第11話 新型機

 リリウムの朝は早い。

 朝とも夜とも付かぬ早朝から目を覚まし、淡々と準備を済ますのだ。


 「ふぁぁ……はふ」


 シャツ一枚だけを纏った美麗な顔立ちがぱちりと瞼を持ち上げた。口を押さえ欠伸をかみ殺す。瞼が降りた。下は下着一枚だけ。確かと思考をめぐらせる。本を読んでいたところ、意識がすとんと落ちてしまったのだったか。

 瞼を閉じたまま、滑らかな脚部をばたつかせて布団を跳ね除ける。ベッドの下に手を伸ばす。擦り切れた茶色く劣化した本が落ちていた。拾い上げてサイドテーブルに置く。この時代、こういった“保蔵状態のよい”本は稀だった。伸びをすると、瞼を開いた。

 リリウムが上体を起こした。眠たげな顔立ちは、しかしむしろ魅力を強調するようで。

 首から提げているロケットを開く。ひげを蓄えた老人が腰掛けており、膝の上には彼女の幼い姿が映っている。老人は朗らかに笑っているのに対し、リリウムはしかめっ面をしていた。白くかすんだ過去を追憶する。後悔があった。写真を撮るときぐらい機嫌を直せばよかったというのに。ロケットの蓋を閉じると、タンスから素早く衣服を引き出す。黒い作業衣。

 リリウムを人はこう呼ぶ。黒衣の乙女。黒猫。彼女が黒衣を身に着けているには理由があった。

 うめき声が聞こえた。リリウムが振り返る。


 「うーん……」


 シルバーの朝は遅かった。

 リリウムは自分のベッドの隣に置かれたベッドに歩み寄ると布団を引っ剥がした。白いシャツに身を包んだ少女が身を丸くして眠り込んでいる。涎を垂らし枕を胸に抱いて眠る様は可愛らしくもあった。黒衣に黒髪の乙女とは対照的な銀色の乙女はしかし、正確には乙女の姿をした機械なのかもしれなかった。両腕はあるべき皮膚を失っていた。銀色と白のフレームが垣間見える人工の腕。本人曰く機械ではないらしいが、どう見ても機械だった。


 『こいつをどこぞの奴らに預けると面倒なことになりかねんからなあ……俺の部屋で飼うわけにもいかんだろ。すまんが世話してやってくれ』


 というヨゼフの言葉に了承したはいいものの、扱いに困っていた。自分より年上ならばまだしも、年齢もわからないしかもロボットの相手はどうすればいいのだろうか。もっとも、ロボットという割には寝て食べて遊ぶ少女らしい行動を取っているのだが。

 ロボットに睡眠が必要なのか? 睡眠ではなく記憶のデフラグでもしているのだろうか? 疑問は尽きなかった。

 布団を剥ぎ取られたシルバーは目を覚まさなかった。ごろんと寝返りを打つと、うつ伏せでベッドに顔を押し付けていた。起きている。起きている癖に起きたくないから抵抗しているのだ。


 「……ふあー眠い眠い起こさないでぇぇぇ」

 「起きなさい。さもないと“おかしな”ことになりますよ」

 「ひゃっ」


 リリウムがベッドに腰掛けると、シルバーに覆いかぶさり耳元で囁く。甘ったるい言葉は妖艶な微笑と共に繰り出された。

 シルバーが耳元を押さえると身を翻し上体を起こした。緊張感溢れる顔立ち。


 「えっそっちの気があるの」

 「そっちってなにかしら?」


 リリウムが艶のある唇に人差し指を置き小首を傾げて見せた。

 シルバーが腕を組む。


 「そっちはそっちだよそっち!」

 「ちゃんと言わないとわかりませんよ」

 「からかわないでよ! もう、起きればいいんでしょ起きれば!」

 「………“そっちも”いけますけどね」

 「ば、ばかーっ!」


 くすくすとリリウムが笑う。

 シルバーが枕を投げつける。リリウムが宙で受け取ると、代わりに着替えを投げて寄越した。


 「私は運動しに出ますが―――必要ないでしょうね。ロボットですから」

 「ロボットロボットって違うもん。私人間だもん」

 「そうですか。どうしますか。わたくしは日課の走りこみに出ますけど」

 「行く。着替えるから待ってて!」


 シルバーが受け取った服に腕を通す。半そでのリリウムとは対照的に、長袖に手袋だった。ロボットもしくはアンドロイドであることを悟られてはならぬと、ヨゼフからきつく言い聞かされているせいだった。ブーツを履くと両足を踏み鳴らす。

