終章 ニートと元ニートの物語
1
それから、一週間ほどが経過した、ある日のこと。
「お兄ちゃん。お姉ちゃんが来たよ」
いつものように
「うん? ああ、上がってもらってくれ」
少し前までの、旋風に対して過度の敬意を表明するブームは終焉を迎えたらしく、彼女は旋風のことを普通に『お姉ちゃん』と呼んだ。
「じゃあ、お
「え、おお……」
うーむ。
しかしなぜだか、今の『お姉ちゃん』は少しばかりニュアンスが違ったような……。
まあ、いいか。
旋風の奴、一体何の用だろう。
そういえばあれ以来、彼女には会っていない。
例によって連絡も取っていなかったけれど……。
何か、新たな展開でもあったのだろうか。
僕はそんな淡い期待も込めて、彼女が僕の部屋まで上がってくるのを待ちわびていた。
「往人。元気だった?」
それから一分足らずで、いつもの挨拶と共に旋風が姿を見せた。
このところ、彼女の辛そうな顔を見ることが多かった気がするけれど、この日は久し振りの笑顔だった。やはり、幼馴染は笑顔でいてくれるに限る。
「まあな。今なら近所の子供に石をぶつけられても笑っていられる気がする」
「随分卑屈な元気アピールだね」
「そのくらい、爽やかな気分ってことだ」
「そっか。何かいいことでもあったの?」
「んー、別に」
あの日から、レーゲンは今までのようにはあちらの世界に現れなくなった。
とはいっても、一日に二・三時間ほどは姿を見せてくれるし、これまで通りに楽しくお喋りしたり、どこかへ冒険に出掛けたりはしたけれど……。
夜中の二時くらいになると、そろそろ寝ると言ってログアウトするようになった。
僕としては、あちらでの一番の親友との時間が少なからず減少したことで、寂しさのようなものをひしひしと感じざるを得ない状況だった。
それでも、僕の心は不思議と晴れやかだった。
「それで、そっちはどうだ? わざわざやってきたってことは、何かあったのか?」
レーゲンの様子から判断しても、きっと事態は好転を見たのだろう。
でもまだ僕は、それをはっきりとは確認していない。月曜の昼間、いつもの書店にも
「何もなかったら、わたしは往人を訪ねてきちゃいけないの?」
「いや、そんなことはないけど……」
「まあ、その通りなんだけどね」
そう言って、笑ってみせる。
「
「そっか。それで、何て?」
「『この間はごめんなさい。すぐには難しいかもしれないけど、また昔みたいに話せるよう、努力する』だって。絵文字も何もなくて、何だか素っ気ない感じだったけど……。まあ、その方が玲音らしいよね」
旋風の顔には、先ほど僕に微笑みかけた時とはまた違った種類の、優しげな笑みが咲き誇っていた。
「何かね、春から専門学校に通うことになったんだって。美術の」
「そっか」
それは良かった。
不相応にも、一肌脱いだ甲斐があったというものだ。
「あ、往人のことも言ってたよ」
「へ? これまたどうして……」
僕は特に、彼女に対して何もしていないはずだ。
あれはあくまで、僕ではなくてリッカがやったことで、それにしたってリッカは一つのきっかけを与えただけに過ぎない。
今回の件に関して、僕は全くの無関係であるはずだ。
「『あの変態にも一応、お礼を言っておいてもらえるかしら』だって。……これ多分、往人のことだよね? ねえ往人、一体玲音に何をしたの?」
「……」
僕は言葉を失った。
それって、つまり――。
「本当に、一体玲音に何をしたのさ……」
問い詰めるような幼馴染の視線に、気まずくなって右へ左へと目線を泳がせる。図らずも眼球体操をおこなって、連日の冒険者生活で疲労が溜まったこの両の眼が少しだけ癒された。
「……僕は、何もしてないさ。現実を、現状を変えようと歩き出したのは、他ならぬあいつ自身の力だろう」
どうにか喉の奥から言葉を引っ張り出す。
まあ、これには噓偽りのない、紛れもない事実だ。
……と、思う。
「ふうん。まあ、いいんだけどね」
葉漆は、未来に向かって歩き出した。
いずれは、僕も歩き出さねばならないのだろう。
それがいつなのかは――いつなんだろうね?
「ねえ、往人」
この件に関しては不問としてくれたらしく、旋風が僕に対して向けていた疑念の表情は解かれた。
「せめて往人も、バイトくらいしたらどう?」
そして、そんなことを言った。
「うーん」
僕は、幼馴染の提案に、少しだけ考える素振りを見せてから、高らかに告げる。
「絶対にいやだ」
今はまだ、ニートとしての生活を続けていく。
未来のことは、その時に考えればいい。
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