第三部 地獄爆進編
第1話 その者は辿り着いた
「ここは地獄界。力の強い奴が良い目をみる。ただそれだけの所さ」
「秩序?愛?なんだいソイツぁ、聞いたこともないね」
「血と暴力ならあるよ。ほら、その辺にいくらでも転がってるから、好きなだけ持っていきな」
*
時命皇が意識を覚醒させたのは、黒色の土中である。
穿地元のドリル、壊天大王が作り出した空間の渦に吸い込まれてからどれほどの時間が経過したのか。
かの敵によって放り込まれた時空の荒波は、時命皇の身体を捻り、叩き、裏返そうとした。
墨色の躯体は尋常ならざる傷を負ったのだが、それらは全て治っているようだ。
つまり、それだけ長くの間、地中で眠っていたということである。
地表へ出ると同時に深中審也の姿をとる。
剥き出しの荒野に、静脈血のような暗褐色の曇天。
地底とも地上とも異なる世界は、荒んだ気に満ちていた。
「ここは一体……」
不必要な独語が口をついて出るのは、不安感を払拭せんとする些細な情動だ。
注意深く周辺を見渡しながらゆっくりと歩く審也は、何か小さなものが2つ近づいてくるのを見た。
小人である。彼の膝下にも満たぬ身の丈であるがヒトの子供ではない。
耳介はなくネコ科動物に似た耳を持った頭部。
同じく毛の生えた尾を持つ二足歩行の胴体のバランスからして、成体なのであろう。
二人の小亜人は、わき目も振らず走っている。
何かから逃げていることにはすぐに気がついた。
一人の小人の背中に投擲されたナイフが突き立ったのだ。
「おぅ、当たった当たった」
「ナイスショット!」
刺さったナイフの重みでうつぶせに倒れる小人と、腰を抜かしへたり込むもう一人の小人。
そこへ小走りでやってきたのは、今度は審也を頭三つは上回る巨漢の二人組である。
小さく弱く哀れな小人の絶望には毛ほども共感していない下卑た笑み。
大きく裂けた口から覗く下側の犬歯は異様に長く鋭い。
そして額から前方に突き出ているのは“角”だ。この者達もまた、異類。
「それじゃお先に」
「おうよ」
角の生えた巨漢の片割れはおもむろに小人を貫いているナイフの柄を拾い上げる。
瀕死であるがまだ息のある小人はナイフごと巨人の眼前へ。
ごく当然の流れるような動作で、瀕死の小人は巨漢の口中へ運ばれた。
巨人が臼のような顎を上下に動かす毎に、小人の断末魔と骨の砕ける音が口中から漏れる。
やがてどちらの音も聞こえなくなった頃、角の巨人は喉を鳴らし獲物を嚥下した。
残された小人は、獣の耳を後ろに寝かせ、歯を小刻みに鳴らしながら失禁している。
「さて、俺も……と、何だオメエ?」
巨漢たちは、そこでようやく自分達をじっと観る墨色の男の存在に気がついた。
棒立ちで腕を組んだその男・深中審也の眼には怒りも恐怖も浮かんでいない。
無関心な傍観。単なる観察の眼差しを送ってくる見慣れぬ男を、二人の角男は上から見下ろした。
「お、こいつはニンゲンじゃねえか。久しぶりに見たぜ」
「へへへ、うっかり“抜け穴”に迷い込んだか。ツイてるな。猫人だけじゃー物足りなかったんだ」
同じ人語を解する者達だが、相容れる存在ではないらしい。
この者達は審也を先の小人と同じ、食いでのある獲物程度にしか見ていない。
審也は視線を最初に発見した小人へ向ける。
辛うじて立ち上がれたと思しき“彼”は、両眼に涙を溜めて歯を食いしばり、一本角の仇を精一杯に睨み付けていた。
「……仲間の死に怒ることができる、か」
小人の様子に興味を持った審也は、視線を完全に巨人たちから逸らしている。
「よそ見してて良いのかあ?」
呆れるほど無防備な墨色の長髪に、未だ空腹な片割れの巨人が手にした棍棒を横なぎに振るう。
「おろ?」
巨人が期待した頭蓋を叩き割る手ごたえは無く、棍棒が空を切る音が荒野を抜けた。
それだけでなく、腕を振るう瞬間まで目の前に居た筈の男がいつの間にか忽然と姿を消している。
男が居た筈の場所には、穴が一つ開いている。ちょうど、姿を消した墨色の男が通れる程度の大きさの穴が。
「野郎どこ行きやがった!?」
「なあおい、何かヘンな音しねえか?」
首をかしげる二人の巨漢の歪に尖った耳に、彼らにとって聴きなれない響きが近づいてきた。
