番外編4 感謝の言葉を乗せる花

感謝の言葉を乗せる花



「カーネーションを一本ください。あ、包装付きで」


「ありがとうございます。お会計は150円になります」


 今日一日で何度同じやり取りをしただろう。


 五月の第二日曜日は「母の日」。お母さんへ日頃の感謝を伝えるための日。


 私はお客さんのカーネーションを包装紙でくるみながら、今日この花を買っていった人たちのことを思い浮かべてみた。


 同じ年頃くらいの制服を着た女の子とか、社会人になったばかりに見える若い男の人とか、あるいは自分の親と義理の親の二人に贈るのか二本買っていく女の人とか。


 常連さんから普段花屋に縁のない人まで、老若男女いろんな人のちょっぴり照れくさそうな顔。


 レジカウンターの向こうからそんな表情を向けられるたび私まで気恥ずかしくなって、思わず視線を合わせないようにしてしまった。


 いや、本当は気恥ずかしさだけじゃなくて、罪悪感もあったのかもしれない。


 お母さんがまだ生きていた去年の今頃、私は母の日のことなんかすっかり忘れていて感謝を伝えるどころか酷い言葉を投げつけてしまった。そして結局ちゃんと謝れないままお母さんはあの世へと旅立ってしまったのだ。


 桜庭が花葬はなはぶりでお母さんの遺灰から白いカーネーションを咲かせてくれたこと……今でも鮮明に思い出せる。あの儀式のおかげで私もお母さんもちゃんと和解して前に進めた気がする。


 だけど自分の手で渡せなかった後悔は、胸の底にくすぶってなかなか消えない。


 これから毎年、母の日を迎えるたびに同じ想いに苛まれるのだろうか……そう思うと、カーネーションを渡すべき人がいるお客さんに対して少しだけ暗くてもやもやとした気持ちが湧き上がってしまう。






 赤・ピンク・白の色とりどりに揃えられていたカーネーションはあっという間に売れていって、夕方を過ぎた頃にはもう残り一本しかなくなっていた。


「雪乃ちゃん、売り切れる前に自分用に取り置きしちゃったらどうだい」


 花屋の店長である桜庭のお母さんに言われ、私は首を横に振った。


「いえ、大丈夫です。母はもう亡くなっていますし」


「そうかい。さっきからずっと見ているから、てっきり欲しいのかと思ったけど」


「それは……」


 欲しくないと言ったら嘘になる。私もお母さんのために一本買いたかった。だけどお母さんはもうこの世にはいないし、私は花屋の店員だ。ちゃんと贈る相手のいるお客さんを優先するべきだ。


 私が言いよどんでいると、桜庭のお母さんは私の肩を強く叩いて笑った。


「そんな気にしないでいいって。ほら、どうせもう店仕舞いの時間だし。それにねぇ、お母さんも仏花ばかりじゃ退屈だろうよ。たまには別の花を贈ってもいいんじゃない?」


「店長……」


 私が答えを出す前に、店長は手早く最後の一本を包装紙に包んで手渡してきた。カーネーションのふわりと甘く優しい香りが漂ってくる。


「……ありがとうございます」


 私がそれを店の裏のロッカーに置いて、そろそろ閉店の作業に取り掛かろうとした時だった。店の扉がガラッと開く音が響く。


「いらっしゃいませ」


 声をかけて店の入り口の方を見てみると、そこにはまだ小学校に上がる前くらいの小さな男の子が立っていた。動物のイラストがプリントされたTシャツを着ていて、癖のない髪と少し赤らんだ頬が可愛らしい。


 男の子はお店の中をきょろきょろと見回し、やがて一つ一つ花をじっと見て回り始めた。どうやら一人で来たようだ。親らしい人は店の中には現れない。カバンも何も持っていない彼の右手はぎゅっと固く握りしめられていて、きっとおつかいでも頼まれたのだろうと私は思った。


 やがて男の子は空になった棚の前でぴたりと立ち止まった。もしかしてカーネーションを買いに来たのだろうか。そんなことを思っていたら、やがて男の子の肩が小刻みに震えだして、急にわあわあと泣き始めてしまった。


