5
文化祭がはじまってしばらくすると、学園内には来客者の姿がちらほらと見られるようになった。生徒の関係者も多いが、一般人の数もそれなりのものになる。市内では有名な学園祭でもあった。
アキがクラスで当番についていると、思ったよりも大勢の見物客がやって来た。そのほとんどは保護者かその知りあいのようだったが、中には小学生くらいの子供を連れた大人の姿もあった。教師いわく、来年に学園を受験するかどうか考えている人も来るはずなので、できるかぎり品行方正にしていろ、とのことである。
それはともかく、アキはできるだけきちんとした対応をするように心がけた。来場者には礼儀正しく挨拶をし、展示物について質問してくる人には丁寧にはっきりした声で答える。
もっとも、同じく当番にあたっている清本啓が積極的に働いてくれるので、アキは特に忙しくする必要はなかった。この少年がどうしてこんなにもやる気なのかは、アキにはわからない。
そうして清本が老人の一人を展示物のところに案内していると、また一人教室に入ってきた。アキは「おはようございます」と挨拶してから、それが知った顔であることに気づいて渋い表情を浮かべる。
「――む、本当に来たんだ」
そこには母親の幸美と、その後ろに隠れるようにして弟の姿があった。
「きちんとやってるみたいね、感心、感心」
予想通り、幸美はからかうような口調だった。
「何で来たの」
無駄とは知りつつも、アキは訊いた。ほかの人の迷惑にならないよう、小声で。
「アキの恋人でも紹介してもらおうかと思って」
にこやかに、幸美は言う。
「……いないよ、そんなの」
今は母親の冗談につきあっているような時間ではない。アキはため息をついてから、なおも小声で訊いた。
「何で、うちのクラスに来たのかってこと」
「そりゃ、来るでしょ。娘のクラスだもの」
さも当然のように、幸美は言った。
「……恥ずかしいんだけど」
「あら、前にも言ったけど私は全然恥ずかしくないわよ」
幸美はまるで意に介さないように言う。
「せっかくだから、アキに案内してもらおうかな」
その時点で、アキは抗弁する気力を失くしてしまった。こうなると、さっさと見物を終わらせてもらったほうが得策というものである。
アキは立ちあがって、戻ってきた清本と入れ替わるように案内に向かう。幸美がにこにこと挨拶をすると、少年も礼儀正しく頭を下げた。
少々うんざりしながらも、アキは簡単に展示の説明をはじめる。
クラス展示は、古今東西の昔話や伝説、童話から、今回の文化祭のテーマに関連したものを調べ、まとめたものだった。例えば、天の羽衣や夕鶴といった話。
「――こうしたものは異類婚姻譚といって、日本じゃ大抵はうまくいかないようにできています」
聞きかじりの解説を加えると、幸美は「へえ」と感心してうなずいた。
展示されているのはほかに、ギリシャ神話のオルフェウスとエウリュディケ、邇邇芸命と木色咲耶媛、いばら姫や白雪姫、人魚姫といった物語についてである。ちなみにアキたちの班が調べたのは、七夕伝説についてだった。
幸美がそのまま展示に目を通していくのを、弟の蓮はやや退屈そうに眺めている。子供が大喜びするような企画でないことは確かだった。
高等部の女子生徒らしい二人が、この少年のことに気づいて声をかけようとした。が、蓮は恥ずかしそうにアキの後ろに隠れてしまっている。
「弟さん?」
と、一人がにこやかに話しかけてきた。
「はい――」
仕方なく弟の前に立ってやりながら、アキは答える。
「可愛いね」
優しそうな笑顔を浮かべるが、蓮はやはり隠れたままだった。姉とはだいぶ性格の異なる弟なのである。
二人の女子生徒は特に気にした様子もなく、そのまま行ってしまう。同時に、母親のほうもアキのところに戻ってきた。
「じゃあ、私たちは適当に見てまわるから、アキはしっかりね」
蓮の手をつなぎながら、幸美は言う。
「言われなくてもしっかりやるから、大丈夫」
「そういえばここのトイレって冷暖房完備なんだね。ちょっと驚いちゃった」
「……もういいから、早く行きなよ」
アキは力なくため息をついた。
「わかってる。あとはアキの演奏を聞いたら、そのまま帰るから」
「――うん」
「がんばってね」
そう言うと、幸美は手を振って行ってしまった。
アキはその最後の言葉だけ箱に入れて蓋をすると、しばらくじっとしていた。
クラス当番の引継ぎが終わると、アキは弓道場に向かった。ひのりと約束をして、見学することになっている。
