終章『理想―Ideal―』
第28話
「……ん…………」
1人の女が、ベッドの上で目覚める。
女はゆっくりと目を開け、周囲を見やる。
真っ白な天井に、自分の身体に掛る小奇麗な毛布。
窓からは青い空が見え、チュンチュンと小鳥が飛んでいる。
どうやら、此処は病院の個室らしい。女はそう思った。
女は茫然とした意識の中で自分の左腕を上げ、唯一見える〝左目〟で腕を見る。
その瞬間、女の脳内にある記憶がフラッシュバックした。
『
コンテナ置き場での戦い――――
そして――――『
「――――ッ!」
全てを思い出した女はベッドから飛び起きる。しかし、
「ッ! 痛ゥ……っ!」
身体全身を包む痛みに、身体の動きが止まる。
女の身体はもはやまともに動けないほど痛めつけられていた。
そんな時、
「……目覚めたのですね、ベティーナ・グルバヴィッツァ」
若い女の声がした。
女は声がした病室の入り口の方向を見る。
すると、そこには2人の男女がいた。
「『
そこにいたのは、制服姿の『
俺は病室の中に入り、ベッドの上に座るベティーナに近づいて、
「まだ動かない方がいい。アンタ3日も寝たきりだったんだ。それに、怪我も完治してないんだからな」
そう声を掛けた。
患者衣姿のベティーナは点滴を垂らし、身体のあちこちに包帯が巻かれている。
見るからに重傷患者だ。
ベティーナは明らかにこちらを警戒し、俺達を睨みつけている。
「そう警戒しないで下さい。ここは『新有明病院』の病室です。場所も場所ですし、私達に貴女と戦う意思はありません」
シエラが冷静な声で言う。
実際俺達に戦うつもりなんて毛頭なかったし、俺に至っては拳銃1つ装備していない完全な丸腰だ。
「な……何故だ!? 何故私は此処に…………いや、それよりもどうして私は生きているの!? それに
「だから、負けたのですよ。貴女は」
シエラはベティーナの言葉を遮り、言った。
「負けた……ですって……? 魔神が……貴方達に……?」
「ああ、俺の〝力〟を使って、魔神を消滅させた。跡形もなく、な」
信じられないという顔のベティーナに対し、補足するように俺が言う。
「〝力〟……? じゃあ『
俺の言葉で、ベティーナは全てを悟ったらしい。
ベティーナはしばし沈黙すると、再び言葉を発した。
「……だったら……どうして私を生かしておくの? 拷問にでもかけて、他の工作員の居場所でも吐かせる為かしら?」
皮肉っぽく苦笑し、言う。
ベティーナの言葉に対し、俺は、
「ちげーよ。……俺はあの魔神を撃つ時、一瞬心のどこかで思ったんだ。アンタのしてきた事を、俺は絶対に許せない。でも、何も殺す必要はないんじゃないかって……」
俺は、言葉を続ける。
「……ずっと思ってた。アンタ、どうして俺が学校にいる間に襲って来なかった?」
「何……?」
「学校を戦場にしちまえば、生徒を盾にするなり人質にするなり出来て、ずっと有利に事を運べたはずだ。なのに、アンタはそれをしなかった」
「…………」
「……この3日、シエラにアンタの事を色々と調べてもらったよ。……アンタ、世界中の孤児院に多額の寄付をしてるそうだな。それも戦争で親を亡くした子供が集まる場所や、紛争地や内戦国の孤児院には、考えられないほど莫大な資金を送ってる。……それは全部、傭兵業や『
「……………………」
ベティーナは俺から目を背け、黙りこくる。
「アンタは、子供が好きなんだ。だから、出来るだけ子供を巻き込みたくなかった。そして自分と同じような境遇の子供を、もう見たくなかったんだ。その為に戦っていた。そうだろ?」
俺の問い掛けに、ベティーナは何も答えようとしない。
「……アンタは罪人だ。人殺しだ。でも……極悪人じゃない。アンタはまだやり直せる。アンタの理想は、『