甲高く鋭く連続的な音。ドリルが高速で回転する音。
気がつけば背後に迫っていたその音が、棍棒の角巨人が今生最後に耳にした音であった。
「な、なんだよ、オメエ!?」
脳天の半分をくり貫かれた相棒を見て、絶句した巨漢が手に持ったナイフを取り落とす。
背後に立つのは消えたはずの男。その右腕はヒトの五本指ではなく、鈍色に輝く螺旋の円錐へと変化している。
審也はドリルに変化させた右腕を人間型の五指に戻すと、今度は右膝にドリルを出現させる。
軽く地を蹴って跳躍。
今しがた頭を吹き飛ばした角男の胴体へ回転する膝ドリルを叩き付ける。
審也の体躯より二回りは大きな巨漢の体は、上下泣き別れとなり地獄の荒野に臓腑を撒き散らした。
「こんなところか」
先ほどと同じく無関心な視線を向けてきた審也に、残った角男がとったのは土下座の体勢である。
「あ、アンタがこんなに強いなんて分からなかったんだ…許してくれ!」
無様に額の角を地面にこすりつける男を、審也は無言で眺め続ける。
「なあ、アンタ一体、どこから来たんだ?その強さで名が売れてねぇって事はよそから来たんだろ?」
抜け穴に迷い込んだ、という発言から、男の言う“よそ”とは、異空間の向こう側のことであろうと推測。
此処は深中審也――時命皇が壊天大王と戦い敗れた地上でも、正を享けた地底でもない異世界であろう。
「そうだ、俺を手下として使ってくれよ!この辺りにゃ詳しいんだ」
「……仲間を殺した俺に付き従うと言うのか」
眉をひそめる審也に、角男は卑屈なへつらいの笑みを浮かべる。
「へへへ…ここ『地獄界』じゃ強い奴に従うことだけが掟なのさ」
角の生えた男はそれだけ言って喋るのをやめた。
「なるほど。地獄界。そういう世界か」
三度抜き放ったドリルを収めながら、審也は物言わぬ男に相槌を打つ。
頭をドリルの一撃で吹き飛ばされた男の巨体が、力なく荒野に横たわった。
*
瞬く間に屠られた仇の死体と、得体の知れない力を備えた墨色の男を混乱気味に見比べる小獣人。
審也が自ら命を救った小人にはそれきり目もくれず、何処かへ歩き去ろうとしたその時。
「ここよ
童女のような舌足らずの声と共に、新たな気配が出現した。
「
気配の主を注視する深中審也の表情が、初めて警戒に強張る。
審也の鋭敏な知覚をもってしても、姿が鮮明になる距離に到るまでその者の気配は察知できなかったのだ。
現れたのは闇を想起させる黒髪で片眼を隠した長身の男と、その右腕に抱かれた小人の少女。
先の舌足らずな声の主は小人の方に違いない。
男の名はディマ、小人は
微鬼は言わずもがな、ディマの全身から発せられるただならぬ気配は人間のそれではない。
尖った耳介に、黒髪の奥で赤い光を怪しく放つ右眼。
小人を抱えておらず自由になっている左腕は、肘から下がごつく角ばった黒鉄の義手である。
それが日常生活を補う為のものでなく、何らかの武装を施されていることは外観から明らかに見て取れた。
「それ以上近づくな」
咄嗟に出た一言に、ディマが立ち止まる。髪と同じく闇色をした外套の裾が揺れた。
「これは、君の
剣呑な気を宛てられながらも、ディマは世間話をするかのような調子で話しかけてくる。
「僕に敵意は無いよ。君もそうだと、嬉しいんだけどね」
「微鬼たちは
「猫人?ああ……」
完全に視界から外していた足元の獣人――猫人の存在を思い出す。
既知の間柄なのであろう、先ほどまで絶望と背中合わせの怒りに震えていた猫人は、ディマと微鬼の姿を見て安堵と共に涙を流していた。
微鬼はディマの腕から跳び降りると、自分よりも少々背の高い小人の下へ駆けていく。
「ねえあなた、だいじょうぶ?いっしょにいたおともだちは…あっ」
付近の地表に残った血痕と猫人の顔色から事情を察した微鬼は、小さな両手で自分の口を覆った。
丸い瞳の上で眉が八の字になり、短い巻き毛の短髪がわなわなと震える。
「ごめんね、ごめんね……微鬼たちがくるのがおそくて…」
猫人と一緒になって足元で泣き始めた微鬼。
審也は目線を正面のディマに戻した。
「地獄界、か?私は先刻ここへ来たばかりだが、このようなことは日常茶飯事なのだろう?」
