アキはもう一度図書室にこもって、暗号について再確認してみた。

 ハンドルネームから、本、バーコード、学籍番号と追っていくと、結果はやはり同じである。図書室の蔵書数は約四万冊。その管理番号が偶然、学籍番号と一致し、さらにもう一冊の本がそれと同じ人物の学籍番号を示す確率というのは、大雑把に見て百六十万分の一。しかもそれが五人全員となれば、やはり偶然ですませるには難しい数値だった。

 それとも、アキの気づいていない何か別の法則があるのか、あるいは、ひのりの言うようにある種の隠蔽工作にすぎないのか。

(……さっぱりわからないな)

 アキは十冊の本を机に置いて、頬杖をつく。図書室の管理用バーコード以外に、暗号につかえそうなものはなかった。内容に共通性は見られない。出版社、発行年月日、著者名、ページ数、価格――どれも何の意味もなさそうだった。

 本を一冊とって、アキはページをめくってみる。それは例の、『ほんものの魔法使い』だった。

 読んでみると、内容はメルヘンチックな小説だった。けれどある種の価値転倒が起こっていて、複雑なところもある。登場人物である本物の魔法使いは、自分たちのまわりにこそ魔法はある、という。たった一つの小さなドングリから育った樫の古木、草からミルクを作る牝牛、丘の上で形を変える雲、想像力という名前の不思議な箱のつまった人間の頭――そんな彼に向かって、手品師たちは鵜の目鷹の目でそのトリックを探ろうとする。

 アキがぼんやりと本を読んでいると、不意に隣のイスが動いて誰かがそこに座っていた。

 顔をあげると、見覚えのある先生の姿があった。神坂修一郎――いつぞや、アキが演劇部のポスターについて質問するために訪ねた数学教師だった。

「……どうしたんですか、先生?」

 まわりを見渡して、アキは訊く。図書室は昨日と同じくがらがらで、テーブルはどこも空いていた。

「ちょっと、お前に聞いておきたいことがあってな」

 神坂は傍らに分厚くて難しそうな本を置いて、そう言った。どうやら、本来の目的はその本を調べに来ることだったらしい。

「ここは談話室じゃありませんよ」

「心配するな、俺は教師だ」

 何を心配しなくてよいのかは、アキにはわからない。

「じゃあ、怒られたときは先生が言い訳をしてくれるとして、わたしに聞きたいことって何ですか?」

「――素直だな。聞かれたくなければ、断ってもいいんだぞ」

「わたしのほうからだって、一度質問してますから」

「フェアなんだな」

 神坂はほんの少しだけシニカルに笑った。

「前にも一度言ったが、どうしてお前は今度のことについて調べているんだ?」

「文化祭のことですか」

「ほかにも調

 少し疑問に思ったが、アキはそのことは訊かずにおいた。

「……個人的な興味です。前にも言いましたけど」

「なら、もう少し正確に訊こう。どうして〝個人的な興味〟を持った?」

 アキはそっと、神坂の様子をうかがう。以前のように、その手をのばしてくる気配はなかった。

「それは説明しにくいです」

「誰かに頼まれたのか?」

 ちょっと予想外の言葉に、アキは首を傾げる。「――頼まれた?」

「お前と同じように、そういうことに〝個人的な興味〟を持っている誰かにな」

「新聞部の人間としては、校内で起きた事件に興味を持つのは自然なことだと思いますけど」

 質問の意図を量りかねたまま、アキは正直に答えた。

「……そうか」

 神坂は思考を読みとらせない表情でつぶやく。この数学教師が本当は何を知りたいのかは、アキにはもちろん想像のしようもない。

「――ついでに、わたしのほうからも質問していいですか?」

 その代わりに、というわけでもないがアキは訊いてみた。

「まあいいだろう」

 神坂は鷹揚な感じにうなずく。

「先生は、うちの学校にあった〝幸福クラブ〟について知っていますか?」

「噂くらいなら、な」

 と、神坂はごく気軽な様子で回答している。

「クラブの掲示板のアドレスは生徒のあいだで秘密にしていたようだから、教師である俺も実物は見たことがない。どんな活動をしていたのかも詳しくは知っていない」

「学校は問題にしなかったんですか?」

「現実的には何の問題も起きていなかったからな。俺がこんなことを言うのもなんだが、学校というのはそんなものだ」

 アキはもう一つ質問をした。

「杜野透彦という生徒が失踪したことについては?」

「……フェアというには質問が多すぎるようだが、まあいい答えてやろう。生徒がいなくなった以上、学校としては問題だし、警察にも連絡したが、結局は行方知れずのままだ。神隠しとでもいうしかない。家出をするような生徒ではなかったそうだが」

