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 そして、最上層。

 ここからは、僕たちの冒険の舞台となる世界が一望できる。

『うわー、綺麗』

 レーゲンに一歩遅れて屋上へと足を踏み入れた僕はその感想を簡潔に表現した。

 前回、ナギを含む六人でやってきた時には生憎の天気だったから、これほどまでの絶景とはいかなかった。

 それ以前にも幾度となく来たことのある場所だったが、こんな風に快晴だったことは数えるほどしかない。それに、その頃はどちらかといえば効率を重視したプレイスタイルだったから、風景だとかゲーム上メリットのないことにはあまり目が行っていなかった。

 純粋にゲームを楽しみながらここまでやってきたのは初めてだったかもしれない。

『ええ、そうね。ここ、こんなに綺麗な場所だったのね』

 僕の言葉に同調して、レーゲンが言う。

 きっと彼女も、僕と似たようなことを思ったのだろう。

 効率ばかりを追い求めていた頃、よくパーティで彼女と一緒になったものだ。あの頃はこんな風に二人で遊ぶようになろうとは思ってもみなかった。

『こういう風景をね』

 感傷に浸ってばかりいても仕方がない。

 僕がここまでやってきたのには、大それた動機があるのだから。

『絵にしたら、きっと素敵なんだろうな』

 そして、言う。

 つまるところ、僕の策というのは、そういうことだった。

 ナギのあられもない姿を撮ったのも、龍船の上で記念撮影したのも、二人きりでこんなところまでやってきたのも、全て。

『絵、か』

 以前、レーゲンは――葉漆玲音はしちれいんは言っていた。

 ――描けないのよ。

 ――きっと、心が荒みきってしまったのね。今の私は、どんなに綺麗な景色を見ても、筆を取る気にはなれないのよ。

 そう言った時の、今にも消えてしまいそうなほどに儚げな表情は、僕の脳裏に焼き付いて離れない。ああ、思えばあの時から、僕は彼女のことを気に掛けていたのだろう。

 確かに、リアルの彼女なら、どんなに美しい景色を見ても心が動かされないのかもしれない。どれほど美しかろうが、そこは間違いなく、彼女にとって絶望に満ちた場所と地続きで繫がっているのだ。

 でも、こちらの世界なら。

 リアルにおけるあらゆるしがらみや憂いから解放された、こちらの世界なら。

 彼女の心を動かすことができるかもしれない。

 そこに、親友である僕との思い出が加われば、彼女に再び筆を取らせることができるかもしれない。

 浅はかな考えだとは思ったけれど、僕にはこれしか考え付かなかった。

『といっても、私は絵とか描けないんだけどね。レーゲンはどう?』

 少し、直截的過ぎたかもしれない。

 だが僕はそんなに話術に長けているわけではない。だから多少強引にでも、伝えるべきことは伝えるしかない。

『私は、まあまあ、よ』

『そっかー。いや、私なんて絵の具の配合すら怪しいくらいだからね。えっと、紫って赤と青で作るんだっけ?』

『知識が小学生レベルじゃない、それ』

『絵の具の配合できないから、いつもクレヨン使ってたよ』

『小学生レベルですらないじゃない、それ』

 僕はあくまで、いつもの呑気なスタンスを貫く。

 対する葉漆は、今モニターの前でどんな顔をしているのだろうか。

『でも本当に、綺麗な景色ね。心が洗われていくよう』

『そうだね。心に漂白剤をかけられてる気分だよ』

『私の感動を返してくれないかしら?』

『冗談だよ。ごめんごめん』

『もう』

 こんな下らない会話も、思い出を構成する一ピースになるのだろうか。

 そんなことを思い、そして願いながら、親友との会話に花を咲かせる。

『それにしても。私に、まだこんな気持ちが残ってたなんて』

 塔の最上層、そのへりの方へと移動して、レーゲンが言う。

 彼女の目には、この景色は今どのように映っているのだろう。

 僕のような美的センスゼロの人間と、葉漆のような絵心を知る人間とでは、見える世界というのは違うものなのだろうか。

『ここまで来た甲斐があったわ。ありがとう、リッカ』

『いえいえ。こちらこそだよ、レーゲン』

『私も、少しだけ先に進めるかもしれない』

『何の話?』

 彼女の発言に、僕は惚けてみせる。

 これはあくまで、彼女の物語だ。

 僕はそこに差し込まれた、一つの仕掛けでしかない。

『いえ。こっちの話よ』

『そっか』

 だから、僕をきっかけにして、彼女が自分で新たな道を切り開く――それが、理想的な形なのではないかと思う。

『そういえば、レーゲン。絵のモチーフになりそうなものといえばなんだけど』

 ここまで来ればもう安心かもしれないけれど、もう一つダメ押しだ。

『ええ、何かしら』

『さっき、ここに来る前、ナギのあられもない姿のスクリーンショットを撮ったんだけど、どうする?』

『あなた一体何をやってるのよ』

『いや、ナギがあまりに可愛かったものだから、つい調子に乗っちゃって』

『時々、リッカが分からないわ』

 まあ、それも当然と言えば当然だ。

 虚偽と虚構と虚飾で何重にも塗り固めた、すっかすかの何か――それが僕なのだ。

 でも、今はそれでいい。

 親友の背中をそっと優しく押してやれるのなら、僕は道化を演じようとも、詐欺師に落ちぶれようとも構いはしない。

『どうする?』

『要るわ』

『要るんだ』

『いえ、あれよ。リッカがナギに、おかしなことしてないかチェックするだけよ。別にそのあられもない姿を見たいとか、それを絵に描きたいとかそんなことじゃないのよ』

『そっか。じゃあ後で送っておくね』

 ……まあ、そういうことにしておこう。

 彼女の刺激になるようなことならば、何だっていい。

『それじゃ最後に、レーゲン。二人で記念撮影しよう』

 折角ここまで来ておいて、それを形あるものに残さないというのは勿体ない。

 いや、本当に絵心のある人間ならば、一度見ただけで心に焼き付いて、形に残るモチーフなど必要としないかもしれないけれど。少なくとも僕はこの感動を、電子ファイル形式で保存しておきたかった。

『いいわね。どこがいいかしら』

 言って、レーゲンは最上層の狭いフロアを歩き回る。

『ここ。ここにしましょう』

 彼女が立ち止まったのは、丁度背後に街が見える位置。

 前回は雲に隠れてしまっていた僕たちの街は、今日は細部に至るまで見通せた。

『うん。じゃあそこね』

 そして、僕も自分のキャラクターを移動させる。

 レーゲンの隣に並び、カメラを操作して僕たち二人の姿を正面から捉える。

『じゃあ、行くよ』

 三。

 二。

 一。

 スクリーンショット。

 一・五メガバイトほどの思い出が、僕のPCのフォルダに記録された。

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