縊り殺した鬼の言葉を思い出した審也の言に頷くディマ。
「残念ながら君の言う通りだ。この地獄界では、力の弱い者が生き延びることはとても難しい」
「あの猫人のように、多少力で勝る畜生の餌となるという道理か」
「あるいは、道具のように使われるね」
道具。その言葉を聞いた審也は思わず殺気を帯びかけるが、自制。
目の前の害意ない男との問答を続ける。
「それで、ディマとやら。なぜお前は此処へやって来た?」
唐突な問いに、ディマは数秒の間を置き穏やかに答えた。
「弱い者を助ける為に“決まっている”じゃないか」
*
「僕の
審也は先導するディマに続き紫色の葉を茂らせる木々の間を歩く。
彼は今、殆ど無目的に、自分と同じく黒ずくめの出で立ちをした地獄の住人と行動を共にしているのだ。
「……貴様の酔狂に中てられたのかもな」
「酔狂?君と、僕も?」
ぼそりと呟いた審也に、ディマが振り返る。
「力が支配する世界で弱きを助けることが当然と言ったろう。酔狂でなくて、何だ」
「選択の結果さ。魔族として生きるなら、確かに酔狂かもね。でも僕は、それ以外の生き方を知り、そちらに惹かれた」
「それでも貴様は魔族なのだろう」
「魔族さ」
審也は内心で首を傾げ続けていた。
目の前の男は、自らの生まれついた種としての本性を否定している。
そうでありながら一片の後ろめたさも感じず、かといって気負いも無い。
確信的な尊厳が当たり前のように存在していると感じる。
自身をこの世に生れ落ちた新たなる霊長・DRL“である”ことに自己同一性を感ずる深中審也・時命皇。
彼にとって、ディマはあたかも足場の無い空中をさすらうようにすら見えた。
「泥魔よ。貴様は何者に与しているつもりなのだ」
背後からの質問者が抱く疑問に思い至ったディマがゆっくりと答える。
「何に与するつもりもないよ。魔族にも、人族にも。ここに僕が居て、僕の外に世界があるというだけだ」
審也の沈黙を受け、ディマは続ける。
「どんな形であれ、外の世界に自分をぶつけてみることさ。でなきゃ踏み出せなくて、迷うことすらできないでしょ」
「斯様なこと、講釈されるまでもない」
「そうかい」
素っ気無い審也の返答を、ディマは歩を進めながら微笑んで受け入れる。
後ろを付いてくる男もまた微笑んでいるであろうことは、振り向かずとも分かった。
深中審也が何者かと出会ったことはここ地獄へ到り初めての経験であった。
それで何の答えが見えたわけでもない。
だが、相変わらずの霧中を突き進んで行こうという気持ちの強まりは確かなものである。
*
地獄の風景には不似合いな木造の小屋で一夜を明かした審也。
そろそろ今後の行方について思案しようという所で、微鬼が窓から小屋に入ってきた。
「ディマさま!あと、しんや!沼のほうにしらないひとがたおれてるの!」
「また客人かな?どんな人だい、微鬼」
「えっと……すごくおおきくて、あかい!」
微鬼の案内で二人が向かったのは、棲家の小屋から少々行った先にある沼地である。
泥を溜めたような沼は、向こう岸が辛うじて見えるほどの広さだ。
「あれか」
件の客人は沼の対岸に上半身だけ現した状態である。
紅色の鎧から人間離れした長い腕が遠目からでもはっきり確認できる。
その巨体は、深中審也の目にも鮮明に映っていた。
「……知った顔だ」
抑揚の無い声音で静かに呟くと、審也は踵を返した。
「世話になったな。私はそろそろ行くとしよう」
ディマは彼の態度を詮索せず、相変わらず自然体で去り行く背中に呼びかける。
「知り合いによろしく言っておこうか?」
「よしてくれ。そう気安い間柄ではない」
「そうか。それじゃ、お達者で」
「つくづく地獄の似合わん奴だな、貴様は」
言い残して、いよいよ立ち去ろうとした時であった。
沼の対岸から金属の鳴動音が響き出し、振動が沼の水面を伝わり波紋となる。
その音を聴いてしまっては、審也は、時命皇は再び振り返らざるを得なかった。
音の主は客人――ドリルロボ・嵐剣皇が、機能停止状態より目覚めたのである。
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