「先生は、宮藤晴という少年のことを知っていますか?」

 まるで関係のないことを不意に訊かれて、神坂は一瞬計算間違いでもしたかのように口を閉ざした。

「……いや、知らないが」

「そうですか」

 アキは表情もなくそれだけを言って、あとは黙ってしまう。

「…………」

 神坂はしばらくその様子をうかがっていたが、アキにはもう口を開く気がないようだった。そう判断すると、神坂は立ちあがって、「邪魔をして悪かったな」と声をかける。

「どんなことにでも興味を持つのは構わんが、ほどほどにしておけよ」

 最後にそう言うと、神坂は本の貸し出し手続きをすませてそのまま図書室をあとにした。あたりはさっきまでと変わらない、壜の中で保存されていたような沈黙に覆われている。

 アキは開いたままの本に再び目を落としながら、

(――どうして先生は、あんな嘘をついたんだろう?)

 と、一人で考えていた。


 自宅のノートパソコンで掲示板の画面を眺めながら、アキは一つの仮説を検証してみた。

 ――もしも、〝幸福クラブ〟の活動が魔法によるものだとしたら。何らかの魔法で、人の願いを叶えているのだとしたら。

 そんな魔法が実在していたとしたら、どうなるだろう。

 アキが昔聞いたところでは、一般的に魔法の使用は〝魔法委員会〟という組織によって管理、制限されているそうだった。世界に揺らぎを起こし、その一部とはいえ作り変えてしまう魔法は、場合によっては危険なものになりうるからだ。

 けれど中にはそうした制約を嫌って、秘密裏に魔法の使用を行う者もいるという話だった。それがどんな動機や、目的によるものかはわからない。実際、アキもそんな一人に会ったことがあった。彼らは世界を変えてしまうことを、むしろ望んでいる。

 もしもそんな連中に、〝願いを叶える〟魔法が見つけられたとしたら?

 クラブが解散して、杜野透彦が消えたのは、あるいはそうしたことに関係があるのだろうか――?

 アキは一つ一つのことを、ゆっくりと考えてみる。

 ――神坂柊一郎が嘘をついたのは、何故だろう。

 あの先生が、ハルのことを知らないはずはなかった。何故なら、ハルも小学校の時、神坂柊一郎のつくった劇にキャスティングされていたのだから。神坂はおそらく、配役された生徒の名前をすべて覚えていたのだろう。でなければ、アキのことを知っていたはずがない。

 問題は、神坂が嘘をついた理由だった。

 それはあるいは、〝幸福クラブ〟や、文化祭の〝四つの奇跡〟、杜野透彦の失踪に関係しているのかもしれない。

 かなり想像を飛躍させれば、使、というふうに考えることも可能だった。教師という立場は、そのためにはかなり有利に働くようにも思える。ほとんど証拠といえるほどのものはなかったが、少なくとも思考のうえでは不可能ではない。

 けれどすべては、今のところ仮説でしかなかった。

 アキは何かのヒントを探すために、掲示板の文章をチェックしていく。クラブのメンバーである五人は、ずいぶん仲が良いように見えた。暗号が示しているはずのこの五人が、どうしてあんなふうに何もかも忘れてしまっているのか、アキには訳がわからなかった。

 掲示板の最後のスレッド、クラブの活動終了を告げる文章を開いてみる。そこには杜野透彦のハンドルネームである「ほんものの魔法使い」によって、クラブの解散が報告されていた。いたって事務的な文章で、定型的なものである。

(あれ……?)

 画面をスクロールしながら、アキはふとあることに気づいた。普通より、この最後のページだけ余白が多いようだった。画面を下に動かしていくと、何も書かれていない部分まで表示される。

 まるで何かを、隠しているみたいに。

 アキはポインタを操作して、適当なところにカーソルをあわせる。ついで、それを画面の下いっぱいまでドラッグしてみた。

 文字色の反転したその部分には、数字の羅列が浮かびあがっていた。

(もう一つの、暗号――)

 アキは反射的に、そのことを想像する。

 そして――

 もしかしたらこれは、いなくなった杜野透彦のメッセージなんじゃないか、とも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る