第18話 ブルー・ムーン
宴。それは戦の後にこそ輝くものだ。
アポリオンとマウント・ウェザーを下したチャンドラは、勝利に酔っていた。
平和とは戦の間に出来た空白地帯に過ぎないと言われていても、それでも人は平和という美酒に酔いしれるのだ。もっとも兵士たちは銃を腰にぶらさげているし、チャンドラを守る為の早期警戒網を含む防衛機能は休むことなく働いている。仮に宴の真っ最中にミサイルが飛来しても、マウント・ウェザーから鹵獲された高エネルギーレーザーシステムが作動してことごとく打ち落とす手はずになっていた。
本来収まっているべきウォーカー二隻は、格納庫前の滑走路横に膝をついていた。ピークォドはいいとしても、サンダー・チャイルドは装甲各所を抉られた酷いものであった。“ガイド”とは名ばかりの粒子砲の直撃を食らったばかりか、陽電子砲の炸裂にさらされたのだから。それでもなお、装甲の中の構造は無事であった。少なくとも全速で走ることはできたし、原子炉は無事だったのだ。
古い記憶はこう語る。それが核兵器でさえとめることができず、陽電子砲を含む大量破壊兵器でさえ足を止めない蹂躙者であると。かつて地球に君臨していた支配者達の残滓であると。抵抗者を悉く抹殺したのだと。
祭りといえば酒に食べ物に美女と決まっている。最初の二つはともかく最後の一つの調達はなかなか難しい。テリトリーの人間は女から子供にいたるまで、重さ軽さはともかく、何かしらの労働に従事している。間違っても娼婦などいないのだ。
仮にそういうことを買って出る“アホ”がいたとしても―――。
「かんぱああああいっ!」
外見的年齢がティーンエイジャー精々の少女では乗るものも乗るものではなく。結局飲み仲間の一人になるだけなのであった。
何故かツナギを脱いでシャツ一枚になったシルバーが、ビール瓶をラッパ飲みしている。
「お嬢ちゃんいけるクチだねぇ! もっと飲め!」
「あっりがとーっ!!」
傍らの男が酒を投げて寄越すと、空中で受け取り中を一気に飲み干す。
リリウムは呆れ顔になっていた。
「よいのですか。子供に酒は最悪死に至りますよ……いえ、ロボットなのでしょうけど」
「かまわんよ。死にゃあせんだろ、あのロボットが。仮に死ぬとしても機能が落ちるだけでまた再起動するんじゃないか」
「そうですか……」
リリウムは黒いトレンチコートを着こなしていた。黒髪を後頭部で結い固めたシニヨン。腰に現状発掘できた中では最新の部類にはいるレーザー・ガンを下げていた。グラスに注いだ赤ワインを傾け、ルージュの引かれた唇を濡らす様は、戦前の女優を思わせる。
ヨゼフはビール瓶を傾けつつ、コンテナに寄りかかって宴の様子を見ていた。リリウムが傍らで歩みを止める。
シルバーを含む一団は、やんややんやの大盛り上がりだった。シルバーに至っては手袋とツナギを「暑い暑い」と脱いでしまったのだ。一瞬騒然となる場であったが、ロボットでも構わん派が大多数を占めたのか、むしろロボットではなく義腕をつけてるだけと認識したのか、その場で男に担がれいつの間にやらビール瓶片手に盛り上がりに参加しにいったのだ。
シルバーの呑みっぷりたるや傍らで見ている男達がオオッと感嘆の声を上げるほどだ。ビールの王冠をコンテナの縁にかけてラッパ飲みするや、次の瓶を受け取って飲み干す。男の上から降りると大声を上げつつ戦車――今は電飾をかけられ嬉しそうに輝いているそれに登って意味不明な歌を歌っている。
ヨゼフは“ビールもどき”の味に顔を顰めていた。もはや、地球上でビールの原材料である大麦をまともに生産できる地方は存在しないと言っていい。作れたとしても大量生産など夢のまた夢だ。故に、工業的に合成されたアルコールにビール風味をかけたような液体をビールと呼んでいる。リリウムが飲むものも、ブドウ味のするワインのようななにかである。
「おう戦車乗りのヨゼフ君か」
「フローラ。せめてリーダーと呼べ」
ヨゼフは、その女性にひらりと手を振って見せた。
白髪交じりの金色の短髪。褐色の肌。深く皺の刻まれた顔立ち。背筋と脚部にパワーアシスト器具をつけ、腰にプラズマ工作具を下げた中年の女性であった。歳をとっているように見えるのは重ねてきた苦労のせいであり、実年齢を知る者は驚くだろう。ヨゼフよりも若いくらいなのだから。