「えっ、ちょっとどうしたの?」


 男の子のところに駆けつけて背中をさすると、彼は鼻をすすりながらぽつぽつと呟いた。


「ボク、ママとケンカしちゃったんだ。ママが夜ごはんにボクのだいすきなハンバーグつくってくれるって言ったのに、ボク『イヤだ』って言っちゃったんだ。そしたらママすっごく悲しそうな顔しちゃった」


「どうして嫌だなんて言ったの?」


「だって……今日は母の日だから、ママにはちょっと楽してほしかったんだよう。ハンバーグはいつもつくるのがタイヘンだから、もっとカンタンなのでいいよって、そう言うつもりだったのに……」


 男の子はその時のことを思い出してしまったのか、まんまるの瞳からボロボロと涙をこぼし始めた。


 ああ、この子私と似ているんだ。


 私も小さい頃、お母さんに買ってもらった服がすごく可愛くて気に入ったのに、それを素直に喜ぶのがなんだか気恥ずかしくて「こんなの私に似合わない」って拒絶してしまったことがあった。


 本当は「ありがとう」ってただそれだけ言えればよかったのに。「お母さん大好きだよ」って言えればよかったのに。


 身近にいる人に対しては、言葉よりも想いの方が大きくなってしまう。


 だから上手く伝えられない。想いを言葉に変換できない。そして伝えそびれて、無駄に傷をつけて。


 でも、どれだけ近くにいたって想っているだけじゃ伝わらないことだってあるんだ。ちゃんと言葉にしないと。大切なあの人との、共通言語で。


 私やこの男の子みたいに不器用な子どもは、きっと普通の人よりもその共通言語を伝えるのがヘタクソだから。


 そんな子どもでもちゃんとお母さんに気持ちを伝えられるように……そのために、この花があるのだろう。


「ちょっと待っててね」


 私は男の子にそう言って、ロッカーからさっき店長にもらったカーネーションを取ってきた。


「これが最後の一本。本当は私がもらおうと思っていたけど、君にあげる」


 男の子は恐る恐るその花束に手を伸ばす。


「お姉ちゃんはそれでいいの……?」


 私のことをちゃんと心配してくれる、君ってばとても優しい子なんだね。


 私は男の子の涙に濡れた頬を拭ってやりながら答えた。


「うん、大丈夫。私はもう、花がなくてもお母さんにまっすぐ気持ちを伝えられるから」






 男の子が帰って、店の中はがらんと静まった。私は店頭に出してある花壇をしまおうと外に出る。日が沈みかけ、辺り一帯は柔らかなオレンジ色の夕日に包まれていた。


 私はまぶたを閉じる。そしてきっとどこかで見守ってくれているお母さんのことを思い浮かべて、そっとつぶやいた。


「いつもありがとう」


「えっ」


 声がしてハッと目を開けると、両手いっぱいに自分の髪の色と同じピンクのカーネーションの花束を持った桜庭がすぐそばに立っていた。


 もしかして聞かれただろうか。


「ねぇ、今のって」


 桜庭が尋ねてくる。恥ずかしさで顔に熱が昇る。


「ちが……」


 否定しようとして、途中でやめた。


 別に否定する必要なんてなかった。




「桜庭も……いつもありがとう」




 私がそう言うと、桜庭は思わず手に持っていた花束を落としてしまった。ピンクのカーネーションが散らばって、花束の間から「お母さんへ」と書かれたメッセージカードが顔を出す。


 ああもう、そんなに驚かなくってもいいのに。


 私はただ、この人に言えばお母さんにも届くだろうと思っただけだ。


 お母さん、あなたのおかげで私は今日も元気です……って。





〜番外編4 感謝の言葉を乗せる花 終わり〜





※今回の番外編は自主企画「母の日短編企画 inspiration for 花咲か灰慈」にご参加いただいたうちの一作とコラボという形で執筆させていただきました。


●谷川流慕さん作『ママのことばで』

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882999306


他にも自主企画にご参加いただいた作品は全て力作ぞろいで母の日に読むのにぴったりですので、ぜひこちらからご確認ください。


●近況ノート:自主企画参加作品一覧

https://kakuyomu.jp/users/himawa_ri_e/news/1177354054883130821


この場を借りて、自主企画にご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました!


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花咲か灰慈〜小噺集〜 乙島紅 @himawa_ri_e

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