3-8 精一杯のサプライズ
「雪乃。少しだけでいいから……話をさせてくれ」
「うん、いいよ」
私たちは遺族控え室に戻る。おばあちゃんは一緒にいようかと気を遣ってくれたけど、私は大丈夫だからと断った。
桜庭はというと、葬祭場の係員に捕まってさっきから話し込んでいる。彼のおじいちゃんと係員の人は元々知り合いらしく、そのおじいちゃんと同じ格好の少年が突然現れたものだから相当驚いたようだ。お葬式の間はあんなに落ち着き払っていたのに、今は興奮気味に花葬りのことについて話している。
まぁ、そうなる気持ちも分かるかな。
私は空に舞う白いカーネーションの光景を思い出して、一人頷く。
控え室のベンチに座る。私はその向かいの壁にもたれかかって立つ。お父さんは俯いたまましばらく黙っていた。私も何も言わない。よくよくその顔を見ると、下を向いた鼻の先からぽたぽたと雫がこぼれていた。お父さんが泣いているの……初めて見た。
「お前たちがいなくなってから、色々あったんだ」
お父さんは呟くように話し出す。
「自分がやってきたことがお前たちを傷つけていたなんて、すぐには受け入れられなかった。ずっと自分は正しいと思い込んでいたんだ。だからまるで自分が知っている私と、他人が見ている私、別々の人格が自分の中にあるんじゃないかって恐ろしくなって……食欲は湧かず、寝つけず、当然仕事もままならない日が続いた」
言葉を切り、大きく息を吸う。お父さんの声は震えていて、時折不安定に裏返った。
「ある日、私は会社で取り返しのつかない失敗をした。溜まりに溜まったストレスが爆発して……自分に非があることなのにも関わらず、皆の目がある場所で部下を叱ってしまったんだ。理不尽な言い分だった。自分でも分かっていた。だが、ブレーキが効かず……気づいたらフロア中から冷たい視線に晒されて……私は、退職させられることになった」
お父さんがよく家で自分の会社や仕事について自慢していたのを思い出す。いつも自信ありげで、満面の笑みで。仕事の話は難しすぎてよく分からなかったけど、その話をしている時のお父さんのことは嫌いじゃなかった。
だから、少しだけ同情する。
「本当に気づくのが遅いよな。全てを失った時に初めて自分の弱さを知ったんだ。それから私は地元に戻って……カウンセリングに通いながら、今は地銀に勤めている。最初は環境の変化になかなか身体がついていかなかったが、職場の人たちにも恵まれて最近やっと慣れてきたんだ。カウンセラーにも快方に向かっていると言われ……私は佳苗に手紙を出すことにした」
「手紙?」
そんなの聞いていない。私が尋ねるとお父さんは頷いた。
「ああ。だがお前たちとやり直すって話をしたかったわけじゃない……とにかく謝りたかったんだ。過去の自分の罪についてちゃんと反省していると、それを伝えたかっただけだった。だから実際は佳苗に直接手紙を出したわけじゃなく、お
お父さんはもう一度、私に見せようとしていたあの封筒を取り出す。宛名が滲んでしまっていて、胸がちくりと痛んだ。
「あいつはお前のことを一番に心配していたよ。私たちの離婚のことを、自分の責任だと思いこんでるんじゃないか、って。そのせいで自分の人生に向き合えなくなっているんじゃないか、って」
お父さんはすっとベンチから立ち上がったかと思うと、そのまま床に膝をついて、私に向かって頭をさげた。
「ちょ、ちょっと! 土下座なんてやめてよ!」
「本当にすまなかった……! 離婚の原因はすべて私だ……お前が背負う必要など全くなかったのに……!」
私は無理やりお父さんの身体を起こした。私と目があうと、お父さんは慌ててポケットからハンカチを取り出して、自分の顔を拭う。
「雪乃……お前は本当に、佳苗に似て優しい子だ」
布越しにくぐもって聞こえる言葉に、私は少しどきりとする。
「信じてもらえないかもしれない。私がおかした罪はそれだけ重いものだということは承知している……だが、これだけは言わせてくれ。こんな歳で情けないことだが、私は本心からやり直したいと思っているんだ。自分を変えたい。奪ってしまったものはもう戻らないが……お前を幸せにするためにできることがあるのなら、何だって協力する。どうするかはお前が決めなさい。私は……父さんは、いつだって待っているから」
私はこの時、お父さんのことを少しだけ……ほんの少しだけ、羨ましいと思った。
「お父さん、私は——」
それから一ヶ月はとにかく忙しかった。
お父さんが住んでいるのは隣の県の実家、つまり私にとっては父方の祖父母の家にあたるわけで、落ち着くまではそこで暮らすことにした。柳田市までは電車で40分以上かかる距離。通えなくはないけれど、高校側のルールでは県外からの通学は許可されない。私は引っ越しの準備をしながら、柳田高校の退学手続きを進めた。
「良いのか? お友達とか……」
お父さんが申し訳なさそうに聞く。でも私にはそこまで未練はなかった。
「うん。でもその代わりこっちの高校には通わないから」
「!? じゃあどうする気なんだ?」
お父さんがあたふたとして、食べかけの朝食のトーストを床に落とす。おじいちゃんとおばあちゃんが笑う。私も、笑う。
「私ね、何のためになるのかよくわからない勉強よりも——やりたいことがあるんだ」
長い時間電車に揺られている間に、シミュレーションはばっちりだ。
バイトの面接も問題なく合格。桜庭のお母さんは県外からわざわざ通いたいということには疑問を持っていたけど、今まであまり求人が上手くいっていなかったのか、すぐに採用と言ってくれた。
あとは、あいつと顔を合わせるだけ。
びっくりするかな。なんて言うかな。
驚かせた後でにっこり笑って、「この間はありがとう、これからもよろしく」って爽やかに言えばいい。ただそれだけだ。
店の外から桜庭と鳥飼の話し声が聞こえてきた。何を話しているのか内容は聞き取れないけれど、静かな商店街には十分賑やかに響いて、桜庭のお母さんは「まーたあいつらは!」と舌打ちをして店の外に出て行く。
「こら灰慈! あんまり店の前で騒ぐんじゃないよ! ご近所迷惑だし商売の邪魔!」
そういう桜庭のお母さんの方が声が大きくて、私は思わず吹き出しそうになった。
「いいからさっさと来な。今日から新しくバイトの子雇うことにしたから」
「バイト?」
桜庭のお母さんが、こっちを振り返って手招きしてくる。その肩越しに桜庭のピンク色の髪が目に入って……
——ああ、やっぱりちょっと、無理。
「な、なんで水川がうちで……」
桜庭がしどろもどろに言う。顔が熱くなって、なんだかサプライズだなんて意気込んでた自分が急に恥ずかしくなって、私は思わず顔をそらした。
「だって……あんたの近くにいないと。届けてくれるんでしょ、花」
〜番外編3 ホワイトスノウ・カーネーション 終わり〜
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