第4話 二人の合言葉
普段は三回ほど鳴っては止める目覚まし時計のアラームを、今日は鳴ると同時に止めベッドから起き上がる。
昨晩のうちに選んでおいた服に袖を通したら、肩口まで伸びた黒髪に櫛を入れる。
いつもより少し念入りなメイクの仕上げに細い金属フレームの眼鏡をかけ、最後に姿見でセルフ・チェック。
てきぱきと身支度を整え玄関の扉を開けた
「
扉を直接ノックしながら、少し声を張って呼びかける。
すぐに扉の向こう側から返事が聞こえ、女性の平均よりも長身な夕よりも少し背の高い青年が内側から扉を開けた。
「おはよう。いつもながら時間ぴったりだね」
青年が微笑む。
彼の秋風のような眼差しと陽だまりの暖かさを思わせる声色は、夕の僅かばかりの緊張を優しく撫でた。
夕が
元は地上で生物学の研究をしていたが、超物質DRLに興味を持ち学識を深めるため採掘都市へやってきたという。
越してきたアパートの隣には当時一軒家があり、夕はそこで父母と共に暮らしていた。
採掘都市の中心市街にある図書館で働いていた夕と文献探しに図書館を利用する明彦とが顔なじみになるのに、そう時間はかからなかった。
二人が知り合って半年ほど経った頃、夕達の生活する居住区画が地底火山からのマグマ流入に見舞われる。
後に防災壁建設のきっかけになるほどの惨事となった白昼の大災害により、夕の自宅も家族もろとも溶岩に沈んだ。
職場に居て一人難を逃れた夕は無事であったが、何の前触れもなく唯一の肉親を喪ったのである。
一時は塞ぎ込んだ夕であったが、明彦が心の支えになった。
月日と共にわずかずつでも心の傷が癒えるようにと、彼女の心に寄り添った。
そうするうち自然に二人は互いに惹かれ合うようになった。
今日は夕の両親の三度目の命日。
明彦と共に墓地へ赴き供養をした帰り、二人は初めて出会った頃のことに思いを馳せる。
「それにしても、変った人よね明彦さん」
「変人ってこと?」
「そうじゃなくって、すごいわね、ってこと。何のツテも無いのに
「うん――家訓なのさ。生活は堅実にせよ、決断で飛躍せよ。ってね」
「あら、その話初めて聞いたわ!明彦さん、自分の昔のことあまり話さないんだもの」
「隠すつもりも無いんだけど、そんなに面白い話があるわけじゃあないからね。地底に来てからの日々の方がよっぽど面白いさ」
「そっか、最近ようやく穿地研究所への訪問許可がとれたー!って喜んでたもんね」
「うん!仕切り直した人類にとって初の大発見、加工次第でその形だけでなく仕組みまで自由に変えられる!しかも、外部から他の物質を取り込んで自己再生をする性質は加工後も失われないから、DRLで造られた機械は経年劣化や部品消耗もない!あまりにも人類にとって都合の良すぎる超物質DRL!実用化されてる応用品に関してはウズメ社の特許情報を辿れるんだけどね。肝心のDRLそのものの研究は殆どあそこが一貫して握ってるみたいなんだ。1年以上通いつめて、ようやく所長さんにアポが取れたんだ」
「その話、何回も聞いたわ」
目を輝かせながらやや早口で話す明彦に、夕が苦笑する。
明彦は普段は落ち着いた青年であるが、こういう時は年上の夕がお姉さんをやる。
「ね、明彦さん。こっちへ来てからの『面白いこと』に、私とのことも含まれてる……?」
少し節目がちになりながら夕が問う。
「ええと、夕とのことは、面白い、って感じじゃないかな」
「……そう、だよね。楽しいことばかりじゃなかったもんね」
「いや、なんて言うんだろう。軽い興味なんかじゃなくて、もっと……大切だから」
そんな言葉を交わしながら、気がつけばアパートの前に到着していた。
「ね、このまま一緒に行ってもいい?もうちょっと……お話、したいです」
頬を紅潮させながらの頼みに、明彦は静かに頷いた。
*
「明彦さん――あなたと、ずっと一緒にいたい」
夕の申し出に、明彦は一瞬驚きとも戸惑いともつかぬ様子で息を呑んだ。
やがてゆっくりとした瞬きの後、いつものように暖かい声音で――
「君は僕がずっと守る。なにがあっても、必ず」
そう答え、唇を重ねた。
*
翌朝。明彦が自室の―独身の男が持つにはいささか不似合いな―箪笥から小箱を取り出してきた。
「夕。これを」
小箱の中には、布を張った土台に収められた指輪が二つ。
「これって……!」
「この指輪は、ご先祖の代から受け継がれてるんだ。もう、何百年も昔からね。一対で共鳴し合っていて、たとえ離れ離れになってしまっても必ずめぐり合って一対に戻るって言われてる」
夕が口元を手で覆いながら明彦の手元に視線を注ぐ。
指輪の表面は滑らかで、装飾は全く施されていない。
しかしその色合いは銀色に輝きながらも透き通っており、この世の物とは思えぬ不可思議さをたたえていた。
「変った色――材質でしょ?」
「ええ。これ、何かしら。銀じゃないし、水晶でも……」
そう言いながら、夕はこの『物質』に既視感を覚えていた。
「答えはあれさ」
「あれって……」
明彦が親指を立て、自分の背後にある研究用のデスクを示す。
机上には高さ10cmほどのガラスケースに収められた鉱物標本。
石英のように透き通りながらも鉛色の光沢があり、螺旋を描く角がついた円錐状の結晶が、土台の岩石を割って出てきたかのように収まっている。
