第22話 嵐の前


 ずだん、と床に大男が背中からたたきつけられていた。その顔面目掛けすらりと長い肢体が鞭のように振り落とされると、意識を刈り取った。


 「まだ甘いですわね。次」

 「はっ」


 リリウムは軍服にシャツを着込んだラフな格好にて、髪の毛を後頭部でお団子状に結い上げていた。

 辺りには軍服を、ツナギを、統一性の無い服を着込んだ一団が一斉に組み手をしていた。

 素手の近接戦闘は、多くの組織の必須事項である。武器を使わず、高価な装備を必要としないというのに、士気高揚に役立つばかりか実戦でも運用可能なのだから。

 リリウムの背後には既に片手では数えられない人数が倒れ伏していた。


 リリウムは優れたウォーカー乗りである以前に、たった一人で荒野を旅していた経歴を持つ戦士である。人を瞬時に即死至らしめる放射線。流砂。乾き。夜にもなれば氷点下に達する地獄の地上。異形の怪物。アンドロイド。人間を歩く家畜かなにかにしか思っていない追いはぎ共。それらを乗り越えてきたのだ。たった一人。しかも、子供の身分で。

 髪の毛を浅く刈った男が両拳を握り締め前に進み出た。屈強な体躯。鋼のような筋肉で武装した男だった。


 「手加減はしませんよ」

 「結構ですわ」


 いきなり予兆も無く男が掴みかかった。タックル。床にねじ伏せんとしたのだ。

 だが、リリウムは男の背中に己の背中を合わせてくるり上から回転すると、背後を奪い取っていた。首筋を掴み上げると、足を払い床に転がす。首筋にぴたりと銃に見立てた指をあてがった。


 「降参です」

 「タックルはいいですけども――間合いを見計らうことですね」

 「楽しそうなことをしているじゃあないか。俺も混ぜろ」


 場の皆がさっと一礼する。軍服上下を着込んだヨゼフが場にあらわれていた。自然とヨゼフとリリウムだけが相対する格好になった。


 「ヨゼフさま。お相手お願いします」

 「単純に組み合うのもつまらんだろ?  模擬ナイフを使おう」


 ヨゼフが腰から木製のナイフもどきを取り出した。刃を潰したおもちゃだったが、本物の代用品としては十分だった。

 今まで自然体の構えだったリリウムが始めてナイフを握り、柄に片手を添える姿勢をとった。ヨゼフも腰を落とし構える。


 「はあっ!」

 「おっと」


 リリウム必殺の首への切り付けをヨゼフは仰け反ることでかわすと、一歩前進して膝を蹴り飛ばした。姿勢が崩れたリリウムの腕を掴むと、床に転がす。

 リリウムは即座に腕を払うと床で転がり立ち上がった。


 「くうっ! まだまだ……!」

 「どうした? 精彩を欠いているぞ」


 ヨゼフは戦車乗りとして第一線で戦ってきた身。伊達に修羅場は潜っていない。殺意丸出しの頭部の一撃など、読みきっていた。

 リリウムがナイフを逆手に持ち返るや否や切りかかると見せかけてヨゼフの目元に放った。一瞬視界が遮られることによる動揺を狙ったものだった。


 「甘いな」


 ヨゼフが宙でナイフをナイフで弾き飛ばすと、横合いからすり足で接近しつつあるリリウムを捉えた。足を床からずらさんと放たれる下段蹴りをいとも容易く足で挫く。距離をとるリリウムへ、ヨゼフの拳による三蓮撃が叩き込まれる。


 「しいっ!」


 リリウムの上半身がバネのようにくねると、拳を掻い潜る。隙を晒したヨゼフに腋を占めたアッパー気味の殴打が射出された。

 あっという間の早業だった。肩で拳の軌道を捻じ曲げるようにして接近したヨゼフが、瞬間的にリリウムの顔下半分を拳で包み、背中の方向に引き倒していた。ヨゼフが屈むと、荒く息を吐くリリウムに顔を寄せた。