この時間になると、校舎も中庭もかなりの人で賑わっていた。高等部の模擬店から、いろいろな食べ物のにおいが漂ってくる。売り子の声が糸の切れた風船みたいに、その辺を飛び交っていた。
弓道場まで行ってみると、一般客か保護者関係者かわからない人が、すでに数人ほど場内にいた。学校の中心から離れているせいか、あたりの人通りは少なく、必ずしも盛況とはいえない状況のようだった。
アキは玄関口からひのりの姿を探してみたが、どういうわけかどこにも見あたらなかった。そうしてきょろきょろしているうちに、知った人に声をかけられる。
「鹿野なら、まだ来てないよ」
見ると、葛村貴史だった。もちろん、弓道衣を着ている。道場で見ると、その姿はあつらえたようにその場になじんでいた。学校案内のパンフレットに使えば、入学希望者が増えるかもしれない。
「……都合でも悪くなったんですか?」
と、アキは訊いてみた。
「いや、特には聞いてないな。おおかた、親御さんにでも会って、案内をしてるんじゃないかな?」
さもありなん、とアキは得心している。
「鹿野に何か用事でもあったのか?」
葛村は親切に訊いた。
「いえ、ただのひやかしです。招待されていたので」
「なるほどな」とうなずいてから、葛村は言った。「じゃあ、鹿野が来るまで俺が案内するよ」
「――いいんですか? でもわたし、弓のことなんて何も知りませんよ」
「だから俺たちがいるんだろ」
葛村は軽く笑ってみせた。
靴下で床に上がると、アキは射場の隅に通される。道具一式を並べられ、一つ一つについて説明を受けた。弦のかかった弓、胸当て、手袋のような弽、甲矢と乙矢。さすがに、弓道衣を着るところまではいかない。
それから弓の引きかたについての簡単な説明があり、葛村は実際に構えをとってみせた。背丈よりも大きな長弓がしなり、弦月のように変形する。強力な動的緊張を感じさせながら、その姿勢はあくまで静的だった。
息を抜いて、葛村は弓を戻す。弓を傷めるので、素引きの時は弦を離してはいけないのだそうだ。
動作の細かいところを注意されながら、アキも弓を引っぱってみた。初心者用に軽く張られた弦らしく、たいして力のないアキにも何とかいっぱいまで引くことができる。
「わりと筋はいいよ」
と、葛村は素直に誉めた。
「そうですか?」
自分の構えを確かめる余裕などなかったが、それでも悪い気はしない。教えられた射法八節を意識してみながら、アキは遠くの的に向かって何度か構えを繰り返してみた。
「…………」
不意に、一瞬だけ光った流れ星に気づいたみたいにして、葛村は言った。
「弓道って、何だと思う?」
「――はい?」
ちょうど的を狙って弓をしぼっているところで、アキは葛村のほうを見ることができなかった。矢をつがえてはいなかったけれど。
「例えば禅問答みたいだけど、弓にはこんな言葉がある。〝的を射る前に狙おうとするな〟とか」
そんなことを言われても、今まさにそうしているところだった。
「和弓ってのは、実はたいした射程距離はないんだ」
葛村は、家庭教師が丁寧に教えるようにして説明する。
「普通よくある近射場は、的までの距離が二十八メートル。基本的に、的には当たったかどうかだけが問題になる。それに比べると、洋弓は百メートルで点数を競うんだ」
「…………」
アキは息をつめたまま、じっと的場のほうに弓を構えていた。
「つまるところ、弓道っていうのは純粋な意味でスポーツとは言えないところがある。武道全般と同じで、それはむしろ〝正しい在りかた〟を問うための手段みたいなところがあるんだ。矢を的中させることは、弓道の目的とは言えない。その本当の目的は、弓という一連の行為をどう認識するか、結局はそういうことになるんだ――ごめん、もう構えを解いていいよ」
言われて、アキはようやくほっと息をついて力をゆるめた。さすがに、もう限界である。
「大体、いい感じだよ」
「〝正しい在りかた〟が、できてますか?」
葛村は訊かれて、ちょっといたずらっぽい顔をする。
「実のところ俺は、別にそんな難しいことなんて何も考えていないんだ。本当の目的とか認識とか、そんなのたいしたことじゃない。俺はただ、弓を飛ばすのが面白いからやってるだけだよ」
「…………」
