5
下校時間、アキはたまたまひのりといっしょになったので、同じバスで帰ることにした。
ブザーが鳴ってドアが閉まると、大型犬めいた緩慢さでバスは動きだしている。部活帰りや文化祭の準備で遅くなった生徒が乗車する中で、二人は一番後ろの席に並んで座っていた。
「――どう思うかな?」
と、アキは一通りのことを説明してから、ひのりに意見を求めた。
「どうって?」
ひのりはいつものほんわかとした調子で、話を理解したのかどうかも判然としない。
「だから、五人は本当に〝幸福クラブ〟のメンバーだったのかどうかってこと」
「ああ、そのことか……」
にこっと笑って言う。案外、煮ても焼いても食えないところが、この少女にはあった。
「――だって、暗号の解読は間違ってないはずだった。それなのに、質問してみた四人はみんなそろって何も知らないって言う」
「四人とも嘘をついてる、ってことはないんだよね?」
ひのりは小首を傾げてみせた。
「たぶん、ね」
「だとしたら、一年間もいっしょにいてそのことを忘れちゃう、なんてことはないんじゃないかな?」
「…………」
まさしく、そのとおりだった。忘れてしまうなんてことはありえない。とはいえ、四人がそのことをごまかしているようにも思えない、というのも事実だった。
「四人――というか、その五人はお互いのことは知ってたのかな? 掲示板でやりとりしてただけで、実際には顔をあわせたことはなかったとか」
訊かれて、アキは掲示板のやりとりを思い出してみる。
「知ってたとは思う。頻繁に会ってたかどうかはわからないけど、実際に会ってないとわからないような文章もあったし」
「じゃあますます、忘れてるなんておかしいよ」
やはり、それが正論だった。
「でも、暗号の五人は間違いなくあの人たちのはずなんだよ」
アキは結局、そこに戻らざるをえない。
「わからないけど、偶然てこともあるんじゃないかな?」
「確率的にはありえないよ。図書室の蔵書数と全校生徒の人数を考えれば、二つの暗号がたまたま同じ人物を指していたなんて。それも五人も」
「だとしたら――」
と、ひのりは靴を飛ばして天気でも占うような調子で言った。
「カモフラージュじゃないかな」
「……カモフラージュ?」
アキはきょとんとしてしまう。
「そう、そのメンバーの人たちは、秘密が漏れてしまうといけないから、わざと別人を使って暗号を作った。本物のメンバーはどこかほかにいる」
「――でもそれなら、最初から暗号なんて作らなきゃいいはずだけど?」
「じゃあそうだね、例えばそうやって偽の餌をまいて、自分たちを探している人間を見つけようとしている、っていうのはどうかな」
この少女は時々、無造作に突拍子もないことを発言する。
アキはひのりのカモフラージュ説を検討してみたが、それはそれで一理あるような気がしないでもなかった。本当のメンバーである五人(かどうかもわからない)が、偽装のために別人の学籍番号を借用する。しかもそれを、自分たちを探している人間を発見するための囮として利用する。
――これではまるで、スパイ小説だった。
「でも、そのうちの一人が行方不明になってるのは?」
「そんなこと訊かれてもわからないよ、私には」
ひのりは当惑気味に、もうお手上げといった顔をする。
「そもそも、その〝幸福クラブ〟と文化祭の〝四つの奇跡〟に何か関係があるのかな? 聞いたところだと、あんまり関連性はなさそうだけど」
「……わたしは、あるような気がしてる」
アキは弱々しく肯定した。
「どうして?」
「……何となく」
ひのりは別に非難するふうでもなく、ただ少しだけ不満そうに言った。
「今回のことを最初に教えたのは私だけど、どうしてアキちゃんがそこまでこだわるのか、私にはよくわからないな。そこまでしてこのことを調べようとする、どんな理由がアキちゃんにはあるの?」
「…………」
アキはそう言われて、けれど反論はしなかった。それを言ってしまうと、アキは自分の密かな願いが叶わなくなってしまうような気がしていた。願いはきっと、口に出してしまった途端に叶わなくなる。流れ星は決して、人のために待ってくれたりはしない。
だったらいっそ、すべてを諦めてしまうべきなのかもしれなかった。今までだって、ずっとそうしてきたように――
けれど――
時間をあわせるためか、バスは停留所にとまってからなかなか出発しなかった。低く唸るようなエンジン音だけが、世界を小さく揺らしている。
「……わたしね、会いたい人がいたんだ」
紙の船をそっと水面に放すように、アキは言った。
「昔、すごく仲の良かった男の子。ちょっとしたことがきっかけで、わたしはその子と友達になった。ううん、本当はわたしはその子と友達になりたかったから、友達になった。その子を見ていると、世界はそんなに悪い場所じゃないような気がした。その子といっしょにいると、いろんなものがきれいに見えるような気がした」
前のほうで、手すりにつかまって話をしていた男子生徒の一人が笑った。もう一人が何か面白いことでも言ったのだろう。
「でもね、時間がたって、いろんなことが変わっていって、わたしはいつのまにかどうしていいのかわからなくなってた。本当はいっしょにいたかった。でも何故だか、いっしょにいちゃいけないような気がした。変わらなくちゃいけないような気がした。受験とか、違う中学に行くこととか、世界やわたし自身が今までとは同じでいられなくなって……その子までの距離が、世界の裏側に行くのより遠い気がした。手をのばしても、もう届かないくらい」
軽いクラクションの音とともに、バスは何かを思い出すようにゆっくりと、再び路線にそって走りはじめた。
「今度のことを聞いたとき、わたしはその頃のことを思い出してた。その頃にあった、いくつかの不思議なことを。それでもしかしたら、またその子に会えるような気がした。あの頃と同じみたいに。わたしが今度のことで本当のことがわかったら、その子に会える資格みたいなものを、また取り戻せるような気がした。わたしは――」
アキは消えない流れ星に向かって願いを捧げた。
「わたしはもう一度、その子に会いたいんだ」
「――うん」
鹿野ひのりはいつものこの少女らしい、羊毛のような柔らかさでアキの言葉を肯定した。
「会えるよ、きっと。夢を叶えるには、まず夢を見なくちゃいけないもんね」
何の屈託もなさそうなひのりの笑顔を見て、アキは自分でも笑ってしまう。それは心を魔法みたいに軽くしてしまう、そんな笑顔だった。
「やっぱりすごいよ、ひのりちゃんは」
ため息をつくようにして、アキは言った。
「アキちゃんだって、十分すごいけどね」
ひのりはおかしそうに笑ってみせる。
窓の外には一日の終わりを告げる黄昏が、世界の見る夢みたいにゆっくりと迫りつつあった。
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