第5話
その日の授業が終わり、プリウスとポカリとタカハシは、生徒指導室の3人掛けソファに並んで腰かけていた。タカハシは限界まで目を細め、ポカリは膝の上に手を置いて俯いて、プリウスはどこでもないどこかを見つめていた。
彼らがそこに座りこんでからもう30分以上が経っていた。彼らの正面には体育教師のベジータが座っていて、卓球の授業から数学の授業の開始までの状況について事情聴取を行った。そのほとんど全ての場面で、回答をしたのはタカハシだった。プリウスとポカリの二人は、頷くか、首を横に振るか、無反応かのいずれかだった。そしてその会話も尽きつつあった。
彼らは携帯電話盗難とそれに伴って起きた暴力事件の関係者としてヒアリングを受けていたわけだが、どちらについても確たる関係性は認められず、結局のところ他の生徒たちと何も変わらない参考人に留まっていた。だから彼ら三人が何故ここにいるのかは、彼ら自身にも良く分からなかった。少なくとも一つだけ確かなことは、別室で一人何やら指導を受けているマウンテンの帰りを、彼らは待っているのだった。マウンテンが何故何のためにガチャピンを投げ飛ばしたのかを彼らは尋ねられていたのだが、それはマウンテンに訊かなければ彼らにも分からなかったからだ。
マウンテンに放り投げられて教室の床に垂直落下したガチャピンは、間もなく保健室で意識を取り戻した。頭にこぶができて右肩を脱臼していたが、骨の異常や出血はなかった。痛え痛えと叫びながら、ガチャピンは病院に運ばれていった。
そしてマウンテンは直ちに担任と学年主任に呼び出され、その日の授業に戻って来ることはなかった。
「ベ……先生」とタカハシは言った。「それで結局、携帯盗んだ奴と、盗まれた携帯がどこに行ったかは、分かったんですか」
ベジータは首を横に振って、分からん、警察に被害届を出しているところだ、と言った。
そうすか、とタカハシは言って、首を横に振った。「だとしたらマウンテンは何をそんなに長いこと話してんですかね? あいつについて言えば、ガチャピンをぶん投げたことだけが問題だ。暴力沙汰で何日間停学になるか決めるのって、そんなに時間がかかるもんなんすか?」
「お前、あまり舐めた口きくなよ」とベジータは言った。「直接じゃないにしろ、お前が挑発したことだって無関係じゃないんだぞ」
分かってます、とタカハシは言った。「高三にもなって、生徒指導室に来ることになるとは思わなかった」
生徒指導室の扉が開いた。担任のグレイだった。彼は異様に痩せていて目がとがっていて、キャトルミューティレーションを行う銀色の肌の宇宙人にそっくりだった。
「お前たち、まだ残ってたのか」とグレイは言った。
「深く反省していたんです」とタカハシは言った。
「もう帰っていいぞ」
はあ? とタカハシは言った。
グレイはそれを無視して、ベジータに声を掛けた。あいつの親御さんは今日は来れないみたいですね、とグレイが言い、そうですか、こっちは良く要領を得ない、とベジータが言った、「結局、誰が携帯を盗んだのかは分からないし、なぜ暴力沙汰が起きたのかも分からん。こいつら3人は、別に互いに友達同士じゃないと言うんです」
「こっちもです。あいつこいつらの事は何も言いませんでしたよ」とグレイがため息をつきながら言った。
ま、ま、とポカリが言った、「マウンテンは、今、どこにいるんですか」
「もう帰った」とグレイが言った、「双方の親御さんの到着を待とうと思っていたんだけどな。どっちも学校には来れないらしいから、また明日だ。お前らあいつと話したかったのかもしれんが、今日はそういう訳にはいかん。だからお前らも帰れ」
ま、ま、と再びポカリが言った、「マウンテンは、停学、ですか」
「期間は追って決まる」と言ってグレイが頷いた。
プリウス、ポカリ、タカハシの三人は、生徒指導室を出た。しばらく歩いたところでタカハシが左手を肩にやりながら、体を伸ばした。
「あいつら絶対俺たちが携帯盗んだと思っていやがるな。こういう時に日頃の行いが物を言うわけだ」
「た、た、助かった」とポカリが言った。
「何がだよ。ただ興奮したゴリラが起こした暴力事件の共犯者扱いされて、無駄に数十分も拘束されただけだ」
「違う」と言って、ポカリは首を横に振った。
ポカリはあたりを見回し、周囲に誰もいないことを確認した。そして近くの無人の教室に入り、タカハシとプリウスに向かって手招きした。
タカハシは眉をひそめ、プリウスの反応をうかがおうとしたが、彼は既にポカリの手招きに応じて教室に入ろうとするところだった。タカハシは止むを得ず、軽く下唇を噛んで、プリウスの後について行った。
ポカリは廊下側の机の上に、背負っていたリュックを下ろした。そして外から死角になる位置でリュックを体で覆うように立ち、再びタカハシとプリウスに向かって手招きをして、開いたリュックの中を指差した。
プリウスとタカハシは、同時にその中を覗き込んだ。
タカハシの目が細くなった。
そこにあったのは、束になった大量の写真と、プラスチックのバインダーだった。ポカリはリュックに手を突っ込んでその束を解き、何枚かを取り上げて、広げて見せ、バインダーを開いた。
全て、女の写真だった。駅前で、公園で、喫茶店で、道端で、海辺で、この街のあらゆる場所で、笑ったり、苛立ったり、どこでもない場所を見つめたり、歩いていたりする、少女や若い女や中年の女たちが写っていた。女子中学生や、女子高生や、OLや、観光客や、主婦。女たちは年齢も容姿もバラバラだった。共通しているのはそのスナップショットに写っているのが全員、美しい女たちだということだけだった。
タカハシは眉間にしわを寄せて顔を上げ、ポカリの表情を確認した。彼は幸福そうに口元を緩め、写真を一枚一枚カードを切るようにプリウスに見せ続けていた。プリウスは相変わらず無言で、タカハシの写真に見入っていた。その目は明らかにきらきらと輝いていた。そのプリウスの視線に呼応するかのように、タカハシは上機嫌で写真を次々と披露していった。やがて、プリウスとポカリの二人の顔はほとんど同じ笑顔になった。
タカハシは、二人の男の間に、言葉もなく、得体の知れない魂の交感が発生しているのを見て取り、眉間の皺を深くした。
「いい趣味してんじゃねえか」
タカハシがそう言うと、ポカリはあ、あ、と言った。「ありがとう」
「確かに、あの盗難騒ぎの時に荷物検査されてこいつを見られてたら、とんでもないことになってたな。数が多すぎる」
ポカリは頷いた。「助かった」
「ところでパンツが写ってるやつは無いのか。ローアングル的な奴は」
「パ、パ、パンツは無い」とポカリは言った。
「一枚もないのか」
「一枚もない」
残念だ、とタカハシは言った、「じゃあ俺は帰る。お前らは?」
プリウスとポカリはそれぞれ全く別の方角に向かってまっすぐ指をさした。プリウスが指差すのは美術室がある方だと見当が付いたが、ポカリが指す方がどこなのかタカハシには分からなかった。
「どこだよ」
「た、た、タタラ場」
川を挟んで向こう側にある、女子高の別称だった。
タカハシは無言で頷いた。そして二人に特に挨拶もせず背を向けて去って行った。
そしてポカリは写真を再び丁寧に束ねてファイルを閉じ、リュックのファスナーを閉めた。ポカリとプリウスは一瞬視線を交わし、何の会話もなく別々の扉から教室を出て別々の方向へ歩いて行った。
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