 リリウムは、黒い半そでのシャツに軍用ズボンを履いていた。長い黒髪を後頭部で結い上げている。


 「………私もする。紐ちょうだい」

 「構いませんけど」


 シルバーがそれを見て、リリウムにねだった。リリウムから紐を受け取るとゴムを口にぱくりと咥えて後頭部に髪の毛を集約させる。


 「にがい」


 リリウムが口元を押さえた。誰かの真似をしているのかもしれないと思った。

 髪を結い終えたシルバーとリリウムは程なくして外に出て行った。





 走る、走る、走って、走る。

 馬の尻尾の髪型ポニーテールとは良くぞ呼んだものだ。体の上下動作少なく乱れなく駆ける黒衣の乙女の背後で、漆黒の髪の毛が左右に揺れていた。背後にぴったり付いていくのは、銀髪に白い衣服を纏った少女であった。

 黒衣の乙女が一定幅の呼吸で維持しているのに対し、銀色の乙女は肩を上下に激しく揺すっていた。サラブレッドの後ろを幼犬のシベリアンハスキーが追いかけているようだった。


 「はぁっ、ひぁっ……はぁっ、はやいはやいはやいってぇ!」

 「確かシルバーちゃんはロボットの体じゃありませんでしたっけ」


 スタスタとサラブレッドが駆け抜ける。シベリアンハスキーは顔を歪め足をバタバタさせて走っていた。

 リリウムはおかしな気分になった。ロボットではないと仮定しても、体は機械のはずだ。計測結果ではいかなるアクセスや装置をも受け付けない脳がある可能性のある頭部こそ不明だが、その他は機械だった。ならば走って酸素を消費してふらついたり筋肉疲労から来る性能低下に苦しむことなどあるはずがない。脳が急激に酸素を消費しているのか? 考えれば考える程ロボットとも思えなくなってきた。リリウムという人間は相手がロボットなのか人間かもわからないぽっと出の新入りとしても冷たく当たることはなかった。割り切って、自分の中で消化できる程には大人だったのだ。 いずれにせよ涙目で付いてくる少女は――。


 「ふふっ」


 可愛かった。食べてしまいたいなと思ったが、このままでは置いてきぼりにしてしまう。減速して横に並んだ。


 「シルバーでいいよぉっ! リリィはやいってぇ! 私ロボットじゃないもん人間だよ! ぷりーず、すぴーど、だうん!!」

 「はいどうぞ」


 するとシルバーは得意げな顔でそれ見たことかと言わんばかりに笑った。笑い顔が崩れるのもそうかからなかった。横っ腹を押さえてひーひー言い始める。運動していない人間が突然走りこみしてしまった悲劇であろう。体が機械というのに。

 二名が足を止めたのは、基地の格納庫前でのことであった。作業服に身を包んだ男達の視線が突き刺さる。片や黒衣の乙女の汗ばんだ肢体を見、片や銀色の髪の少女を見つめていた。

 

 「休憩しましょうか。しかしロボットなのに疲れるなんて」

 「ロボットじゃないもん」


 シルバーが腕を組みそっぽを向いた。リリウムがスタスタと格納庫から別の方角に歩き始めると、慌てて後を追いかけた。






 「フム……やはり、だめなのか」

 「お分かりと思いますが、」


 ドクの理知的な瞳が瞬いた。老眼鏡をかけ書類に目を通しているヨゼフに首を振ってみせる。


 「リリウム嬢の愛するクイーン・アンズ・リベンジ彼女は損傷が酷すぎます。主機関どころか副機関の始動さえできません」

 「先代も悲しむだろうな……」

 「むしろあの方なら言われたでしょう。リリウムが無事でなによりだと」

 「そうだな」


 ここはヨゼフの部屋。無駄を省いた極めて事務的で殺風景な部屋であった。二人は机を挟んで向かい合っていた。

 『クイーン・アンズ・リベンジ』に関する書類が並んでいる。先の戦闘の経過を示した概略図もあった。テリトリー・アポリオンが従えるテリトリーが所有する四つ足数体と壮絶な格闘戦を演じた末に、相打ちになったことが書類には書かれていた。

