2

 Not in

 Education,

 Employment or

 Training

 NEET。

 ――ニート。

 世間一般でいうところのニートである僕は、他の人間が社会の歯車として汗水垂らして一生懸命働いている間――あるいは、その歯車として社会に組み込まれるべく勉学に励んでいる間、こうして惰眠を貪ることができる。

 まあ、ニートの特権である。特権と言えるほどに、誇れたものではないけれど……。

 どうしてこうなってしまったのか――それに対する明確な回答を、僕は持ち合わせていない。

 ともかく、二度寝三度寝を繰り返し、ようやく脳が覚醒し始めた頃には既に正午を回っていた。

「さて、と。ああ、今日は月曜日か」

 点けっぱなしになっていたテレビ。お昼の番組の顔ぶれを見て曜日を判断する。

 一週間が経つのは早いものだ。それはこんな怠惰な日常を送っていたとしても何ら変わることがない。

「出かけるか……」

 今日はいつも読んでいる週刊漫画雑誌の発売日だ。それに、ゲームをやっている時につまんだスナック菓子以来何も食べていなかったから、いい加減お腹が空いてきた。

 僕は壁に掛けてある冬用のコートを羽織り、雪のちらつく外へと飛び出した。


「ああ、寒い……」

 今は二月。真昼間とはいえ、やはり北国の冬は寒い。

 家の中は年がら年中摂氏二〇度を超えているけれど、一歩外界へと踏み出せばそこは氷点下の世界だ。少しがんばればバナナで釘が打てるかもしれない。

 目的地である書店までは徒歩で一五分程度。

 道中これといって面白いことがあるはずもなく、ほどなくして僕は書店へと辿り着いた。

 今は平日の昼間。

 本来ならば学校や会社に行っているはずの時間だから、客の姿はまばらである。

 だが、俗世とのしがらみを一切持たない僕にはそんなことなど関係なくて、むしろ騒がしくないこの状況が心地よいくらいだ。だから僕は、できるだけ平日の昼間に来るようにしている。

 ……のだけれど。

「うん?」

 何だか妙に人が多いような……。

 どこかの学校で創立記念日でもあるのだろうか。

 まあいいや。

 さっさと予定を済ませて帰るとしよう。

 勝手知ったる我が家とばかりに、いつもより多く集った他の客たちの間を縫い、目的の週刊誌コーナーへ。

「うーん?」

 様々な雑誌が平積みに置かれている書棚。

 そこに、間違いなく僕が求めているものはあったのだけれど……。

 残り一冊しかないように見えるのは僕の気のせいだろうか。

 まあ、残り一冊だろうが何だろうが、買ってしまえば何の問題もない。

 僕はその最後の一冊を掴もうと手を伸ばし――。

「あん?」

「あら?」

 そこで僕の右手が、何か細長い棒のようなものと交差した。

「ええと……」

 細長い棒を辿っていくと、そこには人間の顔があった。

 同年代くらいの女子。制服は着ていない。今日は平日なので――というかそもそもこの時間にいる時点で学校になど通っているはずもないのだが。

「……」

 明らかに戸惑っている風の彼女。

 若干釣り目がちで、きつそうな印象を受けるけれど、美少女と形容して何ら憚るところはない。その黒くて長い髪はさらさらでつやつやだ。胸のボリュームは――まあ、僕のゲームのキャラクターの方が豊かだと言うに留めておこう。

「あの、ええと……」

 とにかく、この売場に一冊しかない以上、僕と彼女のどちらがこれを手にするのか、話し合いで決着をつけねばなるまい。

「何よ、このニート」

 こちらは歩み寄ろうとしているというのに、この態度である。

 まるで害虫を見るような、見下したような冷たい目線が僕の心に突き刺さる。

 あれー、おかしいなー。僕、この娘と初対面だよね? そんなに毒吐かれるようなことしたかな。

「いや、ニートって……」

「あら、違うの?」

「違わないけどさ……。大体、お前だって似たようなもんだろうが。こんな時間にここに来てるんだから」

 正直、初対面のしかも女子相手に『お前』などというのもどうかと思ったが、こいつはいきなり『ニート』呼ばわりしてくるような失礼極まりない女だ。いちいち気にしていてはこちらの負けだ。

「私はニートではないわ。家事手伝いという立派な肩書きがついてるもの」

 それ、ほぼ同義語じゃないか?

 いや、本当に家事手伝いっていう人もいるのだろうけれど。

「それなら僕だって家事手伝いだ」

「いや、家事手伝いっていう男はどうなのかしら?」

「男女差別だ!」

「あんたの場合は――そうね、自宅警備員ってところかしら」

「ちくしょう、指示内容はほぼ同一なのに、この印象の違いは何なんだ……」

 言葉って不思議だなあ。

「そもそもお前、家事手伝いとか言って、ちゃんと手伝ってるのかよ」

「あら、ちゃんと自分の部屋の掃除は完璧にこなしてるわよ」

「当たり前だ! そんなもん家事のうちに入るか! 主婦の仕事舐めんなよ!」

「あとは……そうね。時々家族の分の晩ご飯を作る――夢を見るわ」

「どうしてそれをそんな勝ち誇ったみたいな表情で言えるんだお前は……」

 五十歩百歩――どころか、五十歩五十二歩くらいじゃないか。この場合、どっちが僕だろう?

「うるさいニートねえ。ああ、自宅警備員だっけ?」

「どっちでもいいけどさ……」

「あんたなんかに警備させるより、その辺のチワワにでも任せた方がよっぽど安心できそうだけどね」

「そんな可愛らしい生き物に危険な仕事させるんじゃねえ」

 全く、ただ週刊誌を買いに来ただけだというのに、何がどうなってこんなことになっているんだ。

 とりあえずこのままでは埒が明かない。

 僕たちがこうやって言い争っている間に第三者が漁夫の利を狙ってやってくるかもしれない。そうなればお笑い草、道化もいいところだ。

「それで、だ。何かこれ、あと一冊しかないみたいなんだけど」

 そんなわけで、それまでの話題を断ち切って軌道修正を図る。

「そうみたいね」

「どうしようか」

「あんたが悩んでるなら、私が貰うけど」

「いやまあ、別に本来ならそれでも別に構わないんだが……。何だろう、お前に渡してしまうのは釈然としない」

「小さい男ねえ」

「大体何だってこれ、あと一冊しか残ってないんだ?」

 さらっとまた毒を吐かれたが、それに関しては無視を決め込んでおく。また言い合いに発展してはキリがない。

「どうしてかしらね。今日、月曜日でいいのよね」

「そのはずだ。さっき家を出る前に観てたテレビで確認済みだ」

 それは間違いない。

 とすれば、平日の昼間だというのに妙に客数が多いことと何か関係があるのだろうか。

「……まあいいや。それ、お前が持ってけよ」

「いいの?」

「いいよ。どうせこの後コンビニ行こうと思ってたから、そっちで買うよ」

 昼食を調達しなければならないのは本当なので、別にそれでも構わなかった。ただ、すんなりとこいつに渡したくなかっただけなのだ。

「そう。そういうことなら」

「ああ」

「これは貸しにしておいてあげるわ」

「はいはい。適当に返してくれよ」

 それだけ言うと、僕はその場を後にした。

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