 戦車乗りの動きではなかった。常に一級の危険に晒される紙切れより安い命のスカベンジャー達が使う近接格闘術に似ていた。


 「苛立つ理由はよくわかる。白鯨を倒そうと躍起になるのはいいが、目的を忘れるなよ」

 「……わかっています。しかし、どうしても……」


 リリウムは乱れた髪の毛を手で整えつつ立ち上がると、一礼した。

 ヨゼフが行ってよしの頷きを返す。


 「頭を冷やしてきます」

 「ウム。それがいいだろうな」


 リリウムがコンテナに引っ掛けていたタオルを取ると、すたすたと足早に歩き去っていく。

 ヨゼフは背中を見つめていたが、首を振った。リリウムが冷静さに欠いている。エイハヴを殺害した連中は月にいる。天地がひっくり返らない限りは手出しなどできはしないはずだった。が、相手側からやってきたのだ。復讐を果たす格好の機会だろう。千載一遇の機会が相手からやってきて、逃すような性格ではなかった。

 しかし、ヨゼフは知っている。リリウムは私情を最優先にするような人間性ではないのだと。


 「よし。久々に相手をしてやるといってるんだ。次はどいつだ?」


 ヨゼフは眼帯の位置を直すと、木製ナイフを拾い上げて周囲の兵士達に声をかけた。当然の如く挙手の森が出現した。





 丘に登ると見えてくるのは、一面の野原などというのどかな風景ではない。木製もあれば金属性もある。ただ板を立てたものから、石を削って作った古風なものまである。戦いで。病で。寿命を迎えあの世に旅立てたものは、いないに等しいだろう。人の命が銃弾一発よりも安い時代。墓は幾ら合っても足りない。

 墓の合間を縫うように、白い花束を握ったリリウムが歩いていた。服装は黒のシャツに黒のズボン。髪の毛を後頭部で纏めていた。


 「あれは………」


 リリウムは傍らの花束を両手で胸元に包んでいた。視線の先には、強化装置をつけたフローラがいた。小奇麗な石の墓の傍らで俯いていた。視界に入らないように歩を進めようとしたが、フローラがはっと辺りに視線を配ったことで無駄な努力に終わった。

 フローラは目元を拭うと、手招きをした。

 リリウムは、行っていいのだろうかと逡巡した。大切な人に花束を手向けている最中に水を差すわけには行かぬと足踏みした。


 「別にとって食おうなんて思っちゃいないよ。おいでなさいな」

 「は、はい」


 リリウムがやってきたことにフローラは照れくさそうに頬を掻いていた。刻まれた墓標名。テイア=ホフマン。フローラとヨゼフ唯一の子であり――現在は墓の下で永久に眠る子供だった。

 フローラは墓をじっと見つめていたが、深くため息を吐いた。


 「感傷だね……いい大人が亡くなった人間のことをいつまでもくよくよと……」

 「そんなことはありません」


 リリウムがきっぱりとした口調で言い放った。途端に自分の口を押さえると、誰に当てるでもなく頭を下げた。


 「いいね。きっと大きな戦いがあるだろうけど――我を忘れてはいけないよ。大切なことは、例え汚泥を舐めても生き延びることだ」

 「……わかっています」

 「わかっていればいいんだ。さて老人はこの辺で退散しようかね。大昔の作業用ロボットの復元作業が残ってる」


 ハハハとフローラが笑うと、リリウムの肩を軽く叩いて歩き去っていく。強化装置がきしむ音を背中に受けて、リリウムは暫し天を仰いでいた。


 「エイハヴさま……」


 一筋の雫が頬を伝い落ちた。

 復讐を果たしたい自分が言うのだ。あの白鯨を殺せ。大海原に繰り出し、あらゆるものを犠牲にして銛を突けと。一方で理性は言う。復讐よりも任務を優先せよと。二人の自分は共に涙を流していた。


 空をからすが飛んでいく。

 黒衣の乙女の頭上を越えると、焼けた荒野を眼下に翼に風を孕ませ登っていった。鴉は、二隻の巨人が戦いに備えて眠っている様子を見た。次に、地平線の果てまで伸びていくかつての高速道路ハイウェイを見た。底抜けに明るい空をどこまでも飛んでいく。


 ―――嵐が近いな。


 鴉は宇宙さえ透き通って見えそうな空を見て思った。空中で翼を広げると、風のおもむくまま滑空していく。どこまでもどこまでも。嵐から逃げる術を探して。見えてきたのは廃都市だった。上空を小うるさい虫の群れが飛んでいるのを見つけた。エサにありつくべく翼を羽ばたかせた。



 白鯨攻撃作戦。

 オペレーション・オーバーロードまで、あと少し。

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