第1話 獣醒(じゅうせい)
父は新たに興った超物質産業の足場を支える採掘労働者だったが、重労働で体を壊し近年は病気がちとなり全盛期のような就労は難しくなっていた。
数年前から父の背に付き従うように同じ仕事に従事していた旭であったが、今では一家の大黒柱を務める精悍な青年に成長している。
彼は今、家族を支え、共に生きていることに充実していた。孝行を尽くすべき父母。そして、守るべきたった一人の妹がいた。
今日は肺炎で体調を崩していた父の退院日。
病院に父を迎えに行った母を待つ間、旭は妹の
「お兄ちゃん、サラダできたよ」
そう言いながら、明は手元で揚げ物に取り掛かっている。
「ああ。こっちも食器の準備終わったぜ。親父たち、そろそろこっちに向かう頃かな」
時計に目をやりながら旭が言う。
「あと2品、間に合わせるよー」
「張り切ってるな。しかしこんなに作っちまって、親父は病み上がりなんだぞ?」
「お兄ちゃんが食べるからいいし!いつも仕事から帰ってくると、タダイマの前にハラヘッタって言うじゃない」
明は今年に高校へ入学したばかりで、旭とは少々年が離れている。
年頃の女きょうだいは時に兄貴を邪険にすると言うが、妹は旭を慕ってくれる。
それが嬉しく、何気ない瞬間に幸せを噛み締める。
*
採掘都市にいくつかある総合病院で退院手続きを済ませた天原夫妻は、母の運転する車で帰途についていた。
帰りを待つ息子と娘のもとへ向かう車内は穏やかな空気で満ちている。
交差点で一時停止した車が、一瞬不自然に振動。
信号が青に変わっても、暫くは停車したままであったが後続車のクラクションが数度鳴った頃、何事も無かったかのように走り出した。
*
食事の準備も一段落し、主賓である父の帰りを待つ旭と明。インターホンなしに集合住宅である自宅の扉が開く音がした。
「あ!帰ってきた!」
一目散に出迎えようと玄関へ走る妹に続き、旭はソファからゆっくりと腰を上げた。
直後聴こえてきたのは、絹を裂くような妹の悲鳴である。
「明!?どうした……ッ!?」
駆けつけた旭の目に最初に飛び込んできたのは父母の顔…頭部であった。
腰が抜けたようにへたり込む妹の目の前には、鈍い光沢を放つ皮膚に覆われた腕で夫婦の生首を抱えたヒトガタの怪物一体。
「奥へ行ってろ、明!!」
妹を家の奥に逃がし、眼前の異形を睨む。
目の前の『こいつ』は何者だ?あれは父さんと母さんの頭じゃないか。
殺されたのか?どうしてだ?脳髄に押し寄せる思考を他所に、両手にはとっさに掴んでいた作業用のスコップが握り締められていた。
「畜生…ぶっ潰してやる!」
目の前の人間が敵対すると見た異形のヒトガタは、抱えていた二つの首を無造作に床に落とし、金属とも鱗ともつかぬ腕を螺旋状に変形させた。
そして、野生生物が獲物を捕らえるかのような速度で両腕の螺旋を旭へ突き出す。
「うおおおお!」
この時、天原旭の思考は閃光に塗りつぶされたが如く容をなしていなかった。
常人ではかわし得ぬであろう異形の攻撃を、右腕はかわし左腕はスコップの柄ではらい落としたのは、尋常ならざる状況に置かれたがゆえの神懸りと呼ぶべき業である。