「けど、俺はそれで十分だと思うんだ。正しいとか、正しくないとか、結局はたいした問題じゃない。だって、それこそ認識の問題なんだからな。問題なのは、自分が本当は何を望んでいるのか、そういうことだろう? そのために、何かを犠牲にする必要なんてない。幸福になるって、きっとそういうことだと思うんだよ」
アキは両手で弓を抱えたまま、葛村のことを見ている。葛村はそして、ちょっと肩をすくめるようにして言った。
「――と、誰かに言ってやりたかった気がするんだけどな、俺は」
「誰か?」
葛村はどこか寂しそうに笑った。
「覚えてないけど、そんな気がするんだ。すごく仲のいい誰かだったはずなんだけどな。何で覚えてないのか、不思議なんだけど……」
その時、不意に後ろから声がしている。アキが振りむくと、そこにはひのりが立っていた。
「――ごめん、遅れちゃって」
「いいよ、どうせお父さんかお母さんの案内でもしてたんでしょ」
訊くと、ひのりはきょとんとした。
「どうしてわかったの?」
「……だと思った」
葛村貴史はそんな二人に軽く笑ってみせてから、
「――じゃあ俺は宣伝がてら、クラスのほうに顔を出してみるよ。あとは鹿野に任せたから」
そう言って、弓道場から出て行ってしまう。
玄関からその姿が消えるのを見送ってから、ひのりは訊いた。
「アキちゃん、先輩と何を話してたの?」
「……弓道における目的について、かな」
アキは適当にうそぶいてみる。
「何それ?」
「不純な動機でも、本人が望んだならそれで構わないってこと」
ちょっとからかうようにして、アキは言った。
そのあと、的に向かって実際に矢を放ってみることになった。とりあえず一本だけ矢を持って、弓につがえてみる。矢の持ちかたや放ちかたを説明されながら、アキはふと思いついたみたいにして訊いてみた。
「――ひのりちゃんてさ、葛村先輩のことが好きなの?」
「うん、そうなんだ」
冗談ぽく言ったはずなのに、あっけなく答えられてしまっていた。まるで、当たり前のことみたいに。今すぐ世界中の人間に知られたって、全然構わないという感じで――
そんな態度に、何故だかアキのほうが逆に赤面してしまっている。
(……やっぱり、この子のこういうところがすごいんだよね)
と、アキはあらためて思わざるをえない。
それから、ひのりの指導のもとで、アキは人生初めての行射に挑戦した。足の位置から、胴造り、弓の構え。教えられたとおりに、左の弓手を強く押して、右の馬手はその三分の一くらいの力で引く。できるだけ、肩はあげないようにした。
正直なところ的までの距離は月を見るみたいに遠すぎて、アキは不安な気持ちにしかならなかった。まっすぐ飛べば上出来だと聞かされたので、できるだけ余計なことは考えないようにする。
「――――」
やがて自分でもびっくりするくらいの勢いで飛び出した矢は、的からだいぶ外れた安土に突きささった。弓がぶるぶると震えて、アキは危うく落としそうになってしまう。
「初めてで的場まで届くなんて、たいしたもんだよ」
と、ひのりは笑顔で誉めた。
「そうかな?」
もちろん、アキにはよくわからない。
「うん、アキちゃんも弓道やったらいいんじゃないかな」
「――それは遠慮しとくよ」
アキは苦笑して答える。誰かさんと違って、アキにはそれほどの動機は見つけられそうになかった。
写真部の展示は部室ではなく、特別教室の一つを使って行われていた。
アキが入口からのぞいてみると、ちょうど昼前のせいか人影はなかった。受付けのようなスペースには、和佐葵が一人だけ人形みたいな格好で座っている。
葵はさすがに、ヘッドフォンはしていなかった。その器具を装着していない彼女は、地面から引き抜かれた植物みたいで、何となく弱々しい感じがした。誰かが今すぐちゃんとした場所に戻してやるべきのようにも思える。
アキは軽く手を振って合図をしてから、葵のところまで歩いていった。
「どうですか、展示のほうは?」
ごく一般的な儀礼として、アキは尋ねてみる。
「順調」
と、葵はどこかに展示できそうな簡潔さで答えた。
「ほかの部員の人は?」
「休憩中、午後になったら交代する」
「お昼前だから、見に来る人は少ないみたいですね」
「かもしれない」
相変わらず、短い返答だった。
「……えと、これって勝手に見てもいいんですよね?」
室内にはいくつかのパネルが置かれ、そこに写真が飾られていた。題名や短いキャプションのついたものもある。
「構わない」
言われて、アキは写真の一つ一つを見てまわることにした。
