3
「ん……。あれ、寝てたか」
ある日の夕方のこと。
オレンジ色の西日に照らされて、僕は目を覚ました。
何となくベッドに転がり、考え事をしていたらどうやら眠ってしまっていたらしい。
まあ、僕には時間などいくらでもあるわけだから、だからどうだということもないのだけれど。
「ああ、そうだ。今日は――」
確か、楽しみにしているマンガの発売日だった。
僕は先週月曜日のような悲劇を繰り返さないよう、一度インターネットで検索してその事実を確認すると、コートを羽織り、今週二度目となる外界へと足を踏み出した。
書店へと至る道。
ぱらぱらと雪が降っている。
ちょうど今は下校時間らしく、そこら中に制服を着た少年少女たちの姿があった。
果たして僕があんな風に、制服を着てどこかへ行き、また帰ってくるという生活をしていたのはいつ頃のことだっただろうか。
中学校の三年間――あるいは、高校に通っていたほんの三ヶ月ちょっとの間。
冷静に考えれば、その生活が終わりを告げてから――いや、その生活に見切りをつけてから、せいぜい半年ほどしか経過していない。
たったの半年。
されど半年。
半年。六ヶ月。一八〇日。
その時間は、人間一人を腐らせるには十分過ぎるほどで。
去年の夏頃までは、僕もあの中に混じっていた――はずなのだが、その頃のことはもうほとんど思い出せない。それなりに楽しんでいた中学校時代はともかくとして、僕が過ごした僅かばかりの高校生活というのは、そのくらい無色透明で無味無臭のものだった。
今の僕は、どちらかと言うとローブを身に纏って魔法でも唱えている時間の方が長いくらいだ。そしてそちらの生活は、僕に常に刺激を与え続けてくれる。
「はあ……」
僕は何をしているのだろう。
思わず喉の奥から吐き出された溜息は、氷点下の外気によって急速に冷却され、白い霧となって、やがて拡散して消え失せる。
別にこうなったことを後悔しているわけではないのだが、こうして自分とあまり年の変わらない、前途のある若者たちを見ていると、僕としても思うところがないでもない。
諦めているのか、それとも不干渉を決め込んでいるのか、両親も特に口を挟んできたりはしないけれど……。
「ああ、暗い暗い」
余計なことを考え始めた自分の脳に鞭を打つ。
家でPCに向かっている時はいいのだが、いざ快適な自室から外に出てしまうと脳ががら空きになり、こんな余計なことに思考を割いてしまう。
さっさと用事を済ませて帰るとしよう。
そして、行きつけの書店へと辿り着く。
今日は平日だが、既に放課後なので、店内は賑やかだ。
雑誌の立ち読みなんかをしている人たちの間を縫うように移動して、店内最奥のマンガコーナーへと向かう。
「……私がどこにいようが、私の勝手でしょう」
その途中で、目的地たるマンガコーナーの辺りからそんな声が聞こえた。
聞き覚えのある声。
しかしその声は、僕の記憶にあるそれと比べて棘――というよりは刃のようなものが多分に含まれていた。
「あ、あたしは、ただ……」
別の声。
そちらは、怒気を含んだ物言いに、ただただ圧倒されているという風だ。
「私が何をしているのか、ですって? あなたたちは本屋に来るのに、本を買いに来る以外の目的があるというの?」
おいおい、何だかただごとじゃあなさそうだぞ。
しかも、どうやら片方は一応、曲がりなりにも僕の知り合いっぽいし、無視するわけにもいかないじゃないか。
「それは……」
「さすが、現役の高校生様はおっしゃることが違うわよね。この不肖、家事手伝いの私にも分かるように説明してもらえるかしら」
「その……」
「何? 黙ってないで何とか――」
「おい」
音源へと辿り着き、声を荒げるその背中に語り掛ける。
「何よ。部外者は口を挟まないでもらえるかしら――ああ、
僕の存在に気が付いて、
「何か用?」
「いや、用っていうか……。何だか穏やかじゃなさそうだったからさ」
「別に、何でもないわよ」
ばつが悪そうに顔を伏せる。
見れば、彼女の奥には三人の女子の姿があった。三人が三人とも
その三人はと言えば、青ざめた表情のまま固まってしまっている。特に、中央の女子――三人の中で一番幼い顔立ちの少女だ――は、葉漆の敵意に満ちた視線を直に浴びて今にも泣き出しそうに顔を歪めている。
一体何があったのか――それはよく分からないけれど、このまま放っておくわけにもいくまい。ここは公共の場なので、他のお客さんや店員さんたちにも迷惑が掛かってしまう。
「あー、君たち。何かこいつ、機嫌悪いみたいだからさ。申し訳ないんだけどお引き取り願えるかな」
とりあえずこの場の収集をつけようと、渦中の三人に声を掛ける。
すぐそばに立っている葉漆が何やら今度は僕をぎろりと睨み付けているようだったけれど、努めて無視を決め込む。何らかのステータスが下がるかもしれない。
「う、うん……」
三人は素直に僕に従ってくれる。
そのまま「何あれ」などと口々に愚痴りながら、店を出ていった。
さて、残るは――。
「新戸往人」
「……よう」
遅ればせながら挨拶。
手振りなんかも交えたりして、できる限りフレンドリーな所作を心掛けたつもりだ。
「随分とまあ、余計なことをしてくれたわね」
「いやまあ……一応知らない顔じゃないし、放っておくわけにもいかないかなあって」
「……何にせよ、助かったわ。一応礼を言っておいてあげる」
そう言った彼女の表情は、未だ不機嫌そうだった。
それでも、一応あの状況がいささかまずいものであるという自覚はあったようだ。
「あのままだったら私、何をしでかしたものか分かったものではなかったわ」
「あ、ああ。そんな気迫だったな」
先ほどまでの光景を思い出してみる。
あの場に渦巻いていたのは嫌悪――いや、憎悪か。
こいつのことはまだそんなに沢山知っているわけではないけれど、あそこまでのものを抱えていただなんて思いもしなかった。僕と話している時は結構楽しそうにしていたと思ったのだが。
「まあ、これで連中も懲りて、二度と私に話しかけたりしなくなるでしょう」
「連中って……」
あまり女子の口から発せられる言葉ではなかった。
それほどまでに、彼女があの娘たちを嫌う理由があるのだろう――憎む理由があるのだろう。
それはあの娘らがあの制服を着ていたことと、何か関係があるのだろうか。
「なあ、さっきの奴らって……」
「……」
僕の追及に、彼女はただ、顔をより一層顰めるだけだ。
「いや、立ち入ったこと、訊いたな。悪かった」
彼女のその表情を見て、僕は態度を改めた。
きっと、彼女にとって、軽々しく触れてほしくない話題なのだろう。
ニートだろうが何だろうが、人間としてその辺の機微には敏感でないとやっていられない。
「あんた、今時間ある?」
ややあって、返ってきたのはそんな言葉。
こんな状況でなければ、心も踊ったかもしれない。僕に対するあれこれの毒舌のせいで忘れがちになってはいるけれど、少なくとも見た目だけの話をするならば、文句の付けどころがないほどの美少女なのだ。
「まあ、ニートだからな」
「……そうだったわね」
ここまで来てようやく、少しだけだけれど、彼女の瞳に光が戻った。
「ちょっと、私の憂さ晴らしに付き合いなさい」
歩き出した彼女に、意義を唱えるでもなくただついていく。
乗りかかった船だ。
最後までとことん付き合ってやろう。
結局、僕は目当ての単行本を手にすることができないままに、注目を集めつつあった店内から逃げるように外へと移動した。
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