第8話 蜃気楼を破れ

 アラート。腹部にビルに匹敵しようかと言う逞しい脚部が叩き込まれる。巨大な鍋をバッドで殴りつけたような金属音。発生する衝撃がサンダー・チャイルドに付着していた海水を振るい落としていく。海面上に俄かに誕生した雨が降った。


 「女の子のお腹蹴っ飛ばすなんて許せない! ぶっ殺す!」

 「おい、あのな」


 シルバーは、船体と同じ姿勢を強制的に取らされていた。すなわちしりもちをついた姿勢だった。

 吼えるシルバーの横でヨゼフが苦笑いを浮かべていた。人間臭すぎる。頭の中だけは生身の脳味噌なのかもしれないと。

 船体が軋みをあげて立ち上がる。拳を握ると、そのまま海底に叩き付けて起立する。起き上がる様子をミラージュは悠々と見つめていた。頭上で航空爆撃が炸裂する。バリアは作動していなかったが、装甲表面で派手に花火が上がるだけで損傷している気配が無い。

 原子炉の冷却水の循環機構に異常が発生したことを告げる警告が灯る。一基の出力を低下させるか、それとも別の冷却源を見つけるか。シルバーは程なくしてそれを見つけた。海水だった。素早く操作用パネルに指を走らせると、原子炉の出力はそのままに脚部放熱板に回す熱量を増加させるように再設定した。

 認証。パネル上で、船体を示すCG画像で原子炉が青く表示されている。冷却システムの一部が別の配管へと接続され、熱が脚部へと伝達される様子がアニメーションされていた。

 サンダー・チャイルドの下方から人工の間欠泉が産声を上げた。放熱によって合成されたものであった。

 ミラージュが両拳を固めると、自身の胸の前で打ちつけた。拳を起点に不可視の衝撃波が拡散し、海面をかき回す。スカート状の装甲板がせり上がった。軋みを上げて350mの巨人が前進を開始する。船体が空気を強引に押しのけることで発生する気流が、蜃気楼を揺らめかせていた。

 『兵装取得 タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦』


 「何?」


 目を疑う表示を見た。ヨゼフが困惑にシルバーの横顔を見遣る。自信に満ち溢れた頬。咄嗟に別のモニタに目を通すと、錆に塗れてなおも形状を保ち続けている艦橋マストが目に入った。大昔の戦争で沈没したアメリカ軍の巡洋艦クルーザーがサンダー・チャイルドの右手に握りこまれていたのだ。

 シルバーが、“兵装”を船体に命じ使用させんとアームコントローラーごしの腕を動かしていた。アクセルペダル。原子炉タービンが蒸気を孕み増速する。


 「えええいっ!」


 サンダー・チャイルドが振りかぶると、タイコンデロガの竜骨がへし折れるも構わず、大上段から叩き付けた。

 『兵装損失』

 巡洋艦クラスの物体を前にしても、バリアという鉄壁の要塞は安全を保障するようだった。――ただし、攻撃を受け止める盾が多くの場合完全ではないように、バリアもまた然りだった。緑色の雷霆が船体の棘状部品から生じ、枝分かれして空中に溶けていく。炸裂音と共にバリアの構築する緑色の防衛網が消失する。

 絶叫を上げ、半ばから折れた巡洋艦が海に落着する。海水が船に巻き込まれたわむと、周囲の圧力によって落着地点へと集結し、吹き上がる。巡洋艦は艦首を天に掲げ海底へと消えていった。

 ミラージュが右足を海水から引き上げた。重心移動をこめた前蹴りはしかしサンダー・チャイルドの右腕に阻まれあらぬ方角へと逸れる。金属同士が接触し、打ち上げ花火のような面積を占有する火花を散らす。


 「やはりか。事前の偵察と攻撃でわかってはいたが、一定以上の衝撃を受けるとバリアが停止するらしいな。今が好機だ」


 ヨゼフは無精ひげを撫でつつ言った。モニタに映っているミラージュは、テリトリー・チャンドラ所属の戦闘ヘリからのロケット砲を装甲で受け止めていた。もっとも装甲を穿つことを目的とした成形炸薬弾HEATでさえ、本来の効果を発揮できずに砕け散っている。モンロー・ノイマン効果が発揮されないのだ。装甲が余りに硬く、流動体どころか歪むことさえないせいで。では榴弾HEを搭載したロケットはどうかと言えば、装甲表面で爆発するだけで内側に浸透以前、衝撃を伝播させることもできないでいた。


