2
その日の夜。
いつものように『Divine Destiny Online』にログイン。至福の時間である。
レーゲンはまだいない。彼女がやってくるまでは一人でできることをしていよう。
職人としての腕でも磨こうと、倉庫から職人道具やら素材やらを取り出す。
糸や布、それに針。どれを取ってもライトプレイヤーにはなかなか手の届かない高級品ばかりだ。これらを高レベルの裁縫スキルで扱うことによって、高難度ダンジョンでも通用する強力な装備を生み出すことができる。僕が普段、レーゲンと二人でフリズスキャールヴに挑む時に身に纏っているあのローブも、何を隠そうこうして自分で編み上げたものだ。
リアルの僕の操作を受けて、バーチャルの僕は針を手に布を縫い始める。
やがて、難なく一着のローブが完成した。
とはいえ、これは既に自分で所持している。あくまで技術向上のための習作に過ぎない。
在庫の分だけ適当に作って、後でバザーに出品しておくことにしよう。冒険者としての生活は、何かと入用である。自身の経済状況について何らかの策を講じねば、財布の中身はあっという間にすっからかんだ。
いくつかローブを完成させた時、PCのスピーカーからピロリンという小気味よい音が響いてきた。
誰かから一対一メッセージが届いたことを知らせるアラームだ。
『こんばんは。リッカちゃん』
レーゲンかと思ったが、どうやら違ったらしい。
『あ、こんばんは。ナギ』
姿は見えないが、それは僕と同じエルフ族の少女だった。
Nagi――彼女もやはり、正確なアルファベット表記ではなくてカタカナでそう呼ばれている。僕やレーゲンが所属するギルドのメンバーだ。
『もうテストは終わったの?』
僕は問う。
リアルでは高校生だという彼女はここしばらく、試験勉強を理由にあまりログインしていなかった。いつでもいるのは、僕とレーゲンくらいだ。
『え? あ、実はまだなんだけどね。あはは、ちょっと息抜きに』
『そうなんだ。でも、会えて嬉しいよ』
『リッカちゃんはテストとかないの?』
『あー』
突如投げかけられた疑問に、どう答えたものか手が止まる。
『うちの学校は先週もう終わったよ』
口から出任せ――いや、この場合は手からだろうか――もいいところだ。
『へー、早いね。いいなあ。わたしも早く解放されたいよ』
『あはは』
僕は彼女に、同年代だということは伝えてあったけれど、流石にニートをやっているということまでは伝えていない。同年代という情報から、彼女は勝手に僕も高校生だと判断しているようだ。まあ、それが普通か。
『そういえば、レーゲンちゃんとやってたあれ、どうなったの?』
ナギが問う。
あれ――つまり、僕たちが二人きりでフリズスキャールヴに挑んでいることだろう。
『うーん。まだクリアできてないんだ』
『そっか』
『実はこないだボスまで辿り着いたんだけどね。やっぱり二人だけじゃ厳しいっていうか、回復が追い付かなくて』
それはこのところ、僕がずっと考えていることである。まだ、その答えは出ていない。
『いや、それでもすごいよ。私なんか、まだあそこ行ったことすらないもん』
『そうなんだ』
『ほら、あそこって初心者お断りみたいなところあるじゃない?』
『まあ、ないとは言えないね』
『私はヴァルハラ装備とか持ってないし、参加しにくいかなあって』
ヴァルハラ装備――というのは、現時点で最高峰の性能を誇る一連の武器のことだ。レーゲンのような
このヴァルハラ装備を入手するためには、件のフリズスキャールヴに足繁く通い、シルヴという金属片のようなものを大量に収集する必要がある。
ちなみにこのシルヴ、実装当初はヴァルハラ装備を完成させるために必要な数が約一〇万にも及び、方々から非難が飛んだ曰くつきだ。
僕たちみたいなネトゲ廃人が毎日こつこつ集めたとしても、完成するのは曾孫の代になるという計算で、まるで終身刑だと揶揄されていた。
