「生徒会の記録?」

 と、生徒会長の倉持賢道くらもちけんどうは怪訝な顔をした。

 場所は、生徒会室である。二つある会議室の小会議室のほうで、生徒会役員が五人ほど集まっていた。おそらく文化祭のことで相談しているのだろう、会議用の長机を囲んでいる。

 アキがこの会議室を訪ねて、「実は昔の記録を調べたいんですが」と言うと、返ってきたのが冒頭の言葉だった。

「何でまた、そんなものを?」

 倉持はちょっと量りかねたような口調で言う。アキの腕に新聞部であることを示す腕章がなければ、もっと粗略な扱いをしていたところだろう。

「去年と、それから今年の文化祭について、何か関係性があるのか調べたいんです」

 アキがそう言うと、生徒会長は傍らの女子生徒のほうを振り返った。たぶん、副会長か何かなのだろう。中等部の生徒のようだった。

「――生徒会の記録は要請があれば、誰にでも公開することになっています。閲覧を断る理由はないようです」

 と、彼女は整然とした口調で言った。うん、と生徒会長もうなずく。

「君は新聞部の?」

「あ、はい。中等部一年の、水奈瀬陽と言います」

 アキは慌てて答える。

「一応、閲覧目的だけ聞かせてもらってもいいかな?」

 倉持の言葉に、アキは少しだけ考えてから答えた。

「奇跡が本当にあるのかどうか調べるため、ですかね――」

 生徒会長はさきほどの女子生徒と、もう一度目配せをした。

「……私が彼女を案内します」

 と言って、彼女は立ちあがる。

「先輩たちは、企画会議を続けてください」


 小会議室の隣には、資料室が附属していた。学校に関する一連の記録を集めたもので、かなりの量がある。壁面には、セピア色に変色した旧校舎の写真や、誰かの直筆らしい校歌、校旗などが飾られていた。少し埃っぽいようでもある。あるいはそれは、堆積した時間から漏れだすにおいなのかもしれなかった。

 部屋には閲覧用のものらしい机が置かれ、パソコンが一台だけ忘れられたように設置されていた。動物園の檻に似た、決して広いとはいえない室内は、ほとんどが本棚やキャビネットに占領されている。

 女子生徒は窓を開けて、「――少し換気をしないとね」と笑った。ごく自然な、嫌味のない笑顔である。

 彼女の名前は、古賀唯依こがゆいといった。生徒会の副会長を務めていて、中等部の三年生。

 さっぱりとしたショートカットに、きれいな形の眉をしていた。縁なしになった眼鏡の奥に、小さな星みたいにして瞳が輝いている。自己主張の強そうな雰囲気ではないのに、その内部には確固とした密度をもった意志の存在が感じられた。

「――さて、何を調べましょうか?」

 と、彼女は気軽な様子で言った。

「去年の文化祭について知りたいんですが」

 アキがそう言うと、古賀は「うん」とうなずいて、キャビネットの前に移動した。会計資料や各種報告書のあいだから、一冊のファイルブックを取りだす。

「これは、昨年度分の生徒会の活動日誌なんだけど、主だったことはこれに書いてあると思う」

 アキは礼を言ってそのファイルを受けとると、机に座ってページをめくった。ワープロで作ったものをあらためて普通紙に印刷したもので、日付順に並んでいる。

「……文化祭のあったときだから、この辺の月から調べればいいんじゃないかな」

 古賀は九月分のページをめくって、アキに示してやった。

「水奈瀬さんは、どんなことを調べてるの?」

「去年あった、〝四つの奇跡〟って知ってますか?」

 ファイルに軽く目を通しながら、アキは言った。

「そりゃあね、何しろけっこうな騒ぎになったから」

「あれには誰か犯人がいたんじゃないかと、わたしは思ってるんです」

「――奇跡を起こした?」

 アキがこくんとうなずくと、古賀は難しそうな顔をした。

「でもあれは、誰かに起こせるようなものじゃないと思うけど……」

「誰かが起こさないと、ああはならなかっただろうって、わたしは思うんです――そのためのヒントが、記録に残っていないかと思って」

 答えるあいだも、アキはぱらぱらとページをめくっていく。日誌には文化祭の進捗状況や、各種トラブル、今後の展望などについて丁寧に書かれていた。が、めぼしい記述は見あたらない。

「どうなのかな……」

 古賀はやはり、難しそうな顔をしている。

「だとしたら、その日記を調べてもたいしたことはわからないかもしれないね」

「どうしてですか?」

 顔をあげて、アキは訊ねる。

「勘で、かな。どちらかというと」

 アキは〝四つの奇跡〟のあった当日の記録も調べてみたが、古賀の言ったようにたいしたことは書かれていなかった。その場の状況について簡単に報告されているだけで、原因やその後の経過についても詳しいことは記されていない。

 当てが外れてしまって、アキは険しい表情を浮かべた。

「生徒会では、このことを問題にしなかったんですか?」

 と、アキは古賀に向かって訊いてみた。

「私は去年も生徒会に参加してたけど――」

 古賀はひどく昔のことでも思い出すようにして言っている。輪郭線のぼやけた、古い絵でも眺めるみたいに。

「たぶん、ほとんど気にしなかったと思う。何故かはよくわからないんだけど……でも問題になるとは思ってなかった。問題というより、何かもっと別のものとして……」

 そこまで言ってから、古賀は軽く首を振ってごまかすように笑った。

「ごめんなさい、何だかうまく覚えてないな。けっこう大変なことだったはずなのに、ちょっと変だね。どうしてだろう――」

 この少女は何故か、ひどく寂しそうな顔をした。

 何だか、アキはその顔に見覚えがあるような気がした。どこで見たのかは覚えていないけれど、確かにはっきりと。それは突然、空の色が変わってしまっていることに気づいたような、そんな――

 アキはどこか胸の奥で、何かがちくりと痛んだような気がした。

「――最近、また同じようなことが起きてますよね」

 それをごまかしたかったわけでもないのだろうけれど、アキは無理に話題を変えるようにして言った。

「生徒会では、どう対処するつもりなんですか?」

「それは新聞部としての質問?」

 少しからかうようにして、古賀は訊いた。

「……どちらかというと、個人的にです」

 アキは軽く首を振って見せた。オフレコ、ということだ。古賀はくすりと笑って言った。

「そうね、生徒会の人間としてこんなことを言うのもどうかとは思うけど、私としては面白いかなって思ってる。BGMとしては悪くないし、今のところ深刻な問題というわけでもない。たかが十数分のことでもあるし、ね。ちょっとした、というところかな」

「……魔法の時間、ですか?」

のかもしれないけど」

 古賀はそう言って、目だけで笑ってみせる。案外、少女趣味でロマンチックな一面も持っているようだった。

 少し考えてから、アキは訊いてみた。

「先輩は、もう一度同じことが起きると思いますか? つまり、今年の文化祭でも〝四つの奇跡〟が……」

 その質問に、古賀唯依はすぐには答えずしばらく黙っていたが、

「もし、そうだったら」

 と、壊れやすい何かにそっと手を触れるようにして言った。

「――それこそ、奇跡なのかもね」

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