番外編3 ホワイトスノウ・カーネーション
3-1 遅刻の理由
——世の中のすべての人が、強くなれるってわけじゃない。
私がそのことに気づいたのは、たぶん普通の人よりも少し早い時期だった。……仕方がなかったんだ。お母さんを守るには、私が強くなるしかなかったから。
***
「
高校に入学して、一ヶ月くらいが経っていた。
この日はとにかく寝不足で、朝から頭がガンガン痛かった。だから余計に
「うるさいな……自分は時代遅れのくせに」
そんなセリフが口を突いて出たのは、白血球が身体に入り込んだ病原体を追い出そうとするのと同じくらい、私にとってはごくごく自然のことだった。
——ヒュウッ
誰かが口笛を吹いたらしい。そんな音が響いた。称賛、の意味なのだろう。でも、話したこともない上級生にそれをされて何が嬉しく思えるものか。それよりも恥ずかしくないの? 上級生のくせに、教師に対して思ったことを言えさえしないで。
怒った座間澄子に腕をむんずと掴まれる。見せ物が終わったかのように散り散りになる生徒たち。その中には、同じクラスの
——あんたもだよ、桜庭。
入学当初から彼はその特異な髪の色——ピンクなんて、私もさすがにどうかと思ったけど——のせいで、しょっちゅう座間澄子に呼び出されては小言を言われていた。
地毛と言い張りつつも、罰として与えられる反省文とか雑用を断っていることは結局一度もなかったように思う。いつもヘラヘラ笑って、受け流して。
何がしたいの、あいつ。
私は強制的に座間澄子のお説教部屋に連れて行かれながらそんなことを思った。
別館三階、音楽準備室。八畳ほどの空間の中に、びっしりと寸分の隙間なく並べられた楽器や楽譜。そして奥には木彫りの洒落たデスクと、それに向かい合うように設置された質素なパイプ椅子。足を踏み入れた瞬間、濃厚な石鹸のような香水の匂いに包まれる。ここは座間澄子の城だ。私たちにとっては息苦しい生徒指導室。
パイプ椅子に座らされると、座間澄子は説教を始めた。まずは生徒手帳の規則を一通り読み上げて、私の何がいけないかをくどくどと指摘して、一昔前の学園ドラマの名台詞を引用なんかして、しまいには知りもしないくせに私の両親のことを批判し始める。もう聞き飽きた。彼女は人を叱るための方便をそこまで持ち合わせていないのか、ほぼ毎回同じ段取りだったのだ。
それに残念ながら、育った環境のせいか私はお説教というものに免疫があって、彼女の言葉がちっとも頭の中に入ってこないような身体になってしまっている。だから適当に相槌を打ちながら、彼女のデスクの上に並べられた小物を眺めることでやり過ごしていた。
その中の一つ、写真立てにふと目が止まる。そこには温泉旅館らしき場所の前で彼女と、彼女によく似た老人が写った写真が飾られていた。そういえば先日、家族で温泉旅行に行ったなんて話を授業中に自慢気に話していたっけ。
「水川さん、集中なさい! さぁ、どうして今日遅刻になったのか、理由を聞かせていただきましょうか!」
正確には、ギリギリで間に合う予定だったものを彼女に妨害されたのである。思わずため息が出る。だけどこの手の人間は、他人を指摘するのは得意でもそれを自分に
「……確か先生はまだ実家に住んでいるんでしょう? いいですよね、いつまでも親が守ってくれる環境で」
「何が言いたいの?」
座間澄子の眉がピクリと吊りあがり、声が少しだけ低くなった。私は構わず続ける。
「昨日、母が職場で倒れて入院しました」
「……なんですって?」
眉間にしわが寄っている。私が言っていることを嘘なのか事実なのか、判断しきれていない様子だ。別に理解される気はないから、どっちだって良いのだけれど。
「お母さんは弱い人なんです。身体も、心も。……だから、私が守らなきゃ」
私はパイプ椅子から立ち上がる。
「ちょっと、水川さん!」
制止する座間澄子の言葉は無視して、私は音楽準備室の扉に手をかける。……ああそうだ、言い残したことがあった。
「ちなみに、さっき先生は私の父親がちゃんと
何か言い返される前に、私は強めにその扉を閉めた。
——バタン!
ホームルーム中で
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