5
性懲りもなくやってきた、月曜日。
とはいっても僕はニートだから、日曜だろうが月曜だろうがやることに変わりはないのだけれど。
この日も昼頃に起床すると、書店へと出掛けた。
書店では、どうやら生活ペースが丸ごと被っているらしい
そして、夕方頃のこと。
暇を持て余し、ベッドに転がりながらマンガを読みふけっていると、部屋の扉がコンコンとノックされた。
「どうした?」
訪ねてきたのは我が妹。
「お兄ちゃん。お客さんだよ」
「うん?」
何だ、最近の僕は随分と人気者だな。
「お姉さま」
「お前今、確実にあいつのこと『お姉さま』って呼んだよな」
「オネエサマハオネエサマダヨ」
大変だ。
僕の妹が幼馴染に攻略――いや、洗脳されている。
見れば、彼女は手に小さな袋を提げていた。
中身はクッキーだろうか。
状況から察するに、恐らく
「まあ、いいや。上がってもらってくれ」
「うん」
すると紗奈は嬉しそうに階段を下りていく。
「……」
しかし、旋風か。
またぞろ、僕に何かを言いに来たのだろうか。
そういえば仲直りもまだしていないし……。この数日間、結局連絡すら取っていない。
「往人」
やがて、旋風が姿を現した。
こういう時、その手のゲームだと三択くらいの選択肢が表示されるのだが、悲しいことにこれは現実である。ゆえに、ここからの対応は自分で考えねばならない。
「よ、よう……。元気そうだな」
結局答えを見付けられないまま、当たり障りのない挨拶をする。
「まあね。おかげさまで」
僕、こいつの体調に何か貢献したっけ……。
何かを決意したような彼女の表情はどことなく恐ろしかった。
「往人は、元気だった?」
「まあ、な。今なら髪の毛で銃弾を跳ね返せそうな気がする」
気を抜くとふざけたことを言ってしまうのは僕の悪い癖だ。こんなもの、時間稼ぎの一時しのぎにしかならない。
「相変わらず元気の基準が良く分からないけど」
「そのくらいキューティクルがしっかりしてるってことだ」
「元気なら、それでいいんだけど」
こんな状況でも、僕の軽口に対してコメントを返してくれる。ただし、その語調はいつものそれと大きく異なり、およそ快活さのようなものが感じられない。
「……」
彼女は黙って僕の顔を見つめながら、何かを言いたそうにしている。
一体、今日は何をしに来たのだろう。
「旋風?」
あまりに彼女が黙ったままでいるものだから、そろそろ限界だ。沈黙からは何も生まれない。沈黙は金だとか抜かす輩がいたら僕の前まで引き摺り出してきてほしい。お説教をしてあげよう。
「……往人、これ」
ようやく彼女は口を開く。
それと同時、後ろに回していた右手をこちらへと差し出してきた。
「うん? 何これ……クッキー?」
彼女が右手で無造作に掴んでいたその袋は、先ほど紗奈が嬉しそうに持っていたものと良く似ていた。
「これ、僕に?」
僕が尋ねると、彼女は頭の動きだけで肯定の意を示す。
「な、何でまた……?」
今日って何かの日だっけ。
幼馴染に無言でクッキーを渡す日――果たして、そんな風習がこの日本に存在していただろうか。シュールなイベントだこと。
「……調理実習で作りすぎちゃって、一人じゃ食べきれないから」
僕の疑問に対し、旋風はまるで何かを暗唱するように、滑らかに答える。
「え……」
ちょっと待て。
何だか、最近どこかで聞いたことのあるようなフレーズだな……。
あれは何だったっけ。
「調理実習で作りすぎちゃって、一人じゃ食べきれないから!」
もう一度、今度は怒ったように彼女は言う。
「調理実習って……。いや、こんな時期にか?」
僕は現役の学生ではないのだから、その実情なんてものは知る由もないけれど。
もう三月に入り、そろそろ一年の総まとめという時期に、製菓学校というわけでもなし、一介の進学校がそんな呑気なカリキュラムを組むものなのだろうか。
そして頭の片隅に引っ掛かっている、この違和感は何だ?
