1-2 燃え尽きた灰



「駆け足ー! オー! エイ・オー! エイ・オー!」


「声が小さーいっ! もっと気合入れないと、甲子園なんて行けないわよ!」


「ウス! ペース上げっぞ! オー! エイ・オー! エイ・オー!」


 授業が終わり、僕はぼうっと教室の窓の外を眺めていた。


 グラウンドに響くのは野太い野球部の声と、紅一点のマネージャーの甲高い声。


 彼らは終業の鐘が鳴るなり水を得た魚のように教室を飛び出し、数分後にはもう校内中にその声を響かせている。なんでも復活したばかりの甲子園への出場を狙っているらしい。市内大会で優勝したことすらない弱小校のくせに、よくやるものだ。


 特にあのマネージャー。名を高砂たかさごユリと言う。学年一美人と呼ばれるだけでは飽き足らず、女のくせに生徒会やら町内の催事の実行委員にも積極的に参加しているという。


——本当に、よくやるものだ。




 数年前に突然戦争が終わって、僕は今年高校生になった。


 誰もが不安をごまかして復興を目指す時代。確かに何もかも制限されていた戦時中より、環境は幾分かましになった。だけど僕の頭の中はいつまでもどんよりと曇ったままだ。その理由はきっと、あまりにも多くの死を見てきてしまったからなのだと思う。




 そろそろ帰ろう。そう思って席を立った時、僕の前にガタイのいい男子生徒が一人立ちはだかった。


「……何?」


 彼のことは知っている。僕の家、桜庭花店と同じ商店街にある工務店の息子で、 確か高砂ユリの取り巻きの一人だ。


「桜庭。お前にユリさんから相談があるとのことだ。今夜商店街の集会所に来い」


「おいおい、それが人にものを頼む態度かよ。用件はなんだい」


「お前も商店街の納涼祭の実行委員に加わってほしい」


「はぁ!?」


 柳田納涼祭。戦前、商店街が企画していた夏祭りだ。ただ戦争が始まってからは開催されなくなっていて、それを復活させようとする実行委員があるらしいというのは聞いていた。


「なんで僕が実行委員なんてやらなきゃならないんだよ。やりたい奴らで勝手にやってくれ。生憎あいにくそんな気分じゃないね」


「そうか。お前の気分はどうか知らないが、ユリさんからの伝言を伝えておこう」


「伝言?」


「”高砂宝飾店が商店会長を務めていること、忘れたわけじゃないわよね?”……だそうだ」


「……なるほど、これは脅しってことかい」


 彼はそれ以上何も言わず、くるりと背を向けて教室を出て行った。 もう誰も残っていないその部屋の中で、僕の舌打ちは空しく響いた。








「あら、ちゃんと来たわね桜庭くん」


 その夜、集会所を訪ねた僕を見て彼女は満足気にそう言った。人のことを脅しておきながら白々しい。


「改めて用件を聞かせてくれ」


 不機嫌さを露わにして問うたが、彼女は全く気にしないといった風に嬉々として言った。


「桜庭くん、あなたにお願いがあるの。あなた、御伽術師おとぎじゅつしなんでしょう? その力を使って、夏祭りの復活に手を貸してくれないかしら」


 御伽術師——それは、おとぎ話のような力を使う人間のこと。彼女が言う通り僕もそのうちの一人。花さか爺さんと同じく、灰を花に変える力が生まれつき備わっているのだ。


 しかし僕はこの力を誇りに思ったことはない。むしろ恨んでいる。物心ついた時から、この力のせいで僕はあらゆるところに駆り出されたから。戦争によって亡くなった人たちの灰処理をするために。


「僕の力は何の役にも立たないよ。悪いけど他をあたってくれ」


 そう答えると、高砂ユリはしばらく返事をしなかった。彼女の背後で例のガタイのいい男子が眉をひそめるのが見える。怒っているだろうな。でもどうだっていい。興味がない。


 彼女は集会所の机に肘をつき、手を組んでおもむろに言った。


「あなたじゃないとできないことよ。断るなら——」


「うちの店を潰しにかかるつもりかい」


「ええ。それくらい切羽詰っているのよ」


「……なら僕に断る権利はない。どうぞ、何をやればいいのか命令でもしてくれ」


 僕は抑揚のない声で答えたが、彼女はにっこりと邪気のない微笑みで「ありがとう」と言った。


 まったく呆れる。こういう連中は自分たちの正義を貫き通すためなら他者の気持ちなど平気で踏み潰す。理屈は分からないこともない。ボロボロになった国が立ち上がるには、無理にでも団結することだって必要だから。だけどその空気についていける人間ばかりではないことを彼女たちは知らないのだろう。


「で、具体的には何をやればいいんだい」


「お祭りが始まる時間にね、皆の前で灰を花に変えて欲しいの」


「いいよ、お安い御用さ」


 花咲師の力のこと、どうせ大道芸の一種みたいに思ってるんだろ? 結局こいつらも一緒か。僕の力をまるで道具みたいに扱いたがる。


「じゃあ後は祭りの段取りが決まったら知らせてくれよ。僕はこれで——」


 集会所を出て行こうとした時、僕の腕は後ろに引っ張られた。柔らかい手の感触と共に。


「な、何?」


 高砂ユリが僕の手を握り、黒目がちの大きな目で僕のことを見上げていた。


「本当に引き受けてくれて嬉しい。これはとっても大事な儀式なの」


「どうして」


「実はね、空襲で昔からずっと受け継がれてきたお祭りの飾りや山車だしはすべて燃えてしまったの。今回のお祭りでは全部新調するわ。でも、それじゃあなんだか虚しいでしょう。だからこれは再生のための儀式なの。あなたの力で、灰は生まれ変われるんだって証明して欲しいの」




——再生。




 それは、人の死によって生まれた灰を機械的に花に変えてきた僕には考えたことのない二文字で。




「桜庭くん?」




 高砂ユリに顔を覗き込まれ、僕はハッと我に返った。


「ああいや、なんでもない」


「そう? また詳細が決まったら連絡するわね」


 彼女はそう言って、子どものように僕に向かって手を振る。やめてくれよ、気恥ずかしい。僕は彼女の顔から目をそらし、集会所を後にした。





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