不思議と全くありがたみを感じなかった。タカハシはなんとなく、その中に手を突っ込んで、バスタブのお湯をかきまわすようにぐるぐると腕を回してみた。がしゃがしゃと音を立てて、その重みと堅さを感じた後で、そっと蓋を閉じた。
もう一つ横に転がっていたダンボールを開いてみると、一万円札が溢れ返るほど大量に突っ込まれていた。よくテレビドラマで登場する、ジュラルミンケースのふたを開くと一糸乱れず綺麗に整列している札束と異なり、ただ無造作に乱雑に積み上がっていた。シュレッダーに掛けられて裁断された紙片をそのまま突っ込んだような雑さだった。タカハシは札を数枚つかみ取った。そして頭の中で計算をした。120円のアポロを365日買い続けると、大体幾らになるか? タカハシは5枚の一万円札をポケットに突っ込んで、後はダンボールに戻した。
タカハシがダンボールのふたを閉じ、腰に手を当てて立ち上がると、プリウスはまだ写真の前で立ち尽くしていて、ポカリが部屋の奥の棚を漁っていた。本やCDや望遠鏡や本物かどうか分からないライフル銃や手榴弾や様々なケーブルをごそごそと手で掻きわけ、あ、と叫んだ。
「あ、あ、あった。ニコンDf」
ポカリはそう言って振り向いた。その手には蒸気機関車のように重厚な一眼レフカメラが握られていた。ポカリはカメラを両手で天井に向けて掲げ、その後胸元に抱きしめた。離れ離れになっていた恋人とやっと再会できたかのような動作と表情だった。
「急げ。引き上げろ」とマウンテンが言った。
マウンテンは壁から外したプリウスの絵を手に持っていた。そして写真を見つめたままのプリウスの肩に手を置いた。
「あと5分で帰りのバスが来る。次のバスは1時間後だ。それに、はぐれメタルがいつ戻って来るか分からん。1分後か、5分後か分からんが、間違いなく戻って来るだろう。俺はいいが、お前らは帰れ」
「何でお前はいいんだよ」とタカハシが訊いた。
「まだ俺のバイクが見つかっていない。探す。盗んだ本人に直接訊くことができれば好都合だ。そうなったときにお前らが近くにいて、あの女が大暴れすることになって、取り返したものをまた奪い返されても俺は知らん」
「わ、わ、分かった」とポカリはほとんど反射的に言った。
タカハシも、マウンテンの目を見た後で、頷いた。
プリウスはマウンテンを見上げ、彼が手に持った絵と、肩に置かれた手を、交互に見つめた。そしてゆっくりと首を横に振った。
「プリウス」とマウンテンは言った、「お前、はぐれメタルに会ってどうする?」
マウンテンはどんな闇夜よりも深く黒い瞳で、じっとプリウスの目を覗き込んだ。
プリウスはその目を見返した。だが真っ直ぐに見つめ続けることができなかった。しばらくして、プリウスは視線を足元に落とした。
トニーがプリウスの頬を舐めた。
「分からないんだろう」とマウンテンは言った、「なら帰るべきだ。犬を取り戻したんだから家族に届けてやれ。それに、この絵をお前はどうしたかったんだ?」
マウンテンは船の絵が描かれたキャンバスをプリウスに差し出した。
プリウスはその絵を受け取り、俯き加減のまま、頷いた。
ポカリは既に走り出していた。タカハシは床に転がった草薙剣を拾ってバットケースにしまい、肩に背負って、プリウスの肩を叩き、行くぞ、と言った。
プリウスは最後にもう一度マウンテンの顔を見上げてから、走り出した。
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