第9話 旅立ち
少年は母と二人だけの食卓でいつもと同じ朝食を終えると、自分の上半身を甲羅のように覆うほどの背嚢を背負った。
「行くの?」
「うん。約束の時間、もうすぐだから」
少年の母は静かに頷き、自分と夫の面影を受け継いだ息子を抱擁。
暖かい温もりが少年の心そのものを抱きとめる。
「行ってらっしゃい」
耳元で伝えるのは、日常の言葉。
異界へ旅立つ我が子が、再びその元へ帰ってくることを願う祈りの言葉だ。
「行ってきます」
辰間基は母の祈りをしかと胸にし、仲間たちのもとへ踏み出した。
*
「地中から一気に“目的地”を目指しましょ」
居住区の外れに集まった一同に、彰吾は行程を伝える。
過日、鬼との戦闘で負った淵鏡皇のダメージは回復にいま少しの時間がかかる。
目下の目的地である国主明彦の故郷は、何事もなくとも到着までに1週間以上を要する。
回避できる戦闘は可能な限り避けるべきであった。
「ズッと地中を掘り進むことになるワ。“日なた住み”の二人にはツラいかもしれないけどね」
「それくらいのことで音を上げるつもりはないですよ」
しっかりとした口調で応える基に、彰吾は満足げに微笑む。
「頼もしいこと言ってくれるじゃない。そっちの“ヒヨコちゃん”はどう?」
続けて少女にも問いかけるが、舞は自分に視線を向ける彰吾の意図が解らず呆とした顔である。
「ヒヨコちゃん。え、あ、私!?あの、あの、大丈夫でっす!!」
慌てて返事をする声が裏返る。隣でその様子を見ていた基は苦笑した。
「二人はドリルロボに同乗してもらえば良いんですね」
「ええ、そのつもりよ。“光鉄機”には地中を掘り進む能力はないみたいだし」
「「それに、変身中は精命力を激しく消耗する。道中は可能な限り人間の姿で過ごした方がいい」」
「ん、“異議なし”ね。それじゃあ、基はアタシの方に乗んなさい。夕は舞を頼むわ」
「えええ!?基、こっちに一緒じゃないの!?」
ごくスムーズに決まりかけていた道中の計画に、突然少女が口を挟んだ。
緊張感に欠ける舞に少々呆れながら、彰吾が応ずる。
「嵐剣皇に二人も“相乗り”したら狭いでしょうが」
「で、でもでも……」
「あのね、何日もかけて行くンだから、コクピットは“寝起き”の場なの。アンタら一応“男の子”と“女の子”でしょ。その辺も気を遣ってるつもりヨ」
もっともな説明にウンウンと唸りながら一時は納得しかけた舞だが、何かに気づき顔を上げた。
「基は男の子だから、彰吾さんと一緒は危ないですよね!?」
「張っ倒すわよアンタ」
「思いつきを提案してもいいかしら」
彰吾に凄まれ涙目になる舞と、少しだけ良からぬ想像をしてしまい顔を青くする基を見て、夕は助け舟を出すことにした。
「一日か二日ごとに、同乗するドリルロボを変えたらどう?接触すれば、地表に出なくても乗り換え自体は可能でしょう」
「ま、できるケド。それってどういう“意味”があんの」
「気分転換ですよ。彰吾さんはタフだから平気なのかもしれないけど、閉鎖空間で単調な時間を過ごすのって結構堪えるの」
「……一理あるわネ。アタシは“どっち”でもいいわよ。アンタらが良いようにしなさいな」
かくして、基と舞は二体のドリルロボを行き来することになった。
*
薙瀬夕と鍔作舞の場合。
舞は、夕の横で即席のシートに座っている。
操縦桿を握る白い指。そこに輝く銀透明のリングに少女の視線が注がれていることに夕は気がついた。
「この指輪の話、聞きたい?」
「え、あの、その、良い……の?」
夕の指輪にまつわる話…国主明彦のことは、舞にもさわりだけは既に聞いた。
手にしつつあった幸福を突然喪い過酷な戦いの世界に身を置いている。
彼女の指に光っているのは、ある種の『枷』であると少女には感じており、そのような話を強いて掘り起こすことは避けるべきではないかと思ったのだ。
「と言うか、私がお話したいの。あの人のことを話して、思い出しておきたいのよ」
「夕、巡航コントロールは私が行おう。君は休息してくれ」
現在のパートナーのはからいに預かり操縦桿から手を離す。
夕は薬指の指輪を愛おしそうに撫でながら話を始めた。
「年下なんだけど優しい人でね。いつも私の方が支えられてたわ」
