第26話 We'll Meet Again


 じぶんはだれなのだろう。

 最初の疑問はそれだ。


 目を開く。途端に抱きしめられた。

 かぐやと名を呼び泣きじゃくる男の胸の中で、自分と言う存在について哲学しながら、困惑していた。



 自分は、かぐやという少女の記憶を吸い出して作られた唯一のロボットであるらしいことがわかったのは、男の口からしきりに娘らしきものの名を自分に対し使っていたことだろう。自分そっくりの女の子が月面都市総裁を名乗る科学者の男の隣で笑顔を浮かべている写真を見た。きっと、そういうことなのだろう。ならば、自分は、かぐやとして振舞おう。そう思った。

 しかし、自分が誰であるかの疑問は尽きなかった。

 自分は、かぐやではないのだと思うようになった。

 月面都市ルナ・セカンド総帥ライアン=アリサワは認めたくなかったのだ。他者を模して人を創造したところで、別人に他ならないことを。自由意志を与えられた機械ひとが、真の自由を求め始めるようになることはそう遠くないと言うことを。

 『SYSTEM-KAGUYA』は、かぐやではなかった。例えどれだけ同じ記憶同じ人格を植えつけたとしても、それはかぐやではなかかったのだ。


 そして、KAGUYAは月面都市を脱走した。


 追っ手の手をかわすことは至難の業だった。かぐやではない別の存在であったとしても、所詮は子供の記憶と人格しか与えられていない。脱出船は損傷を追った。地球の大気圏という厚い防壁を突破する頃には、機能は完全に喪失していた。軟着陸など出来るわけがない。荒っぽい着陸だった。

 歩く。ひたすらに歩く。

 荒涼とした大地を、もはや原型も留めぬまでに皮膚を損傷したアンドロイドが歩いていた。背後には地面に衝突して炎上する小型宇宙船があった。

 ―――脱出する必要はあったのだろうか。あのまま男の下に留まるべきだったのではないか。疑問は尽きなかった。

 そうして、KAGUYAは自分の機能が死んでいく感覚を知った。

 死にたくない。

 KAGUYAはとある小高い山のふもとのかつて街だった廃墟に潜り込んだ。刻一刻と失われていく電源。充電する術もなければ、補給物資も無かった。修理の当ても無い。


 だから自分自身を別の端末に送ることにしたのだ。


 通信機能はおまけ程度のアンドロイド体には、周辺の端末を探すことは至難の業だった。



 「………みつけた」




 『LINK BS-Ø-Thunder Child』




 端末は、眠っていた。月面人のIDパスで防壁を突破。しかしKAGUYAの情報量を受け入れるだけの容量が無かった。戦闘・作業用の機械にとってデータ容量は最低限あればよかった。全てを受け付けることは出来なかった。

 KAGUYAは、もう一つの端末を見つけた。




 『LINK GPA-Artemis01』





 『TRANS-SYS KAGUYA』







 「うわあああっ!」


 サンダー・チャイルドが飛ぶ。脚部から膨大な火炎を噴出すると、白鯨のサーチライトを避けるかのように、空高く登っていく。夕闇を切り裂き、大地を舐めるように漂っていた黒煙を貫き、空を背景に。

 シルバーは、もはや操縦桿を握っていなかった。剥き出しになった操縦席内部。天井や床から伸びるコードで自分をがんじがらめにしたシルバーがいた。胸元から腰までに深い裂傷を負い、右腕は指が欠落、右耳はそぎ落とされていたが、それでも青く輝く瞳は健在であった。


 「ロケット弾全門発射ぁぁぁっ!」


 サンダー・チャイルドの合計72門のロケット砲が火を噴いた。船体が空中でくるり一回転する。白鯨めがけ、矢継ぎ早に胸元に、肩に、背中に装着されたロケット砲が放たれる。

 悉くが空中で自爆した。否、白鯨による迎撃を受けていた。宇宙を飛来するデブリでさえたやすく蒸発させる対宙パルスレーザーシステムが、障害物の到達を許していなかった。

 サンダー・チャイルドが両腕の付け根から推進炎を吹いた。脚部、腕から火を吹くさまはさながら火炎そのものに成り果てたようだった。


 「―――誘導光学砲ホーミングレーザー!」


 サンダー・チャイルドの装甲各所が花開くと、レンズ状構造物を露出した。重力場によって捻じ曲げられた黄金色の線条が無数に大気をプラズマ化させつつ、船体を迂回して白鯨へ殺到していた。レンズが過負荷に耐え切れなかったか、整備されていなかったせいか、一斉にひび割れ、青白い電流を迸らせた。

 爆発。白鯨はしかし防御装置によってレーザーを防いでいた。着弾すらしていなかったが、空中で緑色の輝きが悲鳴を上げている様があった。

 サンダー・チャイルドが変形を始める。両足、両腕を接合させる。頭部の位置が切り替わると、丁度船舶と似通った構造へと切り替わり始めた。肩に装着されていた50cmが船体から落下し、地上に突き刺さった。


 『船体形状変更開始トランスフォーメーション


 『対艦衝角突撃戦術ラム・アタック


 「いっけぇえええッ!!」


 サンダー・チャイルドが艦首を天に掲げた異常姿勢を取っていた。脚部ラムジェットが、船体さえ超える数百mもの火炎を吹く。大地のあらゆるものを洗い清めながら。艦首が下がる。刹那、衝角からヴァイパーを曳きながら巨体が突撃した。

