第13話 悪夢

 夢を見た。

 自分はどこかおとぎの国のように美しい都市を歩いている夢だった。

 夢の中の自分は、一人称だった。誰かを見ているわけではなくて、自分が、その都市を歩いているのだ。白とも灰色とも付かぬ荒涼とした大地が果てしなく続いていた。無数にクレーターが穿たれた寂しげな大地。そこに、人工物が張り付いていた。およそ数十kmにも及ぶ、見ただけで眩暈を起こしてしまいそうな規模ののっぺりとした円環が、大地にそそり立っていた。円環の中央には白磁の塔が突き出しており、無数の宇宙船が行きかっていた。

 まるで、海底に居るみたいだと若い感性は思考をめぐらしていた。青の塗装の宇宙船。赤。黒に塗装された弾丸方の宇宙船もあった。いずれも船体各所からスラスタを瞬かせていた。中でも特徴的だったのが、白いのっぺりとした船体であった。他の宇宙船と比べても明らかに巨大なそれは、ブレンデッドウィングボディ構造を取り入れた宇宙船としては珍しい上下の概念を持つ船体であった。尾翼と呼べる程の翼はなく、主翼と呼べる空気を掴む構造も無い。大気の流れを制御する為だけのこじんまりとした翼が儲けられていた。


 「―――くじらさん?」


 一人称の少女が喋った。甲高い変声期前の声であった。人物は、ここで自分が少女の体であることを意識した。

 少女がぺたりと強化ガラスに手を付く。白く細い華奢な指が視界の下方から正面に向かって二本延びた。溢れんばかりの漆黒の髪を垂らした可愛らしい少女の双眸がガラス面に映りこむ。

 腕があるんだ。まだ。人物は思った。

 あれ? 人物は思う。なぜこの少女を自分だと認識しているのだろう。背丈も違うし、声も違う。無機質な白い壁が続く都市に住んでいた記憶などないはずだ。なぜ、認識した?

 疑問の解消がされることはなかった。人工の重力がかかった都市を少女が駆け出したからだ。

 人物は見た。地上から顔を覗かせる一つの惑星の姿を。


 青い星が、地平線から顔を覗かせていた。青い面積が占める割合は七割から八割と言ったところで、茶色と黒と白の割合は二割三割といったところだった。白い雲が渦巻いている有様が見える。“あるべき”緑色は、その惑星にほとんど残されていないようであった。それどころか、“あるべき”大地も形状を変えていた。どす黒く変色した青が渦巻き、海流を冒している。竜のような形状の島があった。頭部は隕石が着弾したかのように抉り取られており、胸と腹部は海水の浸食を受けて歪んでいた。

 少女は、人々があの惑星をなんと呼んでいるのかを知っていた。


 ―――廃惑星地球。


 わざわざ“廃”Devastationなどという表現を使うのだから、ニュアンスとしては蔑みの感情が含まれていることは明らかだった。かつてブルー・マーブルと呼ばれた貴い惑星は、壊死しかかっていた。大地に刻まれたクレーターの数たるや、少女が立っている大地と謙遜ないかもしれなかった。

 少女が駆け出す。人物の視界も動いた。

 もはや絵本の中にしか存在しない貴い大地は、白い壁に遮られ見えなくなっていた。


 「パパのとこいかないと!」


 質素なワンピースを身に着けた少女が駆け出した。

 約束があるらしい。通路は、画一的な装束に身を纏った男女で溢れていた。子供いれば老人もいる。男がいれば女もいる。皆一様に継ぎ目の無い合成繊維製の服に身を纏っている。首の付け根にはリング状のパーツが嵌っており、ヘルメットを被れば宇宙服にもなることがわかる。

 対する少女の服はいかにも無防備に見えた。宇宙という極限の環境下。酸素の存在を許さない真空と隣り合わせの環境では、危険性が高い格好であった。

 少女が駆けると、皆が振り返った。

 笑顔を向けてくるもの。手を振るもの。反応は様々だったが、好意的な部類ばかりであった。

 エスカレーターが前方に見えてきた。両足揃えて飛び乗ると、手すりから下方を見遣った。円状の広間が広がっており、中央には宇宙ロケットと科学者の姿を模した彫像がそそり立っていた。住民達が思い思いの時間を過ごしているのが一望できる。少女がやってきたのは広間を見通せる高台であった。


