第二章 月面より愛を込めて
第10話 黒衣のリリウム
テリトリー・チャンドラでもっぱら噂になるのは、ウォーカー『サンダー・チャイルド』の操縦者についてだった。
先のミラージュを打ち負かした際に、意気揚々と戻ってきたサンダー・チャイルドが皆の前で足を止めたのだ。ハッチが開くと内部から二名が出てきた。一人はリーダーのヨゼフ。一人は見慣れぬ銀髪の少女だったのだ。勝利という美酒に酔う彼らはその場では大盛り上がりしていたが、熱が冷めてくるにつれて、果たして隣の少女は誰なのかという疑問が沸きあがってきた。
その昔のことだ。ヨゼフは優秀な戦車乗りとしてテリトリーの最前線で戦ってきた。戦車を駆れば一騎当千。整備をやらせても優秀な男であった。部下からの信頼も厚く、部隊を任されていた。先代のリーダーじきじきにヨゼフをリーダーに指名したときに、反対意見が出てこなかった。形式的に民主主義投票を実施したが、対立立候補自体存在しなかったのだ。
話を戻すと、ヨゼフは戦車乗りとして優秀でも、ウォーカー乗りとしては優秀どころか乗ったことさえなかったはずなのだ。消去法でいくと少女が操縦者となるだろうが、銀色の髪の乙女などチャンドラには存在しなかったのだ。
疑問を抱き調査を始めたのが一人どころか大勢であっても不思議はなかった。
大勢の中の一人には、テリトリーが以前所有していたウォーカーの操縦者も含まれていた。
リリウム。かつて本名を捨てた若き女もその一人であった。漆黒のツナギに、漆黒の薄い肩掛けを羽織った姿。黒い頭髪を腰まで垂らした白磁の艶やかな肌の乙女がいた。あらゆるものを黒一色で統一した姿は、見るものの目をひきつける。豊満な肉体美を余すことなくツナギという薄い装束が輝かせていた。ポスト・アポカリプスにおいて容姿を維持するのがいかに大変なことか。整髪料どころか水浴びさえ労力を払うような世というのに、女はまるで戦前の文化をそのまま持ち込むことに成功したかのようだった。歳は既に成熟した女性に差し掛かろうという頃合であった。
リリウムの表情に浮かぶのは、焦燥感。あるいは、困惑だった。
当然だろう。リリウムはウォーカーの操縦者だったのだ。自分が不在のときに誰かが操縦したというのだ。あろうことか、それは銀髪の少女らしい。
「
思わず唇を噛んだ。
何を隠そう、テリトリー・チャンドラ唯一にして最大戦力のウォーカーを駆っていたのはリリウムだったのだ。自分以外に熟練のウォーカー乗りがいるなど聞いていなかった。そもそも銀髪の少女が操縦するなど、初耳だったのだ。
リリウムは、情報を得るべく格納庫を歩き回っていた。
「あれが……」
リリウムがはたと足を止める。
背面部にランドセルとも称すべきロケットエンジンを搭載したバックパックと大口径をくくり付けられている真っ最中のサンダー・チャイルドがあったのだ。脚部、腹部に固定器具をがんじがらめにされており、作業の為か装甲をばらされていた。
「ばらせるのですか」
ほう、とリリウムが息を吐く。
ウォーカーの中にはばらそうとしても強度が高すぎるせいかばらせないものも存在する。コンピュータが分解を拒むものもあるのだ。分解できると言うことはそのいずれでもないと言うことだろう。
作業員に片っ端からあたっていく。
手近な男の肩を叩いて振り返らせた。
「あの船体の操縦者の居場所が知りたいのだけれど。サンダー・チャイルドの操縦者は曰く銀色の髪の女の子と伺っていますが」
「リリウム嬢。申し訳ありませんが私も知りません。知りたいくらいですよ。わたしゃあてっきり貴女が操縦してるもんだと思っていたわけで、見たときにはたまげましたね」
「そう、ありがとう」
「いえ。ごきげんよう、お嬢様」
