第14話

「君が日向紗希の弟君、日向七御斗君だね? 私はこの病院で外科医をしているエミリア・トムキンスだ。よろしく」


 白衣を羽織った長い金髪の白人女性が、俺に手を差し出す。


「どうも……」


 俺は静かにその手を取る。


 俺は病院から電話を受けた後、制服に着替えたシエラと共に全力疾走で『新有明大学附属病院』まで駆け付けていた。

 俺達が駆け付けた時には手術室のランプが赤く点灯しており、紗希姉さんのオペが始まっている状況だった。

 そして、待つ事3時間。手術室のランプが消え、姉さんは手術は無事終わった。


 今俺とシエラの前にいるエミリアという大人びた先生が、姉さんの手術を担当してくれたらしい。

 エミリア医師は、集中治療室の中で様々な医療器具を取り付けられた状態で眠る紗希姉さんを窓越しに眺めながら話を続ける。


「……彼女の一命は、なんとか取り留めた。だがとにかく酷い怪我だ。絶対安静が必要だ」


「あ、あの! 姉さんに、一体何があったんですか!? どうして姉さんがこんな……!」


 困惑した表情で問い掛ける俺に、エミリア医師は静かに答える。


「分からん。私が聞いた限りでは、街の上空でがあった後、いきなり彼女が空から落ちてきたらしい」


「!? 爆発!?」


 その言葉を聞いた瞬間、俺とシエラは顔を見合わせる。


 ――――間違いない。

 奴の、ベティーナの仕業だ。


「とにかく、医師として出来る事はした。後は、少し眠らせてやるといい」


 そう言い残して、エミリア医師は俺達の前から姿を消してしまった。


 姉さんが眠る集中治療室の前には、俺とシエラ、そして不気味なほど静寂だけが残される。


「……あの女……どうして姉さんを……ッ!」


 俺は姉さんと俺を隔てる窓に手を突き、怒りに震える声で呟く。

 許せなかった。どうして姉さんがこんな目に会わなくてはいけないのか、理解出来なかった。

 怒りと憎しみで血が煮えたぎり、肩が震える。

 悔しさで歯を噛み締め、歯軋りをする。


 そんな俺を見たシエラは、


「……それは、紗希さんマスターも魔術師だからですよ」


 まるで、慰めるように言った。


「な……何……?」


「マスターは、『端境はざかいの魔女』の異名を持つ高名な魔術師です。特に〝端境〟の名が表す通り結界や封印、こと防御魔法に関しては右に出る者はいないと言われています」


「ま、待てよ! 姉さんが魔術師って……!? 一体どういう事だ!?」


 姉さんが魔術師と聞かされて、俺は思わず声を張り上げる。


 姉さんは、今まで自分が魔法使いだなんて一度も言ったことはなかった。

 確かに、俺は今まで姉さんが纏うミステリアスが感じを不思議に思ってはいた。

 姉さんには、何か秘密があるんじゃないかって……。


 でも――――まさか『魔術師』だったなんて……。


「先輩がご存じなくて当然です。マスターは、先輩にのですから」


 シエラは冷静に言う。

 その冷静さは、今の俺にはどこか俺の癪に障るモノだった。


「……本当は、マスターの口から直接話すのが筋なでしょうが……こうなってしまっては仕方ありません。私がマスターから聞いた限りの事を、全て先輩にお話します」


 シエラと俺は廊下の中で向かい合い、緊迫した空気を作る。


「……先輩は私に聞きましたよね? どうして自分は魔法を使えないのか、と。そして、それは封印されているからだと、私は答えました」


「ああ……」


「確かに、今の先輩は魔法を使えません。……ですが過去に1度だけ、先輩は魔法を使った事があるんです」


「え……?」


 俺がかつて、魔法を使った……?

