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ヒーリングロッド。
装備者の回復魔法性能を飛躍的に向上させる。現時点で最高峰の性能を誇るヴァルハラ装備には及ばないけれど、この杖には本職の
回復魔法用のこの杖と、攻撃魔法用の『レーヴァテイン』とを適宜持ち替えながら戦えば、きっとフリズスキャールヴの最終ボスであるあのドラゴンだってどうにか撃破できるのではないか。
装備変更自体はショートカット登録で一発だけれど、それにしたっていちいち魔法の詠唱に入る前にそのショートカットを起動しなければならない。攻撃と回復の両方を請け負わねばならない僕としては非常に苦しい戦いになるだろうが、僕ならばできる。やってみせる。
本来ならば自分で用意したいところだったけれど、今からそれを始めたとしても最短で三ヶ月ほどの時間が掛かってしまう。
今は冬だ。
じきに、どこの学校にも新学期が訪れる。
再び立ち上がり、新たな一歩を踏み出さねばならない葉漆のことを考えれば、三ヶ月などと悠長なことは言っていられまい。
そういう事情から、僕はそれをナギから借りることにしたわけだけれど。
そんな僕の無茶な要請にもかかわらず、ナギは特に意義を唱えるでもなく、そのヒーリングロッドを喜んで貸してくれた。
これで、僕の作戦は第一段階をクリアしたことになる。
既にナギはログアウトしている。今頃はきっと、夢の世界を彷徨っていることだろう。
ナギは――旋風は、一体どんな夢を見ているのだろう。
旋風と葉漆の邂逅から、まだ数日と経っていない。
あの日のことは、真新しい記憶として、彼女の脳には刻まれているはずだ。
もしかしたら、葉漆との夢を見ているかもしれない。
でも、そんな幼馴染の悩みも、今日で終わりだ。
終わりにしてみせる。
僕は、冒険者たちが集う街の龍船乗り場のプラットホームで、戦いの準備を済ませたレーゲンがやってくるのを待ちわびていた。
その間、手持ち無沙汰だったので、近くに配置されている天気予報担当のNPCに話しかけた。
今日の現地の天気は晴れ。
いい感じだ。いい感じに、風向きは僕に味方してくれている。
『待たせたわね、リッカ』
『ううん。私も今来たところ』
そんなデートの待ち合わせみたいなことを言う。いや、経験はないけれど。
僕は目の前に現れたレーゲンをパーティに誘い、二人だけのパーティを作った。
画面下、僕のキャラクターの名前や体力、魔力が表示されているところのすぐ下に、レーゲンの名前と体力、魔力の表示が追加された。
『じゃあ行こうか。ちょうど、船も来たみたいだよ』
巨大なドラゴンが二頭、翼をはためかせながら下りてくる。彼らには太いロープが繫がれており、その先には定員五〇人ほどの船が括り付けられている。ひどく原始的ではあるが、これがこの世界における遠出用の乗り物だ。ナギがいれば、テレポート魔法を用いて現地へとひとっ飛びなのだけれど、生憎僕たち二人だけではそれはかなわない。
船に乗り込み、少し経つとドラゴンたちが飛び上がるムービーが挿入されて、画面が龍船内部のものへと切り替わる。こんな変な時間帯だから、乗客は僕たちの他にはいない。
『何だか、二人で行動するのって久し振りのような気がするわ』
僕たちがさっきまでいた方角、街の方を向きながらレーゲンが言う。
先日、フリズスキャールヴの頂上から眺めた景色と同様、あれも演出上の張りぼてでしかないのだけれど、美しい光景であることに変わりはなかった。
『そうだね。このところ、フリズスキャールヴにもあんまり行ってなかったし』
何度やっても攻略の糸口が見えない無謀な挑戦に辟易して、僕たちは最近あのダンジョンに挑むことから離れていた。
ギルドチャットを通して彼女と会話することはあっても、それぞれに別のことをやっていて、こうして二人だけのパーティを組み上げることは本当に久し振りだった。
『ねえ、レーゲン。記念に、スクリーンショット撮ってもいい?』
船の縁に立つレーゲンに問いかける。
『いいけど、何の記念?』
『別に、何でもないよ。何となく、思い立っただけ』
『そう。まあ、構わないわ』
遠ざかっていく街を背景に、僕たちは二人で並ぶ。
『じゃあ、行くね。三秒後だよ』
そう言うと、僕はスクリーンショットのコマンドを用意して、心の中でしっかり三秒を数え上げる。三秒たったところでエンターキーを押下。これでまた、僕のフォルダに新たな一枚が追加された。