異形の攻撃をかわした勢いのまま、旭は目の前のヒトガタの頭部を何度もスコップで打ち据える。
頭部と思しき箇所が原型を留めぬほどに叩き潰された頃、ようやく異形は動きを止め崩れ落ちた。
「何なんだコイツ……父さんも母さんも、こ、殺されちまった…!?」
突然の闘争を終え、後回しにしていた恐怖や動揺から腰が砕けそうになる。
再び耳に響いた妹の悲鳴により、萎えそうになる足にどうにか力を込めることができた。
奥の部屋に駆けつけると、妹がまたも異形のヒトガタによって両腕を掴まれぶら下げられるようにして身体の自由を奪われていた。
天原家はマンションの5階であるが、異形の立つ傍の壁には大人がゆうに通れるほどの大穴が開いている。
いま妹を掴んでいる目の前の化け物は、今しがた打ち据え鉛色の肉片と化したヒトガタよりも二周りは身体が大きく、体表の色や形が若干異なる。
敵は一体ではなかったのだ。
「明ッッッ!」
妹の体が妙に小さく見えるのは何故か。理解した瞬間、眩暈を覚えた。
彼女の両脚は大腿からもぎ取られていたのである。
血塗れの足は部屋の片隅に転がっていた。
「明!明ーッ!」
「あああああ…うぅ……」
妹が旭の呼びかけに応える事はなく、ただただ虚ろな目で呻くばかり。
異形の頭部から蠢く虫のような舌が伸び、血の気の引いた妹の頬を舐める。
ぬめりのある体表に不規則な模様が描かれているのみの不気味なヒトガタが、嗤ったように見えた。
「て…めぇ……!!」
沸騰する脳髄。
怒りを炸薬に飛び掛ろうとする旭だが、足が動かない。
動けないことに気付くや否や、前のめりに倒れてしまう。
それでようやく旭は自分の両足首が既に切断されていたことに気付いた。
異形の背中から、何本もの触手が伸びている。
触手の先端は、鋭利な刃物のようになっていた。
床に這い蹲りながら睨みつけてくる旭をあざ笑うかのように、異形が妹の身体を嬲る。
身に着けていた服を切り刻み、露になった白い肌に少しずつ切り傷をつけていく。化け物の触手が一回しなる度に、天原明は短く呻いた。
「やめろ…やめろォォォ!!」
血涙を流し叫ぶ兄の声を背景音楽に、化け物は妹を嬲り続けた。
ひとしきりの責めを堪能した異形の股間から不揃いな黒いトゲを不規則に生やした醜悪な螺旋が屹立。
悪鬼の一物は、それまで傷つけられず“とっておかれた”少女の秘部にあてがわれた。
少女は悲鳴ひとつ上げない。どこをも見ぬ虚ろな瞳をたたえたまま、か細いうめき声が漏れるのみであった。
異形の一物が高速で回転する。先端が触れていた部分の肉が抉れるが、それでも少女の悲鳴は聞こえない。
獣の吠え声のような回転音にかき消されているのだ。
悪鬼が腰を突き上げると、天原明の胴体はミキサーに入れられた果実のように造作もなく千切れ飛んだ。
*
もはや怒りという言葉すら不釣合いな、鬼の雄叫びを吐き出す旭。
だがその意識はすぐに異形の延髄への一撃により刈り取られる。
暗転する彼の視界に最後に映ったのは、先刻まで食卓に並べられていた料理が散乱する床に、打ち棄てられた妹の頭部の惨骸であった。
*
(ここは どこだ?)