舞は頷きながら備蓄コンテナから取り出したクッキーを受け取る。
「それでも時々、ひとつのことに夢中になってるのを見ると、ああ、男の子なんだな、なんて思ったりね」
「そういう所があると、なんだか可愛いですよね」
「ええ、だからやっぱり年下だなって再確認するのよ」
クッキーを少しずつかじりながら、舞は夕の恋人の話を聞く。
明彦の人柄と思い出をゆっくりと話す夕の横顔には、寂しさや悲しさではなく暖かな感情があった。
「明彦さん、私も会ってみたかったなぁ」
ひとしきり聞き終えた舞が、息をつきながら言う。
その様子に夕もほっとした思いになる。
「……ありがとう、舞ちゃん」
「ね、ね、私もいつか、夕さんみたいになれるかな」
「私みたい、って?」
「えっとね……凛としてかっこよくて、ステキな旦那さんが居るの」
小柄な舞が、大きな瞳に憧れを湛えて見上げてくる。
夕は半ば無意識のうちに、舞の濃い褐色の髪に手を伸ばした。
「ステキな人と一緒になれるように。応援してるわ、舞ちゃん」
白い指が優しく髪を撫でてくるのを、舞もそのまま受け入れるのだった。
*
宇頭芽彰吾と辰間基の場合。
「
操縦席のシートに跨り、前傾姿勢でハンドルを握る彰吾は正面のモニタから振り返らずに言った。
「拘ってるように見えますか?」
後部に設けられた仮眠スペースに座る基は、問われたこと自体が心底意外といった風である。
「フツーは昨日今日会ったヤツの為に“命”張る覚悟なんてキメやしないわヨ」
礼座光と基達の関係を聞き、実際に基のまっすぐな瞳を知った彰吾は、基が“友達”という存在に対し並ならぬ情を抱いていると感じていた。
「そうやって言われると、そうなのかも、しれないですけど……」
自身の思いを適切に表現できる言葉を思案し、少年は口をきく。
「……父さんからいつも言われてるんです。友の為に生きろ、って」
「“父さん”ね……」
「父さんが、自分もその言葉を胸に自分は成長した、って言ってたんです。僕も父さんみたいな大人に……男になりたいから」
照れもせず言い切る基の様子に、この少年が心から父親に敬意を抱き憧れていることが判る。
かつて天原旭に自分自身の現在の姿を写し見た彰吾は、辰間基に対して見たのは過去の自分自身であった。
「やっぱ“変わって”るわ。フツーそうに見えたのにねェ」
心根にむず痒さを覚え、思わず目をそらしたくなる少年の姿。
「……父親を尊敬するのは、おかしなことなんですか?」
彰吾のコメントに否定的な色を見た基が口を尖らせる。
背を向けているため表情は読み取れないが、彰吾の外見に似合わぬ繊細な感性は、僅かな声色の変化で基の心情を悟った。
「ゴメンね。そんな“つもり”じゃないの。ただ、昔を思い出しちゃっただけ」
「昔、ですか」
「……アタシもさ、ちょうどアンタくらいの
しばしの沈黙の後、彰吾が穏やかだが重みのある声で再び問う。
「もし、アンタの父親が突然“変わって”しまったら……アンタは“どう”する?」
それが問いを発した大きな背中の主が体験したことなのだろうと、少年は直感した。
察したのは問いの背景だけではない。彼がある種の期待を抱いていることにも思い至る。
「……同じです。僕が憧れる“父さん”は、変わりません」
「あら。随分とデカい“啖呵”を切ったわね」
ひたすら前方のモニタを見やる彰吾の微笑みは、少年からは見えない。
「ヒカルと出会って、夕さんと彰吾さんと出会って、変わったのは状況だけじゃないって思います。僕が今ここにこうして居るのは、僕自身がそうしたから…です」
あくまで一筋にまっすぐあろうとする少年の心、言葉、行い。
かつて自分にも在ったもの……いや、無くしたわけではなく、奥底に隠してしまったものが背後で輝いている。
「アンタ、ホント“かわいい”……なんだか“抱きしめ”たくなってきちゃった」
基は逃げ場のないコクピットの中、少し後ずさった。
*
夕と基。
間近で香る大人の女性の匂いに、思春期を迎えたばかりの少年はいたく緊張している。
「基くん、くつろいでて良いから……って言っても、こんな狭い所じゃ難しいかな」
「い、いえ、あの、お邪魔してます……」
