第二章 元高校生と元高校生の物語

1

 ニートとしての生活。

 それはそれなりに充実したもので、気が付けばまた一週間が経過していたようだ。

 あれから何度も挑み続けているが、結局前人未到の二人パーティによる攻略は達成できないままだった。

 新しい週の初め、月曜日の明け方には、僕たちは気分転換と称してまだ手付かずだったクエストの消化に勤しんだ。

 いつものように、やがて朝が訪れて、僕たちは解散。バーチャルから切り離されて、僕は退屈なリアルへと帰還する。

 それから昼頃まで惰眠を貪り、目を覚ましたのはもう少しで午後の一時を回ろうかという頃。

 点けっぱなしのテレビ。

 出演者は、先週あの変な女に出会った時と同じだ。つまり今日は月曜日、例の週刊誌の発売日である。前回と同じ轍を踏まないよう、今回は念入りに調べてある。今日は紛れもない平日で、僕たちのようなニートを除く大多数の人間は何らかの社会的活動に勤しんでいることだろう。

 厚手のコートを身に纏い、一週間振りに外へ出た。


「うう、寒……」

 北国の冬は寒い。

 摂氏二〇度を軽く凌駕する室内からこれだけの防寒装備で出てきたにも関わらず、コートの隙間から冷気が入り込んでくるようだった。内外の温度差はざっと見積もって実に三〇度。ハワイからモスクワに瞬間移動したようなものだ。

 それにしても今日は特に寒い気がする。

 放射冷却、というのだけれど、先週みたいに雪のちらつくような日よりはむしろ、今日みたいによく晴れ渡った日の方が往々にして気温が低いものである。

 こんな真冬でも、女子たちは夏と変わらず素足にミニスカートという軽装備で登下校している。そんな彼女たちには尊敬の意を表明したい。僕がやんどころのない一角の人物だったなら、ありがたい賞の一つでも送って差し上げたいほどだ。

 ……そういえば、ゲーム内では氷河だろうが雪山だろうが、僕のキャラクターは素足を晒したままで旅をしているのだった。なぜってそれは装備の性能を考えると当然の理だし、何よりもその方が可愛いからだ。

 リアルでは服装に無頓着な僕だけれど、ゲームで女の子キャラを使う時だけは、服装に気を使う女子たちの気持ちを少しだけ理解できると思っている。

 やがて目的地の書店へと辿り着く。

 今日は間違いなく平日であるので、店内は閑散としている。目的の漫画雑誌も、大量に平積みしてあった。

「……」

 さっさと用事を済ませて家でごろごろしようと思っていたのだけれど――そこには、どうやら先客がいたようだ。

 その先客は、僕の顔をまじまじと見つめている。

「……よう、よく会うな」

「ええ、よく会うわね」

 不機嫌そうな表情と声色を隠そうともしないその先客こそ、先週出会ったあの胸の小さい変な女だった。ええと、葉漆玲音はしちれいんとか言ったっけ。

 学校に行っていないということだったし、案外僕と似たような生活ペースなのかもしれない。

 僕が彼女の存在を認識していなかっただけで、これまでにも店内で擦れ違ったりしていたのだろうか。

「先週、祝日だったみたいだな」

 全く知らない間柄というわけでもないし、何より件の葉漆がこちらを睨み付けるようにしていて居たたまれなかったので、適当な話題を振ってみる。

「そうみたいね」

 返ってくるのはそんな素っ気ない返事。

「全く、国民の祝日も把握していないだなんて、これだからニートは」

 かと思えば、自分のことを棚どころか神棚に上げてそんなことを言う。

「お前も知らなかったよな!」

「わ、私は知ってたわよ! ただあんたが気付くかどうか試してたのよ!」

「いやそんな、生徒にミスを指摘された小学校の先生みたいに……」

「校庭に野良犬が入ってきた時ってテンション上がるわよね」

「今は別に小学校あるあるを披露する時間じゃないから」

 野良犬でテンションの上がっているこいつというのは全く想像が付かない。この女にもそんな風な可愛らしい子供時代というものがあったのだろうか?

「まあ、僕たちみたいなニートにとっちゃ、祝日も何もないもんなあ」

「さらっと一括りにしないでもらえるかしら」

 一括りも何も、僕たちはニートという最大公約数を持っているのだけれど。

 何かを言おうかとも思ったが、またぞろ言い合いになっても面倒なので余計な口は噤んでおく。沈黙は金だ。沈黙でも金。

「はいはい。家事手伝いさんだっけ?」

「何よその呼び方。悪意を感じるわ」

「そうかい。ええと、葉漆はしち――だっけ?」

「……。どうして、私の名前を? ストーカー?」

 身を守るように、さっと両腕で胸を庇うような仕草を見せる。そんなことしなくたって、最初から全然目立ってませんけどね!

「公共の場でそういう人聞きの悪いことを言うな。……単に友達に聞いたんだ」

「嘘をつきなさい」

「何で嘘だって言い切れるんだよ」

「あんたなんかに友達がいるわけないでしょう」

「そっちかよ! いるよ、友達くらい!」

 多い方とは言わないけれど、人並みには交友関係を持っていると思う。ゲームの世界も加味すれば、それはかなりの数になる。

「言っておくけど、この場合非実在青少年は含まないのよ?」

「分かってるわ。ちゃんと三次元の人間だよ。主にタンパク質で構成された人間だよ」

「カルシウムは含んでないのね? 軟体動物なのかしら」

「揚げ足を取るな。れっきとした人間だよ。ホモサピエンスだよ」

「ふうん。まあ、そういうことにしといてあげるわ」

 どうも納得しかねるといったような物言いだったけれど、この件はこれで落ち着いたみたいだ。

「それで、あんたは?」

「あん?」

「名前。あんただけが私の名前を一方的に知ってるだなんて、末代までの恥だわ」

 ものすごい言われようだが――まあ確かに僕だけが知っているというのはいささかアンフェアだ。

「……新戸往人にいどゆきと

 どうしようか迷ったけれど、やはり名乗るしかあるまい。ややあってから、僕は彼女に自身の名を告げた。

「ニート?」

新戸にいどだ。聞き間違えるな。言い間違えるな」

 くそう、だから名乗りたくなかったんだ。

 この国でニートという言葉が取り沙汰されるようになってからこっち、幾度となくそう渾名されてきたものだ。しかし親密さの欠片も感じないこの女にそう呼ばれると、喧嘩を売られているようにしか聞こえない。

「あら、NEATの方のニートよ」

「何じゃそりゃ?」

「『きちんとした』っていう意味の英単語よ」

「な、何い……」

 流石は元進学校といったところか。

 今手元に辞書がないから、本当にその英単語が存在するのかどうかは確かめようがないけれど。

「ご両親に感謝なさい。立派な名前じゃない」

「名字だよ! ご先祖様に感謝しとくよ!」

 全く、失礼な女だ。

 しかしなぜだろう、こいつと会話することにどこか楽しみを見出している自分がいる。

 向こうにしても、不機嫌そうな表情は変わらないけれど、口元には笑みのようなものが浮かんでいる。

 ほとんど知らない人間とこんな風に愉快なやりとりを交わすことができるほど、僕の対人スキルというものは高くない。

「さて、それじゃあそろそろ帰るとするかしら」

 ひとしきり毒を吐き終えたのか、葉漆は満足そうに言う。

「それじゃあね。縁があったらまた会いましょう、新戸往人」

「……ああ」

 そして彼女はその場を後にした。

 レジで鉢合わせにならないよう、適当に時間を潰してから目的の週刊誌を手に取るのだった。

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