第12話 ピークォド
もっといい時代はあるかもしれないが、これは我々の時代なのだ。
我々はこの革命のただなかに、この生を生きるよりほかはないのである。
―――ジャン=ポール・サルトル
二肺のターボファンエンジンを翼下に抱えた流線型の航空機が飛び立とうとしていた。機体そのものを翼に見立て揚力を得るブレンディッドウィングボディ構造。特徴的な可変翼は横に開かれていた。APUスタート。右エンジンを始動。左エンジン始動。動翼が左右上下に振られた。エンジンがアイドリングから低速に回転数を高める。誘導員の指示に従いタキシングに入った。
『トール1から
『
『トール1。コード・メリッサ、どうぞ』
『
『了解』
爆撃機のパイロットは、全高250mという巨体を見遣った。黒と赤で塗装された異形が聳え立っていた。パイロットが所属するコロニーが保有するウォーカーの一つだった。カメラアイが不気味な光を放っていた。
爆撃機が誘導に従い滑走路へと到達する。離陸フラップ。エンジン、マックスパワー。緩やかに、しかしあっという間に滑走路を滑っていく。V1速度超過。もはや後戻りは聞かない。V2速度。操縦桿を引く。機首が持ち上がった。ローテーション速度。ふわりと機体が曇り空へと舞い上がる。速力が安定していることを確認。最大出力のまま、高度を上げていく。
機体が持ち上がろうとする力をCPUが自動で補正する。速度を上げると言うことは、機首が上がり続けると言うことだ。機首下げをしなければ地球の球状に追随できない。
コード・メリッサ。爆撃機が現在かかえている物体を、定位置まで運搬後射出する単純な作戦。射出視点を悟られないようにするための手段と同時に、鈍足な“メリッサ”を可能な限り至近距離から放つ為の作戦であった。
「恨むなよ」
パイロットが一人ぼやく。搭載しているものが通常の兵器ならば考えることなどなかった。
低空を高速で飛翔する。これから考えられる事柄は、敵レーダー索敵を回避する目的があるということである。
低空から機首上げへ。マックスパワー。フラップ、上昇位置。揚力を得た機体が急激に高度を引き上げていく。
攻撃火器担当員が安全装置を解除する。既にミサイルは標的の座標を入力されていた。
「発射」
短く号令を発すると、ミサイルを発射した。爆弾槽のハッチが開くと、内側から白い飛翔体を放つ。飛翔体、空中で翼を展開。モーター点火。亜音速航行開始。
「“メリッサ”正常に作動。航路を目標に取ります」
「了解」
さらばとパイロットはぼやくと、操縦桿を倒すと同時にフットバーを踏み込んだ。機体、バンク。急速離脱。航路を指定の方角へと向けた。レーダー、
巡航ミサイルは一気に高度を下げると、低空を舐めるようにして飛翔していった。
指定地点に到達。早期警戒網を掻い潜り、一気に接近する。軍事基地とは名ばかりの旧都市の残骸があった。ビルの群れの各所には対空機関砲が設けられており、サッカースタジアムにはヘリが羽を休めていた。傍らには四足のウォーカーが屈んでいた。
指定地点に到達。爆縮レンズ型とも呼ばれる形式の機構が作動する。全方位から中央一点に衝撃波が到達。超臨界状態になった核物質が破滅的な連鎖反応を開始した。瞬時に全包囲に放射線が拡散。直径数百mにも及ぶ火球が、テリトリー・アポリオンが根城にする市街地を飲み込んでいく。ビルが横合いから押し寄せる衝撃に悲鳴を上げて倒壊する。ドミノ倒しよろしく、ビルが次々倒れては市街地を飲み込む。
高速で離脱しつつある爆撃機パイロットは、遠方にきのこ雲が立ち上がったのを見た。
ある兵士は、閃光が足元に差しているのを見た。自分と言う体があるはずなのに。振り返る猶予なく、次の瞬間には足元の染みと化していた。ある兵士は自分の体が燃え上がるのを見た。意識が消し飛んでいた。ある兵士は、数百万度にも及ぶ火球に飲み込まれて帰らなかった。
戦車が舞う。重量にして50トン以上はあろうかという物体が紙切れのように。