 そう言われて俺は昔の記憶を色々と思い出してみるが、幾ら考えても魔法らしき物を使った覚えは無い。


「俺は、今まで魔法なんてモノを使った覚えはないぞ……?」


「……やはり、その記憶も封印されているんですね……」


 震える声で話す俺を、シエラは目を細めて見る。


「……先輩は魔法を使っているんです。……それも、


「!? 姉さんに!?」


「ええ、その為にマスターは1度、命の危機に瀕したと言っていました」


「命の危機……」


 そう言われて、俺は今朝見た〝夢〟を思い出す。

 まだ幼い俺が、中学生の頃の姉さんに何かしてしまった夢を――――。


「まさか……あの夢……!?」


 これは、決して偶然ではない。

 俺はそう確信する。


「お、教えてくれ! 俺は一体、姉さんに何をしたんだ!?」


 俺は鬼気迫る表情でシエラに迫る。

 シエラは俺の隣に来て、ガラスの向こうの姉さんを見つめる。

 そして俺に振り向く事なく、話を始めた。


「……マスターは、元々魔術の才能など無い、ごく普通の一般人だったんですよ。魔術とは何ら関わりの無いごく普通の家庭で産まれ、ごく普通に育ち、ごく普通にその生涯を終えるはずだった……。でも、そんなごく普通の家庭に生まれた特別イレギュラーな先輩が、その運命を変えてしまったんです」


「俺が……?」


「先輩がまだ物心ついて間もない頃……きっと遊び半分の無意識だったのでしょう。マスターの背中に、指で五芒星ペンタグラムを描いてしまったんです」


 シエラは、窓をそっと指でなぞる。


「……人間が魔術を使う方法は、この世にあります。1つは自身の生体エネルギーを魔力に変換する方法、そしてもう1つは『魔界』の力を借りる方法です」


「魔界?」


「『魔界』とは、この世界とは異なる別次元の世界……。そこには『魔物』や『魔神』と呼ばれる異形の者達が棲み、地球とは比べ物にならないほど大量の魔力が存在しています。古来より魔力を持たぬ人間は『魔界』に棲む者達と契約し、魔術を行使していました」


「ま、待て待て、その『魔界』ってのと俺が姉さんの背中に何かを描いたのと、一体どういう関係があるんだよ?」


「……五芒星ペンタグラムは全ての魔術の基本であり、この世と『魔界』を繋ぐパスのような物。もしそんな物を……どうなると思います?」


「どう、って…………まさか……!?」


 俺はすぐにピンと来る。

 それは、つまり――――


「そう、先輩がマスターの身体に五芒星ペンタグラムを描いたことによって、マスターの身体その物が『魔界』とんですよ。これは人類史上前例の無い、正に前代未聞の出来事です」


 俺は、その言葉に驚きを隠せない。

 俺が、姉さんの身体と『魔界』を繋げただって?


「そ……そんな事が……」


「ええ、常識的にはとても考えられません。『魔界』とこの世を繋ぐ為には、相応の準備と複雑な魔術式が必要不可欠です。幾ら五芒星ペンタグラムを描いたからと言って、おいそれと出来る事ではありません。……ですが『神の子ロゴス』である先輩の膨大な魔力によって、半ば無理矢理『魔界』のゲートが開いてしまったのですよ」


 驚く俺を余所に、シエラは話し続ける。


「生身の人間を通して『魔界』とのゲートを開くなど、当時のマスターの身体に掛った負荷は想像を絶します。発狂しないどころか、生きている事自体が奇跡と言っても過言ではありません」


「…………」


「事態を察知した『薔薇十字団ローゼン・クロイツァー』はすぐに一流の魔術療法士を派遣。マスターはなんとか事なきを得ましたが、結局マスターの身体に通った『魔界』とのゲートは塞ぐ事が出来ませんでした。そしてマスターは『魔界』と身体が繋がったことにより、魔術の才能が無いにも関わらず魔術を使えるようになったのです。これに目を付けた『薔薇十字団ローゼン・クロイツァー』はマスターをスカウトし、魔術師として教育を施しました」


