二つめの奇跡
1
学園にある放送室では、放送部の部長である
放送室はごく一般的な形式のもので、編集用機材の置かれた機械室と、防音ガラスの向こうにある録音室で構成されている。スタジオというほど立派なものではなかったが、それなりの広さはあった。
アキはその部屋の機械室のところで、末島尚吾と向かいあっていた。小太りの末島を前にすると、手狭な機械室はますます狭く感じられてしまう。
「……原因は不明、ですか?」
例の音楽について聞きにきたアキは、まずはじめにそう言われていた。
「まあね」
太り気味の放送部部長は、底意地が悪そうな返事をする。高等部の末島はネクタイを締めていたが、それが変に息苦しそうに見えた。
放課後にかかる音楽が放送部によるものではないとわかるのに、時間はかからなかった。どうやらそれは、無許可で流されているものらしい。にもかかわらず、今日もやはり同じメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』が放課後になって放送されていた。
「でも、音楽は間違いなく校内スピーカーから流れてるんですよね……?」
「そういうふうには聞こえるね」
末島は拗ねた子供みたいな皮肉っぽい口調で言う。どうやらこの件に関しての言及を、露骨に避けたがっているらしい。
「末島さんは、必ずしもそうじゃないと思ってるんですか?」
アキはできるだけ相手を刺激しないように、丁寧な訊きかたをした。
「そりゃあ、そうだろ。だってうちでは、あんな放送はしていないんだから」
けれどそれなら、いったい誰があの音楽を流しているというのか。
「知らないね、少なくとも僕じゃないことだけは確かだ」
駄々っ子のような表情で、末島は憤慨した。
「放送部員の誰かが行っているということはないんですか?」
「僕もそう思ってみたけどね」
セリフからして、あまり部員のことを信用している部長ではないらしかった。あるいは、部員に信用されていないせいでそうなるのかもしれない。
「全員、何も知らないとしか言わない。それに音楽がかかっているあいだは、放送室には誰もいなかった」
「……誰も?」
「今日は僕がずっとここで見張りをしていたけど、怪しいやつは来なかったし、おかしなことも起きなかった。それでも、やっぱり音楽は放送された」
忌々しそうに言う。
「機器に問題はなかった、ということですか?」
「問題も何も、電源だって落としてあったんだ」
「…………」
アキは少しのあいだ黙考した。放送室の誰にも気づかれず、機器だけを操作するなどということが可能なのだろうか。
「末島さんは、一人で放送室に?」
「は、僕を疑ってるなら、それは無駄だよ。その時は顧問の先生もいたし、その先生だって何も気づかなかった。第一、放送されていてそれがわからないなんてことはありえない」
狼狽気味の末島を見ながら、アキは心の中で一人つぶやく。ということは、犯人は放送室を使わずに音楽を流した、ということだろうか。
「放送室以外で、校内スピーカーを利用することはできるんですか?」
「無理だね……」
末島はせせら笑うように断言した。
「少なくとも僕は、そんな方法は知らない。直接ケーブルをいじってやればできるのかもしれないけど、誰がそんな面倒なことをするんだ? 第一、何の得があって?」
得かどうかの問題ではない気もするけれど、と思いながら、アキはとりあえず訊いてみた。
「末島さんは、今回の件はどんなふうにして行われたと思いますか?」
「さあね、きっと大量の無線スピーカーでも持ちこんで、それを使ったんじゃないかな。これなら校内スピーカーとは関係がない」
アキは最後に、一つの質問をした。
「去年にあった、〝四つの奇跡〟については知っていますか?」
「――ああ、あの下らないやつだろ」
いかにも軽蔑したような口ぶりである。
「今回のことも、それと同じようなものだと思いますか?」
「だとしても」
と、人望の薄そうな放送部部長は言った。
「僕には関係がない」
放送室をあとにして廊下を歩きながら、アキは考えている。
末島尚吾が嘘やごまかしを言っているようには見えなかった。たぶん彼は、本当に何も知らないし、本当に下らないと思っているのだろう。
だとすると、犯人が放送室を利用したということはなさそうだった。何かほかの方法で、音楽だけを流したのだ。
例えば末島の言うように、スピーカーの近くに別のスピーカーを用意した、というのはどうだろう。たぶん透明なスピーカーでもあれば、それは可能かもしれなかった。音源はあきらかに、校内放送用のスピーカーなのだ。あるいは、校内スピーカーそのものに何らかの細工を施せば、そんなふうに見せかけることはできるのかもしれない。
だがどちらにせよ、そんなことは不可能そうだった。まともな人間にできることではない。
なら、犯人はまともな人間ではないのだろうか。
けれど――
アキはふと立ちどまって、考えている。
(でもあれは、魔法なんかじゃない――)
何故か、アキはそう思っていた。理由はわからない。それでも渡り鳥が正確に営巣地にたどり着くような感覚で、アキはそのことだけを確かに思っていた。
一年前の〝四つの奇跡〟と、今回起こった謎の校内放送。
それらに、何か関係はあるのだろうか。あるいは今年も、同じ〝四つの奇跡〟が繰り返されるのかもしれない。
アキは再び、歩きだしている。ある場所に向かって。
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