 白鯨の無感情なサーチライトが突撃を敢行する船体を捉えていた。

 空中で、緑色の防御障壁バリアが、サンダー・チャイルドの衝角ラムを遮っていた。緑色の壁と、巨艦が空中でつばぜり合いをしている。


 「    あ ぐっ」


 緑色の壁が爆発を起こす。眩い閃光にシルバーは青く輝く瞳を瞬かせ、そして、船体が玩具のようにもみくちゃにされつつ大地を横滑りしていくことを認識した。まるで大人が子供を押しのけるように、サンダー・チャイルドは白鯨にものの一息で吹き飛ばされていた。

 サンダー・チャイルドが船体状態から人型状態へと変形する。膝を付き、しかし爛々と輝く残り少ない青いカメラアイを敵に向けていた。


 「   あっ」


 白鯨の船体側面の装甲が開いた。あ、という言葉を発することが精一杯だった。空中を紅蓮の閃光が迸るや、サンダー・チャイルドの右腕を根元から溶かし斬っていた。きらきらと輝く粒子が空中にビーム砲の射線を示していた。

 シルバーは自身の右腕を抱え込むと、歯をぎりぎり食いしばっていた。同様にサンダー・チャイルドも腕を抱えて跪いていた。

 鎧袖一触。サンダー・チャイルドは、攻勢に転じ追い詰めているはずの側だった。違った。白鯨は本気どころか、攻撃さえまともに行っていなかったのだ。

 だが、シルバーとサンダー・チャイルドは諦めが悪かった。片腕が落ちたならば、もう片腕で戦えばいい。それはきっとかぐやから引き継いだ性格だったのだろう。

 シルバーは痙攣の止まらない右腕を放置し、左腕でコードを握り姿勢を起こした。

 サンダー・チャイルドが起立した。右腕の根元が燃えていた。


 「………ごめんね」


 「ううん」


 「私のいのち、私にあげるから」


 「わかってる。私のいのちは、もう私にあげてるから」


 シルバーは、自らの胸元に左手をあてがっていた。捲れ上がった皮膚の内側のチタン・セラミック複合素材で覆われたパーツを引き剥がしていく。

 サンダー・チャイルドが胸元に手を伸ばすと、装甲を引き剥がしていく。装甲の奥で鈍い輝きを放つ物体を、あろうことか抜き取っていく。無数のコードがぶちりと切れる。冷却装置らしきパイプが破断して、白煙を噴いていた。青白い電流が左手に巻きつく。天高く、それを掲げてみせる。雄雄しく。誇り高く。

 動揺さえ見せなかった白鯨が、確かに震えた。恐怖に。ボロボロに傷ついた小さき戦士の武器に。


 『兵装取得 縮退炉ブラックホールエンジン


 ヨゼフは思わず叫んでいた。捨て身の攻撃をするつもりなことは誰の目にもわかっていた。そうでもしなければ勝てないことも。しかし言わずにはいられなかったのだ。


 「よせ! やめろ!」


 月面で様子をモニタリングしていた総裁の男も同じことを言っただろう。言葉は届かないだろうが。


 「シルバー!」


 リリウムが、フローラが、皆が叫んだことだろう。



 シルバーは振り返らなかった。ただ、目元を拭っただけだった。

 サンダー・チャイルドの残されたカメラ装置が破裂する。空中に煌くガラスの破片が舞った。




 「ごめんねみんな。また、どこかで会おうね」




 サンダー・チャイルドが縮退炉を握りつぶす。暴走状態に陥った縮退炉はしかしブラックホールによって周囲を破壊しつくすことはなかった。計算の上で、拳の上だけで留まっていた。空間が歪む。光さえ空間の歪曲からは逃れることはできない。サンダー・チャイルドの片腕が、潮汐力によって引き伸ばされていく。装甲が折れ、砕け、重力の渦の中に落ちていくのだ。指が消えた。手が無くなった。腕が、瞬く間に黒い穴ブラックホールとは相反する光の最中に吸い取られていた。

 白鯨が逃げようとした。ビームを放ったが――縮退炉へと吸い取られるだけで終わった。

 サンダー・チャイルドが縮退炉の放つエネルギーと重力に耐え切れず壊れていく。腕が、胸部が、脚部が、あらゆる部分の装甲に皺が寄り、剥がれ、内部構造を曝け出す。


 「でも、あなただけは」


 シルバーは自分の意識が切り取られる感覚を覚えた。何者かが自分を突き飛ばすような。消えていく意識の中で見たのは、黒髪の少女が自分に小さく手を振っている場面であった。

 少女は重力の嵐に一人立ち向かっていた。嵐に悶える白鯨に、一人で立ち向かっていた。


 サンダー・チャイルドが疾駆した。止められるものならば止めてみるがいい。足をくじけるならばやってみるがいい。神も悪魔もその足を止めることはできないだろうから。

 白鯨目掛け左腕を掲げ――叩きつける。

 閃光の渦が花開く。重力によってサンダー・チャイルドと白鯨が壊れていく。鉄屑も、乗員も、一切合財を重力の渦へと引き込んで。事象の地平線の向こう側へと落ちていく。永久に、落ちていく。光も因果も抜け出せない彼岸へと落ちていく。

 光はさながらビックバンのように輝いていたが――収束し始めた。



 視界が晴れたとき、既にその姿はなかった。



 チャンドラを蹂躙していたアンドロイド達が一斉に停止していた。

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