第1話 日常の中へ


いつも通り、枕元のアラームで目が覚める。


一年前、中学への入学祝いに贈られた目覚まし時計。身の回りの事は少しでも自分でやれるようにと、自分から両親に頼んだものだ。

だいぶ着慣れた制服のシャツに袖を通し、詰襟の上着は脇に抱えて階下のキッチンへ。


「おはよう、はじめ

「おはよう」


母は普段と変わらず、早くも遅くも無い時刻に起床してきた息子と挨拶を交わす。

少年・辰間たつまはじめは、静かにいただきます、と手を合わせ黙々とトーストをかじり始めた。


「あ、今日はちょっと遅くなる予定」

目玉焼きを外周から切り崩しながら、基が思い出したように言った。


「例の部活動?」

「うん。部活動って言っていいのか分かんないけどね、アレ」

「いいんじゃない?おかげでまいちゃんと仲良く遊べてるんでしょ」

「……ごちそうさま、行って来ます」


子供の頃から行動を共にしている幼馴染の名前を出され、少し気恥ずかしくなった少年はコーヒーを飲み干して玄関を出た。



変わりなく快晴の通学路を一人で歩いていると、見慣れないものが目に入った。

幼馴染の少女がよく読む漫画に出てくるような、浮世離れした美しい容姿の少年である。

同年代の中では平均的な身長の基より頭一つ分ほど上背がある。

(この辺りの人じゃないなぁ……別の居住区域から来たのかな)


