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それから、マンガコーナーを適当にぶらついた後に店を出た。
「あれ、
とりあえず近くのコンビニに向かおうとしたところで横手からそんな声が聞こえた。
「ん……あれ、旋風?」
そこにいたのは見知った顔。幼馴染の
彼女の家は隣の町内会だから我が家とは少し離れたところだけれど、幼稚園から始まり小学校、中学校と同じところに通っていた。中学卒業で離れ離れになってからは少しばかり疎遠になっていたが、それで僕たちの関係性が完全に切れたわけではない。
その彼女が今ここに、私服姿で立っていた。
どうしてこんなところにいるのだろう?
今は市内でも有数の進学校に通っているはずなのだが……。
「ってことはあれか。お前も家事手伝いなの?」
「え、何の話? そりゃまあ、お母さんのお手伝いくらいはやってるけど」
「どうせお前も、僕のことを自宅警備員とか言うんだろ!」
「え? 自宅警備員?」
「すみませんねえ、チワワより頼りにならなくて!」
「ほんとに何の話!?」
あれれ~、どうにも反応がおかしい。
僕の早とちりだったのだろうか。
「こほん。悪かった。少し思うところがあって、取り乱してしまった」
「う、うん。びっくりしたよ」
「それで、旋風。お前学校はどうしたんだ?」
正気を取り戻した僕は、気になっていたことを尋ねる。
「え、学校?」
しかしその旋風といえば、何を言ってるのこのクソニートはとでも言いたげな――あ、違うなこれは僕の被害妄想だ。あの変な女のせいで心が波立っている。
彼女は、僕が何を言っているのか分からないという風に首を傾げてみせる。
「往人。あのね、今日は祝日だよ」
そして、そんなことを言った。
「祝日? 祝日ってあの祝日?」
「うん、たぶんその祝日」
「全国民が昼過ぎまで寝て、朝食と昼食と三時のおやつをまとめて食べる、あの祝日?」
「いや、みんながみんなそういうわけじゃないと思うけど……たぶんその祝日」
「近所のおじいちゃんが玄関先に国旗を飾る、あの祝日?」
「うちの周りにはそういう家ないけど……たぶんその祝日」
「何てこった……」
僕はズボンが雪で濡れるのも構わず、その場に膝から崩れ落ちた。
つまり、月曜日の今日が祝日だということは、流通の関係から書籍類は前の週の金曜日に発売されていたことになる。
今日平日でも何でもないんじゃないか……。ニートとしての特権がどうとか、全然関係のない話だった。やだ何これちょっと恥ずかしい。穴があったら引き籠りたい。
「オーバーだなあ。何をそんなにショック受けてるのか知らないけど」
「いやその、いろいろあってな……」
「そ、そうなんだ……」
「しかし、祝日か……。何ていうか、久し振りに聞いたなその単語」
ニートとして、年中祝日のような悠々自適な生活をしていたものだから、その概念自体が僕の脳内から消失していた。
「それで、往人はお買い物?」
「ああ、まあな」
立ち上がりながら答える。うう、膝が冷たい。
「何も買ってないみたいだけど」
「いや、それがさ。目的のものが一冊しか残ってなくて、結局変な女に譲っちゃった。僕マジ紳士」
「そうだね。そのアピールがなかったら紳士だったね」
笑顔で鋭い指摘を一つすると、その表情は何やら考え込むような面持ちへと変化した。
「で、変な女って?」
「ああ、あれは変な女だったよ。長い髪で、キツネみたいに鋭い目つきだった。あと、胸は小さかったな」
「デリカシーのない第一印象だなあ」
「あいつも今日が祝日だって知らなかったみたいだし、どうやら学校とか行ってないみたいだったな。家事手伝いだとか言い張ってたけど……。あと、胸は小さかったな」
「分かったよ。それはもう分かったから」
半ば呆れたように溜息をついてみせる。
ちなみに、旋風が奥羽山脈くらいだとすれば、あの変な女はさしずめ関東平野といったところか。
「わたし、その人知ってるかも」
「今ので分かるとか、お前も大概失礼な奴だよな」
「なっ……。いや、あのね、実はさっき道で擦れ違ったんだけど」
言いながら、旋風の表情は少しずつ曇っていく。
快活な彼女にしては珍しい表情だった。
「たぶん……
「はしち?」
「うん。
「元――か」
ということは、あいつも旋風と同じ、あの進学校に通っていたということか。
「夏休み前くらいに辞めちゃったからね」
「ふうん。そっか」
夏休み前――というと、僕が学校を辞めたのとほぼ同時期だ。まあ、だからどうだということもないのだが、何となくシンパシーを感じてしまう。
しばらく、微妙な空気が流れる。
学校の話題を出すにあたり、彼女なりに僕に対して気を遣っているのかもしれない。
「……ごめん。引き止めちゃったね」
やがて、そんな空気を打破しようと旋風が言った。
「いや、いいさ」
久し振りに知り合いに会えて、そして久し振りにリアルで人と会話ができて、僕も少し楽しかった。
「まあ、お互い生きてたらまた会おうぜ」
「何でそんな戦いに生きる戦士みたいな台詞を……」
「僕、家に帰ったら結婚するんだ……」
「家に誰がいるのさ。紗奈ちゃんくらいしかいないでしょう」
僕の下らない冗談に、微かな笑みを湛えながら反応してくれる。
やはり彼女と話すのは楽しい。欲しいところにピンポイントで飛んでくるツッコミというのは気持ちがいいものだ。
「じゃ、僕はそろそろ行くよ」
相手は現役の高校生だ。この時期、試験やら何やらで忙しいことだろう。こんなニートに付き合わせて、無駄な時間を過ごさせてしまうのも忍びない。
「あ……うん。またね」
「ああ、またな」
そして旋風に背を向けて歩き出す。
さて、さっさとコンビニへと向かおう。今日が祝日だという事実はもう動かしようがないのだ。うかうかしていては街中の至るところから目的のものが消え失せてしまう。
「あのね、往人」
と思ったら、背中越しに呼び止められる。
「うん?」
「その、やっぱりわたしも往人と一緒の学校受けてれば、今頃往人は――」
「馬鹿言え」
何かを言いかけた幼馴染の言葉を、先んじて制する。
二人で一緒の学校に行っていれば、僕がこんな風になってしまうことはなかったのではないか――前にも何度か言われたことがある。だが、過ぎてしまったことはもう取り返しが付かないし、それに――。
「僕はなるべくしてこうなったんだ。前にも言ったと思うけど、別にお前と一緒の学校に通ってたからといって、この現状を回避できたとも思えない。こうなったことを後悔しているわけでもない」
「で、でも」
「お前はお前で、自分の行きたいところを選んだんだろ。なのに、僕に合わせて――だなんて馬鹿げてる」
「……そう、かな」
「そうだよ」
僕は幼馴染に背を向けたまま、そう告げる。何となく、今彼女がどんな顔をしているのかが分かるような気がして、複雑な気持ちだった。
「……それでもわたしは、往人と一緒に高校、行きたかったな」
彼女は今にも消え入りそうな小さな声で呟く。
最後の言葉は聞こえなかったことにして話を適当に打ち切り、今度こそ僕はコンビニへと向かった。
ちなみに、その後行ったコンビニでも既に売り切れとなっており、この日僕は氷点下の町をあちこち梯子して歩く羽目になってしまった。結局、僕が目的のものを手にしたのは五件目、家から徒歩で三〇分ほどはあろうかという別のコンビニでのことだった。
こんなことならあいつに譲るんじゃなかった……。
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