少年が脱力できないでいるのはコクピットの狭さによるものではないのだが、夕には今ひとつ理解が及んでいない。
「地中穿行だけならば私だけでコントロールできる。心配は無用だ」
明彦青年の人格を受け継いでいる嵐剣皇も、マシンであるがゆえに肝心の部分では機微に疎かった。
「少しお話しようか、基くん」
わざわざ体の向きを変えて目を合わせてくる夕。
基は淵鏡皇の中とは違った逃げ場の無さを感じながら、少年なりに精一杯平静を装いながら会話に応じる。
「ねえ、舞ちゃんのこと、どう思ってる?」
「へ!?」
喉奥から裏を向いたままの声が出た。
「どう、って……どういうことですか?」
「ふふ、何とも思ってなければそんな風に聞き返さないわよ?」
目の前の女性は、いたずらっぽく片目を閉じてみせる。
彰吾にはてらいなく思いを語ることのできた基であったが、夕の持ち出す話題は勝手が違った。
耳介に赤みが差した少年は、自然と俯き口を噤んでしまう。
初々しい少年の反応に、もう少し続けたい衝動にかられた夕であったが、本来伝えたかったことが言えなくなりそうなので自制した。
「からかうようなこと言ってごめんね、基くん」
浮ついた気持ちを一旦落ち着かせようと深呼吸して、再び少年に向き合う。
「自分の気持ちに正直になるって、勇気が要るけど大事なことよ。それが言いたかったの」
「……自分の気持ちに、正直になる……」
基自身は、自らの思いに対し常に真摯であるという自覚がある。
しかし、どうやら夕が言わんとしているのは『そういうこと』とは別の事柄であるらしかった。
「僕の気持ちって……うぅん……」
「そうよね、わかってるけどわからない。そんなものよ。悩むといいわ」
膝の上に手を揃えて姿勢を正した夕は続ける。
「でも、最後には必ず答えを出すべきよ。私は……そうしたわ。だから、少なくとも後悔だけはしなくて済んでいるの」
*
彰吾に舞。
舞は、いかつい機械といかつい男がひしめく狭小空間で石像と化していた。
「どうしてこの期に及んでそこまで“ビビ”ってンのよ、アンタは」
メインシートの背もたれ越しに、まばたきすらしない少女を呆れ顔で見やる。
淵鏡皇のコントロールには、道中組み上げた自動制御プログラムを走らせてある。
「ちょっと~!?聞いてる~?コレッ!」
「ひゃい!」
声をかけただけで低い天井に頭をぶつけそうなほど飛び上がる舞を見て、彰吾はまともな会話を成立させることを諦めた。
「ま、くっちゃべるばかりが“能”でもないわよネ」
彼はそう呟くと、両手を自分の後頭部へ置きシートに身を預ける。
コミュニケーションにおいて、沈黙は必ずしも避けるべき事象ではない。
まずはこの小動物のような女の子に対し、自分と同じ空間に居ることに慣れさせようと考えたのだ。
しばし、と言うには果ての知れない沈黙。
淵鏡皇の巨大ドリルが地中を掘り進む音と振動だけが、装甲越しのコクピットに響く。
現在、地中行を始めて数日が経過している。
暫くの間はマニュアル操作を続けていたタフな彰吾も、さすがに疲労が蓄積していたのであろう。
首が突然下に落ちるような感覚でもって、彼は自分がたった今“覚醒”したことに気がついた。
「あらヤダ……“寝”ちゃってたワ」
思わぬタイミングで隙を見せてしまったか、と、出会った時から“隙だらけ”であった少女は如何にと背後を振り返る。
即席のベッドを用立てた仮眠スペースに、舞の姿は無い。
気配そのものは確かであることに訝しんだ彰吾がいま一度コクピットを見渡す。
灯台下暗しの文字通り、同年代の平均より小柄な少女はメインシートの裏側で寝息を立てていた。
若干後方に傾斜させていたシートの裏側である。
舞は肩口と側頭部だけをシートに着け上体を支える、奇妙な姿勢。それでも熟睡しているようだ。
「寝違えるわよ、アンタ」
口端から涎を垂らす少女の腰の辺りに手を差し込み、片手で持ち上げて仮眠スペースに移動させる。
なお眠り続ける舞に、彰吾はくたびれた毛布をかけてやり苦笑いした。
*
彰吾×基×舞。
「で……なんで“二人とも”こっちなのよ」
「夕さん、たまには一人でゆっくりさせてあげたいし!」