先ほどは素っ気ない態度だったレーゲンも、僕がスクリーンショットを撮るタイミングに合わせて、武器を掲げるアクションを実行してくれた。結構いい画になったと思う。
『それにしても、急にフリズスキャールヴに行こうなんて、どうしたの?』
ナギがログアウトした後、僕はレーゲンに一対一メッセージを送信した。その内容は今彼女が言った通りのものだ。
『まあ、ちょっとね』
『もしかして、何か突破口を見出したのかしら?』
『ふふ。秘密』
船から見える風景は次第に変わっていく。
僕たちの眼下に広がる景色は、街周辺ののどかな平地から、やがて氷に覆われた未開の大地へとシフトした。ここまで来れば目的地はすぐそこだ。
『まあ、せいぜい楽しみにさせてもらうわ』
そして、僕たちを乗せた船は、氷の大地へと着陸した。
『今日はいい天気ね。見通しがいいわ』
僕たちは二人並んで、魔物たちが跋扈するフィールドを行く。
『そうだね。この間来た時は吹雪で酷かったからね』
このエリアではよく吹雪が発生する。吹雪の時には視界が非常に狭くなり、強力な魔物が数多く生息するこの場所においては非常に危険な状態となる。
この日は幸いにして快晴で、遠くにいる魔物の姿までよく見通すことができた。
そして、快晴だからこそ、僕の作戦も効果的に機能するのだ。
『レーゲン、最近どう?』
魔物たちの視線を巧みに躱しながら、碌に地図も確認せずに僕たちは走り続ける。何度も通った道であるため、地形は脳組織に刻み込まれていた。
『どうって?』
『いや、何でもいいんだけどね。何か変わったこととかあったかなあって思って。例えば、リアルのこととか』
ふと、こちらに近寄ってくる雪男のような魔物に感知されないよう上手く回避しつつ、彼女との会話を続ける。
『どうもこうもないわね。基本的に家にいるだけだからね』
『そっか。まあ、私も似たようなものだけどね』
この場にはナギはいない。
だから、変に気を遣って普通の高校生を演じる必要は、僕にも葉漆にもなかった。
そこで、僕たちの行く手を一匹の魔物が遮った。ここは狭い道であり、目的地に向かうにはどうしてもここを通らねばならない。奴が邪魔にならない位置に移動するのを待つよりは、倒してしまった方が手っ取り早い。
レーゲンも僕と同様の判断を一瞬で下したのだろう、そんな魔物に、彼女は攻撃を開始した。
『でも、このままじゃいけないんだろうなって。何かしなくちゃいけないんだろうなって』
僕はその魔物に向けて、弱点となる炎属性魔法の詠唱を開始する。
『さっきのナギの話?』
『うん』
『そうね。いつかは、歩み出さなければいけないのよね』
『レーゲンは、どうしたいと思ってるの?』
僕の詠唱が完了し、魔物は特大の炎に包まれる。奴の体力の二割ほどを一度に持っていくことができた。
『どうかしら。私は、夢を捨てた身だからね』
『夢?』
あまり強力な魔法を連続で打つと、敵が僕を敵視して襲ってくる。今の僕はその絶妙なインターバルを図っているため、チャットに専念することができる。
『ええ、夢よ。私には、夢があった』
僕とは違って目下大忙しであるはずの彼女は、敵の攻撃を捌きながらも返事をくれる。
『もう、捨ててしまったのだけどね』
『もしも、今からでもやり直せるとしたら、どうする?』
そろそろいいかと思い、第二撃のための詠唱を開始する。
詠唱が終わり、魔物が再び炎に包まれても、レーゲンからの返事はなかった。
魔物の体力もあと僅か。
やがて、レーゲンの通常攻撃が魔物の体力を削り切り、敵はその場に倒れ伏した。
これで道が空いた。この道を行けば、目的地フリズスキャールヴだ。
『やり直したい、かしらね』
最後の道を行く道中、ようやく彼女からの返信があった。
『そっか』
それだけ聞ければ十分だった。
――後は、僕が上手くやるだけだ。
『やっと着いたね』
僕たちの目の前に、天にも届きそうなほど高く聳える塔が姿を見せた。
『ええ、やっぱりナギがいないとここまで来るのも手間が掛かるわね』
『そうだね。さあ、今日こそ終わりにしよう。終わりにして、私たちは次のステージへと羽ばたくんだよ』
そのためには。
――この最難関ダンジョンを、たった二人で攻略しなければならない。
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