5

『あ、やばい』

 深夜、神の高座フリズスキャールヴ第一二層。

 レーゲンはいつものように、前線に立ち魔物たちを引きつけていた。

 しかし、そんな彼女の注意が逸れた一瞬の隙をつき、一匹の魔物が僕に襲い掛かる。

 障子紙も同然の脆い装甲しか持たない僕の体力は、一瞬のうちに激減。画面下方に表示された体力ゲージは危険を示す赤い文字に変わった。

『ごめんなさい』

 彼女は慌てて、僕を狙う魔物に、騎士ナイト固有スキルの『挑発プロヴォーク』を発動させた。

挑発プロヴォーク』を受けた魔物は、発動したプレイヤーに対する敵視度を急速に上昇させる。よほどのことがない限り、魔物は騎士ナイトの方へとそのターゲットを変更する。

 ヘイトコントロール。

 ヘイト――つまり、魔物たちからの冒険者に対する敵対心。簡単に言うと、魔物は自身にとって厄介な相手を狙う傾向にあるわけだ。それを上手くコントロールすることはこのゲームにおける重要な戦術の一つだ。

 そしてそれは騎士ナイトなど防御力が高いプレイヤーは防御力の低い魔法職などから敵を遠ざけるため、最優先で起こすべき行動だ。逆に僕のような防御力の低いプレイヤーは敵に狙われないよう慎重に行動する必要がある。

 今、レーゲンはそのヘイトコントロールを怠った。いつもは完璧にこなしているのに、どうも彼女らしくない。

『ありがとう』

『いえ、今のは私のミスよ』

 助けてくれたことへの礼を述べると、彼女から謙虚な答えが返ってくる。

 まあ、とりあえず一安心だ。僕は上級魔法の詠唱を開始する。

 それから一分足らずで、危うげながらも魔物たちを殲滅することに成功した。


『さっきはごめんなさいね』

 先ほどの戦いで疲弊した僕たちは、一度安全地帯へと退避して体力と魔力の回復に努めていた。

『ううん、大丈夫』

 彼女に向かって宥めるアクションを実行しつつ、そう伝えてやる。

確かに途中でヒヤリとさせられたものの、どちらも倒れることなく乗り切った。僕たち二人だけでは僧侶プリーストがいないため、倒れた仲間を復活させる術を持たない。どちらかが倒れればそこでゲームオーバーだ。

『今日はどうしたの? 何かいつもと違うような』

 だが、今日の彼女はどこか様子がおかしい――それもまた、確かだった。

 いつものレーゲンならば、あの程度の数は難なく処理できていたはずだ。たったの一匹とはいえ、敵を引きつけ損ねて僕の方へとやってしまうなど、この攻略始まって以来のことだった。

『そうかしら』

『少なくとも私にはそう見えたよ』

『もしそう見えたのなら、そうかもしれないわね』

 彼女は言う。画面上では分からないけれど、その言葉には何か、含むところがあるように感じた。

『リッカには隠し事出来ないわね』

『何かあったの?』

『まあ、ちょっとリアルで、ね』

『そっか』

 詳しくは聞かない。

 僕たちはあくまで共に冒険をする仲間であって、現実の友達ではないのだから。

『大丈夫? 何だったら引き返そうか?』

 そんな彼女を気遣った、僕なりの提案。

 これは趣味であって、仕事ではないのだから、気が向かない時には他のことをしてリフレッシュするのも大切だ。中には、『オンラインゲームは遊びじゃない』などと意味不明な供述をする輩もいるそうだけれど。

『いえ、大丈夫よ』

 この時点で僕の体力HP魔力MPはおよそ八割方回復していた。

 レーゲンの方は完全に回復しきっている。

 これだけあれば十分だ。いつでも攻略を再開できる。

『それよりも、リッカといられるこの時間を大切にしたい』

 ……何という萌えな台詞を。

 僕のキャラクターが男だったならば、このままラズベリーのように甘酸っぱいロマンスの末、公式サポートされているシステムに則って結婚まで済ませてしまいたいところだ。

 だけれど生憎僕のキャラクターは女の子で、レーゲンも女の子だ。運営側もその辺はデリケートな話題だと捉えているらしく、僕たちはどんなに愛し合っていても結ばれることはできない。