「そして、姉さんは魔術師になった……」


「はい。元々天才肌だったマスターは僅か数年で魔術師界隈にその名を知られるようになり、19歳でドイツに来た頃には、既に『端境はざかいの魔女』と呼ばれる『薔薇十字団ローゼン・クロイツァー』を代表する大魔術師の1人になっていました。…………ですが……」


 シエラは窓に触れていた手を、そっと自分の胸の前で握る。


「マスターは2年前……『薔薇十字団ローゼン・クロイツァー』をされたのです」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は一瞬自分の心臓が跳ねるのを感じた。


「つ、追放だって? 何故だ?」


「それは……マスターが先輩の魔力を封印したからですよ」


「俺の……?」


「『神の子ロゴス』はその膨大な魔力や運命力の為、世界中の魔術結社に監視されると当時に研究の対象とされています。先輩の趣味趣向、生活習慣や行動1つに至るまで、全て世界中の魔術結社に記録されていたんですよ」


「は? そうなのか?」


 それってつまり、俺のプライベート情報が全て世界中に流れてたってことだよな……。

 酷い話だ。もうプライバシー保護法も何もあったもんじゃない。

 などと俺は心の中でボヤく。


「ですが2年前……マスターは日本に帰国すると同時に、先輩の魔力を突如封印したんです。先輩に掛けられた封印はで、術を掛けたマスター本人にも解く事は不可能でした。それは即ち、先輩が『神の子ロゴス』の力を失った事を意味します」


「で、でも俺は、姉さんに魔法を掛けられた記憶なんてないぞ?」


「マスターは世界で最も優秀な封印魔法使いです。先輩が寝ている間に音もなく封印を施すなど容易いはず。おそらく、その時に先輩の過去の記憶も封印したのかと」


 そう言われて、俺は夢で見た事を話した時の姉さんの表情を思い出す。

 確かに、あの時姉さんは凄く驚いているように見えた。

 あれは、そう言う事だったのか……。


 シエラは俯き気味に、哀しそうな顔をする。


「……1世紀に1人の研究対象を失った『薔薇十字団ローゼン・クロイツァー』の幹部達は激怒し、マスターを組織から破門、永久追放しました。『薔薇十字団ローゼン・クロイツァー』の後ろ盾を失ったマスターは1度魔術の世界から離れ、日本で暮らしていたんです」


「……そうか、だから姉さんはドイツの大学を卒業したらすぐ日本に戻って来て、東京で過ごしていたんだな……」


 俺は何をしても成功する姉さんが、どうしてむざむざ日本に留まっているのか薄ら不思議に思っていた。

 しかしまさか、そんな理由があったとはな……。


 シエラは哀しそうな表情のまま、言葉を繋げる。


「……私は、マスターが『薔薇十字団ローゼン・クロイツァー』に所属していた頃の最後の教え子なんです。だから、マスターが追放された後も連絡を取り合っていました。私が先輩を監視を頼まれていたのも、マスターが『黄金の夜明け団ゴールデン・ドーン』の動きを追っていて自由に動けなかったからなんです」


「……そう、だったのか……」


「……マスターは言っていました。「私は、あの子のせいで人生を変えられてしまった。けれど、あの子を恨んではいない。そして何より、あの子には世界の陰である魔術に関わってほしくない」……と」


「…………」


 シエラは再び俺と相対し、力の籠もった口調で話す。


「……私は『竜人ドラゴニア』です。生まれた時から、周囲に奇異の目で見られてきました。時には〝化け物〟と罵られた事もあります。……でもマスターはそんな私を拾って、褒めて、魔術師としての生き方を教えてくれました。その恩を、私は一生忘れません。マスターとの約束は……必ず守ります」