 「バリアの再構築までの時間はっ!?」


 バリアは少なくともシャングリラの砲撃と、タイコンデロガという質量物の衝突にさえ一撃は耐えてしまう。相手はバリアを気にせずに攻撃を繰り出せる。近接格闘において、予備動作もなく眼前に割り込む都合のよい盾があっては、まともに戦うことなどできはしないのだ。

 弱点はある。再構築までのインターバルである。それさえわかれば――。

 ミラージュが右拳を腰溜めに構える。人間の手を模したマニュピレータが腕とは別に高速で回転し始めた。

 サンダー・チャイルドが応じた。頭部目掛けて射出される腕と言う重量物をボクシング選手よろしく身を屈めていなすと、腕の側面で叩いて挫く。抜き手を狙ったミラージュが僅かによろめいた。無防備な腕の付け根をサンダー・チャイルドの鉄色の腕が掴み上げると、腹部に膝を叩き込む。跳ねる胴体。これでもかと両腕をハンマーに見立て海底に叩き付けた。蒸気であたり一面が白亜に染まった。


 「わからん! 精々三十秒といったところだが出力を調整できるとすると――!」


 炸裂音と共に海水が瞬間的に沸騰するや、白煙の真っ只中からサーチライトが天に向けて蠢いた。海水というマントを肩に纏ったミラージュが屹立していく。海水がミラージュから重力に従い、大瀑布を形成していた。発する熱のあまりに海面に帰ることもできず空中に溶ける飛沫さえあった。

 白煙の中で三つのレンズ状頭部パーツが睨みを利かせる。金属音と共にターレットが回転し、レンズが切り替わった。レンズが不気味に輝く。船体に備えられたサーチライトが一斉にサンダー・チャイルドを照らした。低周波音とでも表現するべき、金管楽器を数百重ねたような旋律が響き渡った。空中に緑色の雷鳴が轟く。バリアが再生していた。


 「なにか――何か手があるはず」


 シルバーが言うなり攻撃を仕掛ける。重い攻撃を繰り出したところでバリアを突破できないのは明白だった。拳を固め、繰り出す。ミラージュはやはり防御する素振りさえ見せなかった。サンダー・チャイルドの右拳が緑色の障壁に阻まれていた。


 「このっ! このっ!」


 続いて左。ワンツーフニッシュ。とどめとなる中段蹴り。バリアがぷつんと切れた。緑色の雷が天へ登って雲を掠めた。とばっちりを喰らった戦闘ヘリが黒煙を上げて海へと落ちる。

 攻撃後の隙をついてミラージュの身のあたりが炸裂する。一歩前進すると肩から胸元にブチかます。丁度中国の拳法にも似た仕草であった。ウォーカーは通常操縦者の動作をトレースする。操縦者が格闘術の心得があるのかもしれないかった。

 肩からぶつかられたサンダー・チャイルドがよろめく。鉄と鉄がぶつかり合い、銅鑼を打ち付けたもといダイナマイトで爆破したような大音響が空間を舐め上げた。

 損傷警告。胸元に格納されている装置類がお釈迦になったことを示すサインがパネルにちらついている。英語表記で『チェックリストに従い対応せよ』の文字。既に自動装置が働いている。断絶したパイプの流動を遮断。バイパスしていた。チェックリストなど、そんなものは無い。シルバーは目線をパネルから正面へ向けた。サーチライトの眩い輝きをこちらに投げかけてくる巨体があった。三つのレンズ越しにこちらを睨みつけていた。

