第7話 あの障壁を殴れ

 「ヘッドアーム・オープン」

 「了解、ヘッドアーム・オープン」


 巨人の頭部を覆っていた固定装置が解除される。鈍重な動きで左右に開いていった。

 巨人が格納庫の外に出ようとしていた。

 操作員がタッチパネルを操作する。巨人の頭部から胸元を固定する器具類が次々外れていく。黄色の警告灯がやかましく鳴っていた。

 冷却や原子炉稼動に使用される水を注入していたホースが切り離される。

 船体を取り巻いていたキャットウォークが引き込まれていく。足元で作業をしていた車両が蜘蛛の子を散らすように定位置へと退避していく。ヘルメットを被ったチャンドラ所属の作業員が大声を上げている。


 「ボディーアーム・オープン」

 「了解。ボディーアーム・オープン」


 胴体を覆っていた固定器具が外れる。

 何せ300mにも達する巨体である。万が一にも倒れでもしたら被害は砲撃が着弾したのと大差ない。念を入れても誰も文句を言うまい。

 格納庫の正面の壁がスライドしていく。一秒間に数cmという鈍足ではあったが、徐々に加速していた。壁が全て退くと、二方向に分かれたかつての滑走路だったものがあった。片や陸へ。片や海へ向かっている。誘導灯を備えたプッシュバック・カーが船体下方の地面を走り出した。

 点滅する黄色の輝きを、船体に備えられた各種サーチライトが追尾していく。


 「えっ、あれを追いかけるの」

 「早くしろ。踏み潰すなよ。俺の同志を踏み潰したら、操縦席から叩き落してやる」

 「う、うぅわかってるけど、あんな小さいの踏み潰しちゃうよ……」


 シルバーは困惑に近い声を上げていた。サンダー・チャイルドは300mで、プッシュバック・カーは高さ2mもないのだ。蟻か何かが足元直下にいると仮定して、踏み潰さぬよう歩くのがいかに難しいかわかるだろうか。

 ヨゼフは操縦席に寄りかかりつつ、無線機に大声を上げた。


 「サンダー・チャイルド出るぞ!」


 巨人を先導するプッシュバック・カーがタイヤから白煙を上げて走り出した。海辺へと続く滑走路上を誘導していく。

 ギア、ファースト。前進微速。アクセルとレッグコントローラーの動作入力に従い、サンダー・チャイルドが緩やかに右足を上げ、姿勢を崩す。大地を揺るがす第一歩。脚部が振れることで発生する逆方向への運動を、左腕が前に出ることで相殺していた。左足。着地と同時に大地が揺れた。滑走路横の電灯割れた照明装置がギシギシ前後に揺れる。とまっていた鴉が飛び去っていった。

 ここは我の領域なりと、主張するかのごとく海鳥達がけたたましく鳴き叫びながらサンダー・チャイルドの上空を旋回している。船体が発する熱が上昇気流を生み出していた。賢しい彼らは、気流に便乗しに来たのだった。

 海へ到達した。脚部放熱板が海に触れるや、海水が水蒸気と化して濛々と吹き上がった。更にもう片足が着水。着底。

 ギア、マックス。最大戦速。逞しい両足が水面を割って進む。最大出力を得た船体は120kmへと達していた。轍が船体を発生源として広がっていく。


 「敵、ミラージュ第一防衛ライン突破。距離150km。会敵予想時刻1710」

 「こちらヨゼフ。敵ミラージュの状況を知らせろ」


 ヨゼフは尻ポケットに突っ込んであったメモ帳に胸ポケットのペンでなにやら書き込み始めた。


 「敵ミラージュ、バリア装置らしきものを搭載している模様。シャングリラの砲撃が直撃するも貫通できませんでした」

 「了解。敵の兵装は? 以前偵察したときと変化があるのか?」

 「ありません」

 「了解した。俺はサンダー・チャイルドに乗っている。このまま突撃する。万が一やられた場合総員撤退しろ、アウト」


 テリトリー・チャンドラは敵の情報を得る為に積極的に諜報員を派遣していた。テリトリー・アポリオンも偵察先の一つであった。軍の備蓄倉庫を拠点に活動する彼らは、ミラージュというウォーカーを所有していた。

 ミラージュ。全高350m。固定兵装なし。主動力不明。とにかく装甲が厚く、頑丈な船体。脚部の付け根を守るスカート状パーツといい、背中が大きく張り出している部位といい、独特なシルエットが特徴となる。更に特徴付けるのが“蜃気楼”である。ミラージュは常に蜃気楼を発生させて現われるのだ。