 原子炉は動かない。副動力も不全。脚部と腕は折れている。操縦席さえ半壊している。内部構造は執拗に殴打されたせいで破壊されてしまっていた。再起不能。ただし、という一文が踊っていた。

 ヨゼフの瞳が老眼鏡の内側で左から右へ滑る。

 クイーン・アンズ・リベンジとミラージュの共食い整備計画。


 「ミラージュの損傷の程度はどうか? バリア装置が運用できるならば……」

 「いいえ。やむを得ない状況とはいえ装置らしきものは破壊されてしまっていて……私の見立てでは電磁波で何らかの粒子を対流させ、防壁を作り上げていたと思いますが、肝心の装置が粉々ではなんともいえませんね」


 ドクが首を振った。

 書類の一部を示す。バリア発生装置らしきものと、操縦席内部のパネルの操作画面が印刷されている。

 動作不能。解析不能。つまり二度と動かず修理も出来ないということが記されていた。


 「所詮人間が作ったものです。いつかは解決できるでしょう」

 「いつかはできるとは思っているが、その前に人類種ホモ・サピエンスが死に絶えなければの話だ」


 ドクは深く頷いて見せた。人の作り出したものは、人が解析できる。人が想像したものは、いつかかなえることができる。良くも悪くも科学者であった。

 ドクが書類のページを捲った。原子炉と冷却装置の画像が並んでいた。



 「過熱オーバ-ヒートにより原子炉が停止スクラムしていますが、内部機構を含め損傷の程度はたいしたことがありません。しかしミラージュは放熱に難があり、近接格闘で生じる放熱を単体では賄いきれません。そこで我々技術部が提案するのは、クイーン・アンズ・リベンジを解体し、ミラージュの整備部品に流用すること。です。そして、マスドライバー砲を搭載した遠距離型を製造します」


 計画書の中央上部には次のような文字が印刷されていた。

 遠距離支援型ウォーカー建造計画。

 ウォーカーはその装甲故に通常兵器ではまともに装甲に手傷を負わせることができない。対艦ミサイルはもちろんのこと、戦車砲や航空爆撃でさえウォーカーにとっては歯牙にもかけない程度の攻撃にしか過ぎない。だが、マスドライバー砲は違う。第一宇宙速度にも達する速力で物体を射出できるのだ。ウォーカーとて装甲の薄い箇所であれば貫通は可能であろう。仮に貫通しなくても外装を剥ぎ取ることは十分可能であろう計算だった。

 更なるプランとして、Nの文字がマスドライバー砲の概略図の横に慎ましく記載されていた。フルメタルジャケット化された砲弾の内部に、黄色と黒の独特な図形が置かれている。黄色と黒の組み合わせは、生物に対する警告に他ならなかった。

 ドクの言葉にヨゼフが腕を組んだ。


 「あれを使うのは考え物だ。一発しかないしな、万が一アポリオンが所有しているとしたらどうする。俺ならば反撃の為に同等のものをぶつけるぞ」

 「シェルター内部は十分耐えます。しかし外部の設備建築物は壊滅的な被害をこうむることでしょうね。もちろんですが、少なく見積もっても数十年単位での汚染が考えられます。除染に必要な海水はいくらでもありますが」


 シェルターの位置する半島を起点に、円が描かれていた。逆にテリトリー・アポリオンがあると想定されているテリトリーの位置に円が引かれていた。しかし広すぎる。実に十数kmの幅が円によって覆われていた。

 ヨゼフは書類のサインの項目に己の名を記載すると、ドクの手元に渡してやった。


 「使わないに越したことはないが――必要ならば使うことも視野に入れるべきか。やってくれ」

 「ありがとうございます」


 ヨゼフが席を立つ。老眼鏡を畳んで胸ポケットにねじ込む。ドクが書類を纏める傍ら、その肩に手を置くと部屋の外へ歩き始めた。


 「作業を開始します。操縦者はもちろん、リリウム嬢になるかと思いますが構いませんか」

 「シルバー小娘がサンダー・チャイルドでリリウムが新型機。丁度よいからな。さて、二人を探してくるとするか」


 ヨゼフ、立ち上がり敬礼するドクにラフな敬礼を返す。

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