5

「どれにしようかな……」

 それから数時間後。

 たっぷり睡眠を取り、夕食や入浴も済ませた僕は準備ばっちりといった状態で愛用のミドルタワーPCに向かい合っていた。

 現在、画面に表示されているのは我が分身、リッカただ一人。僕は――というか彼女は、整頓された室内に一人で佇んでいる。

 ここは世界を股に掛ける冒険者たち――つまりプレイヤー一人一人に割り当てられるマンションのような施設だ。持ちきれなくなった物品をしまっておくための倉庫だとか、他のプレイヤーからの手紙や贈り物などを受け取るポストなど、冒険の役に立つ様々な機能がここに集約されている。

 フレンドリストを見ると、まだレーゲンはログインしていなかった。彼女が現れるのは、いつももう少し遅い時間だ。それまではまだ時間がある。

 この日も、レーゲンと二人だけでフリズスキャールヴに挑むことになっていた。

今は彼女がやってくるまでの間、前日の反省点を踏まえて、装備や持ち物などを吟味していたのである。

 一から考え直そうととりあえず装備を全て外し、鞄や倉庫の中身を一つ一つ丁寧に確認していく。何も装備をしていない状態なので、流石に全裸とはいかないまでも、お子様には少々刺激の強い一大スペクタクルが目の前で展開されている。

 いつも身に纏っている生地が多めのローブを脱ぎ捨てたことで、艶めかしいその肢体が露わになる。派手な主張はしないけれど、それでも出るところは出ていて、否が応にも女を感じずにはいられない。

「……何をやってるんだ、僕は」

 思わずPCの画面に向かって呟く。

 気が付けば、装備を吟味する手は止まり、自分のキャラクターに見蕩れてしまっていた。

 ゲームの進歩は凄まじい。

 つい十数年前までは大きくてもせいぜい三二ドット×三二ドット程度のデフォルメされたキャラクターを操作して喜んでいた人類は、今や数万ポリゴンという途方もない高品質のグラフィックを獲得するに至った。まあ、僕らの世代では、2Dが主流だった時代のことはあまり良く知らないけれど。

 とにかく、グラフィック技術の進歩に伴い、キャラクターメイキングも多様化、そして複雑化した。特にこのゲームでは身長、目の色・形・大きさ、髪型・髪色、耳の形……果ては胸のサイズなど、設定可能な項目は多岐に亘る。

 結果として、異性のキャラクターを作ろうものなら、当人の好みがほぼそのまま、具体化されるというわけだ。それは僕の場合も例外ではなかった。

 だから時々こうして、自分のキャラクターに見蕩れるという、ナルシシズムとは似て非なる奇妙な現象が発生する。

「うーむ……」

 冷静になって考えてみれば、我ながら非常に気持ちが悪い。

 まだしも、お気に入りのアニメのヒロインに対して『俺の嫁』とか言っている方がいくらか健全ではないだろうか。

 と、その時、画面の隅に異変を感じた。

 一人きりだと思っていたこの場所に、誰かが立っている。

 その誰かは、全身に煌びやかな鎧を纏っていた。

『レーゲン!?』

 すぐさまキーボードに手を置き、怒涛の速度でキーを打ち込む。その模様は、是非とも別置のスーパースローカメラでご覧いただきたい。

 少し考え事に耽っていたせいで、彼女が来ていたことに気が付かなかった。

 この個室は、主が指定したプレイヤーは自由に入ることができる。唯一無二の相棒であるレーゲンには当然、その権限を与えていたわけだけれど……。いつも彼女が現れるのはもう少し遅くだから、ロックを掛けていなかった。

『あ、ごめんなさい。着替え中だったのね』

『う、うん』

 今現在、彼女のPC画面には下着姿のエルフ女性の姿がばっちりと映っているはずだ。モニターの前に座る中の人はこの僕の姿を見て何を思うのだろう。僕がそうであるように、中の人まで女の子だとは限らない。

『声、掛けるべきだったかしら』

『いや。ちょっと、考え事してたから』

 僕は大慌てでエルフ族の民族衣装を探し出して装備した。

 これで一応、人前に出られる格好にはなった。

『あはは。ゲームの中とはいえ、何となく恥ずかしいんだよね』

 これはオンラインゲームをやったことがない人には伝わりにくい感覚かもしれない。例えば僕なんかは、いくらゲームの中とはいえ不特定多数の人間がいる場所で服を脱ぐことに躊躇いを覚えるのだ。