見事に“慣れた”舞が、展開した後部座席で足をパタパタさせながら言った。
「「ハジメとマイが一緒になっているから、俺も話ができるな」」
久方ぶりに聞く光の声は、心なしか嬉しそうである。
「コレって実質“三人”も居るんじゃない!夕に“優し”くてアタシに“厳し”いわよね、アンタたち」
「僕は狭くなるからよそう、って言ったんですけどね……」
テンションを上げる舞の隣で、基は肩をすぼめて座っている。
「確かに、これはちょっと狭いよね。それに……うぅ……男の人の臭いがする……」
張り切ったかと思えば突然萎れる舞。
彰吾は今更ながらこの少女のことが心配になった。
「そりゃ男:女が2:1なんだからしょうがないでしょ。アンタ、“鼻”もいいの?」
「だってだって、嵐剣皇のコクピットは良い匂いだったからギャップがスゴいんだもん!ねえ、基?良い匂いだったよね!!」
「う、うん……それは、そうだね、いや、そうなんだけど、ええとね」
話を振られ、不用意に夕と二人きりの空間を思い出してしまった基が無意味にうろたえ始める。
「「ハジメ、そういえばあの時の話は俺にも聴こえてしまっていた。すまない」」
唐突に光が口を挟む。彼も会話に参加したいのだ。
「ち、ちょっと!すまないと思ってるなら今ここで言わないでよ!!」
「夕さんとどんな話してたの?気になる気になる」
「こら、いたいけな青少年をイジメるんじゃないわよ!」
普段らしからぬ狼狽した基を見かねた彰吾が一言たしなめ、少女はひとまず追求の手を引っ込めるのだった。
*
時に穏やかに、時に騒がしい地中の旅路が半月ほど続いた頃。
「目的地は近い。何事も無ければ今日中には到着するだろう」
嵐剣皇からの報せに、一同は人心地がつく。
「不要な誤解を避けるために、多少は縁のある私と夕が先行しよう」
通信端末越しに申し出る嵐剣皇。
それを聞く彰吾たちは一様に頷いた。
「
「ええ、私もそう考えていたところです」
「よし了解。万が一何かあった時はアタシと光鉄機が“別働隊”になるわね」
それから半刻ほど行き、合図を受けた彰吾は淵鏡皇の機体を地中に留まらせ、地表へ“浮上”する嵐剣皇を見送った。
嵐剣皇は
胸部から地表へ向けて伸びた梯子に足をかけ、夕は久方ぶりに陽の光を浴びた。
そこは、現代の感覚を持つ我々が見れば「田舎の農村」と形容するであろう。
自給自足の為の田畑が広がる中に、点々と年季の入った住居が建っている。
「……何もないのね」
まったくの大自然ではないにも関わらずヒトの気配に乏しい空間は、都市での生活に慣れた夕にとって新鮮味を通り越し違和感すら覚えるものだ。
「表面上はそうだな。この道をまっすぐ行けば、この里を取り仕切る者の住処がある筈だ」
肩に乗った嵐剣皇の端末が導くままに歩き出そうとした夕だが、はたと立ち止まる。
突然、背後に人の気配を感じたのである。
「ずいぶん勘が良いようだね」
そして、夕が感付いたと同時に落ち着き払った中年男性の声。
振り向くと、声の印象そのままの穏やかな雰囲気の男が徒手空拳で立っていた。
夕との距離は数歩程度。嵐剣皇から降りた時には、たしかに周囲には誰も居なかった。
柔和な微笑みを浮かべる男は、顔に似合わず屈強な体躯を厚手の木綿で仕立てられた濃紺の装束に身を包む。
装束は襟を胸の前で重ねて帯で止めるもので、上衣と同じく濃紺の袴は裾を脚絆にたくし込んである。
襟元からは金属で編まれた帷子が覗く。彼は戦闘員なのであろうか。
「待っていたよ、君たち。退魔士の里へようこそ」
戸惑いながら警戒する夕は、男の言葉を理解するのに数秒を要した。
「待っていた?どうして……?」
「ハハハ、びっくりしているだろうね。まぁ、大巫女様に会ってくれたまえ。そうすれば全てわかるよ」
身構える夕をよそに、中年男は元々の目的地であった『道の先』――退魔士の里長が住む家を指差す。
「ああ、そうそう。地中で待っているお仲間さんも、一緒に来るといい」
彼が事も無く発する一言一言に、夕はこの地は既に非日常の舞台であることを理解した。
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