目を覚ました旭は、鋼鉄の壁に覆われた真四角の空間に佇んでいた。
まったく見覚えのない風景である。
覚えがないのは風景ばかりではない。感覚すべてが不自然だ。
手足は自分のものである気がしない。思考もモヤがかかったようにはっきりしない。
目を覚ます前、“何をされたか”覚えていない――――――
のっぺりとした鋼鉄の壁の一部が動き、向こう側から白衣を着た男が2人やってきた。
「形成は成功しました。意識が戻り次第、性能試験に移ります」
「うんうん。かなり立派なのができたね。“原型”が特別なのかな?連れてくるのに第3号が潰されちゃったんでしょ。ま、あいつはあんまり強くなかったから仕方ないのかな?」
「
「調査しといてね」
「はっ!」
眼鏡をかけた白衣の男が頭を下げると、もう一人の白衣が旭の方に向き直った。
「さぁて、はじめまして、ええっと、なんて呼ぼうかな」
「原型は天原旭という名で」
「そんなのつまらないでしょ。まあいいや、順番通り第11号って呼ぼう」
男が話しかけてくるが、言葉そのものの理解が追いつかない。
「ほら、見てごらん。君はね、生まれ変わったんだよ」
運ばれてきた大きな鏡に自分の体を映される。
ムカデを無理矢理寸詰まりにしたような胴体から八本の腕とも足ともつかぬ触脚を生やした怪物が、一番後ろから生えた二本の脚で立っていた。
「我等が頼もしき尖兵。ドリル獣としてね」
*
「性能試験を開始します」
眼鏡の白衣男が合図を出すと、真四角の部屋に自分以外の怪物が一体現れる。
怪物と入れ替わりに、白衣の男たちは部屋を後にした。
「試験の相手には1号を使います」
「今となっては懐かしいよね。原型はシリアルキラー一歩手前なやつだったよね。唯一よく覚えてる」
「推測される戦闘レベルでは同等かと」
眼鏡をかけた白衣男の報告を気の抜けた口調で応対するもう一人の白衣は、年恰好は眼鏡よりも若く見える。
二人は別室へ移動し、設置されたモニターから二体の怪物『ドリル獣』の監視を始めた。
*
(こいつ…なんだ?にんげんじゃないぞ)
ドリル獣にされていくばくかの時間が経過した旭は、意識こそ覚醒してきたものの、人格も肉体同様徐々に人ならざるものに変化しつつあった。
(こいつは…しってるやつか?)
文字通り獣に近い性質をもつドリル獣と化した旭は、見知らぬ存在が外敵であるかどうかを見極めようと思考をめぐらせていた。
目の前のドリル獣をじっと見ていた。それは本能であった。
動かない旭に焦れたのか、ヒトガタのドリル獣・第一号が両腕の鉤爪を繰り出す。
不意を突かれ、前方の触脚に傷がつけられる。
(こいつ、てきか!)
「なんかボーっとしてるねぇ。がんばれがんばれ」
モニター越しに無責任な声援を送る白衣の男は、二体のドリル獣による壷毒を愉しんでいるようであった。
ドリル獣・旭が第一号を観察する。
ヒトガタをしているが人間とは違う。
ぬめりのある赤銅色の肌には黒い模様がある。二本の腕。二本の脚。頭。
八本の脚で一旦回り込んだ後一気に距離を詰め、全長3メートルを超す巨体を持ち上げる。
触脚の先端で第一号の頭を貫こうとするが、背中から伸びた触手に遮られた。
第一号の触手が更に伸び、旭の胴を支える足を切断。足元を文字通り刈り取られ、鋼鉄の床に胴体ごと落とされる。
(こいつ…みたことがある…みたことが…)
旭は残された脚で立ち上がろうとするが、第一号の容赦のない触手の追い討ちにより全ての触脚を切断されてしまった。
「あららら。こりゃ見掛け倒しだったかな?」
第一号がとどめの一撃を見舞うために近づいてくる。
脚の間からは、回転している『何か』。達磨となった胴体を、屹立する凶棒で貫くつもりに違いない。
(こいつは…こいつは……!!)
窮地に立たされた旭の意識に、鮮烈なイメージがフラッシュバックする。
血塗れの部屋。
転がり落ちる人間の首。足。千切れ飛ぶ胴体―――
その刹那に“記憶”が甦る。
否、“記憶”ではない。
“傷痕”として彼の魂に刻み付けられていたからこそ、ドリル獣となった旭は一気に引き戻される。
人間・天原旭に引き戻される。
(この野郎は!)