俺は、そう諭した。そう、信じる事が出来た。
そんな俺の言葉に対し、
「……無理よ。私に出来る事なんて、もう何も無いわ。それにどうせ貴方達が私を殺さなくても、『
ベティーナは相変わらず皮肉を込め、生気の無い声で言う。
すると――――――
「……そうね。だから貴女はその残酷さを、存分に味わわなくてはならない。反省の意味を込めてね」
病室に、シエラでもベティーナでもない女性の声が響いた。
俺達は声に釣られ、一様に病室の入り口の方を向く。
そこには――――――車椅子に乗った紗希姉さんがいた。
姉さんの車椅子を、白衣を着たエミリア・トムキンス医師が押している。
「ね……姉さん! 駄目だよ! まだ動けるような身体じゃ……!」
「いいの。お願い、彼女と話をさせて」
制止しようとする俺を押し留め、姉さんはエミリア医師に押されてベティーナの近くまで移動する。
本来、姉さんはまだ病室で寝ていなければならない状態だ。
頭部に巻かれた包帯が残るなど、ベティーナに受けた傷が完全に治癒していない。
「……何の用かしら、『
ベティーナは挑発するように言う。
しかし姉さんは表情を変えず、
「…………私は……貴女を許すわ」
――――そう、言葉を放った。
「「「――――ッ!?」」」
姉さんの言葉に、ベティーナのみならず俺もシエラも仰天する。
「な……っ、何言ってるの!? 貴女気は確か!? 私は、貴女を殺そうとしたのよ!?」
「ええ、分かってるわ。貴女がテロで大勢の人間を殺し、私の弟や弟子を危険に晒した事も。誰も貴女を許さないでしょうね。でも、私だけは貴女を許す」
「――――ッ!!」
姉さんの言葉に、ベティーナを困惑を露わにする。
その様子は、怖気づいたようにすら見える。
誰も許さない中で、只1人許してくれるという。
それは救いがあるようで、実はとても残酷だ。
何故ならそれは――――〝絶望〟しか無い中で、〝希望〟が生まれてしまうから。
姉さんは、話を続ける。
「貴女を許した上で言うわ。お願い、私達に力を貸して。私達と一緒に『
「な……っ! あ、貴女……!」
――――〝異常〟。
姉さんの発言は、ともすればそう受け止められかねない。
それでも姉さんは真剣な表情を崩す事なく、ベティーナを見つめる。
「……どうして、そこまで……」
「どうして? そんなの簡単よ」
姉さんは、言った。
「家族と、友人と、そして私を慕ってくれる人達が笑顔でいられる世界……。それが私の〝理想〟だからよ。私は、その為に戦う」
臆する事無く、恥じる事なく、姉さんは言い放って見せた。
その言葉はとても普通で平凡なはずなのに、何故か俺の耳にはとても気高く、誇り高く聞こえた。
「貴女…………そう……貴女も、私と何も変わらないのね……残酷だわ……」
ベティーナは俯き、そう呟いた。
「…………いいわ。どうせ私に帰る所なんて無いもの。こんな傭兵崩れでいいなら……力を、貸してあげる」
ベティーナはどこかふっ切れたような、晴れやかな顔で言った。
そんなベティーナを見た俺とシエラは顔を見合わせ、思わず笑顔をこぼした。
心なしか、姉さんも笑顔になっているように見える。
しかし、
「でも……私程度が味方になったからって、喜ぶのは早すぎるわよ」
ベティーナは言った。
「何?」
俺は思わず聞き返す。
「前にも言ったはずよ。『
ベティーナは、どこか遠くを見るように天井を見上げる。
そして、
「世界は、もうすぐ『冷戦』になるわ。世界中が
……日向直人、貴方は……一体いつまで戦い続けられるのかしらね……」
ベティーナは、隻眼で俺を見つめて言う。
ベティーナの言葉に対し、俺は只、沈黙で答えるしかなかった。
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