「リリウム嬢もいるじゃないか。―――……くっ、……ああ、全く。背骨が痛む」
「フローラおばさま。お体は大丈夫なのですか」
「おばさまはよしてくれ。まだベッドに入る年齢じゃあないよ、こいつがある限り死ぬまで歩ける」
フローラと呼ばれた女は疲れた顔を隠そうともせず、リリウムにニコニコと口元を持ち上げて見せた。そしておもむろにヨゼフの手から瓶を奪うと一口飲んだ。何か文句があるのかと言う顔を受けてヨゼフは肩をすかせた。
「シルバーとかいう娘の調子はどうだい。人格やら経歴はどうでもいい。素性がロボットなのもどうでもいいこった。ウォーカー乗りとして使えるのかどうかが問題だね」
「腕はいい。言うことを聞かなくなったり―――記憶が無いらしいことが気にかかる程度だ」
平素辛らつな物言いをするヨゼフにしては柔らかな言い方であった。
ヨゼフのすぐ隣にフローラが立ち、肩も触れ合う距離でコンテナにもたれて酒を飲む。
「ふうむ。あんたにしちゃ買ってるみたいだね。リリウムからしてアノ子はどうなんだい」
「腕はとても。得体の知れないところがあるのが気にかかりますが」
リリウムが言った。ヨゼフと近しい仲にある彼女も、ヨゼフとフローラの間には入り難い感覚を覚えていた。理由は知っている人は知っていることであるが。
「確かにな。本人から聞いてるかはわからんがシルバーは俺が付けた名前だ。もっとも型式のなんたら何番で呼ぶのも面倒だが」
「へえ、で型式は」
「知らん。体を探ってみたがどこにもない」
「そいつは不思議だね」
ヨゼフは、遠い目でシルバーを見つめていた。どこか遠い過去を求めているかのように。腕を組むとため息を吐く。
シルバーは得体の知れないところがあるのは確かだ。自爆した宇宙船で発見された。記憶が無い。ロボットである可能性が高い。ウォーカーを遠隔操作した。そして、無線越しにシルバーではない別の人格らしき声が名乗りをあげた。己はシルバーを守るものであると。不思議なところを上げ始めたら枚挙に暇が無い。
「そうか。そろそろあのくそがきを引き剥がしにいくか」
「ヨゼフ」
フローラが空の瓶をヨゼフの手元に押し付けた。背骨を支える強化装置をギシリと鳴らしつつ、歩み始める。
「あんまりあの子に、テイアを重ねるんじゃないよ。同じ子じゃないんだからさ」
「………」
ヨゼフが一瞬剣呑な雰囲気を纏った。目から光が失われ、ここではないどこかを見つめる瞳であった。腕を組むと、唇を尖らせる。そして、己の左手の薬指に触れて見せた。フローラの左手の小指にはシンプルな指輪が嵌っていた。
「ならお前もいい加減外したらどうだ」
「こいつを? いやだね。それをいうならあんたもいつまでその拳銃ぶら下げてるつもりだい」
ヨゼフがにやりと口元を歪めると、拳銃の収まるホルスターを叩いてみせた。
「こいつは大昔に“ねえヨゼフ! 貴重な過去の機械装置の一部かもしれないよっ”……って言ってきた
「いんや。使ってくれていいよ。逆に、薬指に指輪を戻すつもりはないのかね? 指が寂しそうじゃあないか」
フローラが口の端を持ち上げて、老いの中に微熱のように残る女性としての側面を垣間見せる。リリウムが高山に咲く一輪ならば、フローラは差し詰め砂漠のサボテンがつける花であった。
フローラは悪戯っぽい笑みをヨゼフに投げかけると、強化装置を鳴らしつつ去っていく。
ヨゼフは消えていく背中に言葉を投げかけた。
「ないね。終わったことだ」
「またつけてくれる日を楽しみにしてる。それじゃあ」
去り行く背中。
宴では、シルバーが戦車の上でビールもどきを一気飲みしている真っ最中であった。半裸の男がストリップを始めたり、拳銃をぶっ放す輩が出たりと混沌の情景が描き出されている。酔った男が酔った女と物陰に入り込んでいく様もある。宴とはそういうものだ。
ほろ酔い気分のドクがやってきた。足取りがふらついていた。
「リーダーも一杯どうです?」
「もうたらふく飲んだ」
「ま、ま、そう言わずに」
「よせ………はぁ」
ヨゼフは宴から離れようとしたが、ドクが離してくれなかった。そのまま嫌そうな顔のまま引っ張られていく。救いを求めてリリウムに視線を送るも、リリウムは口元を押さえて右手を小刻みに振るばかりであった。
リーダーたるヨゼフが宴に接近すると、流石に一同が道を開ける。人という大海がモーセの十戒かくや二つに割れた。
