3
――その日、アキは夢を見た。
目覚めたときには幸せの欠片が溶けていって、小さな痛みのような悲しみだけを残していく、いつもの夢だった。
夢の中で、アキは誰かの隣を歩いている。
その誰かのことをアキはよく知っているはずなのだが、顔も名前も思い出すことはできない。ただ、その隣にいると何だか気持ちが優しくなって、どんな場所にだって行けそうな気がしてくるのだった。幸福というのがどういう形をしているのか、手で触れて確かめられるくらい、はっきりと感じられる。
アキはその人の隣をずっと歩いていたいと思うのだが、気づいたときにはその人はもういない。そしてアキの少し前を、その人は歩いている。
それは、たいした距離ではないはずだった。ちょっと急ぎ足になれば、すぐに追いつけるはずだった。声をかければ、きっとその人は気づくはずだった。
けれど、アキはどうしてだかそれをしない。ただ何もしないまま、何もできないまま、その人の後ろを歩いている。
そして気づいたときには、その人はもういない。
アキはそのことが悲しくて、つと立ちどまってしまう。胸が苦しくなって、涙があふれていく。さっきまで確かにあった幸福の形は、どうすることもできずにどんどん手の中から零れ落ちていく。
……いつもなら、そこで目が覚めるはずだった。そうしてあったはずの優しさはあっというまに薄れて、その影さえ残さずに、小さな胸の痛みだけがいつまでも心をしめつける。
でもその日、立ちどまったアキの手を誰かがつかんでいた。
ずっと会いたかった、誰かが。
「――――」
朝になって目覚めたとき、アキはやはりそうした夢の細部を忘れてしまう。容器から流れ落ちた液体が、その形をすぐに失ってしまうみたいに。
けれど――
アキはベッドの上で膝を抱えたまま、自分の胸を押さえてみる。その場所は少しだけ、温かくなっているような気がした。
誰かの手を思い出そうとするみたいに、アキはそっと目をつむった。夢の形が、これ以上壊れてしまわないように。
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