展示されているものは、カラー写真のほうが多いようだった。夕陽や雲、海といった自然を題材にした風景写真や、人物のポートレート、卵の割れる瞬間や水滴の撥ねる様子を捉えたものもある。
「――ふむ」
と、アキは感心した。それらは、写真にしか写しとれないものだった。普通なら見すごしてしまったり、気づかなかったりするもの。それは小さく切りとられた時間の中にしか存在しない――
とはいえ、中には練習作品みたいなあまりぱっとしないものもあった。よく見ると、それがクラスメートの清本のものだとわかる。どうやらまだまだ修行が不足しているようだった。
そうして時間の旅でもするみたいに写真を見ていくと、アキは不意に足をとめている。和佐葵の写真が、そこに飾られていた。
相変わらずのモノクロ写真の中に、一枚だけ色の着いた写真が混じっていた。そのカラー写真にはタイトルがつけられていて、『ワタシノサクラ』と書かれている。
それはあの時の、季節外れに満開になった桜を撮影したものだった。桜のそばには、誰か人の姿がある。
(これ、わたしだ……)
アキはちょっと不思議な気持ちで、その写真を眺めた。
印画紙には大きく桜の全景が捉えられ、その下にそっと手をのばすアキの姿が撮られている。その姿はごく小さなものだったので、知っている人間でなければ誰なのかはわからないだろう。写真の中の彼女は、まるで古い友人にでも会ったみたいにじっと桜を見つめている。
その写真だけはほかのものと違って、世界から直接つながっている、という感じだった。手をのばせば、届いてしまいそうなくらいの距離の近さで。
「それ――」
と、急に横で声がした。いつのまにか、葵が隣に立っている。
「勝手に使わせてもらった」
言われてみれば、確かにそうだ。
「わたしは全然、構わないです。というか、わたしなんか写してよかったんですか……?」
「うん、これでいい」
そう言う葵の表情は、心なしか普段よりも柔らかいような気がした。
「でも珍しいですね、葵さんがカラーの写真だなんて」
てっきりモノクロしか撮らないのかと思っていたのだが。
「……それは、私の見たものだから」
と、葵は言う。
アキはいつか、葵の言っていたことを思い出していた。自分と他人の目に映っているものの違い。それを近づけるための手段としての写真。葵にとって、世界の大部分は自分でない誰かのものだった。
「その写真を見たとき、思い出したことがある」
葵はぽつりと、つぶやくように言った。カードで積みあげたピラミッドを前にしたみたいに、何かを壊してしまわないように、という感じで。
「昔、誰かに言われたこと――私にみんなの見ているものがわからないみたいに、みんなにも私の見ているものがわからない。だから、みんなだってやっぱり、私の見ているものを知りたいと思ってる。私はただ、私の見ているものをそのまま伝えればいい。確か、そんなふうに」
「…………」
「私が葉っぱの裏側を見るのをやめて写真を撮りはじめたのは、その頃だった。私の見ているものを伝えるために。もうずっと、忘れていたことだけど」
葵の言葉を聞いて、アキはあらためて『ワタシノサクラ』と題された写真を眺めてみた。
その写真がこんなにも近くに感じられるのは、きっとそれが和佐葵と直接につながっているからだろう。そこには彼女の瞳が持っている、世界に対する透明なまなざしがあった。
同じ種類のまなざしをしていた人間は、もういないのだけれど――
「すごく、いい写真ですね」
アキはそっと、何かを手渡すように言った。その写真がそんなふうに見えるのは、きっと彼女の見ているものが、きれいだからなのだと思いながら。
昼食時だけあって、模擬店はどこもかなりの人だかりを見せていた。仮設テントの中で、高等部の生徒が忙しそうに働いている。見上げると、薄く色を塗られた画用紙みたいに秋の空が広がっていた。
店舗の通りから少し離れた広場には休憩用のテーブルやイスが並べられていて、休んだり食事をとったりしている人々がいた。特殊なレンズを透したような陽射しが注いで、時折風が涼しく吹いていく。
人ごみを避けて歩きながら、アキは広場を抜けて正門付近に足を向けた。そこには満開になった桜が、まだ散りもせずに咲き誇っている。何人かの来客者が足をとめて、珍しそうにそれを眺めていた。子供が一人、母親のほうを見て春を見つけたみたいに嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「…………」