それがある時のアップデートにより必要個数が大きく削減され、またシルヴ自体の産出量が増大したことにより、僕やレーゲンのように実際に完成させるプレイヤーが現れた。
状況が変わり、それなりの数のプレイヤーがヴァルハラ装備を手にした今では、インターネット上の一部の掲示板などで「ヴァルハラ装備を持ってない奴はフリズスキャールヴに来るな」などという荒唐無稽な論が跋扈している。
そもそもヴァルハラ装備を完成させるためにはフリズスキャールヴに挑戦しなければならないわけで、その論を支持しているプレイヤーだってヴァルハラ装備を手にする以前は他の武器を手にこのダンジョンに挑んでいたはずなのだが……。
ともかく、ごく一部の身勝手なプレイヤーのせいで、波に乗り遅れた、あるいはナギのようなライトプレイヤーが参加を躊躇うような風潮が生まれてしまっている。ゲームなんだからもっと気楽に構えればいいのに。
『でも、
最前線に立って敵の攻撃を受け続ける
この場合必要なのは正確無比かつ臨機応変な立ち回りで、つまり要求されるのは装備ではなくてむしろプレイヤーの腕の方だ。これまでの働きぶりから判断するに、ナギにはあの場所で十分にやっていけるだけの素質があると思う。
『それでも怖い、かな』
『あはは』
まあ、それでもやはり世の中には心の狭い人というものはいるもので、僕もこれまでに幾度となくそういう人間を見てきた。だからナギの気持ちは良く理解できる。準備が不十分ということで叩かれる立場にあるならば尚更だ。
『なら、ギルドのみんなで行けばいいよ。内輪で行けば誰も意地悪なことは言わないよ』
一部の心無い人間のせいで、同じく冒険者である彼女のようなプレイヤーがゲームを存分に楽しめないのはあまりにひどい話だと思ったので、そんな案を提示してみる。
『あ、それいいかも』
『でしょ』
『じゃあ、テストが終わったら連れてってくれる?』
『うん。じゃあ約束ね』
せめて僕だけでも――僕たちだけでも、後続に優しい冒険者でありたい。他のメンバーに確認を取ったわけではないけれど、多分みんな喜んで参加してくれるはずだ。レーゲンだってそうだ。
『まだ時間ある?』
とりあえず約束を一つ取り付けたところで、僕はナギに尋ねる。
『え? まあ、明日も学校あるからあんまり遅くなるわけにはいかないけど』
『そっか。じゃあもうちょっとしたらたぶんレーゲンも来ると思うから、三人でどこか行こうよ。どこか行きたいところはある?』
『あ、それなら』
彼女は嬉しそうに(いや、本人の――中の人の様子なんか分からないからこれは僕の創造でしかないけれど)自身の要望を告げてくれる。
『ヒーリングロッド、取りに行きたい』
何でも、こつこつと準備してきたのだが、その最終段階におけるボス戦がどうしても一人で突破できるものではなくて止まっていたらしい。
ヒーリングロッドというその名称が示す通り、これを装備していると回復魔法の効果が大きく上昇する。ヴァルハラ装備であるユグドラシルの枝には及ばないにしろ、かなり高水準のレアアイテムと言える。
彼女も彼女なりに、自分のできることを考えていたのだろう。
『じゃあ、それ行こう』
それから間もなくして、レーゲンがログインしてきた。
彼女にこの話をしたところ、二つ返事で快諾を得た。
たった二人で最高難度ダンジョンの最終フロアまで辿り着くことのできる僕たち二人に、回復専門のナギが合わさればまさに鬼に金棒、どころか鬼にロケットランチャーだ。
そんな三人パーティであっさりとボスを撃破。
その後も、できるだけナギの装備を整えるべく、日付が変わる直前くらいまで楽しく過ごした。
……ナギがテストを直前に控えた学生だということを、僕も恐らくレーゲンも忘れていたけれど、まあ当の本人が楽しそうにしていたのだから良しとしよう。
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