「口がお上手ですね。将来のお嫁さんに取っておくことをお勧めします」
男がにこやかに見送った。ひらりとヘルメットまで掲げて。
例えるならばリリウムは荒野に咲いた一輪であった。独り身で盛りを迎えている美女をぞんざいに扱う男がいるはずがなかった。隙あらば口説こうとする男も少なくなったのだが、肝心のリリウムはそよ風でも受けているようだった。興味がないとでもいうかのように。
次の作業員に聞く。首を振られた。守衛に聞く。首を振られた。
一時間は歩き回っていただろうか。誰一人知らない、逆に知っているのだろうと問いかけられる始末。
リリウムは途方に暮れて自分のかつて乗っていた船体が保管されている格納庫へとやってきていた。黒一色に塗装された二足歩行型の船体が、格納庫一杯を占領して仰向けになっていた。腕は折れ、頭部は凹み、あるべき脚部は分断されていた。主動力たる原子炉も冷温停止状態で作動しない。船体名『クイーン・アンズ・リベンジ』。戦闘の末に徹底的に破壊されたウォーカーであった。
ウォーカーを破壊することは困難を極める。大口径砲の水平射撃でも装甲の貫通さえできないのが常なのだ。腕と脚部が折れるまで戦うことはむしろ難しい。つまり、徹底的に破壊されるまで戦い続けたことが明らかであった。クイーン・アンズ・リベンジはテリトリーを守る為に奮戦した。たとえ腕が折れようが、搭載している原子炉全ての冷却機能を破壊されても。
代償は痛かった。唯一の保有機を破壊されてしまったのだ、次襲撃を受けたら陥落していたであろう。そこへ流星の如くサンダー・チャイルドが現われたのはいい。自分が操縦者なのに、どこぞの馬の骨とも知れぬ女の子が操縦するなど――。
「リーダーは何をお考えなのでしょう? ああ、ごめんなさい。クイーン・アンズ・リベンジ。私がふがいないばかりに」
リリウムは、格納庫隅の錆び付いた鉄骨に腰を降ろしていた。憂いを孕んだ表情は見るものを惹き付ける。通りかかった作業員が磁石に吸い寄せられるが如く視線をリリウムに向けて去っていく。
リリウムは胸元で右拳を固めてため息を吐いた。船体に対する並々ならぬ愛情は、たんに執着から来る感情ではなかった。その船体は自分を救ってくれた人の形見なのだから。だが、例え形見であっても動けない船体では使い道はなかった。修理しようにも部品が足りなかったのだ。使い道と言えば部品取りが精々であろう。
その少女の代わりに自分が乗ります。伝えるべきだろう。すぐに行動しよう。
思い立ったが吉日。リリウムが腰を上げた。
リリウムの眼前を12.7mm機関銃を装備した四輪駆動車が駆け抜けていく。眼帯を嵌めた男がハンドルを握っており、しかめっ面をしていた。男の肩に寄りかかって、クイーン・アンズ・リベンジを指差してなにやら大声を張り上げていたのは――銀髪の少女だった。二名は四輪駆動車で走り抜けていく。
リリウムが駆けた。猫のような身のこなしで四輪駆動車の後部の予備タイヤに手をかけると、肉食獣染みた跳躍で飛び乗った。座席に腰をかけるや否やすらり長い足を組み髪の乱れを直す。
「ひょぉわっ!? お姉さん誰?」
「リリウムか。どうかしたのか? お前らしくもないが。大切な体だろう。注意しろ」
乱入者への反応は二つに分かれた。仰天してひっくり返りかけるシルバーと、冷静にハンドルを切るヨゼフだった。
「リーダー。説明を求めます。この子ではなく私が乗るべきではないでしょうか」
「ウム……言いたいことはわかる。この小娘ウォーカーの操縦は上手いが、自分の名前さえ覚えてない癖に態度がでかいし言うこと聞かんし胸は小せぇし」
「最後のは関係ないでしょ!」
