第20話 トライポッド

 ――――あの日のことを決して忘れない。




 吹き荒ぶ風に、たった一人の男が立ち向かっていた。


 男は、身を蝕む放射線の嵐の中でさえ、全くたじろぐことは無かった。ただ、手に握った拳銃を敵に突きつけていた。吹き荒れる嵐があらゆるものを削り取っていく。

 男は、敵の前でガスマスクを取り払うと、決意に満ちた表情を曝け出す。


 嵐に、男が立ち向かっていた。

 嵐の最中には巨大な一匹の白鯨が佇んでいた。


 白鯨は、王者であった。あらゆる砂塵も白鯨を動じさせることはできなかった。

 細身をボロ布に包んだ男は、あまりにも非力であった。



 傍らには帆船のカロネード砲のように対艦砲が無数に生やした巨人がいた。肩には背負い式の砲が生えており、しかし、いずれの火器も砲身を白熱させていた。全長300mにも及ぶその巨人は、今まさに、敵の前に膝をついていたのだ。

 一人の男が立ち向かうは、見上げるように巨大な宇宙船であった。空力をブレーキに使う発想を船体に施し、砂塵の一切を寄せ付けない力場を発生させつつ浮遊する白亜の巨体。男は巨人で挑みかかり、しかし敵わなかったのだ。巨人は全身から白煙を漂わせていた。


 「私を追ってきたのか……!」


 男の呟きに反応するかのように、宇宙船の横側面装甲板が開く。内側から赤いレンズ型パーツが顔を覗かせる。

 対宙パルスレーザー砲。デブリの衝突に備え、例え相対速度秒速数十kmで接近しつつある小惑星であっても蒸発させる副兵装。それを人に向ければ、影さえ留めない。塵さえ残らないだろう。

 男が拳銃のスライドを引くと、白い船体に発砲した。

 船体レーダーが検知。相対速度を計測し、迎撃を開始した。空中で鉛弾が蒸発した。


 「………!!」


 男が目を見開くと、拳銃全てを撃ち尽くす。弾丸は船体に到達さえ許さずに空中で蒸発していた。

 男が拳銃を投げ捨てる。次に、腰のレーザーガンを抜いた。発砲。赤い光芒が船体にしかし触れることも無く捻じ曲げられる。男が、エネルギーパックを使い切ったことを示す残弾ゼロ表示を浮かべたレーザーガンを投げ捨てた。


 「……あかない!」


 黒髪の乙女が、装甲車の中でもがいていた。外部を映したモニタには自分の恩人たる男がたった一人で白い宇宙船に立ち向かっている様が映っていた。勝てないと男は言っていた。だから、よく見ておくようにとも言っていた。

 開くはずがない。装甲車の扉は外側から鉄パイプをねじ込まれていたのだ。仮に開いたとすれば、放射性物質を多量に含んだ致死的な砂塵を吸い込むことになる。けれど少女は、必死に扉をこじ開けようとハンドルに全身全霊を傾けていた。細い体躯からは想像もできない怪力ではあったが――扉は開かなかった。

 男は、首から提げたロケットを握り締めると、力任せに引きちぎって装甲車の方角へと投げた。そして、両手の拳を握り締めたまま、白い宇宙船へと立ち向かっていった。

 少女は見た。男が無機質なレンズの並ぶ宇宙船に歩み寄っていく姿を。愛しむように、外部映像を映すモニタにすがり付く。


 「やめて……! 殺されちゃうよ!?」


 少女を制するかのように男が片手を掲げると、足を止めた。

 白鯨がサーチライトを空にもたげた。光線は迷いも無く男を照らしていた。

 男の唇が動いた。ヘッドセットの耳元を押さえ、何者かと話しているようだった。男がヘッドセットを投げ捨てた。


 「やめ……ああああああっ!」


 次の瞬間、男は白鯨の放ったレーザー砲撃を食らって大地から消えた。男だったものが飛沫となって、白い柱になっていた。風に流され、あとには何も残らなかった。

 茫然自失とする少女の目の前を白鯨が行く。各所から青いスラスタを吹かし姿勢を切り替えると、不気味な程早く空へと登っていく。

 泣きじゃくる少女を残して。


 砂地には、男と少女が映りこんだロケットが風にもまれていた。





 