 シルバーは砲撃用のスコープを天井から引っ張り降ろすと顔を顰めた。残弾ゼロ。装填が済まされているはずだが。モニタを見遣ると、砲があるべき場所についていなかった。


 「おやっさん砲がついてないんだけど」

 「おやっさんはやめろ。整備の為外していたからな。殴れ」


 端的なアドバイスに決心がついたのか、シルバーがスコープを戻した。

 左手に夕日を望みながら、海をひたすらに歩く。

 地平線から三つのレンズを備えた頭部が現われる。対艦ミサイルを受けつつも直進する影。防衛の為設置されていた機雷が衝突し爆発していたが、全く怯む気配がなかった。対戦車ヘリが機体周囲を周回しつつ機関砲を叩きつけても、航空機が航空爆弾を頭部に落しても、まるで効果が見られない。衝撃があるたびに機体周囲に緑色の閃光と雷が走っていた。

 両者の距離は既に数kmにまで迫っていた。

 ヨゼフは敵の全影を十字型スリットから視認すると、操縦席の手すりに腰に結び付けてあった紐で自分をくくり始めた。操縦席と言う固定器具に乗っているシルバーはいい。ヨゼフは生身なのだ、衝撃、転倒、その他事象で転げて頭でも打てば死ぬのだ。

 サンダー・チャイルドを発見したミラージュのサーチライトが前方に集中する。頭部のレンズがぼんやりとした緑色の光を宿していた。

 ミラージュが咆哮した。高温を孕んだ排気が機体各所から噴出し、大気を揺らめかせている。接している海水を沸騰させながら突き進む。ミラージュが生じる熱湯の波を受けて、海面に無数の魚の死骸が浮かび上がっていた。

 サンダー・チャイルドが吼えた。頭部側面の排熱口から蒸気が噴出する。関節を保護する装甲板が可動すると、関節部の動作の自由性を確保した。

 そしてシルバーも声を張り上げた。レバーを操作。シャッターを閉鎖。十字型スリットが装甲に塞がれ、代わりにカメラ装置がずらりと並び、赤い光を放った。


 「せえのぉっ!」


 近接格闘開始。

 アクセルペダルを蹴っ飛ばす。レッグコントローラーを強く動かし、船体を走らせた。

 サンダー・チャイルドが右腕を引き、左腕を頭部前で縦に構えた。脚部が海底を踏みしめる。海水が瞬時に波打ち飛沫を上げた。異変を察知した海鳥達が我先にと逃げ出していく。

 ミラージュが鏡写しの逆の構えを取る。

 両者は相対速度300km近い速度で衝突した。

 サンダー・チャイルドが身を屈めるように姿勢を崩す。酷くゆっくりとした動きであったが、拳が下方から敵の頭部をたたき上げるアッパーを狙い動き始めた途端に音速を突破していた。300mにも達する巨体が振るう肢体は、もはや想像を絶する速度を生む。鞭の末端が空気を裂き炸裂音を鳴らすのと同様に。

 対するは、地を蹴り、叩き潰すコースを取ったミラージュの左拳であった。

 衝突。

 もはや爆弾が炸裂したに等しい衝撃が発生する。海面が引き裂かれ白い飛沫と泡が大量に生じた。拳という爆心地グラウンドゼロから同心円状に拡散する破滅的なソニックムーブが逃げ遅れた海鳥達の内臓を潰した。

 サンダー・チャイルドが吹き飛ばされていく。海底を脚部で擦りつつ、クラウチングスタートの姿勢で静止した。装甲表面に浴びた海水が蒸発していき、塩の微小結晶が浮き上がっていた。

 ミラージュは転倒こそしなかったものの、大きく仰け反っていた。片膝を付き静止していた。接触面積が増えた為か、スカート状パーツから大量の蒸気が吹き上がっている。海水と言う海水を沸騰させていた。大気が揺らめき船体の輪郭が歪んでいた。


 「パワーで負けてる!」


 シルバーは船体と同じ体勢を取っていた。大声で怒鳴ると、姿勢を変更するべく再度ギアを入れなおす。バックギアからアクセルギアへ。前進全速。排気口が咳をした。


 「だろうな。体格で相手のほうが勝っている。上手く殴り合わんとやられるのはこちらだ」

 「言われなくたって!」


 淡々と述べるヨゼフはしかしシルバーの表情をじっくり観察していた。闘志溢れる雄雄しい表情。ロボットとは到底思えない生き生きとした声。こいつは何者なのかと言う問題について考えていたのだ。すぐに意識は戦闘に再配分される。スイッチを切り替えると、眼前で仁王立ちする敵を見据えた。

 サンダー・チャイルドが駆けた。原子炉のタービン回転音が俄かに高まり唸り声を形成していた。

 サンダー・チャイルドの拳を、ミラージュはかわすことさえなかった。空中に走った緑色の障壁が阻んでいたからだ。


 「えっ」


 一瞬動きを止めたサンダー・チャイルド目掛けミラージュの中腰からの蹴りが炸裂した。

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