シルバーがキーキー声で怒鳴って胸元を片手で隠す。女体美をツナギという薄手の服に包んだリリウムと比べると、シルバーはどうしてもボリュームに欠ける。成長前段階の少女だから仕方がないのかもしれないが。ロボットが成長するのであれば、だが。
ヨゼフは格納庫から出ると、滑走路上に車体を進ませた。アクセルペダルへの圧を高める。車体が速度を増していく。女性陣の髪が風をはらみ膨らんだ。
「結論から言うとお前さんじゃ操縦できんぞ。試してみたがサンダー・チャイルドは小娘にしか反応しないようだ。機器を弄ることはできるんだが―――操作しようとすると途端に弾きやがる」
シルバーとヨゼフは整備もかねて船体を動かせるか試していたのだった。結論はシルバーには動かせるが、他のものが操縦しようとすると途端に動かなくなるのだった。
「シルバー! シルバーって名前付けてくれたじゃん? 呼んでよおっさん! ね!」
「邪魔だ」
「もーケチー」
シルバーが助手席から運転席に上半身を乗り出していく。丁度腿に上半身を倒す格好だった。ヨゼフが首根っこ掴んで助手席に放り投げた。ぐぎゃーとシルバーが呻く。
リリウムが口元を押さえる。猫のような仕草。むしろ飼いならされた犬だろうか。
彼女が笑っているのだとヨゼフのみが見抜いた。
「……シルバーにしか反応せんからな。お前さんが乗っても俺が乗っても動かせん。肝心のコンピュータは頑として操作を受け付けん」
「そんな」
リリウムが背もたれに背を預けて項垂れる。横目でシルバーを一瞥した。拳を握り締め唇をかみ締めていた。
ヨゼフが速度を落した。片手を伸ばすと、リリウムの肩を軽く叩く。ヨゼフの眼帯に覆われていない生の瞳がきらりと光る。
「安心しろ。お前さん最愛の船体は完全に死んだわけじゃない。元通りには出来んが、再利用はできる。魂までは死なんよ」
「ありがとうございます」
「現状考えているプランについては後日話そう。今日はもう遅い。帰るべきだな。見ろ、夕日が地平線に沈む」
「晩御飯だね!」
シルバーが言うと即座にヨゼフが言葉を返した。口元を引き上げている。つっけどんな反応を返さないあたり、ヨゼフはシルバーを嫌っているわけではないのだろう。
「お前にゃオイルで十分だ。鉄くずでもいいか」
「酷い! 私だって普通のもの食べられるし!」
夕日が、地平線に沈もうとしていた。遥か遠くに排気で大気を揺らしながら旋回する無人機が見えていた。透き通った海風があたりを撫で上げていく。鉄や火が生むきな臭さがいずこに浚われていった。
リリウムがぺこりと頭を下げる。例え元通りに立ち上がることができないとしても、クイーン・アンズ・リベンジが役立てるならばと思ったのだ。それだけ、彼女にとってクイーン・アンズ・リベンジは思い入れが深かった。
三人を乗せた車両はシェルターへと戻る経路を取っていた。シェルターの扉を守る守衛所へと車両が滑り込むと、停止線で止まる。守衛の兵士にヨゼフが身分証を示した。
「リーダー、おかえりなさい」
「おう」
車両がシェルターへと入っていく。
核戦争にも耐えた重厚なシャッターが正面丘の中ほどに鎮座していた。アメリカ合衆国のかすれた国旗がシャッターを青と赤と白で彩っていた。シャッターの両側は自動砲で守られており、アサルトライフルと防弾チョッキで身を固めた屈強な男達が睨みを利かせている。彼らはリーダーの姿を見るや否や敬礼した。
ヨゼフがラフな敬礼を返すと、警告灯が輝き、シャッターが開くのを見ていた。
シルバーが身を乗り出す。つつましい臀部を突き出し、犬のように視線を彷徨わせている。
リリウムは車両の窓枠に肘をかけて、憂いをたたえた瞳を瞬かせていた。
車両がシャッターをくぐりエレベーターへと滑り込んで消えた。
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