 そう言うとシエラはぐっと俺に近づき、顔を見合わせる。


「ですから……先輩は、私が護ります! 私が先輩の盾になります! 私がマスターの代わりを務めます! だからこれからは……ずっと、私の傍にいて下さい!」


「え……?」


 俺はシエラの言葉に、一瞬心臓が激しく脈打つ。

 次第に頬が熱くなるのを感じ、慌ててシエラから顔を背けた。


「え、えっと……なんかその言い方だと、まるで……その……〝告白〟みたいなんだけど……」


「え?」


 シエラは考えるように眉間にシワを寄せる。

 そして自分が言った言葉を思い出したのか、瞬く間に顔を真っ赤に染めた。


「ちっ、ちちちち違いますよ! そういう意味で言ったんじゃないです! こんな時に何考えてるんですか!? 先輩の変態!」


「は、はあ!? お前が勘違いするような言い方したんだろーが! それにさっきはして俺に引っ付いてたくせに、恥ずかしがるトコ違うだろ!」


「あ、あれだって本当は凄く恥ずかしかったんですよ!? でもああすれば先輩の怪我はすぐ治るし、そ、それにマスターが先輩の事「女性に関心が無い」って話してたから……」


「だから誤解を生むような言い方すんなよ! っていうか姉さんそんな事言ってたの!?」


 姉さんの俺に対するイメージって一体……などと考える俺に対し、シエラは赤い顔のまま、警戒するように「う~」と唸る。

 やっぱり、あの行為は恥ずかしかったのな……しかし怒るタイミングは今とは、コイツも変な所で純情というか何というか……。


 シエラは仕切り直すように、1度大きく咳き込む。


「と、とにかく! マスターを襲ったのはベティーナで間違いないはずです。ですが、ベティーナがマスターと正面から戦って勝てるとはとても思えません。なら魔力で勝るマスターがやられた理由は……」


「……〝奇襲〟、あるいは〝待ち伏せ〟か……」


「はい。どんな手段を使ったかは分かりませんが、ベティーナはそれほど強力な魔術を使える魔術師ではないはず。にも関わらずマスターがやられたのは、向こうにも何か秘密があるに違いありません。注意が必要です」


「注意って言っても……どうすりゃいいんだよ?」


「先輩は、私の傍を離れないで下さい。マスターが動けない今、ベティーナは確実に先輩に狙いを絞ってくるはず。ならば下手に私が遊撃に動くよりも、先輩に近づいて来たベティーナを倒す方が安全で確実です」


「つまり、俺を囮にするって事だな……」


「人聞きが悪いですね。おびき寄せるって言って下さい」


「どっちも変わらんだろーが。まあ……俺も、その作戦に文句は無い」


 俺は窓の向こうで眠る姉さんを険しい表情で見ながら、そう呟いた。


 そう……アイツには、姉さんをこんな目に合わせた〝仕返し〟をしてやらなくちゃ気が済まない。

 それに、俺を襲った〝お礼〟もしたいしな……。

 内心でそう思う俺の心情を知ってか知らずか、シエラは複雑な表情で俺の顔を見る。


「……先輩が何を考えてるのか知りませんが、魔術の前に先輩お得意の銃など無力です。先輩は、大人しく私に護られていて下さい」


「…………」


 〝魔法の前に銃は無力〟。


 それは、俺が魔法に出会うまで思っていた事と真逆の事だった。

 実際、ブルドッグで撃たれたベティーナは平然と蘇り、何の苦もなく銃弾を弾いて見せた。

 あんなモノを見せられたら、確かに銃なんて無力と思いたくもなる。

 だがそれは――――俺が培ってきた物、そして父さんの命を護って来た物を、否定する事に等しい。


 俺は悔しいような歯痒いような、そんな気持ちだった。


「……とにかく、今日の内にまたベティーナが仕掛けてくるとは考えづらいです。マスターは病院にお任せして、一旦私のアパートに帰って身体を休めましょう」


 シエラが優しい声で俺に言う。


「ああ……そうだな……」


 俺はシエラの声に従い、集中治療室の中で静かに眠る姉さんを残して、病院を後にするのだった。

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