 「     待たせたね」

 「パパ!」


 柔和な声が耳を擽る。名前を呼ばれたような気がするが、丁度横合いで中年男性二人組みが大声を上げて笑いあったせいでかき消された。

 少女は振り返ると、愛する人の手にすがりついた。

 場面が飛ぶ。

 質素な純白のワンピースが鮮血に染まっていた。激痛――など、当の昔に通り越していた。痛みの余りいっそ寒気がするほどだった。血を失いすぎているのだ。感覚が麻痺していた。

 両腕をかざそうとした。無い。中ほどで腕が引きちぎれ、白い骨が覗いていた。傷口はノコギリか何かで乱暴に切断されたようで、肉の繊維が鰐の鱗のように凹凸を成している。

 死にたくない。その一心で這って進む。口から血液が滴っていく。

 つい先ほどまで端末を弄って遊んでいた子供の亡骸を見た。慟哭をあげる母親が傍らで亡骸を揺さぶっていた。

 一面は、鉄のシャワーを浴びせかけられたようだった。とある一点を起点にぶちまけられていた。都市間を結ぶリニアレールが、その内臓を炸裂させたのだ。何者かが爆弾を仕掛けたのか。機器の都合が悪かったのか。ガス漏れがあったのか。宇宙船が衝突したのか。少女にはわからない。わかるのは、自分の生命が刻一刻と失われつつあることだ。

 這って進む。げほげほと血を吐く。かすむ視界。体が吸い込まれていく。天井に大穴が開いていた。宇宙に吸い出される。嫌だ。もがく。


 誰かが泣いているのを聞いた。

 泣かないで。伸ばす手は、失われていた。上げるべき声も。仕舞いには自分自身を構成する全てが宙に消えていく。

 さようなら。別れの言葉を言ったような気がした。








 「………ひっく……ひっ……はぁっ………ぐす」


 両目を掌で覆っていることに気が付いたのは、夜のことであった。

 薄暗い室内。シルバーは白い下着一枚だけ身に纏ってベッドに横たわっていた。


 「気が付きましたか?」

 「ひあっ!?」


 囁き声が耳たぶを擽る。思わず首筋を手で隠すと、振り返った。

 柔和な笑みを口元にたたえた黒髪の乙女が体の前面を向けて寝転がっていた。同様に下着一枚のみしか身に付けていなかった。リリウムとシルバーのベッドは別のはず。悪夢にうなされるシルバーを気遣い、添い寝していたのだろう。

 シルバーは目をごしごしと擦ると、背中を向けて寝転がった。


 「…………泣いてた?」

 「ええ。大声あげてわんわん――――……とまではいきませんが。なにか、つらいことがあったなら話を聞くことくらいはわたくしにもできますわ」

 「……悪夢をね、みたんだ」

 「そう」

 「私が死ぬ夢。ううん、私じゃないんだと思うけど、誰かが死んで悲しんでた夢」

 「大丈夫」


 背後からリリウムがシルバーの体を包み込んだ。ふわりと甘い香りがした。


 「誰もあなたを傷つけない。ここは安全なのですから」

 「しってるもん」


 シルバーが生意気にも頬に空気を溜めた。背後からかかるリリウムの白い手を、銀色のマニュピレータが押さえた。


 「夢というものは現実ではないから、恐れることはないのですよ」

 「うん。わかってるけど。リリウムも悪い夢は見たことあるの?」


 リリウムは沈黙した。ややあって言う。


 「頻繁に。ああ、でもあれは夢なんかじゃない。現実のこと。そう、あれは……もう休みましょう。明日も早いのですからね」


 シルバーにばさりと毛布がかけられた。リリウムがかけたのだ。

 リリウムも同様に毛布を被ると一緒のベッドの上で目を閉じる。

 程なくして二人の乙女の吐息が室内に響きだした。


 リリウムが直前まで読んでいた本がサイドテーブルに置かれていた。古い本だ。何度も何度も読み、擦り切れていた。修復の痕跡まであった。紙を継ぎ、張り合わせ、文字をペンで書き足している箇所もある。