 「皆集まっているな」


 小難しい顔をしたヨゼフが作戦司令部の電子モニタを突きながら言った。


 「目標となるであろう敵は―――コードネーム“白鯨”。チャンドラ前リーダーであるエイハヴを殺した相手と同型タイプの宇宙戦艦だ」


 場に動揺が広がっていく。あるものはぽかんと口を開けていて、あるものは腕を組み難しい顔をしている。

 宇宙船などというものは過去の産物であり――発掘するか、残骸を調査するか、しかない。太古の恐竜が実は生きていると言われても誰も信用するはずがないように、その場の一部を除く皆は信じようともしなかったのだ。

 ヨゼフはため息を吐くと、言葉を続けた。傍らには端末装置を操作するドクがいた。


 「我々の認識では戦艦だが――戦闘艦ですらない可能性が高い。月面都市の連中からすれば当然の技術水準なんだろう。そして、その戦闘艦ですらない相手に、クイーン・アンズ・リベンジは一方的に退けられている。桁違いの相手だ」


 画面が切り替わると、白鯨の全貌が露にされた。のっぺりとしたリフティングボディの船体。対比となるであろう戦車が図形として画面に登場したのだが――しかし大きすぎた。戦車を横に置いているというのに、戦車はまるで小人のようなサイズになっている。推定でも500mはあろうかという白鯨の異常さが際立っていた。


 「リリィ? どーしたの」

 「いえ」


 リリウムは、映像を見て俯いて拳を震わせていた。

 シルバーが声をかけると、首を振って微笑んで見せた。


 「悪いことに、今回は妙な兵器まで付いてきている。我々はこいつを“トライポッド”と呼ぶことにした」


 画面上には円盤型の胴体から三本の足を生やした異形が地上を闊歩する様が映りこんでいた。無人偵察機からの映像なのだろう、高速かつ低空から撮影しているらしく、映像のブレが激しい。

 トライポッドが廃墟と化した街を不気味な速度で移動していた。三本足で地面を踏みしめると言うよりも、マリオネットが糸で操られているように、円盤の動きに追従して足が地面に触れている様子であった。街にいたであろう小集団が攻撃を仕掛けていたが、目には見えぬ防壁に攻撃をそがれ、代わりに赤い熱線を食らっていた。熱線の威力たるや、対抗する戦車が掠めただけで蒸発し、余波で機動装甲服パワードスーツを纏った兵士達が吹き飛ばされる程であった。

 場面が切り替わる。白い残骸と化した宇宙船の傍らに白鯨と、トライポッドがついている場面が映し出されていた。


 「映像は無い。画像に収めるだけで精一杯だった。連中は――もう隠すまでもないが、シルバーが乗っていた宇宙船の残骸を調査している。現在、宇宙船の周囲をうろついている。偵察機からの情報によると、テリトリー・チャンドラ目指して進行中だ」


 ヨゼフの視線がシルバーに注がれた。眼帯に包まれていない裸眼が、シルバーの青い視線と交差する。

 シルバーは周囲の囁き声に視線を彷徨わせていた。

 画面が地図に切り替わった。

 ヨゼフはポイント・オケフェノキーを指で突いて見せた。


 「幸いトライポッドは動きが遅い。ポイント・オケフェノキーに到達までに二日はかかる計算だ。そこで我々は先手を打つことにした。作戦の詳細は追って各自に通達する。以上。シルバーは後で俺の部屋に来い」


 ヨゼフが敬礼をすると、シルバー以外の全員が敬礼をする。シルバーが遅れて敬礼をした。






 シルバーはいつものように髪の毛を後頭部で纏めていた。ツナギを着込み、とたとたと駆けていた。廊下を曲がって階段を下っていく。兵士の数人が振り返った。ヨゼフの部屋の前で立ち止まると、ノックもせずにノブを捻って入っていった。


