第9話 両腕

 ミラージュの操縦者は思った。容易いなと。

 テリトリー・アポリオンにとってテリトリー・チャンドラは目の下のこぶだった。長大な射程を誇る各種ミサイルとマスドライバー砲を備え、おまけにウォーカーまで新たに入手したというのだから。手を組むことなどありえなかった。力で屈服させるしかない。そのためのミラージュなのだから。

 敵は二足歩行型のウォーカーだった。馬力、装甲、共にミラージュが勝っていた。ミラージュは近接格闘を重視した船体である。必殺の抜き手をかわされたのは痛いが、打撃戦闘においては勝っているに等しかった。バリアというアドバンテージを敵が崩せない限りは勝利は確実だろう。ウォーカーさえ静めてしまえば、あとは通常兵器のみだ。蹂躙できる。

 ミラージュ最大の欠点は放熱にあった。熱循環装置が未熟であるがために、少し動くだけで船体全体に蜃気楼を纏ってしまう程であった。欠点を補う為には海上を戦場とすればいい。冷却能力を得たミラージュはまさに最強と言えるだろう。

 敵ウォーカー、サンダー・チャイルドが拳を振りかぶる。馬鹿正直な正拳突き。バリアという優位性が到達を許さない。バリアが過負荷でダウン。続く蹴りを仰け反ることでかわすと、逆に蹴り返す。

 ミラージュの操縦者は鼻で笑った。あくまで正攻法にこだわるならば、死ぬのはお前であると。

 上空から軽攻撃機COINがロケットを放ち、一撃離脱。鏃型の攻撃陣形を維持してミラージュの横合いを抜けた。

 

 「煙幕だと?」


 操縦者は困惑した。目潰しのためか大量の煙幕弾がたたきつけられたのだ。バリアがダウンしている最中の出来事。視覚が塗りつぶされている。モニタのレーダーにも異常が発生していた。大量のチャフと全周波帯の無差別ECMがレーダーを麻痺させていたのだ。しかしこれでは味方だってレーダーを使えまい。有視界戦闘でのみ戦うつもりかといぶかしむ。

 思考が僅かに鈍った操縦者は、刻一刻と訪れる破滅の時には気が付かず、前方にいるであろうサンダー・チャイルドの十字に並んだカメラアイが怪しげに輝くのを見つめていた。


 「原子炉稼働率100%。放熱装置問題なし。推進源、圧縮大気。ラムジェットエンジン方式に切り替え。認証よし。各部ロック解除問題なし。航路設定……座標をキャンプ・タイタスビルを終着地点とし、無線誘導方式からの自動運転でセット。障害物にぶつかったときの設定――無効化。直進を強制っと」


 老眼鏡を嵌めたヨゼフがパネル下に設けられたキーボートを軽快に打っていた。

 『セパレーションモード』

 電子画面に表示されているグラフィックを見つめて、眉を顰める。


 「本当にやるつもりか。構わんが、戻ってこなかったらどうする」

 「気合で補う」

 「気合でなんとかできればいいがな。お前さんロボットにしちゃ粋なことを言うが、しくじったらただじゃすまんぞ」


 シルバーが口元を緩め、宣言した。気合で計算を凌駕すると。仮に彼女がロボットであるならば、設計者はきっと酔狂なものだったに違いないとヨゼフは思った。

 サンダー・チャイルドが両腕を掲げていく。腰を落とし、片足は右後方に大きくせり出していた。

 三基の原子炉が臨界寸前を迎えていた。大量の熱が発生しており、船体各部の放熱板が白熱している。両腕の指先がぴんと研ぎ澄まされる。感覚を確かめるが如く指が数度開閉し、握りこぶしを作った。腕にぽかんと開いた吸気口のシャッターが開く。あたりに振りまかれた煙幕を吸引していく。両腕の関節部を守る装甲が捲れ上がった。タービンが高速で回転を始める。補助エンジンが吸引した大気を圧縮し、吐き出し始める。

 『セパレーションモード/1G下運用』

 『準備完了レディ

 電子パネル上のサンダー・チャイルドの両腕が、緑色に点滅していた。


 「大丈夫。成功したらおやっさんって呼んでいい?」

 「すればな」


 シルバーが頬を紅潮させ言った。

 ヨゼフは好きにしろと手を振ると、あとは知らんと言わんばかりに腰を降ろした。


 「ロケット――――パアアアアアアンチッ!!」


 両腕というビルのような太さを誇る物体が、音を置いてきぼりにして射出された。ベイパーコーンが腕にまとわりつき次の瞬間には遥か後方に流れていた。推力偏向ノズルが首を回し、ラムジェットエンジンの吸引した大気を噴出する。余りの高速度であるがためにプラズマ化した大気が長大な青い火炎として伸びていた。

