二つめの奇跡

 学園にある放送室では、放送部の部長である末島尚吾すえじましょうごが苦りきった表情で座っていた。

 放送室はごく一般的な形式のもので、編集用機材の置かれた機械室と、防音ガラスの向こうにある録音室で構成されている。スタジオというほど立派なものではなかったが、それなりの広さはあった。

 アキはその部屋の機械室のところで、末島尚吾と向かいあっていた。小太りの末島を前にすると、手狭な機械室はますます狭く感じられてしまう。

「……原因は不明、ですか?」

 例の音楽について聞きにきたアキは、まずはじめにそう言われていた。

「まあね」

 太り気味の放送部部長は、底意地が悪そうな返事をする。高等部の末島はネクタイを締めていたが、それが変に息苦しそうに見えた。

 放課後にかかる音楽が放送部によるものではないとわかるのに、時間はかからなかった。どうやらそれは、無許可で流されているものらしい。にもかかわらず、今日もやはり同じメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』が放課後になって放送されていた。

「でも、音楽は間違いなく校内スピーカーから流れてるんですよね……?」

「そういうふうには聞こえるね」

 末島は拗ねた子供みたいな皮肉っぽい口調で言う。どうやらこの件に関しての言及を、露骨に避けたがっているらしい。

「末島さんは、必ずしもそうじゃないと思ってるんですか?」

 アキはできるだけ相手を刺激しないように、丁寧な訊きかたをした。

「そりゃあ、そうだろ。だってうちでは、あんな放送はしていないんだから」

 けれどそれなら、いったい誰があの音楽を流しているというのか。

「知らないね、少なくとも僕じゃないことだけは確かだ」

 駄々っ子のような表情で、末島は憤慨した。

「放送部員の誰かが行っているということはないんですか?」

「僕もそう思ってみたけどね」

 セリフからして、あまり部員のことを信用している部長ではないらしかった。あるいは、部員に信用されていないせいでそうなるのかもしれない。

「全員、何も知らないとしか言わない。それに音楽がかかっているあいだは、放送室には誰もいなかった」

「……誰も?」

「今日は僕がずっとここで見張りをしていたけど、怪しいやつは来なかったし、おかしなことも起きなかった。それでも、やっぱり音楽は放送された」

 忌々しそうに言う。

「機器に問題はなかった、ということですか?」

「問題も何も、電源だって落としてあったんだ」

「…………」

 アキは少しのあいだ黙考した。放送室の誰にも気づかれず、機器だけを操作するなどということが可能なのだろうか。

「末島さんは、一人で放送室に?」

「は、僕を疑ってるなら、それは無駄だよ。その時は顧問の先生もいたし、その先生だって何も気づかなかった。第一、放送されていてそれがわからないなんてことはありえない」

 狼狽気味の末島を見ながら、アキは心の中で一人つぶやく。ということは、犯人は放送室を使わずに音楽を流した、ということだろうか。

「放送室以外で、校内スピーカーを利用することはできるんですか?」

「無理だね……」

 末島はせせら笑うように断言した。

「少なくとも僕は、そんな方法は知らない。直接ケーブルをいじってやればできるのかもしれないけど、誰がそんな面倒なことをするんだ? 第一、何の得があって?」

 得かどうかの問題ではない気もするけれど、と思いながら、アキはとりあえず訊いてみた。

「末島さんは、今回の件はどんなふうにして行われたと思いますか?」

「さあね、きっと大量の無線スピーカーでも持ちこんで、それを使ったんじゃないかな。これなら校内スピーカーとは関係がない」

 アキは最後に、一つの質問をした。

「去年にあった、〝四つの奇跡〟については知っていますか?」

「――ああ、あの下らないやつだろ」

 いかにも軽蔑したような口ぶりである。

「今回のことも、それと同じようなものだと思いますか?」

「だとしても」

 と、人望の薄そうな放送部部長は言った。

「僕には関係がない」


 放送室をあとにして廊下を歩きながら、アキは考えている。

 末島尚吾が嘘やごまかしを言っているようには見えなかった。たぶん彼は、本当に何も知らないし、本当に下らないと思っているのだろう。

 だとすると、犯人が放送室を利用したということはなさそうだった。何かほかの方法で、音楽だけを流したのだ。

 例えば末島の言うように、スピーカーの近くに別のスピーカーを用意した、というのはどうだろう。たぶん透明なスピーカーでもあれば、それは可能かもしれなかった。音源はあきらかに、校内放送用のスピーカーなのだ。あるいは、校内スピーカーそのものに何らかの細工を施せば、そんなふうに見せかけることはできるのかもしれない。

 だがどちらにせよ、そんなことは不可能そうだった。まともな人間にできることではない。

 なら、犯人はではないのだろうか。

 けれど――

 アキはふと立ちどまって、考えている。

(でもあれは、魔法なんかじゃない――)

 何故か、アキはそう思っていた。理由はわからない。それでも渡り鳥が正確に営巣地にたどり着くような感覚で、アキはそのことだけを確かに思っていた。

 一年前の〝四つの奇跡〟と、今回起こった謎の校内放送。

 それらに、何か関係はあるのだろうか。あるいは今年も、同じ〝四つの奇跡〟が繰り返されるのかもしれない。

 アキは再び、歩きだしている。ある場所に向かって。

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