基は、数日前に公共放送のニュースで小耳に挟んだ、採掘都市からの移民増加の報道を思い出した。

かつて世界中に張り巡らされていたインフラが破壊され、僅かな通用口だけが残るこの時代。

物資の輸送や流通を生業とする者や新たな居住区域の“開拓”を行う者たちを除いては、居住区域の都市間を移動することはきわめて稀である。


「君、中央中学校の生徒かい?」

「え、僕?あ、えと……はい、そうですけど」


金髪の少年に不意に話しかけられ、基はうろたえた。

「すまないが、案内してくれないか?登校するところだろう?」


「案内?……あ」


言葉を交わすうちに落ち着いて相手の姿を見られるようになってきた基が、ようやく目の前の少年が自分と同じ制服を着ている事に気付いた。

「転校生、なんだね。僕は途中で寄るところがあるから、そこまで一緒に行こうか」



二人の少年は、数分の間言葉を交わしつつ通学路を歩く。

道中、二人は同学年であることや、基はこの後に幼馴染の少女を起こしてから学校へ向かうことを話した。


「じゃあ、僕はこっちへ寄っていくから。この先まっすぐ行ったら学校だよ」

「ありがとう。助かったよ」

「気にしないで。転校生で、同級生でしょ。もしかしたら僕たち、友達になるかもしれない」

「友達、か」

「うん。友達。あ!そういえば、名前知らなかったよね。僕は辰間基」

「辰間、基。ハジメ。俺は、礼座れいざひかるだ」


光が手を差し出す。

一瞬その意味が判らなかった基であったが、すぐに気がつき、はにかんで握手を交わした。



光と別れた基が立ち寄ったのは、開店前でシャッターが下ろされた個人商店。

木製の看板には、力強い毛筆の書体で『鍔作オーパーツ』と書いてある。


一見して何屋なのか皆目見当がつかない。

開店時には店先に古めかしい壺や古書等が並べられるため、どうにか骨董品店であることが判るのである。


「舞、起きてー!」


看板の上にある窓に向かって叫ぶ基。

暫くすると、窓の向こうのカーテンが揺れ始める。部屋の主が慌しく動いているのが見えるようだった。


「お婆ちゃん、行ってきますっ!」


五分と経たず、店の裏口から制服姿の少女が飛び出してきた。


軽くクセのかかったショートカットの黒髪に、丸く大きな裸眼の瞳。

最近背が伸びてきた基より少し小柄であるが、代わりに女性としての発育が目に見えてきていた。その胸元の動きにつられて制服のリボンが揺れる。


毎朝こうして幼馴染の少年に起こしてもらうのが、鍔作つばさまいの習慣になっていた。


「おはよう、舞……なにそれ」

舞の持ち物を見て基が首をかしげる。

通学鞄を担いだ反対側の手には、丸ごと一本の羊羹が握られていた。

「……朝ごはん」



「いやー、『依頼』の下調べしてたら夜更かししちゃってさー」

「依頼って、昨日下級生から聞いてた話?何かわかったの?」

「ま、百聞は一見にしかずって言うじゃない?」

「……そうだね」


舞の言う『依頼』とは、彼女が熱心に打ち込んでいる部活動の一環である。

部員は僅か二名。舞と、巻き込まれた基だ。

主に学校内で起きた不思議な現象、噂を集め調査をしているのだ。


「だってだって、手がかりが少なすぎるもの!」

「どこからともなく出てきた『糸』に触ると気を失う、だっけ?」

「そうそう!でもさ、『糸』がキーワードになる都市伝説や怪談、言い伝えなんてごまんとあるんだよ?」

「んー、噂の出所はウチの生徒に限られてるみたいだけどね」

「そう、そうなのそうなの!だから直接見つけちゃうのが一番ってワケ!ワレラが怪奇現象調査倶楽部はフィールドワークが本分なのだよ、基クン!」


腰に手を当て胸を張る舞。

最近とみに目立つようになった胸元の膨らみが思わず目に入り、少年は動揺した。

小さな頃から変わらぬ言動とは裏腹に女性らしさを帯びてきた幼馴染の容姿に、思春期に入った基は戸惑うのであった。



基と舞は始業のおよそ10分前に教室に到着し、隣り合って着席。

始業の予鈴が鳴ると同時に、いつもより早く担任の女教師が教室に入ってきた。


「まこセンセー、今日は早いね」

「鍔作さん。片桐先生今日は早いですね、と言いなさい」

わざとらしく眼鏡に手をやりながら、舞の言葉遣いをたしなめる。


片桐かたぎり真心まこは、今年初めて担任としてこのクラスを任された。

年若い彼女に生徒は親しみを持つ一方、少々舐められ気味なのが最近の悩みである。


「まだ予鈴だけど、ちょっと長引く可能性があるから早めに始めるわよ!」

「えー、何でー?」

「片桐先生、今朝はテンション高いね」

いつもはやや気だるげに朝礼を済ませる担任教師の様子に、基が素直な感想を述べる。


「フフフ、二年三組の諸君!注目!今日のホームルームは、“新入り”の紹介だァー!」


その宣言に、教室中が沸く。

「先生!転校生は『男子』ですかッ、『女子』ですか!」

「『男子』よ!」

「カッコいい系?かわいい系?」

「そうね、一言で言うなら――わ!王子様って感じよ!」

「王子様!?キャー!想像つかない!」

「チクショウ……どんなハイスペック野郎がやってくるんだ!?」

「みんな落ち着け!ここでハードルを上げすぎると、俺達にとっても転校生にとっても良くない結果になるぞ!!」

「先生!じらさないで早く紹介してー!」

「それもそうね。さ、入ってきて自己紹介して」


教室の外で待機する人影に向かって片桐が合図する。

入ってきた少年の美しい容姿と非現実を思わせる雰囲気に生徒一同は息を呑んだ。

騒がしかった教室は水を打ったようになる。


「礼座光です。両親の仕事の都合で少しの間厄介になります。よろしく」


「礼座君の席はあそこね」

女教師が指差したのは、教室の窓際最後列。

示された空席のちょうど前方には舞、右隣には基が座っている。

自然、隣席の主とは目が合い、お互い同時に声を上げた。


「礼座君、ウチのクラスだったんだね」

「おお、ハジメ。これで俺達、トモダチだな」

静寂の教室に、二人の少年の言葉がいやにハッキリと響く。


「「「何ィィィィィ!!??」」」


一拍の後、基と光を除いた全ての生徒による驚きと興奮の入り混じった叫びが教室を包んだ。

なお、担任・片桐真心もその叫びに加わっていた。


その時の彼女は、何故か顔を赤らめていたと言う―――



ホームルームが終了すると、礼座光を中心に新入部員争奪戦が始まった。


「礼座君、前の学校では何をやってたの?もしかしてテニス?テニス似合いそうだよね!やろうよ!」

「サッカーやろうぜ!」

「いや、超軽音楽部だ!お前がボーカルに来てくれれば今年の定期演奏会は……」

「お前らのとこはエアバンドだろうが!それよか古武術愛好会に!」

「セパタクローやろうぜ!!」

「プラモバトル部で青春しないか?」

「帰宅技術研究部はいつでも歓迎だぞ!」

「ただの帰宅部じゃねえか!」

「いや、こいつら実態はパルクールだかフリーランニングみたいなことやってるぞ」


喧騒の中心人物は、あくまでマイペースに隣人に尋ねる。

「ハジメは何の部活動をやっているんだ?」

「ああ、僕は怪奇現象調査倶楽部って言うマイナー部」

「へぇ。じゃあ、俺はそこへ入部するよ」


「「「……えええええええ!!!!????」」」


争奪戦は主賓の一声によりあっさりと終結。

光を取り囲んでいた生徒達は一斉に膝から崩れ落ち、一人また一人と自分の席へ戻っていった。


「そんな…よりにもよってあのオカルト研究会へ行くなんて……」

「おのれ辰間……侮れぬ男よ……」

「辰間くん×礼座くんってどういう関係なのかしら……」


肩を落とす他の生徒をよそに、意気揚々としているのは舞である。

「ようこそ怪奇現象調査倶楽部へ!私が部長の鍔作舞。よろしくね、礼座君!」

「ああ、よろしくな、マイ」

「早速だけど、今日の放課後にフィールドワークがあるの。活躍を期待してるね、大型新人!」

「あ、地道に色々調べるだけだからね?本当に地味だから、ね?」

勢いよくまくし立てる舞と、すかさずフォローを入れる基。

基と舞は幼馴染。二人は以前からずっとこうしてきたのであろう、と光は理解した。


(怪奇現象調査倶楽部、か。これは渡りに船かも知れないな)

穏やかな笑みで少年少女と語らいながらも、彼の心は戦に向いている。


遥か昔から今に至るまで、人の世には守護者達による影の戦があった。

少年に身をやつす礼座光の正体は、守護者に与して人界を護る者である――――

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