 タイトルは次のようなものだ。

 ―――白鯨モビーディック











 翌朝、二人は揃って寝坊した。




 目覚まし時計をセットし忘れるという締まらない理由であった。


 「寝坊寝坊ッー!」

 「わたくしとしたことが!」


 白黒二色の乙女が廊下を駆け抜けていく。

 パンを咥える余裕など無い。指定された時刻まで残り僅かだった。リリウムの事実上の専用機であるピークォドの起動試験及び、サンダー・チャイルドの武装の試験が行われる日だったのだ。遅刻など許されるはずが無い。

 格納庫の入り口へ駆け込むと、両腕を組んだシヴァが立っていた。破壊神はお怒りのようだった。腰にぶら下げた拳銃の安全装置をかちかちと弄び、剣呑たる後光を纏っている。その昔デザートイーグルと呼ばれた大口径を弄ぶ様は、傍らに控えるドクが背中を丸めて目線を彷徨わせる程度には恐ろしいものだった。

 シルバーがぜいぜい肩を上下させて到着する。息を一切切らさず到着したリリウムはすかさず両踵を揃えて直立していた。


 「言わんとしていることはわかっている。精神論でシメあげるなんてことは俺はせん。リリウム。試験は全て満点で通ることだな」

 「申し訳ございませんでした」


 リリウムがぺこりと頭を提げると駆け出していく。向かうは、漆黒の鎧を身に纏った戦女神であった。

 シルバーも同じように頭を――倦怠感溢れる反省していない仕草で下げると、駆け出していく。襟首をヨゼフにつかまれその場でつんのめらなければ、サンダー・チャイルドに続くエレベーターの扉を難なく潜れていただろう。


 「ふぎゅっ! いたぁい! ごめんねって言ったじゃん」

 「言ってないだろお前。次やらかしたら海岸の戦闘艦のフジツボ取りをやらせるぞ」

 「うへぇ………本気?」

 「お前さん窒息せんからな。酸素ボンベもいらんだろうから安上がりでいい」


 ヨゼフがずらり並ぶ戦闘艦が並ぶ湾岸を顎でしゃくる。一体一人でやったら何日かかるのだろう。そもそも自分は浮くのだろうか。うんざりした顔になった。

 ヨゼフがため息を吐くと、シルバーの胸元にボストンバックを投げて寄越す。


 「中のスーツを着てみろ。サイズは合うはずだ。お古だがね」


 シルバーがジッパーを開き中に視線を落す。ツナギにも似た薄手のパイロットスーツ。ヘルメット。首を傾げた。


 「使いやすさはともかく一度感想を聞かせろ」

 「えっ? えぇ……うーん、わかった」


 シルバーが神妙な顔をしてバックを受け取りエレベーターへの扉を潜って消えた。

 同時に、大音量の警告音。空襲警報にも似たそれは、敵の襲来を告げるものだ。

 無線から状況を聞いたヨゼフは早速指示を飛ばすことにした。


 「シルバー。お前だけで出撃しろ。遅刻の件はこれで無かったことにしよう。リリウム。お前は待機だ。まだ試験さえ済んでない船体を出航させるわけにはいかん」




 こうして、話は冒頭に戻るのだ。

 テリトリー・アポリオンの四つ足型ウォーカーを撃破するという結果で戦いは終わる。

 テリトリー・チャンドラは強敵であったアポリオンを下し一時の平和を得た。かと思われた。平和は長続きしないものだ。人々はいう。平和とは戦争の合間の空白地帯に過ぎないのであると。

 故に、汝平和を欲さば、戦への備えをせよ、と人々は唱えるのだ。

 それが、廃惑星地球唯一の法律ルールであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る