「調理実習で作りすぎちゃって、一人じゃ食べきれないから!!」
物凄い気迫に押され、突き出されるままにその袋を受け取る。
「いや、だから……」
数日前にケンカして、それから一切連絡も取っていなかった幼馴染がクッキーを持ってやってくる。僕は一体、何のフラグを立ててしまったのだろう。
「ぜ、全然ダメじゃない。……リッカちゃんのバカ」
ボソボソと小さな声で言う旋風。
「……何だって?」
聞こえなかったわけじゃない。
しっかり聞こえていたからこそ、僕は聞き返す。
今、何だかすごく耳に馴染む名前が飛び出したような気がするのは、気のせいであってほしい。
今、僕の脳内で歯車が噛み合いそうになっているのは、勘違いであってほしい。
「……何でもないよ」
僕の欲しい答えは貰えなかったけれど、とても聞き間違いだとは思えなかった。
つまり、こいつは――。
「あー、まあ、何だ」
とにかく。
ええと、僕はこの場合どうすればいいんだっけ……。
「この間は悪かったな」
そう、確か……。
お菓子を受けとった相手の方から――僕の方から謝ってくれる。
確か、そんなことをナギに言ってやったはずだ。
リッカがナギに、そんなことを言ったはずだ。
「お前は僕のことを心配してくれてたっていうのに……すまなかった」
「往人……」
「すぐには答えが出ないと思う。でも、僕もこれからのこと前向きに考えるから……。だから、仲直りをしよう」
よくもまあ次から次へと出任せを言えたものだと我ながら感心するほどだが……。まあ、一〇〇パーセント噓だということもないか、うん。
「……うん。わたしの方こそ、ごめん。往人の気持ち、全然考えてなかった」
何だか妙な結末になったけれど、この件はこれでどうにか丸く収まったのかな。
「やっぱり僕は、お前がいないとダメだな」
このところ、旋風と会う機会は激減した。
でもこうして会って話していると安心する。僕の下らない冗談に付き合ってくれるのも、世界広しといえども彼女くらいなものだ。
ここ数日間の彼女との断絶状態は結構辛かった。昔と違って旋風は僕の近くにいないし、このまま自然消滅的に僕たちの関係は薄れていくのかな……。などということとずっと考えていたのだ。
「な、何言ってんの!」
僕の言葉に、なぜだか旋風は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「おい、どうした? 体調でも悪いのか? 最近寒いからな」
「な、何でもない! それじゃ往人、また今度!」
早口で捲し立てると、逃げるように部屋を飛び出していった。
「階段でこけるなよー」
ふと心配になってそんな彼女に声を掛ける。
その直後、木製の硬いものにタンパク質の塊が衝突する音が何度か響いてきた。
ほら、言わんこっちゃない。
「だ、大丈夫だから!」
心配して様子を見に行こうとすると、階下からそんな叫び声が聞こえた。
そのまま彼女は、玄関の扉を乱暴に開けて、雪が何層にも積もり固まった路上へと飛び出していった。……本当に大丈夫かな。
僕は部屋の窓から、彼女が角を曲がって見えなくなるまで見守ることにした。
「……ふう」
無事に彼女が角を曲がっていくのを見送って、僕は自室で大きく息を吐き出した。
「何というか……。世の中って案外狭いなあ」
あの時、旋風の口から飛び出した、『リッカちゃん』という名前。
今日の彼女の言動から考えても、やはりそういうことになるのだろう。
旋風はナギであり。
ナギは旋風である。
彼女は僕こそがその『リッカちゃん』だとは思いもしないだろうけれど……。
まさか、彼女が『Divine Destiny Online』のプレイヤーだとは思わなかった。
どうやら以前、僕は彼女にあのゲームのことを話したことがあったようだから、僕の影響でその頃に始めたのだろうか。
その話をしたのは中学の頃だと言っていたし、プレイ歴二年ほどだというナギの発言とも整合性が取れる――のだろうか。
これから、彼女とどう接したらいいのだろうか。
旋風と――とそしてナギと。
そういえば、ナギはケンカした相手に対して、何やら思わせ振りな態度だったけれど……まあ、中の人が旋風だと判明した以上、それはないだろう。何といっても僕たちは兄妹(この場合は姉弟だろうか?)同然に育ったのだ。今更、そんな感情など生まれようもない。
「お兄ちゃん、仲直りできてよかったね」
ふと、妙に低いところから妹の声がした。
声はすれども姿は見えず。
部屋の中をきょろきょろと見渡していると、ベッドの下の空間からにょきっと紗奈の上半身が生えてきた。根性大根みたいな妹である。
「お前、今度はそんなところに……」
ちなみに、僕の秘蔵のコレクションはそんなベタなところには隠されていない。残念だったな妹よ。
「いや、ここか暖房の通気口か迷ったんだけどね」
「それはもう人間技じゃねえ」
「暖房の通気口に入ったら、家全体の換気系統おかしくなるかなーって思って」
「まずその狭いところに入れるかどうかを心配しろよ」
僕の妹は一体、何を目指しているのだろう。
「何かお姉ちゃん、物凄い勢いで飛び出して行ったけど」
「あ、ああ。そうだな」
「どうやらお兄ちゃんは、その意味が分かってないっていう顔ですな」
「……そうですな」
茶化すような妹の言い回しに、同じく茶化すように返す。
紗奈は、はああと大きな溜息を一つついて、続けた。
「全くもう。わたしのお姉ちゃんを苦労させてくれるんだから」
「実の兄の存在を蔑ろにするな」
「まあ、お兄ちゃんに分かれっていう方が無理だよね」
「何だよ」
「何でもないよ」
紗奈はそれで満足したのか、楽しそうに部屋を出ていった。
「うーむ」
女の子というのは分からないなあ。
いくらゲームで健気な女の子を演じていても、やはり分からない。
……そりゃそうか。
「しかし、これ……」
僕は右手の袋を持ち上げてまじまじと見つめる。
まさか本当に調理実習があったわけではないだろうから、きっと家で焼いたのだろう。
可愛らしいリボンを解き、袋を開ける。
色とりどりのクッキー。
赤いのはまあ何となく想像がつくけれど……この青いのとか緑のやつは一体何の食材でできているのだろう。こんな毒々しい色彩を帯びた果物が、果たしてこの地球上に存在していただろうか。
すると、クッキーの中に埋もれて、一枚の紙が入っていることに気が付いた。
袋の中に指を突っ込んで、その紙を摘み出す。
そこには一言、『ごめんね』の文字。
「なかなかどうして、可愛らしいところもあるじゃないか」
ふふ、と表情筋を緩めながら、赤いデコレーションが施されたクッキーを一枚摘み上げる。
そのまま口へと運び、もぐもぐと咀嚼する。口の中でほどよい甘味とフルーティーな香りが絶妙なハーモニーを――。
「味、しねえ……」
ゲームの中とは打って変わって、料理のあまり得意でない幼馴染だった。
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