火球が身に纏うは、津波の如く押し寄せる衝撃波であった。市街地が順を追い炎上し、その火さえ吹き飛ばされる。あらゆる酸素が消費されつくされていた。
過去、無数に放たれ地上を破壊尽くした核兵器が、テリトリー・アポリオンの拠点を完膚なきままに破壊しつくしていた。
一対の双眸が、きのこ雲が纏う放射性降下物の雲の中で輝いた。四つの足が、倒壊したビルを踏み砕き歩いていたのだ。四つ足型。ケンタウロスとも呼ばれるアポリオン所属のウォーカーが、全身を白熱させながらも、爆心地から姿を現した。排気口から蒸気を吹き、歩む。味方が全滅していた。仮に生きていたとしても、放射線と放射性降下物の影響下にあった。まともに生きているものなど、いるはずがない。唯一、ウォーカーに搭乗していた兵士のみが無事でいられた。強固な船体は核の炸裂にも耐えていた。分厚い金属の装甲が、放射線の到達を一切許していなかった。操縦者は無傷であった。
四つ足が唸り声をあげて頭を振る。
許さない。殺してやる。四つ足が癇癪を起こし、溶けた鉄塔を掴むと、まだ無事なビルへと投げつけた。ビルが崩れ落ちた。
シルバーは、うきうきとした顔でサンダー・チャイルドの頭部パーツの上に生えるアンテナによじ登っていた。高度300m超。あまりの高さゆえに電波塔の上によじ登っているに等しいというのに、シルバーは恐怖で顔を引き攣らせたりはしなかった。妙なことだがヘリに乗ったり鉄塔に乗ると恐ろしいのだが、サンダー・チャイルドに乗りさえすれば平気だったのだ。
アンテナから降りると、頭頂部から操縦席に入った。自動で橙色の照明が付く。操縦席に腰掛けると、身を丸めたまましばしぼんやりとしていた。
シルバーは、髪の毛を後頭部で纏め上げていた。リリウムから貰ったゴムをつけている。気に入ったのだろう。
機器のスイッチを無駄にいれたり、パネルを弄ったりしてみる。
「君に乗ってると安心するんだよねぇ。私おかしいのかな」
サンダー・チャイルドは何も言わなかった。パネル上で、小さい表示が点滅している。
シルバーは大欠伸をかみ殺した。
「おかしいよね。だって、私なーんにも覚えてないんだよ?」
『武装取得』。
50cm80口径砲。本来、サンダー・チャイルドに装着されていた装備の一つであった。砲身長40mにも及ぶそれは、射程にして優に50km以上にも及ぶ圧倒的な巨砲である。ウォーカーは巨大な戦艦のようなものだが、戦艦と異なり縦に長い特性がある。地球の丸みを考慮しても実に65.5kmを見通すことが出来る。間接的に発射するのと、弾着を確認できるのでは大きな差がある。
片や46cm砲。こちらは取り回しを考慮して腕に格納できる。速射砲とも分類できる。
これだけの火器を揃えてもウォーカーの装甲を貫通できないのだから、一体過去の人類の技術力がどれほどのものだったのかが想像できる。
そして対空機関砲が表示に並ぶ中で、一番最後の武器が固形燃料ロケットであった。これを使えば、一時的にサンダー・チャイルドは飛翔することができるのだ。
シルバーは操縦席じっとしていた。船体からは、作業員達が工具を打ちつける音が響いてきていた。
操縦席前方のスリットからは、新たなる巨兵の姿が映りこんでいるのが見えた。
三つ並んだレンズがターレットに添ってがちりと音を上げて回転した。
シルバーは、その動作の主がリリウムであることを見抜いた。手でも振ろうか。おこられるからやめておこう。今手を振ると作業員を振り落としてしまうし。欠伸。操縦席で丸まってうたた寝を始めた。
緑色の巨人に乗り込んだリリウムは、操縦系統の確認を行っていた。アームコントロール。レッグコントロール。パネルは英語。クイーン・アンズ・リベンジとよく似ていた。習熟に要する時間はさほど必要ないだろう。
ミラージュを改造し、クイーン・アンズ・リベンジの船体を活用する。マスドライバー砲を主兵装とする遠距離支援型を建造する。
「クイーン・アンズ・リベンジ……」