アキは指でフレームを作ると、左目をつむって桜を眺めてみた。弓道と違って、こちらのほうは才能がなさそうだった。どうやっても、葵のようにうまく写真を撮れる自信はない。やはりそれは、世界の見えかたが人によって違っているせいかもしれなかった。
指を戻して、アキはじっとその場にたたずむ。
この奇跡を起こしたのは、杜野透彦なんだろうな、とアキは思った。季節外れの、けれどきれいな桜の花。それを幼なじみの和佐葵に見せるために。
彼が、それを願った。
その時、アキは正門付近の仮設テントに知った顔を見つけた。来校者の受付けや案内をするための場所らしい。そこで、仕事をしているようだった。
「――古賀さん」
と、アキはテントの脇から声をかけてみた。
古賀唯依は文化祭のパンフレットの整理をしていたようだが、アキのことに気づいて顔をあげた。そのあいだ、来校者への対応には別の生徒会役員があたっている。
「あの、まず聞いてもいいですか?」
とアキは古賀の姿を見て言った。
「いいよ」
「その格好は――?」
生徒会副会長は袖の膨らんだ、宝塚的な青い服を着ていた。この少女がそういう格好をすると、男装の麗人といえなくもない。
「うん、たぶん聞くと思った」
と機嫌を損ねた様子もなく、古賀は言った。
「……もしかしてそれ、〝リボンの騎士〟ですか?」
アキはうろ覚えの記憶をたどりながら訊ねる。
「わかるかな?」
古賀は苦笑してうなずく。「手芸部で作ってもらったものなんだけどね」
「よくできてますね」
アキは感心した。
「――でも水奈瀬さん、よくすぐにリボンの騎士だなんてわかったね。帽子とレイピアをつけるともっとわかりやすくなるんだけど」
「そりゃ、まあ……」
実際には、弟の持ち物であるそのマンガを読んだことがあるだけだったけれど。
「その格好、古賀さんの趣味ってことはないですよね?」
アキは再び、質問してみた。
「半分は趣味みたいなもの、かな。これ、生徒会の企画なの」
「生徒会の?」
「そう、『私を見つけてください』っていう企画」
古賀の説明によれば、それは学園内に散らばる様々なキャラクターに扮装した生徒を見つけだす企画らしい。有志の参加者はめいめいが好きな格好をして任意の場所をうろついている。ヒントを元にして彼らを見つけだし、全員からキーワードを聞きだせば、出題された問題が解ける仕組みになっていた。
「問題って、何ですか?」
「はい、これ――」
古賀に渡されたのは、一枚の紙だった。参加者に関するヒントと、キーワードを埋めるためのクロスワードパズル風のマスが用意されている。キーワードは、参加者の仮装するキャラクターの名前をあてられれば、教えてもらえることになっていた。
「えと、ということはそうか、確か〝サファイア姫〟でしたよね」
「――正解」
古賀はにこりと笑った。
「私のキーワードは〝ワレモコウ〟よ。ちなみに景品に何をもらえるかは、まだ秘密だから」
「生徒会もいろいろ大変ですね」
アキは軽く嘆息した。
「ヒントを元に参加者を見つけるんだけど、案外難しいかもしれないよ。中には凝った扮装をしてる人もいるから」
言われて問題用紙を見てみると、ヒントの中には「ぼくはトルコの天文学者が発見したB612という小惑星から来ました」と書かれているものがあった。ウルトラマンではなさそうだが、かといってこれでは何のことかわからない。
「これ、正解する人いるんですか?」
アキは疑わしげに紙を眺めている。
「そうだね、もしも全員見つけられる人がいたら、どんな人でも見つけられるかも」
古賀は冗談ぽく笑う。それを聞いて、アキはふと思いついたようにして訊いた。
「でもそれは、見つけるべき人がちゃんとそこにいれば、ですよね――」
「本当に会いたいと思ってる人なら、きっと何とかして会えるよ」
何の迷いもないような口調で、古賀唯依は言った。まるで、何かをそっと守るみたいに。
「ロミオとジュリエットと同じで、それが悲劇みたいな結末を迎えるかもしれない。幸福はいつも、そう簡単にはやって来てくれない。でも私は、わりと奇跡っていうのを信じるほうなんだよね。それから、ハッピーエンドも」
そう言って、古賀はテントの向こうにあるものを見る。
――そこには、まるで当たり前のような顔で桜の花が咲いていた。
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