 睨み返す。サンダー・チャイルドの十字型スリットに備わっている赤いカメラアイの列が末端から中央に順を追って輝きを増す。

 緑の三つの眼光と、赤い十字の視線が交錯する。

 サンダー・チャイルドはよろめいたことで船体に海水を被っていた。ゆっくりと蒸発していた。

 ミラージュは転倒した拍子に大量の海水を被っていた。悉く、放熱板ではない箇所でさえ高速で乾いていく。

 ――まてよ? シルバーは閃いた。天啓といってもいい。思考と言う大海原に生まれたアイデアという生命の誕生を見たのだ。

 サンダー・チャイルドが緩やかに後退した。一歩、二歩。かかった時間は二十秒以上だった。


 「おやっさん。ミラージュは常に蜃気楼を纏ってるんだよね」

 「ああ、なぜかはわからんが蜃気楼を纏って現われる。動力源はわからん。原子炉だとは想像がつく。高温を発することでなんらかの防御を行っているのだと思うが」


 何を言っているのかとヨゼフが言う。彼は操縦席の傍らでシルバーの顔を見つめていた。

 シルバーはにやりと口元を肉食獣染みた仕草で引き上げていた。


 「予想になるんだけど纏ってるんじゃない。放熱が追いつかなくて全身から放熱せざるを得ないんだと思う。水を見て。蒸発する速度がやたらと早い。この子サンダー・チャイルドも放熱性能は高いわけじゃないけど、ミラージュ程じゃない」

 「となると」


 ヨゼフも同様に笑った。面相の悪さが曰く夜盗か何かと噂されるほどの男の笑顔は、けれど狼の赤ん坊の威嚇程度には可愛らしいものだった。


 「バリアを含む装備も放熱が追いつかなくなれば機能を失う可能性が高いな。糞っ! だから海から進行してきやがったのか。防衛網を誤魔化す為かと思ったが」


 ヨゼフは素早く無線機の電源を入れると、怒鳴った。


 「こちらヨゼフ。戦闘ヘリ戦闘機なんでも構わん。ありったけのナパームを用意させろ。用意出来次第発進して攻撃しろ。あのでぐの坊ミラージュを石器時代に戻してやるぞ。シャングリラの砲撃は可能か?」

 「繋ぎます」


 無線が途切れた。程なくして壮年の男の声が無線越しに響く。


 「こちらシャングリラ。リーダー、どうぞ」

 「シャングリラ。砲撃は可能か?」

 「砲身の過熱と船体のダメージが甚大です、サー。次発射すれば悪くて砲身が破壊されるか船体が割れます。よくて、砲身の分解整備で一週間はかかります。低威力で砲撃は可能だと思いますが、バリアを停止させるには不足かと」

 「了解。撃てと言いたいが……無理なものは無理か。シャングリラは退避しろ、アウト」


 会話している間にもミラージュは前進を続けていた。サンダー・チャイルドが下がると、ミラージュが進む。彼我の距離は一定のまま詰まることも遠ざかることもなかった。

 シルバーはすぐにでも戦闘速度に戻せるようギアにかかる指とアクセルペダルにおいた足に意識を張り巡らせながらも、ヨゼフの顔を見遣った。


 「ナパームはいいけどどうやって攻撃させる? バリアを破るのに殴るのはいいけど、もし海水にでも浸かられたら終わりだよ」


 ここは海だ。放熱用の水はいくらでもある。仮にナパームで焼いたところで潜れば終わりだった。水で鎮火できるような燃焼剤を使っているわけではないが、放熱には十分だった。


 「奴を陸上に持っていくしかないな。そうなったらチャンドラの領域に入れたも同然になるが―――丁度いいところがある」


 ヨゼフがパネルを操作し始めた。地図を呼び出す。データ無し。舌打ちをすると、座標を打ち込んでいく。現在は海水面の上昇に伴い海中に没した地点が表示された。といってもデータ無しである。プリセットの地形データ上に点が出ているに過ぎなかったが。

 表示名、キャンプ・タイタスビル。当時の住民たちの言い伝えを元に命名された地点だった。もっとも彼らは知らないことだろうが、都市の位置は現在彼らが呼ぶ名前とは違う地点だった。

 その地点は、現在はチャンドラの部隊が展開している場所であった。


 「ここで迎え撃つ。奴を上手いこと誘導しろ」

 「うまいことね」


 シルバーは眉間に皺を寄せて唇をかみ締めた。パネルを操作していき、はたと指を止める。


 「誘導じゃなくてもいい?」


 それは悪魔的な提案だった。

 誘導しないならば、相手を抱えて運ぶつもりだろうかとヨゼフが訝しんだ。

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