父母を無残に殺し、妹を嬲り辱め殺した。
身を守るべき外敵にあらず。全霊を賭して殺すべき“仇敵”だ。
今やその仇敵と“同類”とも呼ぶべき異形と化した八つ脚の獣が吼える。
しかしその咆哮はドリル獣としてのものではない。
単なる怪物の吼え声よりも遥かに深淵の狂気を孕む、一人の男の怒号だ。
*
「オオオオオオオオオオオ!!!!!」
手足はもがれ、形を成した“死”が身に迫る。
それでも仇敵を八つ裂きにする意志を捨てない旭は吼える。
超合金の隔壁で覆われた真四角の闘技場を揺るがし、吼え続ける。
絶叫が地鳴りを呼んだ。
その咆吼に底知れぬ殺意怨念を感じ取った第一号が一瞬怯み動きを止めた。
だが、すぐに気を取り直し股間の棘ドリルを再び回転させる。
その、間一髪。突如ドリル獣たちの足元が捻れるように歪む。床もまた超合金製である。
その強固な床は、一瞬歪んだ後に穴を開けられ、二本のドリルが飛び出した。
旭と第一号、二体のドリル獣の間に姿を表わしたのは、両者の倍はあろうかという『巨人』だ。
古の金剛力士を思わせる体躯は黄や橙を基調にした装甲で覆われ、鋭い眼光と牙を備え、両腕はドリルであった。
「な、なんだ!?」
「侵入者です!」
「どうして気がつかなかったのさ!?」
「速度が…地中穿行の速度が凄まじく、この施設の地中レーダーでは反応が…」
「わかってるよ!撤収だ!」
「し、しかしドリル獣は…」
「ここの装備じゃ対応できないでしょ!ドリル獣は足止めに使う!この施設は放棄!」
若い白衣の男は、モニター・ルームの壁に設置された透明なカバーを叩き割り、中のスイッチを押した。
緊急事態を告げる警報音が室内に鳴り響く。
「
手にしたマイクで指示をだし、白衣の男・九十九はモニター・ルームを足早に後にした。
『巨人』が旭に向かい吼える。
第一号は再び、獣の咆吼に射竦められた。
(お前は、俺に会いに来たのか)
旭には、咆吼が言葉として聞こえた。
互いに言葉を発することのない獣のようであったが、意志が通じたのだ。
魂が共振したのだ。
巨人が更に吼える。
(『虎珠皇』―――お前は
鋼鉄の巨人・虎珠皇は頷くと、やおら両の腕のドリルを回し、ドリル獣・旭の胴体に突き入れた。
虎珠皇が両腕を引き抜く。
腕はいつの間にかドリルから人間と同じ五本の指に変じており、重ねた両掌の間には裸身の青年が横たえられていた。
忌まわしきドリル獣の肉体から、天原旭の肉体が分離されたのである。
「身体が…元に戻っている!」
旭が掌の上で立ち上がると、虎珠皇の胸板が四方に割れる。
巨人の胸腔には人間が一人納まるほどのスペースがあり、旭はそこへ何ら躊躇うことなく乗り込んだ。
虎珠皇の体内に設けられた蓮華坐に座ると、旭の四肢、視覚、聴覚、あらゆる感覚が一瞬にして虎珠皇と共有される。
感覚だけではない。その意志もまた、魂の共振により融けあうかのようであった。
「まずはこいつを血祭りに上げる!」
眼前のドリル獣など、もはや虫けらにも及ばない。
虎珠皇こそが真なるドリルの獣なのだ。
荒ぶる魂を両腕のドリルの回転に込め打ち下ろせば、ドリル獣第一号は防ぐことも逃げることも叶わず、造作もなく砕け散った。
「グオオアアアアアアアアアアア!!!!」
旭と虎珠皇が勝鬨の雄叫びを上げる。両腕のドリルも唸りを上げる。
「まだだ…!獲物はまだいる!行くぞ虎珠皇!!」
旭の号に応えるか、虎珠皇もまた虫けら一匹では足りぬとばかりに、再びドリルを足元へ向け共に地中へと消えた。
今宵この世に産み落とされたのは、二つで一つの獣が一匹。
総ての怨敵を滅するその日まで、掘り進むのは如何なる果てか。
答えは廻る螺旋の中に――――
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