リリウムは胸元に提げたロケットを握り締め、船体から望む格納庫横に眠るそれを見ていた。自分を救ってくれた人の船体は、もはや見る影もなかった。装甲は剥がれ、原子炉は抜き出されていて、電装系その他パーツも悉く解体されていた。身だけ食い尽くされた焼き魚のようだった。作業にはサンダー・チャイルドが使われた。ウォーカーを解体できるのは、ウォーカーだけなのだから。
たとえ船体が死んでも、魂までは死なない。彼女の魂を受け継ぐ
船体備え付けのエレベーターを降りていくと、黒人系の男が待っていた。ドクだ。
「“元”ミラージュは大まか完成しています。あとはマスドライバー砲を搭載することと、色を塗ることでしょうか。注意してください。排熱効率は後付け装置で補っているだけで、ミラージュの悪い点をそのまま引き継いでいるわけですから」
ドクは疲労した声を隠そうともしていなかった。皺の刻まれた顔は覇気が無い。数日間まともに寝ていないのだろう。
それもそのはず。チャンドラの技術班は全員総動員で新型機の建造もとい改造に取り掛かっていたのだ。いつ何時攻撃を受けるかもわからない世の中である。作業は早いことにこしたことがないのだ。
まして、ポイント・オケフェノキーからの偵察結果が次のようなものであるならば。
「ええ、わかっています。ご忠告身に染みます。ドク。睡眠は大切ですわ。ちゃんととるようにお願いしますね」
「“連中”がアポリオンをふっ飛ばさなければよかったのですがね。ここいらで失礼してベッドに向かわせて貰いますや」
ドクが表情を歪めた。
アポリオン壊滅のニュースは、偵察部隊が常駐しているかつてのオケフェノキー湿原からもたらされた。アポリオンの拠点である旧市街地で核弾頭が炸裂し、半径5kmが壊滅してしまったのだと。戦術核、もしくは戦略核兵器を使用したことは明らかだった。幸い偏西風の影響で放射性降下物は海へと流れている為、チャンドラへの影響は無かった。
もはや、国家と言う枠組みなど存在しない現代である。核による相互破壊保障など、あるはずがない。弱いものは殺され、簒奪され、蹂躙される。弱肉強食こそがこの世界のルールだった。故に核兵器というタブーの使用について躊躇することはありえなかった。
ドクが欠伸をかみ殺しつつ、その場を去ろうとする。
リリウムが船体を見上げていた。緩やかに腕を組み、片足に重心を乗せた楽な姿勢だった。
新型機。全高350m。スカート状パーツは再装着済み。冷却及び発電をかねたバックパックを背負ったマッシブな体型。クイーン・アンズ・リベンジの船体を流用した重厚な装甲に守られたグラマラスな戦女神が佇んでいた。
船体は、緑一色であった。リリウムは不満そうに吐息を漏らしていた。他の不満点はない。色だけが気がかりだった。
黒。それは、何者にも染まらない色。全ての色を混ぜていった果てにたどり着く色だ。
「ドク!」
「はい?」
「新型機は塗らないのですか」
リリウムは言うと、自分の体を一瞥していた。黒い作業服。
「塗りたいのですか? もちろんですよリリウム嬢。黒を用意させました」
「あ、ありがとう」
ドクが足を止めると、待っていましたと言わんばかりににやりと笑った。
どうやら言いたくて仕方がなかったようだ。自分が子供に戻ったような気持ちになったリリウムは赤面を隠す為に俯いた。
リリウムが訳あって黒を好むのは、チャンドラの住民の大半が知っていることだった。黒。それは、喪服の色なのだと。
「眠いとどうも考えがとんでいけない。名前だ、名前について聞き忘れていましたよリリウム嬢。船体の名前は決まりましたか?」
船体の名前。命名法則は多種多様である。名前を持たぬ船も多い。
命名権を与えられたのは、リリウムであった。
リリウムは暫し船体を仰いでいたが、ややあって言った。
「ピークォド。ピークォドという名前でおねがいたしますわ」
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