 「ノックをしろ」

 「えぇーめんどっちいよ」


 ヨゼフがため息を吐く。彼は自分の机の上で地図と書類を見比べて唸り声を上げている真っ最中であった。トライポッドだけならば勝算があったが、白鯨が相手となれば激戦は必至で、敗北しか見えてこなかったのだ。撤退する場所あるはずが無い。汚染物質に染まった砂漠を放浪する選択肢はもはや残されていない。

 ヨゼフが目線で椅子を示す。よりも前にシルバーが椅子を掴むと、背もたれを正面にして座っていた


 「話と言うのはお前さんの出身だ。端的に結論から言おうか。お前さん、月面都市のアンドロイドなんじゃないか?」

 「………えっ。だから覚えてないって」


 シルバーがきょとんとして口を半開きにした。真実ではなかったが。おぼろげながら、自分のものではない記憶が蘇ることがあったから。

 ヨゼフは、拳銃を抜くとシルバーの頭部に突きつけた。かつてデザート・イーグルと呼ばれた拳銃の暗い銃口がシルバーの額を狙っていた。銃身にはよく見れば外付け電源装置と、レーザー測量装置が取り付けられている。ヨゼフの言う“とっておき”を作動させる仕組みであった。


 「先代は月面都市の住民だった。離反したんだ。地球の環境を調査しに降りた際に、地上の人類の疲弊振りを見てな。月面の連中はそれを許さなかった。だから殺されたんだ。お前さんが人間かアンドロイドかはどうでもいい。覚えていることを話せ」

 「………たしかに」


 シルバーは思わず両手をあげていた。ツナギの袖がめくれ、機械の腕が垣間見えていた。


 「たしかに、あの変な白い船に私乗ってたんでしょ? きっと月から来たんだと思うけど……!」

 「……」

 「た、たしかに覚えてることもあるんだよ! 月……の街で……遊んでたような」

 「続けろ」


 ヨゼフは両手で銃を保持したまま、眉一つ動かしていなかった。


 「で、でも、それだけ! あとはわかんないの! ほんとうだよ信じて!」


 シルバーが身を乗り出すと、椅子を蹴った。自身の額に押し付けられる銃に怯むことなくヨゼフに駆け寄ろうとした。椅子を迂回し、机の反対側に回り込む。距離が丁度手を伸ばせる範囲になった瞬間にヨゼフが動いた。シルバーの腕を掴むと、足を引っ掛け床に転がす。胸元に膝をかけて拘束すると、拳銃を突きつけたのだ。

 二名の視線が絡み合っていた。


 「仮に連中が何かを“探して”いるとすれば――お前さん以外にはありえない。ここでお前を拘束して差し出すと言ったら?」

 「しないもん」


 シルバーは、床に投げられた反動で千切れた髪留めの上に頭を置いていた。銀糸が扇状に広がり華奢な体を際立たせていた。


 「おやっさんはそんなことしないもん。私知ってるもん。仲間は見捨てないって」

 「………」


 ヨゼフが銃のハンマーを指で弄った。シルバーは瞬きもしなかった。

 ヨゼフの表情に皹が入る。


 「ふん。俺も歳をとったな……いいだろう」


 ヨゼフが銃をどけると、ホルスターに収める。シルバーの手を握り起こそうとして、暫し沈黙する。背中に手をまわして起き上がらせる。重量にして85kmもある物体を片腕で起こそうとするのは危険と考えたらしい。

 シルバーはといえば、花の咲くような満面の笑みを浮かべていた。


 「にへへへへ……! 私いまときめいちゃった。おやっさんの貴重な表情ゲットしちゃった!」

 「アホ抜かしてないでさっさと起きろ。退室だ退室」


 ヨゼフはきゃっきゃとはしゃぐシルバーの襟首掴んで部屋の外に放り投げた。床を転がるシルバーは例えようも無く嬉しそうに頬を緩ませていた。

 室外に放り出されたのに嬉しそうなシルバーを通りがかった兵士数人が奇異の目で見ていた。


 「ばかめ。さてと………次はリリウムを呼ぶべきだな」


 ヨゼフはもっとも不安要素である女性を呼ぶことにした。白鯨の再臨。彼女の精神状態が不安だったのだ。

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