それは、超物質DRLの『原石』であった。
明彦の自室を訪れた時は、この標本を手にした彼の薀蓄に相槌を打つのが常であったのだ。
「この指輪は、DRLで作られてる」
「DRLって……え!?」
明彦の言葉に含まれた矛盾に気付き、驚きの声を上げる。
「夕は察しが早いよね。そう、DRLは発見されてからまだ100年と経っちゃいない。成人した日に父からこの指輪を託された時、それに気付いた。だから自分のルーツを確かめるために、この採掘都市へ来たんだ」
「そう、だったの……」
「ごめんね、なんか無粋な話になっちゃったかな。でもさ、言ってみればこの指輪がキューピッドだったって思えば、ちょっとロマンチックじゃない?」
「キュ……!」
平然と言われた言葉に顔を赤くする夕。
明彦が指輪の片方を小箱から取り出すと、更に胸が高鳴った。
「ほら、夕。これを」
「ひゃあぅ!」
掌に指輪を載せられただけで謎の悲鳴を上げる彼女に苦笑しながら明彦が続ける。
「指輪の内側、よく見てごらん」
ズレた眼鏡を直して目を凝らすと、わずか2~3ミリの幅に施された精微な彫刻に気付いた。
「これ、文字が彫ってあるの?」
数百年の時を経ているにも関わらず彫刻はハッキリとした陰影を保っていたが、彫られている文字は現在では使われていないものであった。
「それぞれに別の言葉が彫ってあるんだ」
「何て書いてあるか判るの?」
「うん。指輪と一緒に、言葉も伝わってるよ」
明彦はそう言って、小箱に残っていたもう一つの指輪を手に取る。
「こっちは『閃く風』」
「私の方は?」
「そっちは、『廻る剣』」
「閃く風、廻る剣――」
言葉を繰り返す夕だが、いまひとつピンと来ない面持ちである。
「意味、わからないでしょ?」
「ご、ごめんなさい……」
「ううん。ご先祖様が指輪に遺した言葉だけど、どうしてこんな言葉を刻んだのかは分からないんだ」
いかにも意味ありげな『曰く』がついているだけに、消化不良の困惑を顔に浮かべる夕。
「だからさ、この言葉に二人だけの意味を持たせようよ」
「私たちだけの?」
「そうさ。この指輪に刻まれた言葉が、今日からは僕と君との絆の合言葉になるんだ」
そう言って、明彦が自らの薬指に『閃く風』の指輪を嵌める。夕も同じく『廻る剣』の言葉を刻む不思議なエンゲージ・リングを薬指に嵌めた。
「これからもよろしく、夕。この指輪と共に、いつまでも一緒に――」
薙瀬夕が失踪したのは、その翌日のことである。
*
意識を取り戻した夕は、自分の体の自由が利かないことに気がついた。
明彦から指輪を受け取った日の晩、自宅に侵入していた何者かに薬品を嗅がされた所までは覚えている。
それからどれくらいの時間が経過しているのだろうか。
ここがどこであるかも――少なくとも自宅ではあるまい――昼夜すらも判らないのは彼女が目を開いていても全くの暗闇に視界が包まれているからだ。
身動きがとれない手足は、肉とも石ともつかぬ硬い何かに拘束されている。
彼女の四肢はそれぞれが別方向に伸ばされ、磔のような姿勢に固定されていた。
「何よこれ……ひっ!」
突然頬に触れた冷たい感触に声を上げる。
何かが動いて、触ってきた。
「誰か居るんですか!?どうして私がこんな――」
腹部に何かが這うのを感じ息を呑む。
やがて、大小様々な無数の“何か”が、夕の体の上を這い、巻き付き、つつき、好き勝手にまさぐり始めた。
ここは暗闇の密室。
人ひとりがようやく収まるほどの箱のような空間。
その四方の壁から鉛色の触手が伸び蠢いて夕を蹂躙しているのだ。
得体の知れぬ恐怖に苛まれる彼女の絶叫は、暗闇に吸い込まれるばかりである。
その声を聴いていたのは、左手の薬指に嵌められた指輪だけ。
*
連れ立って役所へ行く約束をしていた明彦は、時間がきても夕が自宅へ来ないことを不思議に思い彼女の部屋を訪ねた。
(鍵がかかっていない――)
胸騒ぎを覚え、ノブに手をかける。
彼女の部屋はもぬけの殻であった。
何の変哲も無い生活の残り香だけが、不自然に漂っている。
注意深く部屋の中を観察する彼が寝室に至り、決定的な『痕跡』を発見した。
ベッドの下の床板が剥がされ、大人が一人入れるほどの空間ができていたのだ。
(拉致されたって言うのか!?どうして、夕が……)
思考を巡らす明彦だったが、不意に左手の薬指に違和感を覚える。
見れば、昨日嵌めた指輪が鈍く明滅し、微弱に振動している。
わずかに熱も発しているようであった。
「たとえ離れ離れになってしまっても必ずめぐり合って一対に戻る――!」
一瞬息を呑んだ明彦は急いで上階の自室へ戻り、衣装箪笥の扉を開く。
そこには一着の外套がかけられていた。
袖が無く明彦の踝の辺りまで裾が伸びるその外套は光を吸い込むような漆黒の生地で仕立てられ、銀色の金具があちこちに取り付けられている。
国主明彦は外套を羽織ると、自宅から弾丸のように駆け出した。
疾走する彼の顔には、恋人に見せる秋風のような眼差しではなく、冷たく鋭い眼光が宿る。
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