『ねえ、リッカ』

 ややあってから、レーゲンのメッセージが表示される。

『何?』

『リッカは、後悔してることって、ある?』

 後悔していること、か。

『リアルの話?』

『ええ。リアルの話よ』

『どうだろう。私ってほら、結構適当な人間だから』

 これは僕の、偽らざる本心だ。たとえキャラクターを偽っていたとしても、内容自体に虚偽はない。

『そう。私にはある。後悔して後悔して後悔して、どれだけ後悔しても、しきれないほど』

『もしかして、そのことで悩んでた?』

『ええ。まあちょっと、色々あってね』

 後悔――か。

 ちょうど今日――いや、もう日付が変わったから昨日ということになるのか――聞いたばかりの言葉だ。

 顔も知らない親友の言葉に、僕は出会ったばかりでまだ付き合いも浅い、あの少女のことを思い出していた。

『もしもリッカに、消し去りたい過去があったとして。リッカは早く忘れてしまいたいのに、その過去の方から擦り寄ってくる。そんなことがあったら、どうするかしら?』

 僕のスタンスとして、極力リアルの話をこの世界に持ち込みたくないというものがある。

 だがそれはあくまで僕のスタンスであって、他人にまでそれを強要するつもりはない。

 特にこの場合は唯一無二の親友である。

 それに、ログインしている時間が僕と似かよっていることから考えて、あまりちゃんとした社会生活を送っているとは考えにくい。リアルではあまり、人と話す機会がないのかもしれない。

 そういう推察もあって、僕はこの親友の力になってやりたいと思った。ネット回線を挟み相手の顔も見えないこの状況で、僕にできることなどほんの小さなことでしかないだろうけれど、そう思った。

 たとえそれで、このダンジョンに設けられた制限時間を無駄に消費することになったとしても、である。

『そうだなあ』

 日々適当に、ちゃらんぽらんに生きている僕としては、いささか想像しにくい仮定ではあったけれど、親友が悩んでいる時に分からないからと冷たくあしらうような自分ではいたくなかった。

『昔は昔、今は今、かな』

 本気で悩んでいるらしき人間に、少々安っぽい台詞かとも思ったけれど、そのまま続ける。

『私は別に、何か後悔してることがあるってわけじゃないけど。それでも、過去のことがなければ、こうしてレーゲンと二人でお話してる今はなかったかもしれない』

 レーゲンとは、同じギルドに所属していたから以前から面識はあったけれど、二人きりで遊ぶようになったのは比較的最近の話だ。つまり、学校を辞めて、時間がごっそりあまるようになってからのことだ。

 もしも普通に学校に通っていれば、今頃はゲームの世界でなくて夢の世界を旅していたはずだ。将来の不安がないといえば噓になるけれど、それでも、彼女と親友になれたことは本当に良かったと思っている。

『だからね。何か言ってくる人がいても、関係ありませんって知らんぷりしちゃえばいいんだよ』

 何となく、昨日の書店での出来事を思い浮かべながらキーボードを叩く。

『少なくとも、今のレーゲンには私がいるから。インターネット越しじゃ、何もできないかもしれないけど。私はいつだってレーゲンの味方だよ』

『でも』

 これまで黙って僕の言葉を聞いていたレーゲンが言う。

『過去の私を見たら、リッカだって軽蔑するかもしれない』

『あはは。何それ』

 彼女の言葉を茶化すような返事。

 少し軽薄すぎただろうか――いや、それでも。

『レーゲンはレーゲンだよ。私は今の、こっちでのレーゲンしか知らないけど。私の親友であることには変わらないよ』

 何を知った風な口を――そう思われても構わない。何を隠そう、これを打ち込んだ自分自身、何を偉そうなことを言っているのだと自己嫌悪に陥りそうになったくらいだ。

 この間紗奈に語ったこともそうだけれど、どうも僕は自分のことを棚に上げて他人に偉そうな口を叩く癖がある。

『そうね』

 またしばらく間が空いた後、レーゲンが言った。

『バカなこと聞いたわね。ありがとう、リッカ』

 そんな戯言みたいなアドバイスでも、彼女は真摯に受け止めてくれたようだ。

『ううん。気にしないで』

『時間、取らせたわね。さて、残りを頑張りましょう』

『うん!』

 この間に僕の体力や魔力も、完全回復していた。

 そして僕たちは安全地帯を出て、再び死地へと赴く。

 この日の結果がどうだったのかは――語るのは野暮だろう。

 僕とレーゲンの絆の深さを再確認できた。

 それだけ語れば十分ではないだろうか。

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