ヨゼフは軽快な歩みで戦車に飛び乗ると、誰かが使っていたメガフォンを取った。
「諸君、どうか聞いて欲しい。皆の働きによってアポリオン及びマウント・ウェザーを攻略することができた! 今宵は大いに飲んで楽しんで欲しい! 無礼講だ、好きにやれ!」
どっと沸くテリトリーの住民達。ヨゼフは長い挨拶というものが嫌いな人種だったらしく、さっさと戦車から降りようとした。思い出したようにメガフォンの電源を入れなおす。
住民らは何事かと固唾を見守った。
ヨゼフは指で銃を作ると天を撃った。
「――ただし規則は規則だ。さっき銃をぶっ放した奴は後日俺の部屋に来るように! たっぷりしごいてやる!」
笑い声があがった。
「重過ぎるな。何を食って……ロボットだからなに食っても変わらんか」
ヨゼフは一人廊下を歩いていた。正確には酔いつぶれたシルバーを抱えて。重量にして85kgもあるのだ。人間というものは、掴まろうとすれば軽く感じるが、掴まらず弛緩した肉体のままであると安定箇所が少ないがために重く感じられるのだ。
廊下をひたすら歩いていくと、リリウムとシルバーが使っている部屋の前にたどり着く。腰がへたりそうな感覚を覚えつつも、扉を開く。ベッドが二つ。小奇麗にメイキングされたベッド。ぐちゃぐちゃで、どこでこしらえたのかテディベアがうつ伏せに転がるベッド。迷うことなく汚い方のベッドに直行する。布団をめくると、背中に抱えたシルバーを降ろして寝かせた。布団をかけると、目元にかかっていた前髪をどけてやる。
黙ってさえいれば可愛らしいものの、口を開けば意気衝天の言葉を並べて一斉射撃し始める小娘。そんな認識ではあるのだが、ヨゼフはどこか別の何者かに重ねてしまっていた。フローラの指摘を振り払うように頭を振ると、その場を離れようとする。
「………パパ……どこにいるの……」
シルバーが目元を濡らしていた。目は開いておらず、夢の中にいるようだった。
ヨゼフは部屋の照明を落して去った。
自室に戻ったヨゼフは拳銃や道具類を纏めたホルスターを緩めて机の隅に放ると、机の引き出しから写真立てを取り出して眺めた。若かりし頃の自分が、破顔して腰を降ろし映っている。傍らには見事な金髪を湛えた褐色肌の女性が膝を曲げて、娘の肩に手を置いていた。場所は、どこかの格納庫だった。今はスクラップになってしまっているクイーン・アンズ・リベンジが片膝を付いている様が映りこんでいた。二名の真ん中には、幼い子供が偉そうに腰に手をやって笑顔を浮かべていた。
「………」
ヨゼフはため息を吐くと写真立てをねじ込み、ベッドに向かった。
「重力波を検知だと?」
男が、清潔な白い壁に挟まった強化ガラスから望む光景から目を離さずに言った。
畏まった姿勢の男が脱いだ帽子を胸元にやったまま答える。
「はい。基地の天体観測用重力波検知装置が、ごく至近距離で観測された重力波を検知したという報告が入りました。距離はおよそ38万km――――地球からのようです。データにおいては天体活動によるものや、別の天体現象などによるものではないことがわかっています」
「………」
男はじろりと部下に向き直った。携帯端末を机から取ると、何事かを入力する。視線を戻すと、机に腰掛けた。
「地球上で現在潜伏中の同志が重力波を発する装置を持っているという情報はない。あるとすれば――」
端末上には地球各所の座標が表示されていた。あらゆる形態の“それ”の画像が画面の片隅に並んでいる。二本足。三本足。四つ足。足がついていないもの。いずれも、尺から推定するに数百m規模の全高があることがわかる。画像が次々閉じていくと、後にはごく少数の“それ”だけが残った。赤文字で『オリジナル』の表示がちらついていた。
「オリジナルの縮退炉が稼動したとしか考えられん。地球人に縮退炉が建造できるとも思えん」
「しかしお言葉ですがオリジナルの縮退炉はロックがかかっています」
「ロックを外す手段はある。月面人の登録情報、ID、あるいは………」
男は部下から目を離すと、銀色の月面上に顔を覗かせ始めた『地球の出』を見遣った。
「かぐや。お前はどこにいるのか……?」
誰も答えなかった。
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