 ――両腕と言う質量武器が、一目散にミラージュに向かう。腕の各所から速度の余りにヴァイパーが引いていた。衝突。腹部を腕が捉えた。衝撃波が鉄を打ち据え拡散した。

あろうことが腕が、巨体を斜め上方へと“離陸”させた。実に350mもある巨体が浮く。ミラージュが驚愕にもがくも、既に遅かった。腕の接続部から生える推力偏向ノズルが下方に壮絶な火炎を吐き出す。海水が蒸発し、主人たるサンダー・チャイルドをも巻き込んだ。海が割れる。海底がむき出しになっても火炎を完全に遮断することは敵わずに、表面を抉り取られる。マグマと化した岩石が海水と言う壁の断面をねじ切りつつ拡散した。


 「いっけええええッ!!」


 シルバーが吼えた。姿勢を崩し仰向けに倒れ掛かる船体を、もはや制御していなかった。できなかったのだ。

 両腕が雲の高さへとミラージュを運ぶ。もはやミラージュは身動きをしていなかった。加速度が操縦者の意識を奪い去っていた。推進力のあまりに、腹部に腕がめり込んでいた。

 上空2000m。積雲を引き裂き、ミラージュが弾き飛ばされた。空中を緩やかに回転しつつ、自由落下を始める。もはや止められるものはいなかった。

 落ちる。落ちていく。ミラージュはそのままキャンプ・タイタスビルのど真ん中へと墜落した。

 両腕が空中で旋回する。それぞれが左右に分かれて指定された地点へと戻っていく。すなわち、両足を踏ん張って腕の付け根を左右に翼のように広げたサンダー・チャイルドへと。

 『セパレーションモード/ドッキング』

 右腕が各所のスラスタを瞬かせた。関節部の接合部を守る装置がハッチを開くと、内部構造を晒す。ガイドレーザー照射。くるりと腕が一回転して向きを調整すると元通りの位置に嵌る。

 左腕がバレルロールしつつ、元の付け根へと収まった。関節部保護用装甲が滑り定位置で止まった。

 握りこまれていた両拳が指を順を追い開く。頭部横の排熱口がため息を漏らした。


 「いよっしゃっ!」


 ガッツポーズを決めるシルバーの横でヨゼフがふんと不機嫌そうに鼻を鳴らす。まるで成功したのが嬉しくないとでも言わんばかりだった。

 無線に反応。ヨゼフが口をあてがった。


 「こちら攻撃部隊イーグル。攻撃位置に付きました」

 「了解。やれ」


 低空から侵入したターボプロップ推進式の爆撃機四機のの爆弾槽が開く。ナパーム弾が雨あられと撒き散らされた。炸裂。火柱にミラージュが飲まれる。爆撃機が機首を上げた。上昇フラップ位置。マックスパワー。空気を裂く翼の末端から高音が鳴り響いた。まるで猛禽類の嘶きのように。

 猛禽が去っていく。戦闘ヘリの群れがミラージュを包囲していた。矢継ぎ早に放たれるナパーム・ロケット弾。橙色の火炎に包まれたミラージュがもがいていた。操縦者が意識を取り戻したらしい。

 ミラージュの船体からずるりとスカート状パーツが脱落した。地上に落ちるまでは酷くゆっくりとしたものだった。両腕を付いて悶える。オーバーヒート寸前なのか、排気口から火の粉交じりの空気をげほげほと吐き出していた。


 「バリアが使えなきゃこの子サンダー・チャイルドの方が強いんだよ!」


 シルバーは船体をミラージュのすぐ側まで進ませていた。

 ミラージュが起き上がらんともがく。馬乗りになったサンダー・チャイルドが頭部に拳を叩き付けた。腕を掴むと、頭部を殴る、殴る、殴る! ぴくりとも身動きしなくなったところでサンダー・チャイルドの拳が天高く掲げられた。

 勝利だ。

 兵士の一人がアサルトライフルを興奮のあまりに空に撃ちまくる。ある兵士は手を叩いて喜び、ある兵士は敬礼していた。


 「ってわけで」


 ふふんとシルバーが得意げにヨゼフの顔を覗きこんでいた。汗を拭う素振り。ただし、汗は彼女の素肌を一滴たりとも汚していなかったが。


 「おやっさんって呼んでいい?」

 「好きにしろ」


 ヨゼフは投げやりな言い方をした。頭を掻くと、手を差し出す。

 シルバーは手を差し出されるときょとんと目を瞬かせていた。手に触れてみる。ごつごつと皮の厚い働く男の手だった。無数に刻まれた傷や薬品かぶれは男がメカニックであったことを暗に悟らせる。はっと頬を振るわせた。意味を理解したのだ。

 シルバーがヨゼフの手を取ると、がっちり握手をした。


 「ようこそシルバー。お前を味方と認めよう」

 「よろしくねおやっさん!」

 「だからおやっさんは………はぁ……つくづく俺は生意気な女に気に入られる性質らしいな」


 ヨゼフはため息を漏らしながらも、うきうきとした顔で見つめてくるシルバーに微かな笑みを向けていた。

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