『まあ、分からなくもないわね』

『これはゲームのキャラクターなんだけど、何ていうか、もう一人の私なんだよね』

 念のため言っておくと、この気色悪い喋り方をしているのは僕だ。一度生まれてしまった誤解は解けぬまま、後に引けない状況が続いている。完全にドツボに嵌ってしまった。

『もう一人の自分、か』

 僕の言葉を受けて、レーゲンが呟く。

 いやまあ、あくまで文字でしかないから本当に呟くような言葉だったのかは分からないけれど……とにかく、そういう印象を受けたということだ。

『どうかしたの?』

 そう打ち込み、続けて入力したコマンドで首を傾げてみせる。冒険とはあまり関係のないことだが、こうした細かなアクションの使い方も腕の見せ所だ。

『いや、その通りだと思ってね。ここで今リッカと話してる私、リアルの私。どっちも私なのよね』

『そうだね』

 今、仮想世界でレーゲンと話している僕。

 そして、現実世界でニートに身を窶している僕。

 どちらも、紛うことなくこの僕だ。

 彼女は僕の正体を知ったら、幻滅するだろうか。

 まあ、リアルに関して深く追及しないというのがオンラインゲームに限らず、ネット上での暗黙のルールだ。だから僕もレーゲンもお互いのリアルに関してはほとんど話さない。知っていることといえば、同年代くらいであるということくらいだ。

『どうしたの?』

 しばらくレーゲンが黙り込んでいたので、そう尋ねた。

『ああ、いえ、別に何でもないわ。それよりこれからのことを考えましょう』

『そうだね』

『まずは装備についてかしらね』

 そして二人頭を突き合わせての会議が始まった。

 ああでもないこうでもないと、積極的に意見を交わす。

『やっぱり、僧侶プリーストが欲しいよねえ』

 僧侶プリーストとは、主にパーティの回復を担当する職業だ。

 攻撃役アタッカーの僕に、守備役タンクのレーゲン。そこに回復役ヒーラーが加われば、安定した戦いができるだろう。

『そうね』

 僕が導き出したその結論に、レーゲンは同意してくれた。

『どうしようか。誰か誘う?』

 そうなれば二人ではなくて三人での攻略となってしまうけれど……。まあ、三人での攻略となったとしても、それは前人未到の偉業だ。

 この解決策にあたっての問題点といえば――。

『とは言っても、誰を誘うの? ギルドのメンバーを当たろうにも、僧侶プリーストなんかそんなにいないわ』

『そうだよね。あの娘も最近はテストがあるとかで忙しいみたいだし』

 僕たちのギルドに所属するメンバーの中で、唯一僧侶プリーストができるプレイヤーを思い浮かべながらそう打ち込む。

『まあ、そうでないにしても、私たちみたいなプレイスタイルを強いるわけにもいかないしね。やっぱりここは二人で行くしかないわ』

『うーん』

 彼女の言う通りだ。

 僕は学校や仕事といったしがらみを持たないから、終了時間が何時になろうと別に構わない。しかし、ちゃんとした社会生活を営んでいる人間を巻き込むのは気が引ける。

 そういえばいつも僕に付き合ってくれるレーゲンは、学校に通っていないのだろうか。

『じゃあわたしが僧侶プリーストになろうか?』

 このゲームでは自由に転職することができる。ただしその場合は元の職業のスキルは一部しか使えないし、レベルは職業ごとに独立しているから別途レベル上げが必要になる。まあ、僕はほとんどの職業を最大まで上げているから、後者に関してはあまり問題にならないけれど。

『それだと敵の体力を削り切れないわ。やっぱり魔導士ウィザードがいないとね』

『やっぱりそうかな』

 レーゲンが前衛で敵を食い止め、僕が後方から強力な攻撃魔法を放つ。やはりこれがベストの形ではあるのだろう。

『それに、装備だって』

『あんまり僧侶プリーストのは持ってないね』

 レベルを上げてあるから僧侶をやることはできるけれど、あくまで僕の専門は魔導士ウィザード僧侶プリースト用の装備など、他プレイヤーのバザーで購入した、必要最低限のものしか持っていない。とりわけたった二人で挑むこの攻略において、装備の質は大きなファクターとなる。

『わたしがもっと回復を頑張るしかないかな』

 スキルの一部は他の職業でも行使することができる。とはいえ、その性能は本職に大きく劣るから、あくまで補助的な役割を果たすのみだ。しかも僕は攻撃魔法を詠唱する傍ら、彼女の体力にも気を配らなければいけない。とても片手間にできることではなかった。

『できる?』

『できるよ』

 それでも僕は即答した。

 何よりも自信があったからだ。

 今の僕にとっては、この『Divine Destiny Online』が全てだ。こちらの世界での自信を喪失した時、僕はきっと生きる意味を失うだろう。

 一般のプレイヤーには不可能なことも、僕ならばきっとできる。できるはずだ。やり遂げてみせる。

『それなら、今日はそれで行ってみましょう』

『うん』

 実際にフリズスキャールヴに突入するのは、サーバーが空いてくる深夜ということにして、僕たちは一旦解散した。サーバーが混んでいると、空きができるまで待たされることが考えられるからだ。

 レーゲンが去った後の自室で、僕は中途半端になっていた装備の吟味作業に戻るのだった。


 それから数時間後。

 神の高座フリズスキャールヴの第二〇層には、ドラゴンの炎に焼かれた人間族の騎士ナイトとエルフ族の魔導士ウィザードが仲良く倒れ込んでいた。

 やっぱりできませんでした。

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